十八話
スノーとは無事に浜辺で合流することが出来た。また、私たち二人にはプロテウスさんが船から投げ落とした二つの樽をどう運ぶか、という、現実的に難しい問題に直面していた。穴に落ちる前プロテウスさんが現への冒険という選別でいただいた食糧。樽は少し大きめな冷蔵庫と同じ重さと高さで女子の力じゃ持ち上げる事すら安易ではなかった。
どうしたものかとスノーと頭を捻らせてみたが、脚が悪い私と非力なスノーとではどうしようもなく何もできなくて二人で浜辺を見ながら体育座りをした。小さなカニがスノーの足の指にまとわりつく。お金もプロテウスさんから多少、貰ったが使い道が今の段階では存在せず、やはり路頭に迷った。
トラックがあれば楽なのにな。この時代だと馬車なのか。あれば便利だが、都合良く幸運が訪れてくれるとは限らない。
どうして限らないかというと、ラオグラフィアの文字がまた消えたからだ。穴までの出来事は記されていた。私が起こした事象は記録されているが、その先の事は書かれていない。こんな事ならドワーフ達の村に行く途中で最初に来た森で読破して置くべきだった。私は現代では偏差値が高い方の高校を入学してそこそこ勉強ができる訳なんだし記憶力には自信はあった。
本の指示は、
【今とははるかに違う世界より劣化した美しくない世界に足を踏み入れた。これから先、私はこの森を進む。何日も歩いて辿り着いた先に、大きな街に着く。しばらくはここを根城にして資金を貯めよう。—————】
この後の事も書いているが、今の問題の方が大きいからあとで読む。問題の先送りは数々の後悔を産みだすから備えないといけないが本当に、今ではない。この本の指示のなかで重要なのは、この森を進むと大きな街があるという事だ。
砂浜で体育座りをしたまま日が暮れるのは避けたい。食べ物と飲み水が樽にはあると聞いているが早急に森を抜けたい。日数は書いていないからそんなに厳守することではないのが、早めに動きだしたい。
二人は喋らないから波の音がよく聞こえる。
「これからどうしよう?」
スノーの口から、弱々しく不安そうに言った。
「樽、置いてってもう森越えない?」
私の口が勝手に動いた。
「駄目よ真子。これは神様から恵んで頂いた食べ物なのよ。きっとご利益があるわよ。捨てるなんて罰が当たるわ」
「・・・・・・そうね、スノー。もう少し考えてみてもいいかもね」
以前の私だったら、正月に家族でお参りをする瞬間だって、仮にいたら絞めてやりたいと恨む始末だった。正月以外はどうせいないだろうと無神論者に徹していた。
スノーに言われて根本から気付かされた。人の姿をしているからとあまり意識はしていなかったが神はいるんだったと。
私たちの目の前にあるアマゾンを彷彿させる森の奥には、指示通り目指さないといけない街があるっていうのに、こんなことで悩むと
は・・・。海でぬれた服の重みで肩がどんよりと沈む。衣服にかかる重力が心に感じる重みに変換されてゆくようだった。
「でもどーしよーーー」
筋肉か運搬できる機材がないとなんにも話にならない。暑さで考える事に集中できない。
「しっ!真子、なにか聞こえない?」
スノーが何かを感じ取った。嘘だろと根拠もなく疑ったが、スノーの目は本気の目をしていた。隣で、取り繕っていない怖い顔をして瞳孔が開いていて、疑う事をやめた。
「・・・・・・・・・なんの音?」
声のボリュームを限界まで絞ってスノーに訊いた。
「・・・馬の鳴き声。・・・・・・馬車の音よこれは!」
スノーは、きっかり一拍鼻で呼吸をしてはっきりと言った。喜びと驚きが混ざった顔をして飛び跳ねた。
「すぐそこにいる!」
スノーが満面の笑みで森へ走り出した。
「えっ」
私は、自然なモーションで動き出したスノーに反応できず置いてかれた。
