10. 国境の攻防(2)
大精霊士。
彼らは国家に様々な利益をもたらす。200年前の大乱では、戦いに参加した大精霊士が、一個旅団クラスの敵を単独で殲滅したとも言われている。
大乱が終わった後も、王たちは競って大精霊士を獲得しようとした。国同士の諍いにより、再び戦が起こりかけた事さえある。だが、長引く戦乱で疲弊した国々には、もはや武力で争う力は無かった。そのため、国家間で協定が結ばれたのである。
小精霊士及び大精霊士は、いずれの国にも所有されず、いかなる法にも縛られない。彼らの居住場所は、彼ら自身の意志でのみ決定される。
だが権力者たちは、あの手この手で大精霊士を自らのもとへ留まらせようとした。
アニエスの婚約もそれだ。
私がハラデュールの王族に従う義務はない。だが、アニエスはハラデュールで生まれ育った国民だ。だから婚約の打診を断れなかったのだ。
馬車から降りた私を見て、バカ王子がニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべる。
「やはり乗っていたな、シャンタルぅ~。アニエスもそこにいるんだな?」
「姿を変えていたのに、よく分かったな」
「マグノアで、ラングラルの間者どもと接触しただろう?どうせお前は検問をすり抜けるだろうからな。間者の風体を、宿の主人から聞き出したのだ。予想通り、それらしい男が女二人を連れていたと検問所の兵士から報告があった」
マグノアで宿泊した際は姿を変えていなかったから、目立ってしまったのだろう。しかし、フェリクス殿下たちの方に目を付けるとは思わなかった。
バカ王子にしちゃあ冴えてるじゃないか。
どうせ側近の入れ知恵なんだろうけど。
「まさか貴様らが、ラングラルと繋がっていたとはな。不敬罪に売国罪も追加だ」
「私はハラデュールの民じゃないよ。大精霊士は、一つの国に縛られない。そんな事、いくらアンタでも知ってるだろ」
「ふん。確かに貴様はそうかもしれんが、アニエスはどうかな?精霊士見習いに過ぎないアニエスは、我が国の民だ」
痛いところを突かれ、私は押し黙る。
私が言い返せないと分かると、バカ王子はさらにふんぞり返った。そんなにのけ反ったら後ろに倒れるぞ。
「王都へ戻ったら、さぞや凄惨な拷問を受けるだろうな」
嗜虐的な笑みを浮かべたマティアス王子の顔は、ひどく歪んで見える。
たった一つの取り柄である容姿が台無しだ。
「マティアス殿下は一応美形の類なんだから、そんなゲスい顔したら勿体ないぞ」
「一応とはなんだ!どこからどう見ても美形だろう」
「うわぁ、自分で言っちゃう?」
「と、とにかく!早くアニエスを出さないと、次の矢を打つぞ」
マティアス王子が、後ろを振り向いて騎士たちを見た。
矢の準備をしているか確認したのだろう。機会だ。
「いまだ、馬車を出せ!」
杖で馬車の後ろを叩く。それを合図にパトリックが馬を走らせる。
走り出した馬車に慌てたバカ王子が、矢を放つよう指示を出した。
矢の雨が、ヒュウッと音を立てて飛び、私と馬車に迫る。
私は杖を前方に突き出した。
「風の盾」
振り上げた杖から、風が巻き起こる。激しく振るう風が、彼らと私たちの間に壁を作った。矢は全て弾き飛ばされ、川面に落ちていく。
「なっ!あの数の矢を防ぐだと?」
続いて、私は杖を上に向ける。
先ほどの矢より遙かに多い十数個の炎の矢が、杖の上に浮かんだ。
「お返しだ。喰らえ、炎の矢!」
炎の矢が、超速で奴らへ向かう。慌てて盾を構える騎士たちだが、炎の矢は盾ごと彼らを吹っ飛ばした。
「ぎゃぁっ」
「燃える、燃える!」
吹き飛ばされた者、服に火が燃え移った者。騎士たちは大混乱だ。
マティアス王子はと言えば、火を見て暴れだした馬を抑えるのに必死だった。こちらを追うところではない。
「シャンタル殿、早く!」
すでに馬車は向こう岸に到着している。私は急いで対岸へ渡った。
これでもう大丈夫と思いきや、バカ王子は憤怒の表情で「追え!」と怒鳴っている。
「し、しかし。国境を越えてしまうと、侵略行為と見なされ兼ねません」
「このままでは、奴らが逃げてしまうだろうが。この場には俺たちしかいないんだ、後から誤魔化せば良い。いいから行け!」
混乱状態から何とか立ち直った騎士たちが、王子の指揮に従って橋を渡り始める。
正気かあいつ。兵士に国境を越えさせる意味を分かってるのか?
仕方ない。
私はみたび杖を振り上げた。
「水竜の咆哮!」
轟音とともに橋が揺れ、騎士たちが「何だ何だ!?」と狼狽える。
激しく波立つ川面から巨大な水流が立ち上った。
水流は大きな竜の形となり、橋に襲いかかる。
「戻れ、戻れー!」
騎士たちは転げるように元来た方向へ走り、間一髪、岸へ到達した。
その背後で、水竜の巨大な口が橋を飲み込む。
ひとたまりもなく粉砕された橋の残骸が、川面へと落ちていった。




