91. 炎 ◇
「シャンタル様だ!」
「大精霊士様が来て下さったぞー!!」
彼女に気づいた兵士たちが歓声を上げた。
俺と同じく、死を覚悟していたであろう彼らの目に光が宿っている。
シャンタル殿が杖を高く上げた。
杖の先、彼女の頭上に赤く輝くものが集まっていく。
巨大な炎の塊。
その周囲が赤く揺らめいている。おそらく、温度が激しく高いためにそう見えるのだ。
精霊を視ることのできない俺ですら、そこに火の精霊が集まっていることは分かる。
「炎神の苦痛!!」
絶叫するような詠唱だった。
詠唱に応えるように、炎がみるみるうちに形を変えていく。
現れ出でたるは炎の巨人。
その手に持った巨大な剣を振り回し、全てを薙ぎ払う。
炎の巨剣が振るわれる度に、ウィルムたちが断末魔の声を上げて落ちていった。
一方的で圧倒的な暴力。
炎に照らされた城壁がまるで元からその色だったかのように、てらてらと赤に染まる。
兵士たちも俺も、魔獣がなすすべもなく蹂躙されていく様子を呆然と眺めていた。
炎術においてその右に出る者はいない。
この世で最も炎に愛されし、精霊の申し子。
故に彼女はこう呼ばれる。
――”炎のアルカナ”と。
「凄い……」
「そうだろう?」
呟いた俺に対して、ジェラルド殿下が満面の笑みで俺に答える。
何でそんなに嬉しそうなんだ?
「なぜ殿下が得意げなんですか……」
「俺の婚約者だからだが?」
ここにきて、ようやく察した。
つまり。俺は賭けに負けたのだ。
「あー、それは……おめでとうございます……」
殿下がふふん、とドヤ顔で俺を見る。
ムッカつく顔だなあ。
ウィルムのほとんどが撃ち落され、残りは北へ向かって撤退していった。
脅威は去ったのだ。
兵士たちに残敵の掃討を命じているところへ、シャンタル殿が降りてくる。
「二人とも、無事かい?」
「シャンタル殿、おかげで助かり……」
「シャンタル~~!」
俺の言葉を遮るように、ジェラルド殿下が両手を広げてシャンタル殿へ駆け寄った。
「先ほどの術は凄かったな!惚れ直したぞ」
「またお前は、人前でそんなことを……」
赤くなる彼女に抱きつく勢いだ。
……戦場でイチャつかないでくれませんかね?
夕刻には戦いが終わった。砦の周囲は、魔獣の死骸で埋め尽くされている。
暑い時期だ。すでに腐り始めたのか、異臭を放っていた。油を手にした兵士たちが、ソレに火を放っていく。
負傷者は北門前の守備兵と、南門の瓦礫に巻き込まれた待機部隊の十数人。死者はいない。
完全勝利と言えるだろう。
シャンタル殿と、ジェラルド殿下のおかげだ。
「中途半端な状態で帰ってしまって悪いな」
「いいえ、十分に助けて頂きましたから」
ジェラルド殿下とシャンタル殿は、王都へ戻ることとなった。
王宮から帰りを催促する使いが来たのだ。長居したせいで、殿下の仕事がだいぶ溜まっているらしい。
シャンタル殿だけ置いて行くわけにもいかないので、連れて帰るそうだ。
「敬礼!」
ずらりと並んだ兵士たちが二人へ敬礼する。
北門の守備を行っていた兵士たちだ。見送りは彼らのたっての希望である。
口々にシャンタル殿へ礼や別れを述べている者もいた。あの謹慎処分になった新兵たちだ。
俺の客に対して少々馴れ馴れし過ぎるな。まだまだ教育が必要なようだが、今は目をつぶろう。
「姐さん、王都へ戻ってもお元気で~」
「お前たちも元気でな。あんまり悪さするんじゃないよ」
「殿下とお幸せに~!」
「なっ……からかうな、バカ!」
「はっはっは。任せ給え」
兵士たちの間では、なぜかジェラルド殿下の株も急上昇したらしい。
”あの烈女を落とした男”として尊敬を集めているのだとか。
なんだそりゃ。
「殿下、此度のこと、本当に感謝しております」
「うむ。後の処理は任せたぞ。また王都で会おう」
「はっ。……シャンタル殿。トレイユ家は、貴方への感謝を未来永劫忘れません」
俺は彼女の手を取り、そっと口付けをする。
一瞬驚いた様子だったが、彼女は優しく微笑んでくれた。見惚れてしまいそうな、美しい笑顔。
「どうか、また機会があればこちらへおいで下さい。歓待致します」
「ああ。セヴランも元気でな」
ジェラルド殿下の方角から殺気を感じるが。
女神を手中に収めた男に、このくらいの嫌がらせは許されるだろう。