私は走ることができず、歩いてスノーの後ろを追いかけるがすぐに距離を離された。一秒も時間を無駄にできない、それほど切迫してスノーは動いた。
私もすぐに追いかけたが、脚に爆弾を抱えているから歩くことしかできないからすぐにスノーに距離を離された。
この森の地面は、ドワーフ達がいる村へと歩いた時の森とは違って、獣道でも平坦な道でもない。未開拓な大地そのものだ。まず大地が踏み固められておらず、大きな石や小石がまばらにあってデコボコとしている。私の脚ではただ歩くというだけでも一苦労だ。現代でコンクリートの上をあるくよりも危険で、膝への負担が計り知れない。
奥から、馬が鳴く声がした。俄かに疑ってごめんスノー。
田舎に住んだり、森の部族というのは都会に住む人よりも感覚器官が大きく発達していて、遠くの音や動くものを捉えられるらしい。現代の鉄の森で暮らす私は人間としての機能が多々衰えていた。
今回はスノーに助けてもらった。昔から森に住むスノーだから備わった能力だ。もしも私一人だけで太古の現に送られてしまったら
きっと一人で何もできず砂浜で立ち往生を強いられていただろう。彼女には本当に感謝しきれない。
目の前から爆速で私の方へ進む馬車が見えた。スノーが事情を説明して私がいる方へ連れて来てくれたんだ。
「よっ真子。急に走り出してごめんね。とりあえずあの茂みで着替えようか」
彼女は馬の手綱を持つところに座っていた。私を見つけて馬車を止めて、奥の方を指を指した。木々の隙間を縫って淡い光が彼女の顔に当たる。陽がスノーの白い顔に注ぎ込まれていて、まるでこの日差しは、彼女小野朗らかさを象徴しているようだった。
「がははははっはあはっはは、いやー、こんなにおいしい酒は飲んだことが無い。本当に姫さん二人には感謝だよ」
馬車の荷車で豪快な笑い声が響く。私の向かいに座る大柄の男が、青い瞳を光らせて豪快に笑う。毛むくじゃらな顔と体には似合わない、ビー玉のような曇りが無い奇麗な瞳だった。可愛い。日焼けしたがっしりと筋肉質な大きな腕でこん棒の形状をした底が太いワインボトルを握る。この男にはぴったりなサイズ感だった。
びしょ濡れの服から、この馬車に積んである服に着替えさせてもらった。毛皮で作られた灰色に近い白のショールを脚から肩まで掛けてずり落ちないようにベルトでお腹に巻いて固定する。イメージは修道院やインドの女性が纏う服装だ。なんというのか、みすぼらしい装いで現代との差を感じた。でも、これから街へと行くんだったら、現代人の私の服装では色々と目立つだろう。別にスパイをやっている訳じゃないがなんかそんな気分になった。
森から浜辺に戻って樽を荷車に詰めさせていただいた。私たちは御者からして最奥の席に座って前から後ろへ進む木々を見ている。
馬車の一行も私たちと同じく街へ行くらしい。目的が一緒だったから乗せていただけた。ただ条件として樽の中の食糧を少し分ける事だった。だから二つあるうちの一つをあげた。スノー曰く
「神様に感謝です」
らしい。
事実プロテウスさんもこのことが見えていたのであろう。樽の中にはワインボトルが樽の半分くらいに敷き詰められていた。残りはチーズやハムなどといった保存が効くものが入っていた。
荷車の中は男達で汗臭く、座るスペースもたいして広い方ではなかった。せいぜい大人が十人乗れればいい程だった。そしてぼろい。アスガルドの海を渡った船のように荷車も大枠は木製だがつなぎ目に鉄が使われている。六世紀ではこの製法が基本らしい。コスパも安全性も壊れにくさもしっかりと重要視されて造られているんだろうな。乗り心地は最悪だったが。
ちなみにあの樽はもう一台の備品を入れる用の馬車に積ませてもらった。
