私の一部を抜粋
中学校の校則で、必ず部活に入らないといけない、なんてのがあった。
私は最初、パソコン部に入ろうかと考えていたのだけれど、入学初日に新しく出来た友達の池下杏に誘われ、陸上部に入ることにした。
とても辛かった走り込みや筋トレ。長距離よりも短距離の方が私には合っていのを先生は見つけて短距離走の練習をさせられることになって、もっと辛くなった。それが入部して三か月間の話だった。たまにトイレに行って吐いて、部活に参加しない時間を作ったりした。
—————青春とはどこからが始まりなのだろう。
私は病院のベットの上でいつも考えていた。そしていつも行きつく答えが、私の場合だと
「初めての陸上大会でメダルを取った時」だった。
右足に固定されているギプスを私は睨みつけた。
風を体で切る感覚。足の筋肉が伸びて、縮むを瞬間的に行っている感覚。心臓が、血が、血管が爆発的に流動している感覚。
会場全体から響く声援と頭一つ抜きん出て誰よりも速く、ゴールテープを切ることの優越感。
それが中学一年の夏だった。
それまでの私はそこそこの学力と読書さえできれば、将来は普通にやり過ごせて損のない人生であればいいなんて思っていた。
前向きでも後ろ向きでもない。それが、私の性格だった。
そこからたった一度の優勝という経験で私は成長した。
自分の肉体の限界がどれだけなのかという興味がふつふつと湧いてきたのだ。
沢山研究した。走り方や呼吸法、体幹も一通りネットで調べてすべて実践した。
次第に毎日辛かったはずの走り込みや筋トレが楽しくなった。生きている意味とかそんな哲学的な事を考える余裕が生まれる時にはもうすでに走ることに捧げていた。
青空の下、黒いグラウンドに陽炎が浮いている。
春から真夏に変わる頃には私の肌は、小麦色に焼けていた。
クラウチングスタートをする。陽炎の先にゴールテープがある。それを、体で切る。
全身から汗が噴き出して、息が切れる。そうやって記録が縮んでいった。
「古登平、走る度にお前は速くなっているぞ。このままいけば全国まで目の前だな!」
顧問の先生が褒めてくれて、本当に何でもできる気がしていた。
実際に私は、自分が進化しているとも実感を持てていた。
「大丈夫、いける」
いつからか、それが私の口癖になっていた。この言葉を言えばいくらでも自己ベストを更新していけた。
何かに囚われるように、私は大会で記録を残してゆき、中学生トップランナーの仲間入りをした。二年生に進級するときには古登平真子という名は日本中に馳せていた。
期待の新星だと新聞にも一度取り上げられたこともあった。
私の人生に意味が生まれ始めた、そんな瞬間だった。