97. 風の試練 ◇
水の塔から出た時は、まだ昼を過ぎたくらいだった。だけど身体がひどく怠い。
そんなに体力を使ったつもりはないのに、どうしたんだろう。
「塔から出てきた者は、皆そうじゃよ」とシモン様が優しく仰って、宿まで送って下さった。
そのまま、ベッドに倒れ込んで寝てしまったらしい。翌朝はニコルさんに起こされるまで熟睡してしまった。
「今日は風の塔じゃ。身体は大丈夫かの?」
「はい、昨夜はぐっすり寝ましたので。問題ありません」
「ほっほっほ、若いのう。羨ましいわい」
「私が案内人のシルフィよ。お前が受験者なの?ずいぶん幼いのね」
塔で待っていたのは、風を纏った精霊だった。おかっぱの髪がふわふわと動いている。
幼いって言われるほどの年齢ではないと思うけれど……。
何百年も生きている精霊さんから見たら、私だろうがお師匠様だろうが、幼子に見えるのかもしれないわね。
「三つの試練を受けるというのは、当然知っているわね」
「はい」
「じゃあ、早速一つ目よ。あの扉をくぐりなさい」
水の塔と同じく、円形の壁に囲まれた部屋。その中央、上の方に扉が浮かんでいる。
足場は何もない。自分で飛んでいくしかないのだ。
「風の舞踊」
風の精霊を呼び出して詠唱を唱える。
精霊たちが集まり、私の前に風の階段が出来上がっていく。
私は勢いをつけると、一気に階段を駆け上がった。踏んだ後は階段が消えていくので、もたもたはしていられないのだ。
右手が扉に届いた。
私は扉を開くと、その中にえいっと飛び込んだ。
転がり込んだ先には、上の階へと続く階段があった。
「ふん。このくらいは初歩の初歩だものね。当然だわ。次の試練、いくわよ」
なかなか厳しい精霊さんだ。
上の階も先ほどと同じような部屋だった。これも水の塔と同じ作りだ。
だけど、部屋には何も無かった。
きょろきょろと周囲を見回すが、障害物らしきものは無い。それどころか、扉すら見当たらない。
「そんな注意力の無さで、よく精霊士になろうと思うわね。上を見なさい」
そうシルフィに言われ、私は顔を上に向ける。
石の板のようなものがたくさん浮かんでいた。それぞれが小さな竜巻に包まれており、あっちこっちに飛び回っていて見ていると目がくらくらしてくる。
「あの石版を全部落とせば、次の扉が開くわ」
目眩に耐えながら、上空を見つめる。石版の飛び方には法則性が見当たらない。あの竜巻を何とかするしかない。
でも、どうやって?
風属性の精霊術は、基本的に風を起こすものだ。風を止めたり消したりするものではない。
消す……?
「そうだ!」
私は一つの石版に狙いを定めて「風の竜巻!左へ!」と唱えた。
左回りの竜巻が石版を包む竜巻とぶつかり合う。あの風は右回りだった。ならば、これで相殺されるはず……!
果たして、竜巻がふうっと小さくなり、揚力を失った石板が落ちてきた。
石板が地面にぶつかり、がらんがらんと大きな音を立てる。
「風の竜巻!上!右!えっと、また上!」
私は一個一個、竜巻を潰していった。
落ちてきた石版が積み重なって山のようになっている。
最後の一個を落とした途端、石版が集まっていった。みるみるうちに、扉が出来上がる。
「時間が掛かったわね。いいでしょう。最後の試練よ。さっさとその扉をくぐりなさいな」
「はい」
私は扉を開いて、ゆっくりと足を踏み入れた。
水の試練と同じ流れであれば、最後の試練は戦闘になるはず。
想定通りだった。大広間で待っていたのは、鷲によく似た魔獣。えーと、ガルーダだっけ?
天井近くで翼をはためかせて滑空しているが、私を攻撃してくる様子はない。
向こう側に、精霊石の置かれた祭壇が見える。
このままガルーダの下をくぐれば、祭壇まで行けるんじゃ……?
抜き足差し足でそちらへ近づいてみる。
だが、中央を過ぎたところで上から耳をつんざくような吠え声がした。
ガルーダが鋭い嘴をとがらせ、私へ向かってくる。
慌てて入り口まで戻ったら、興味を無くしたのか魔獣は上へ戻っていった。
「ズルはできないわよ」
「やっぱりそうですよね……」
ある程度近づくと攻撃される、ということだ。
祭壇へたどり着くまで数秒。私ではガルーダの攻撃を避けるのは難しい。
動きを止めるしかない。だけど、どうすれば飛んでいるガルーダを捕らえられるだろう。水の牢獄が使えればいいのだけれど、ここでは風の精霊術しか使えない。
となると、アレしかないわ。
「風の盾!」
巻き起こった風がガルーダを包む。風の防壁を、円形に展開したのだ。
そこから抜け出そうと雄叫びを上げ、翼を激しく動かす魔獣。暴風が巻き起こる。あれでは、すぐに盾を壊されてしまうだろう。
私はガルーダの下を全力で走り抜け、祭壇へと近づいた。
その前に立った途端、吠え声が消える。ガルーダは姿を消していた。
カリュブディスと同じく、幻術なのだろう。相当に高度な精霊術だ。
「ま、ぎりぎり合格ということにしてあげる。さあ、精霊石に触れて」
「はい。シルフィさん、ありがとうございました」
今度はちゃんとお礼が言えたわ。
私は手を伸ばして、精霊石に触れた。
「あなた、精霊士としてはまだまだ未熟よ。精進なさいな」
そんなシルフィの声を聞きながら、私の身体は入り口へと瞬間移動した。




