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作者: 白野 円

 家に帰ってドアを開けてみると、テーブルの上に一つの壺が置いてあった。亜麻色の胸に抱え込むほどの大きさで、名前も分からない木と花と、そして鳥が描かれていた。


 親が来て、こんなものを置いていったのだろうか。そんなことを考えてみたけれど、ドアの鍵が閉まっていたことは、さっき自分で確認したし、親になんかスペアキーを渡していないことも確かだ。念のために窓の方も調べてみたけれど、ちゃんと鍵は閉まっていた。


 はて、どういうことだろうか。親に電話して訊いてみたけれど、「そんなもん知らん」とのことだった。それじゃあ、友達の誰かが何かのいたずらでやったのだろうか。そんな風に頭を巡らしてみたけれど、わざわざこんな面倒なことを好き好んでやる奴など、自分の周りには一人もいない。


 壺を手にとって調べてみた。陶製で、手触りは滑らかで気持ち良い。指で叩くと、カツンと心地良い音を響かせてくれる。表面に描かれた絵を間近で見ると、案外ぞんざいなことに気がついた。


 何だ、こんなもんなら俺でも描けるぞ。素直にそう思った。中を覗いてみると、至って平凡で何もない。一瞬、大金が入っているのでは、と期待したが、残念ながらそんなものは入っていなかった。


 一体、この壺は何なのだろう。しばらくの間、考えてみたが自分を納得させる答えは出てこなかった。

 そんなことをしていると、腹も減ってきたし、何よりも訳分からんことに時間を費やしているのが馬鹿らしく思えてきたので、飯を食うことにした。夕飯の蕎麦を食っている間に、この狭い部屋で不必要に場所をとる壺を何度か眺めてみたが、何とも落ち着かなかった。


 それから一週間が経った。壺は一週間前と同じ場所にあった。もちろん、その間にこのよく分からん問題の解決策を考えてみたが、やっぱり何も思いつかなかった。


 ゴミに出してやろうかと思ったけれど、壺は一体どんなゴミに分別されるのか分からなかったので、そのままにしといた。

 骨董屋にでも持っていって売り飛ばしてやろうかとも思ったけれど、こんな壺は見るからに安物だし、わざわざ遠く外へ持っていく労力を考えると、やっぱり無駄に思えた。

 それで結局、壺をほったらかしにするということで落ち着いた。


 夕方、バイトから帰ってきて、夕飯の蕎麦を食っていると、壺にほこりが被っているのに気がついた。蕎麦を食い終わった後も、ちらちらと壺が目に入ってくるので、仕方なしにティッシュで埃を取ってやった。


 幾分か綺麗になった。心なしか壺も喜んでいるように見える。座布団に座って、改めて綺麗になった壺を見てみると、何だか自分も嬉しくなってきた。


 翌日、バイトの帰りに高級な絹のハンカチを買ってきて、壺を拭いてやった。壺はまた綺麗になった。

 それからは毎日、壺を拭いてやることにした。朝に一回、夕方に一回、夕食後に一回、夜寝る前に一回。休みの日などは飽かずに壺を眺めて過ごした。


 たまに遊びに来た友人らは、「こんな下らない壺、よくもまぁ可愛がっていられるもんだ」と、決まってからかっていった。自分でも不思議だったが、「気になるもんだから、仕方がない」と、答えてやった。


 ある日、壺に花をけてやったらどうだろうかという案がひらめいた。何の飾りもなしに壺を置いているのは、かわいそうに思えてきたのだ。


 近くの公園に花を探しに行ったが、目ぼしいものはなかった。梅の花は綺麗に咲いていたけれど、無邪気な子供たちがいる前で枝を取り、花を盗んでいくのはさすがに気が引けた。

 街の花屋も覗いてみたけれど、あの壺に合うようなものはなかった。


 次の休みの日は、思い切って山を登り、誰もいないところから梅の花を取ってきた。早速、家に帰って梅を壺に挿してやると、壺は見違えるように綺麗になり、今までとは違う魅力を伝えてきた。それによって部屋が明るくなったような気さえした。


 それからは週が変わるごとに椿、桜と活けてやった。色々なところから人目を盗んで花を取ってくるのには随分と苦労させられたけれど、壺のことを考えると大して気にならなかった。


 翌週のバイトの休みの日に、部屋を掃除することにした。もっと壺を落ち着いて眺められるようにしたかったのだ。

 壺に傷がつかないように部屋の隅に丁寧に置いた。キッチンを掃除し、クローゼットをどかし、床を何度も拭いた。

 部屋の半分を掃除し終えたところで、一旦休憩を取ることにした。茶を一杯、二杯と飲んで、残り半分に取りかかる。


 ベッドの下に溜まった埃を取り払うべく、ベッドを何とか移動させていると、突然とガシャンという音が耳に入ってきた。慌てて壺を見ると、それは無残にも砕け散っていた。


 何とも言えない気持ちが湧き起こった。壺の破片を手に取り、半時ほど良く分からないまま呆然としていた。が、やがてこのままにしといたら危ないなと思って、壺の破片を集めて袋に入れ、危険物としてゴミに出した。


 部屋に戻ると、掃除の続きをして部屋を綺麗にした。その後は昼飯に蕎麦を食べた。蕎麦は変わらずに美味かった。

 

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