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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

今宵の米はケーキの味がした

作者: 野々野山

 紅い花火が弾けとんだ。どきりと心臓が動いた気がしたが、胸に手を当ててみると意外にもゆっくりとした心音を刻んでいた。


 甲高い音が鳴り響き、蛍光灯が点滅するのも気にも留めなかった。


 私は頬に優しい温かみを感じ、それに触れた。ぬるりとした感触が手に伝わり、少し嬉しく思う。暗いホームの中で私はそれを口に含む。ほぼ無意識であった。その液体は一瞬にして消えてしまう。私は再び、頬に手をやり、口へと運ぶ。口内で唾液を混じり合い、ごくりと喉を鳴らす。


 「美味しい」


 誰に伝えるでもなく確認するように、照らし合わせるように体験と感覚を擦り合わせていく。幸なことに御馳走が至る所に落ちている。私はそれを誰かに取られるまいと搔き集めて、口の中へ放り込んだ。咀嚼し、嚥下する。壊れた機械のように掬っては喰らうを繰り返した。


 私はふと朝見たテレビの事を思い出し、笑みが零れる。


 「甘い、美味い、甘い、美味い、甘い、美味い」


 私はまだ未熟であった。彼女の方がよっぽどボキャブラリーに飛んでいた。しかし今は、私のはしたなく、単調な感想でさえ愛おしく感じた。






 母の教えはこうであった。「朝は美味しいものをいっぱい食べること。そしたらもっと幸せになれる」。


 私は今でもその教えを守っている。母が死んでから10年余り。父や兄弟はいない。そのため、自分の為だけに朝食を作る。


 冷蔵庫から卵と鮭を出す。卵はボールに割り入れ、砂糖と醤油を少々。ここで少し牛乳と蜂蜜を入れるのがポイントである。母はいつも甘い卵焼きを作ってくれた。私はそれに習い今も変わらず、甘い卵焼きを作る。さっと薄焼き卵を巻き終えると、今度は、鮭はフライパンにアルミホイルを敷き蒸し焼きにする。焼きあがるのを待っている間に、昨日作って冷蔵庫に入れていた味噌汁をレンジで温める。


 黒の皿に鮭と卵焼きを盛り、チューブの大根おろしを端に添える。チンと音が鳴り、湯気の立ち上る碗をテーブルへと運んだ。後は米をよそうだけだ。


 私は意気揚々と茶碗を持ち、目を瞑り炊飯器を開いた。爆発した湯気を顔で受け止めるつもりでいたのだが、熱気が一切感じられない。これは可笑しいと思い。手をもう一度スイッチへと置いた。しかし、そこにはスイッチは無かった。代わりに、ひんやりとした鉄を感じる。


 「ああ、やってしまった」


 目を開ける前におおよその察しは付いてはいたが、眼を開き、自身の失態を目の当たりにする。少し濁った水の下には米が敷き詰められている。今からでも間に合うかと思い、急いでスイッチを入れそうとするが、テレビの方から6時になりましたという宣告を受けもう間に合わないと断念した。


 冷凍庫を開けてはみたが、米はない。丁度、昨晩に食べ切ったところであった。この際、パンでもいいとさえ思ったが、米派の私の家にパンなどあるはずもなかった。生憎、今日の帰りにスーパーに寄ろうと思っていたので、麺の類いも皆無であった。


 ため息を漏らしながら椅子に座る。何だか「幸せ」を逃した。そんな風に感じられた。そこでふと思いつく。ああ、米ならあるではないかと。


 私は急ぎ、野菜室から米櫃を取り出し、計量カップの半分。おおよそ0.5合の生米を茶碗へと入れる。再び、テーブルへと戻り、今一度見渡す。焼き鮭に卵焼き、味噌汁。そして、何より米。これで完璧な食卓が完成した。


 一度手を合わせる。小さく頂きますと呟き箸を持つ。ほろほろと崩れる鮭。固めに焼き上げた卵焼き。染み渡る味噌汁。どれもが完璧と言える仕上がりだ。


 私は最後に米を口に運んだ。


 コリコリとした歯ごたえがとても楽しい。せめて米は洗うべきだったと思ったが、すぐに今回くらいは大丈夫かと気持ちを切り替える。案外、こっちの方が好きかも知れないとそんなことを思ったとき、ベルの音が響いた。目線を上げると若い女性。恐らくアナウンサーだと思われる女性が写っていた。


