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入学して、二週間が経った。基本的な礼儀作法はできるようになったと思いたい。結構練習したし、勉強したのだ。寮に帰ってから、普通に教科書読んで、居残り授業の復習をした。
居残り授業の教師にも、少しは褒められるようになってきた。付け焼き刃みたいなのものだから、気を抜くと立ち方や歩き方が雑になってしまう時もあるけれど、周りの生徒も観察して、細かいところも自分なりに気をつけているのだ。
だからと言って…友人などという存在はおりません!
そりゃそうだ。下級貴族にだってプライドがあるのだろう。誰も私に話しかけてこないし、自分から話しかけて冷たい態度を取られるのも嫌だ。教師の話は真剣に聞き、周りを観察し、誰にも頼らないでいいように過ごしてきた。
ちなみに、入学式以来、王子はじめ小説主要人物や乙女ゲームの攻略対象者には顔をあわせていない。いや、一人だけいるわ。魔力は皆無だけど圧倒的剣術と筋力を持ち将来有望視され入学した脳筋キャラ、バルティス。
乙女ゲームの設定では朗らかな兄貴肌だったか。いつも感覚というか本能的に動いているので座学が苦手らしく私と同じCクラスなのだ。でも、今のところ話すとかはないのである程度平和だと感じた。
確か、乙女ゲームの攻略対象者は全部で5人いるらしいが、王子以外のイベント描写は小説にはなかったのでわからないけど…とりあえず近づかない、それが小説で描かれたヒロイン断罪のラストを避ける一番の方法に思えた。
そんな風に思っていたのがいけなかったのか。トラブルが発生する。
昼休憩になったので手を洗いに行くと、確かにいつも通りに水道の蛇口を捻ったのに、突然水道から大量の水が吹き出し制服に思い切りかかった。
後ろから女子生徒の笑い声が聞こえてきて、すぐに声は遠ざかっていった。
やられた…。誰か水属性の魔力を持つ女性がいたのだ。魔法を使って嫌がらせをされたわけだ。
「着替えは持っていないし、昼休憩中に寮へ戻って着替えの時間があるかしら…」
ご飯抜きにしたらギリギリ午後の授業に間に合うかもしれない。そう思って洗面所から通路へ出ると、目の前にバルティスがいた。
「今、同じクラスの女性が"平民のくせに"とか笑いながらすれ違ったが…何かされたのか?ん?濡れているじゃないか。水をかけられたか?」
眉を寄せながら私に話しかけてきた。
ん?これイベントとかじゃない?わからないが…弱気を見せたらダメだよね。
「大丈夫です。私が少し蛇口を強くひねってしまって自分のせいでかかってしまっただけです。」
居残り授業&復習で培った話し方を思い出す。丁寧に…丁寧に…。できているはず。
「着替えはあるのか」
「いえ…ないので急いで寮に着替えにいきます」
早く会話が終わって欲しい。そう思って早口になってしまう。それでも、それを気づかれたくなくて俯いてしまった。すると、ふわっと上着をかけられた。
「風邪をひいたらいけないからな。俺が着替えを用意することはできないから、せめて羽織っていけ」
バルティスがジャケットを羽織らせてくれたようだ。さすが貴族なのか、それとも兄貴肌であるバルティスだからなのか。
「いや、あの…こんな…」
これ以上接点を持ちたくないのに、そう思うがどうやって返したらいいかもわからず口ごもる。
「遠慮しないでいい。時間がないだろうから急いで行ってくるといい」
そうやってニカッと笑った顔はやはり攻略対象者、爽やかだ。これ以上断ろうとするのは無理だと、失礼します、と言ってバルティスに背を向け、足早にその場を去った。
何なのだ。今のはイベントが発生したのだろうか。わからない。とりあえず、寮に…と早足で歩いていると、校舎を出たところで何と第一王子と出くわしてしまった。
私が男モノのジャケットを羽織っていることに気づいた王子は話しかけてきた。
「キミは、アリアだったね?」
急いでジャケットを掴んだままお辞儀をする。これも居残り授業で教えて貰った礼儀だ。
「恐れ入ります。アリアにございます。」
緊張で震えてしまう。
「ああ、楽にしていいよ。ところでどこへ行こうとしている?今は昼休憩の時間だが午後も授業があるだろう?あと、何故バルティスのジャケットを?」
口調は柔らかいがこんなに一気に質問されるということはやはり警戒されているのだろう。あと、バルティスのジャケットは、特別入学ということで少し色味が違うからすぐ解るのだ。
「あの…少しヘマ…いえ、失敗をしてしまって、制服が濡れてしまったので着替える為に寮へ戻るところです。濡れているのに気づいたバルティス様が、ジャケットを…あの…貸してくださいまして…」
話し方は大丈夫だろうか。立ち方は…態度は…そんなことを思いながら目がキョロついてしまう。
「そうか。急いでいるところすまなかったな。気をつけて行きなさい」
納得してくれたのか、立ち去ることを許されたので、失礼します、と言って顔をあげた時、第一王子の後ろにいる護衛に気がついた。赤い瞳と、一瞬目があった。カイルだ。その瞬間、ポンっと自分の顔が赤くなったのが解った。何が恥ずかしいのかわからなかったが、それに気づかないふりをして歩き始めた。
その時、一瞬だけだが私の身体を温風が包んだ。制服が殆ど乾いた感じがして振り向くと、王子ともう一人の護衛が既に校舎に向かって歩き始めているのに、カイルだけは私を見ていた。この風はカイルが魔法を使って制服を乾かしてくれたことに気付き、急いでお辞儀をした。カイルは私のお辞儀を見届けた後、第一王子の護衛へと戻っていった。
寮に着くまで、私の心臓はバクバクしていた。
バルティスのジャケットを貸してくれるという紳士的な行動には申し訳ない、くらいにしか思わなかったのに、カイルの心遣いが、自分を見てくれることが、嬉しかったし恥ずかしかった。
憧れだと思った。前世の記憶で言えば、王子をはじめ攻略対象者はアイドルのような存在で、カイルはその中でも最推し。そんな感じなんじゃないかと、自分の気持ちに結論付け、乾ききっていない制服を着替え、急いで午後の授業へ戻った。