89. 大暴走
「大暴走だと!?」
セヴランから急ぎ話があると言われて客間に集まった私とジェラルド。
険しい顔をした館主に代わり、隣に立っていたドミニク兵士長が話を続ける。
「幼いころに、亡き祖父が語ってくれたことを思い出したのです」
それは祖父自身の経験ではなく、さらにその祖父から聞いた話。
この地はずっと昔から魔獣の害に悩まされていた。だがある年、異常なまでに魔獣が出現した。そして突然、波が引くように表れなくなったらしい。
ようやく落ち着いたと安堵していたのも束の間のこと。今度は兎や猪など、山林に住む獣たちが大群で逃避行動を始めたのだ。
天変地異の前触れか?と訝しがりがる人々を、更なる災厄が襲った。北側の山脈から、魔獣の群れが出現したのだ。奴らは野を越え山を越え、この辺境の地を蹂躙したという。
魔獣の突然の減少。昨日、私たちが遭遇した野兎の大群。
状況はほぼ同じだ。
「私はその事実を把握しておりませんでした。その頃、この辺りはトレイユ家の領地ではありませんでしたから。以前の領主から引き継いだ資料を調べさせたところ、確かに大暴走の記録が残っていました」
突然の事態に当時の領主はなすすべもなく、国境付近どころか、かなり内地の街や村まで壊滅状態になった。そこから復興するまでには幾年もかかったそうだ。
「奴らが到達するまでの猶予は?」
「魔獣の波が引いてから一週間後、と記録されています」
「魔獣が減ったのは先週だったな。ということは、猶予は多くても三、四日か……。王都はもちろん、他の領地から援軍を頼むこともできんな」
重苦しい沈黙がその場を支配する。
「……今いる兵で、出来ることをするしかありません。この館も安全とは言えなくなります。殿下とシャンタル殿は、王都へお戻りを」
「なに言ってんだ。ここまで来て、逃げ帰れるわけないだろう」
「シャンタルの言う通りだ。それに、ここを突破されれば他の領地まで被害が出る。どのみち、放ってはおけん」
ジェラルドはセヴランに命じて、辺境の地図を広げさせた。
彼の手が、国境付近にある砦で止まる。
「このコンセイル砦を使う。主要兵力をここへ集めろ。この砦へ魔獣を呼び寄せて、一網打尽にする」
コンセイル砦は、北方山脈へ扇状に飛び出した形となっている要塞だ。国境付近へ出兵する際、駐屯地として使用しているらしい。城壁の中は村一つに相当する広さであり、兵糧もあるとセヴランは語る。
作戦はこうだ。
コンセイル砦の北門の前にすり鉢上の大穴を掘る。
そこへ暴走する魔獣たちを追い込み、上から一気に殲滅するのだ。
「うまくおびき寄せられるでしょうか」
「餌を撒けば良い。奴らは家畜も食すのだろう?」
「近隣の農家から徴収します。痛手ですが、仕方ありません」
「そこは心配するな。後で損害の補填を陛下へ掛け合おう」
「よろしくお願いします」
暴走の群れから離れる奴もいるだろう。近隣の村にはセヴランが触れを出して、住民を緊急避難させた。その警護や村々の見回りには、新兵や引退した老兵士を動員。まさに総力戦である。
「どうせなら、山から砦へ至る道もガッツリ掘っておけばいいんじゃないか?そうすれば、群から外れる奴を減らせるだろう」
「それはそうですが……。工事が間に合わないかと」
「何のために私がいるんだ」
「土の壁!」
土がゴリゴリと削られ、余った土砂によって両側に土壁が出来ていく。
見守っていた兵士たちがおおお、と感嘆の声を挙げた。
「すっげえ!さすがシャンタルの姐御だ」
「こら、新兵!シャンタル様とお呼びしろ」
人手不足とあって、例の謹慎となっていた傭兵たちも駆り出されている。最初は私にビクビクと怯えていた彼らだが、一緒に行動しているうちに慣れたようだ。というか、なんだか懐かれたっぽい。
「急げ!掘った側面を固めるんだ」
ベテラン兵士の号令のもと、スコップを持った兵たちがぺちぺちと土壁を叩く。
余った土は村々へ至る道に積み上げて防衛壁とするので、無駄がない。
土精霊が大活躍だ。
二日で、砦まで至る大溝が出来上がった。
「そっちの準備はどうだい?」
「何とかな」
ジェラルドとセヴランは、兵士の配置や武器の準備に追われている。
作戦の総指揮はジェラルドが執ることになった。城壁の上に設置した司令所で地図を広げ、あれやこれやと指示を出している。今作戦においては、セヴランは副官兼第一部隊の隊長として動くらしい。
「主戦場となる北側になるべく集中させたいが、他の三方にも兵を割く必要があるな」
「そうですね。せめてもう100、いえ50の兵がいれば」
「私がいるじゃないか」
「「駄目」だ!」です!」
また二人が同調した。こいつら、実は気が合うんじゃないか?
「女性を戦場に出すわけにはいかん」
「騎士団には女性騎士だっているだろう」
「屁理屈を言うな」
「シャンタル殿、先日も殿下が仰ったでしょう。貴方はこの国にとって重要な賢人だ。危険へ晒すわけにはいきません」
「私の力は知っているだろ?人手が足りないんだ。ジェラルド、セヴラン。私を使え」
二人はむむむ、と難しい顔で唸った。
「仕方ない。南側防御の応援を頼む。その分、兵力を北側へ回せるからな」
「北側の守備でも構わないのに」
「……シャンタル」
ジェラルドが私をまっすぐに見る。
「無茶をしないと、約束してくれ」
「……分かった。約束する」
そうだな。
私たちは互いに、大切な人を失う苦しみを知っている。
ここで死んだりしない。お前も死なせない。
外からバタバタという足音がして、若い兵士が走り込んできた。
「伝令です!国境付近に魔獣の群れが表れたと!」
「ちっ、予測より早いな。総員、配置につかせろ!」




