私の一部を抜粋2
人間には、やはり運というのがあって、アスリートとしての運は私には無いに等しかった。
陸上部に入部をして、賞を沢山勝ち取ってその分プレッシャーがかかり練習量も次第に増えて過酷なものへ変わっていった。痛みには気が付いていた。日に日に増していく練習量に伴って痛みも重くなって、でも見て見ぬふりを続けた。だって、私と同じ練習量、もしくはそれ以上の事をしても怪我なんてしない人だっているんだ。私は大丈夫なはずさと思っていた。
中学三年の真夏に起きた。どんなに水分を補給しても喉が渇いてしまうようなそれは、暑い夏の一日。みんないつも通り大会で優勝するぞ!だとか今年こそは全国だとか、と意気込んで部活をする。女子部員が更衣室でブルマを履いて、談笑しながらゆっくりグラウンドに入る。その輪に私も入っていた。
「真子は才能あるよ、頑張って」
杏が私にベンチで制汗剤を貸してくれる時にいつも応援してくれる。杏が一緒に走ってくれるから私は頑張れた。
よーーいどん
パチンの拍手と掛け声で走り出す。何本もその練習をする。グラウンドで風を切るのが楽しくて、走ると蝉が鳴く音より殴る勢いで脈打つ心臓の音で耳いっぱいになる。私が時間を動かす主になったような気がして、〈生〉というのを肌で感じられた。
部活をするのが生きがいになっていた。中学一年の入部した時よりも、気が付けば肌が健康的な小麦色に焼けていた。それくらいの年月をいかに速く走れるのかに費やしていた。青春を費やすのを走るのに消費した。入学したては長かった髪の毛を空気抵抗をなくしたくて、サランラップのCMに出てくる女の子と同じ短さにした。足の肉付きも変化していって、脂肪が減って薄い皮膚の上から筋肉が見えるようになった。
だからある日起きた。いつもと同じように私は走り込みをしていた。グラウンドの上で何歩目か足を上げた瞬間だった。鈍い音が右膝から鳴って、私は崩れ落ちた。いつも右足に感じていた痛みなんて天国だったと思えるくらい尋常じゃなくて、この痛みが黒い雷と化して、膝に走った。
骨が皮膚から突起し、黒い血が勢いよく噴き出る。声にならない叫びを私は上げる。涙も汗も自然と出てくる。痛くて痛くて、膝を押さえて血を止める。でも出てくる。必死に呼吸をしても痛みは治まらない。
地面について、土が黒く変色する。周りの生徒が驚いて、私の方へ駆け込む。皆、私を見て怯えていた。それでも保健室の先生を呼んできたり、自分のゼッケンを脱いでケガをした箇所に抑えてくれたりしてくれた。
この日も変わらず、蝉が鳴いていた。飛行機雲も飛んでいた。青い空も、雲あった。風も少しばかり吹いていた。野球部のサッカー部も掛け声を挙げていた。
視界が朦朧としてくる。痛みが私を襲う。痛みで叫んで暴れる。一秒が悠久の果てにあるのかと気が遠くなった。手には血の感触がする。先生たちが暴れる私の体を抑えつける。
救急車はまだなのか?先輩が怒る声がした。保健室の先生ではどうにも出来ない程に、ヒドイ傷。
やっと救急車が学校に来た頃には私の意識は、もう無くなっていた。気が付いたら、ベッドの上。片足が宙に浮いて固定されていた。
いつのまにか眠っている間に三日が経過していた。目が覚めて、包帯と留め具で固定された足を見て、何か得体のしれない恐怖が胸に居座った。
医者が複雑骨折と疲労骨折を同時に起きた、と診察室で言った。私のカルテを見せてくれた。骨がぼっきり折れて両先が粉々になっていた。車いすに座って、骨らしき写真を見せられてもどうにも私には自分の体ではない、誰かの人生の代弁をさせられているような、いまいち、今の状態を自覚できなかった。
私の膝と脛骨には鉄のボルトが埋め込まれているらしい。それもレントゲンで見せてもらった。確かに、はめられていた。違和感は、少しだけある。きっと得体のしれない恐怖というのは、これがあるせいで・・・。
骨折をする前から骨には小さな日々が入っていたのかもしれないらしい。そこに過圧が一手に集中して複雑骨折をした。骨は、衝撃には強くできているが中身は空洞で、少しでも骨に罅でも入れば即脆くなるらしい。それが疲労骨折に繋がる理由だ。今回の同時骨折は、非常に運が悪かった。とうんたらかんたら骨折をした理由を先生の憶測で説明された。大体はきっと合っていいると思う。私も思い返せば幾つも当てはまることがあったから。
でも、母さんも私も医療について詳しくは無いから先生が説明したことを上手く呑み込めなかった。ただはっきり私が分かったことは、もうこの右膝のせいで‟走れない“事だった。
先生が、申し訳なさそうに一言
「だから真子さんには非常に酷な話になりますが複雑骨折をした場合、骨が繋がって完治をしても骨自体折れやすくなってしまっているのでもう、・・・・・・走れないと思います」
この一言を切り出す表情でもう、私は言われなくも分かってしまった。次になんていうのか、みたいな憶測に近い予知みたいなのが出来てしまった。
言われなくてもなんとなくわかっていた。病院のベッドで起きた瞬間、はたまた部活中にケガをしたあの瞬間、そんな終わったことはどこでもいい。でも、分かってしまった。走れないという事が、魂に刻み込むレベルで刷り込まれてしまった。
私の練習の過負荷が骨折に繋がった大きな要因らしい。確かに少しだけ痛いときはあった。でもそれは顧問の人に言っても、それは甘えだと言われた。だから気にしないで私は走った。
考えが甘いと言われたらそこで終わりだが、私は、子供ながらに傷ついた。
やっぱり私は運なんて持ち合わせていなかった。持っていれば、過酷な練習でも骨は耐えられていたしもっともっと速く走れていたはずだし、他校からの引き抜きだってあったはずだ。私には、陸上選手としての運なんて持っていなかったんだ。
私は病院のベッドで夜な夜な悔しくて泣いていた。すべてを呪うように、私は
「こんな世界なくなればいいんだ」
と嘆いた。