 コーナが変わったのか、簡単な説明が入る。何でも色々なゲストの朝食を紹介するという趣旨らしく、今回は俳優の高松健一さんの朝食を紹介するらしい。トップバッターですが自信はありますか。という少し趣旨のずれた質問を受け、高松とやらは苦笑しながら、自信満々ですと答えた。


 最近はアナウンサーもおバカが増えたのか。何てことを思いながら箸を進める。


 「それではどうぞ!」


 はしたない声と同時にワゴンが入ってくる。そこにあったのは、秋刀魚に卵焼き、味噌汁、米とほとんど同じようなラインナップであった。


 「秋刀魚ね」


 テレビを見ながら鮭を突く。何となく音を立てて味噌汁を啜ってみたりする。


 「いっただっきまーす」


 大きな身振りで手を合わせる。そんな様を見て、こいつは馬鹿だと確信する。口いっぱいに秋刀魚やら卵焼きを詰め込み、やっと喋ったかと思うと米が美味いという。


 「お米が甘くて、もちもちで」


 周りが若干引いているのにも気づかず、米の美味しさを熱弁する。そういったコーナじゃないだろと思いつつ米を一口。


「美味いけど、甘くはない。頭だけでなく舌まで馬鹿なのか」


 黒沢千佳。覚えておこう。笑顔を振りまく彼女を見て「幸せ」を分けて貰えた気がした。






 食品がいっぱいに詰まったレジ袋を持ち、電車を待つ。時刻は22時。電車が来るまで幾ばくかの時間がある。私が勤める会社は田舎にあるため、駅のホームは一人きりである。退勤ラッシュを過ぎているのも一つの要因ではあるのだろう。贅沢にベンチにレジ袋と鞄を置き、自分はその隣に腰掛ける。一層のこと、ベンチに寝ころんでやろかとも考えたが、さすがに一人とは言え、マナー違反が過ぎる気がして辞めておくことにした。


 初めはぼんやり電光掲示板を眺めていたのだが、余りにも時間が進むのが遅く感じられ、ポケットからスマホを取り出し、適当に最近のニュースを漁る。しかし、とある俳優が二股していたとか、あるお笑い芸人が事務所を退所したとか。そんなニュースばかりが目に飛び込んできてうんざりしてしまう。もう、スマホの電源を落としてしまおうかとそう思っていたとき、ある記事が飛び込んでくる。


 『黒沢千佳アナウンサー、おバカ路線で大失敗。大炎上中の彼女は何を語るのか?』


 「何だこれ」


 思わず、記事をタップする。


 「本日、デビューの新人アナウンサー黒沢千佳は朝のニュース番組で、空気の読めない言動を繰り返し大炎上。ネット上では、「見ているだけでいらいらする。もう出ないで欲しい」や「おバカなアナウンサーとか誰得?別にこいつじゃなくてもいいだろ」などの意見が見られ、本日22時半から自身のvostubeで生配信を行う模様。」等といったことが書き綴られていた。


 ページをスクロールすると下の方にリンクが張られている。そのまま、飛んでみると黒沢千佳のvostubeに行着く。


 チャンネル登録者が8万人で、動画本数が60本。どうやら、デビュー前から動画を投稿していたらしい。一番古い動画を見てみると、2018年1月に投稿とある。どんな動画を投稿しているのかと、スクロールしていくが、どれも食べ物の動画ばかり。


 牛丼、刺身、オムライスと永遠に彼女と食べ物の2ショットが並んでいた。


「本当に食うのが好きなんだな」


 そこで、今一度ホームと戻ると、綺麗な夕焼けの写真が目に止まる。タイトルを見ると、『今日はいっぱいのケーキを食べました』とある。今までは絶対に食べ物の写真であったのに、今回は何故か夕焼け。一抹の不安を覚え動画を再生する。


 画面に写し出されたのは、薄暗い夜道を歩く彼女。自分の顔を写しながら、何処かへ向かってるようだ。


 「今日食べたケーキはチョコのやつと、抹茶のやつと、あれ何て言うんだっけ、そうそうガトーショコラ。いや、ガトーショコラがチョコのやつだから」


 てっきり炎上中だから、落ち込んでいるのかと思ったら、延々とケーキの話をしている。コメントを見ると、彼女の話題に乗っかるものは一つもなく、今朝のニュース番組に対する感想と質問で溢れ帰っていた。彼女はコメントを見ていないのか、はたまたわざと見ないようにしているのか。嬉しそうにケーキの話をする。このケーキが好きだとか。今度このケーキを食べたいだとか。永遠と。


