ならず者のレクイエム
「これマジでめーっちゃ曲がるからさ!楽しんで!」
俺よりも歳下であろうヤンキーっぽい兄ちゃんがそう言った。
運転席の窓越しに何枚かのお札と引き換えにこちらは銀紙に包まれた「紙」を受け取る。
「良かったらまた引いてよ!次も良いの仕込んでおくからさ!」
そういって若きアウトローは車で走り去っていった。
自分も急いで自宅へ帰ると部屋を暗くして銀紙を開ける。
「これがインスタント・禅と噂の…」
そう独りごちながら「紙」を眺めた。
俺が売人から受け取ったのはいわゆるLSD(幻覚剤)だ。最大手映像サブスクサービスのとあるドキュメンタリー作品によるとこの紙をベロの裏に入れて1時間もすれば神秘的な体験が出来るらしい。
「こんな切手サイズの紙切れ一枚でねぇ…」
もともとジャズやブラックミュージックを愛するミュージシャンの端くれとして「ハッパ」は嗜んでいた。あれのおかげで「グルーヴ」を理解できた。だがそこまでだ。
そこで目をつけたのがLSDだ。人生が変わる様な体験が出来るらしい。…運が良ければ、だが。
明日は休みをとってあるし、やると決めたからにはやるしかない。
震える手で舌の裏に二枚の紙を押し込んだ。
「ここから長くて1時間待つのか…」
LSDは効くまでが長い。ついでに言えば効果時間も恐ろしく長い。大体12時間から、ひどい時は24時間効きっぱなしだ。効果の波はあるらしいが。
「あのスティングレイだって使ってるし、デッドフルグレイトなんかライブでも使ってるしな…」
そう言いきかせてスマホで音楽を流し瞑想を始めた。
海外では日本とドラッグへの意識が違う。政府が定めたルールを盲信しないし、落伍者へ「許し」を与える文化と土壌がある。日本の想像以上に海外のティーンはドラッグやそれに類似した酔ったりキマったりするモノに簡単に飛びつく。勿論それで破滅まで一直線に突き進む人もたくさん居るのだが…
そんな益体もない事を頭に浮かべながら、時間だけは過ぎて行く。
1時間が過ぎてハズレをつかまされたかな〜なんて逆に余裕を感じ始めた直後の事だ。
視界が歪み出した。ノイズが走る。空気中に粒子の様なものが見える気がする。時計もキッチンへの引き戸も「曲がって」行く。
そもそもここで瞑想してるのは現実か?実は全裸になって外で発狂してないよな…
そんな恐ろしい妄想ですら妄想と一蹴するだけの確信が持てない。怖い。鼓動が不必要に激しい気がする。
恐ろしくなって目を閉じれば瞼の裏はカラフルな幾何学模様が蠢いている。
「寝れないとは聞いてたがこういう事か…」LSDの効果時間中は基本的に寝る事が出来ない。眠剤があれば別らしい。まぁ寝る気も無いのだが。
この奇妙で恐ろしい体験が12時間以上続くのは恐怖でしかない。ティーンエイジャーが実家で試そうもんなら明らかに「変に」なったまま家族の前でしばらく過ごさねばならない。絶対にバレるだろうな…
どうでもいい事を考えて気を紛らわすがうまく行かない。バカになった頭で深く思索を続けるうちに時間は過ぎて行く。世界は二重螺旋で出来ていると天啓を得たが、何の役にも立たなかった。途中でググったが超弦理論とかいって俺より先に見つけてたやつがいたみたいだ。
効果が緩やかになってきて気持ちが楽になってきた頃にはそらが白み始めており、俺は逆にこの成果に不満を覚えていた。
「幻覚つっても大した事なかったな…」
心情としては辛かったが、見えたのはよく分からんグニャグニャした景色や模様だけ。
花が話しかけてきたり壁が燃えたり謎の顔が見えたりなんかは無かった。
せめて少しでも自分の為になる方向へ精神を変容させたいと思ってたのだが…
途中で閃いた二重螺旋…超弦理論が正しいと直感しても物理学者でも数学者でもないので発展させるには前提知識がないし、なにより音楽の役には立たない。
「洋ドラでも見るか…」
そう呟いて海外の音楽を題材にしたドラマを見始めた。
それから数十分後…
俺は号泣していた。なるべく泣き声は抑えたが全てのエピソードで全ての人物の心理描写が「ホンモノ」に見えたし、彼等の心情にめちゃくちゃ共感してしまった。
俺は人生で生まれて初めて味わう深い感動と心への理解に歓喜した。生まれ変わったのだと確信した。
「こんな…こんなに世界は優しかったんだな…」そんな少しばかり頭のネジが飛んだセリフが口をついで出てくる。
両親の愛と、仲間の友情。親孝行しよう、友達にお返ししよう。そう思えた。
嫌いだと思ってた悪役でさえ違う正義があり、正面から主人公を貶したり嫌がらせをするが、心の底に善性があるのだ。
俺も変われる。誰だって傷つきたくないだけなんだ…
相変わらず脳内お花畑ではあるが悪に傾きかけてたならず者にとってはまさしく「善人になれるチャンス」である。
ドラマをキリがいいところまで見終わると既に夜だった。
「明日からマジメに生きよう。自分の心だって少しは理解できたし、歌だって心から歌えるはずだ…!」
「念の為」買っておいた予備のLSDをゴミ袋にぶち込む。身体的な依存はないが、精神的な依存があるので今のうちに捨てるのが正解だと。
生まれ変わった様なポジティブな気持ちを大事に抱えてふらつく足で家を出る。
この時は深く考えてなかった。ただコンビニで夜食買ってそれを食べたら寝ようと思ってた。
短い信号待ちの後に青に変わった横断歩道を渡った。
実のところ、信号は赤かった。
気づいた特には大型トラックに跳ね飛ばされ、スローモーションの世界で見えたのは高速で赤と青に明滅する信号だった。
回斗はまだ幻覚の中にいて、親孝行も、シンガーになる夢も果たせずに交通事故でその生涯を終えた。