目の前で豪快に笑う背も横幅も大きな男は名前こそ名乗らなかったがこの人が言うには、スノーが馬車が進む道の前に立っていて、御者が何事かと思って急停止させられたの事。まあ荷車の中はすこし険悪なムードは走ったが、スノーの熱心な物言いに皆感銘を受けて、海の方まで出てくれたらしい。
「スノーの姫さんの奇麗な声にすこし情が湧いちまっただけさ」
男が耳を真っ赤にして、オブラートに言葉を包まないでストレートに言った。いや言ってて恥ずかしいと思うなら言うなよ。
御者は最初、時間がないと断った。しかし荷台に乗る男たちがスノーのかわいらしい声に聴き惚れてしまって、御者に抗議をし、しぶしぶ戻ったということだった。
時代を感じるな。馬車からエンジンの音や排気ガスの臭いが一切ない。多少車輪が大きめな石を踏んで揺れる突起はあっても緩やかで穏やかに馬が鳴いて緑いっぱいの森を進む。
「なあ二人はさ、どこから来たんだい?」
「えっ・・・。・・・・・・えっと・・・」
この質問をされるとは思ってもいなくて私は言葉が詰まった。“アスガルドからです”なんて言ったところで信じてもらえないだろうし言われた方は私らに向ける目を電波少女というカテゴリでみてくるだろう。あっちじゃプロテウスさんが大体の事情を把握していてくれていたしドワーフ達に関しては現から真追い込んだ人としてそういう興味を持ってはいなかった。そうだった、ここは普通に人間が暮らしている、私がいる世界と大幅に時間が違うだけだったんだ。コミュニティとしてどうするかを考えておけばよかった。本当にい私は迂闊に物事を進めてしまう。とこの一瞬で後悔の念が湧いた。
「いや、言えないならいい。無理には聞かんさ。このご時世だ。身分なんざ好きに欺ける。別にサクソン人じゃないのは見て分かるから殺しもしねぇよ」
「そうなんですか」
スノーが応える。男はよほどうれしかったのか自分たちの事を話し出した。若い女と話ながら呑む酒は美味しいのかね。そういうのは全国共通でほとほと嫌になる。
「あぁ、そうだ。俺たちは傭兵をやっててな。そりゃあ訳アリな奴が多数いる。だから聞かないようにしているんだ。それに聞かない方が俺にもメリットだしな。ってもここにいる輩の半分以上は命が惜しくて戦争に赴くような仕事は請け負ってない」
傭兵と聞いてこの荷車の中が血なまぐさく感じた。でも荷車の奥でちょこんと小さく座っている男が見えるんだが、その人は傭兵じゃないのは分かった。その人以外は筋骨隆々だったから、戦闘をするのが得意そうな肉体じゃないからだった。
「ではどんな仕事をしているんですか?」
私は興味でそう効いた。
「俺たちは今亡き王が治めている小さな国の物資を運搬する業者が野盗に襲われないよう警護をしているのさ」
「へーそうなんですか」
「あの奥にいるのが雇い主であり貿易商人だ」
やっぱりあの人だったのか。凄い細身の男性だ。賢そうな顔つきで、猿顔ではない。
話をしてくれる男は、自分の事を話すことに調子づいてきて、声大きくなってきた。周りの酒飲みの男達も呼応して俺は俺はと私やスノーに自分の事を話し出した。(ほぼスノーに目が行っている)身の上を話す事、吐き出すことは気持ちがいいもんだ。人間は常に寂しいと感じる人間だから、相手に分かってほしくて自己開示をしてくる。
ん?待てよ、さっきこの男なんて言っていた?サクソン人・・・?私たち二人がいるのは六世紀初頭から後半辺りだったな。てことはアーサー王物語という本の舞台になったところ、ブリテン島に漂着したという事なのか・・・?
皆が知る歴史の主役の一人に私は会えるのかもしれないのか・・・?胸のドキドキが抑えられなくなってきた。私は興奮した。
そうして馬車は大きな国の関門に行く。