 俺は何となしに「明日は何のケーキを食べたいですか」とコメントした。


 「先週はね。お母さんが誕生日だったから苺のケーキを食べたんだよ。それもでっかいホールを家族3人で三等分。流石の私でも食べきれ……。」


 そこで、彼女の動きが止まる。そして、一瞬地面が写り混み、再び彼女の顔を捕らえた。


 「質問頂きました!明日は何のケーキが食べたいですか?だって」


 彼女は再び嬉しそうに語り出した。


 「今日3つもケーキ食べちゃったからな。明日は、明日はね。何だろうね……。やっぱり苺のショートケーキかな」


 その時、遠くでガタン、ゴトンと音がする。スマホから目を放し、顔を上げると反対側のホームに電車が到着したところだった。再び、電車が動き出し、反対側のホームが露わになり、一人二人と改札へと向かっていく。


 「今日は何と生放送見てくれた人の為にプレゼントを用意しました」


 画面の中の彼女の声に釣られ、目線を戻す。しかし、相も変わらず彼女の言葉に耳を貸すものはいなかった。


 「後五分くらいだからちょっと待ってね」


 彼女は「準備しなくちゃだからね」と譫言のように呟きながら足を速めた。


 「今日はね。お仕事が終わった後、家に帰ったんだ。ケーキを3つ買って帰ったんだけど。丁度、皆、留守だったみたいで。でも、急に帰った私が悪かったからしょうがないんだけどね。だからね、今日は3つもケーキを食べちゃった。何たって今日は特別な日だから」


 画面がアスファルトを写す。もう自分の顔を写す気はないのか。激しく揺れる様だけが放送される。そして、ふと画面が止まり、急に画面が暗くなる。ポケットにスマホを入れているのだろうか。カサカサという音と軽快な電子音が響く。


 「間もなく2番線を電車が通過します」そのアナウンスを追随するように、スマホの中からも同じアナウンスが聞こえる。


 私は左を向いた。そちらは改札口の方面であった。


 彼女だ。先ほど画面の中にいた彼女が、目の前にいる。しかし、こちらの方に気が付いていないのか駅のホームから垣間見える夜空を眺めていた。私はもう意味のなさない生放送を切り、ホーム画面からビデオを選択する。スマホを横に向け、彼女の細部を取りこぼさないよう少し遠目から捉えることにした。






 私はスーパーの袋を机へと投げ捨てると、ポケットからスマホを取り出す。そして、動画を再生した。私は無性に腹が減り、レジ袋の中から豚バラ肉を取り出すと、そのまま頬張った。


 「美味い。美味い」


 何度も何度も動画を巻き戻しながら、肉を食べる。いつも間にか、パックの中の肉は無くなっていた。しかし、まだ腹は減っている。何かないかと袋を漁っていると、天啓がおりた。


 「そうだ。米を炊こう」


 炊飯器を開け、一切荒らされていない純白の米を洗面台にぶちまける。レジ袋の中から新品の米袋を取り出し、切り取り線から一切はみ出しの無いように慎重にハサミを宛がい開封していく。野菜室に眠った古びた米など今は食べる気がしなかった。


 米を計りボールへと移す。常備してあるミネラルウォーターを入れ、すぐに水を捨てる。もう一度、水を入れ、優しく優しく米を研ぐ。気が付けば床には5本のもの空になったペットボトルが転がっている。濁りが無くなったのを見て、炊飯ジャーに米と水を入れた。早炊きにするか悩まれたが、普通に炊くことにする。その間、私は何度も何度も動画を繰り返し見た。


 米が炊けた。いつも変わらないはずの銘柄、炊き方そのはずなのに今日の米はとても美味そうに感じられた。湯気が顔を湿らし、幸福感に包まれる。山盛りに米を盛ると、早々と席に着いた。そっと手を合わし、感謝する。茶碗を持つ手と箸が震え、思うように掴めない。痺れを切らした私は、茶碗を机へと置き、震える右手を左手で押さえつけながら米を掴み、口へと運んだ。







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