十一話
その名を、プロテウス。私の目の前に立って、黒く焼けた肌が特徴的な海の神様だった。
ポセイドン神の支配下の海を守る、はるかに古い時間を生きていた神様。神話の本では、アザラシの姿だったり、老人の姿だったりしているらしい。だから通り名は、「海の老人」。
皆は私の後ろで頭を下げ、すぐさま跪いた。
私は、この男の人が本当に神様なのか、内心疑っていた。
「いや、いい。やめてくれ。俺がみっともないじゃないか。今日はこの日を待っていたんだ。アスガルドの辺境に人間が二人も迷い込んだ。しかも面白い事に、一人は童話の中で一番に有名なお姫様。そしてもう一人は先の未来、遠い小さな島にいるはずの本の所有者だ」
プロテウスと名乗っているこの人は、私のカバンを指さしてはにんまりと笑った。
「あの・・・、この本を知っているんですか?」
私は急いで、ショルダーバッグからラオグラフィアを取り出した。
「旅の人!どうかお言葉には気を付けてください」
ヤニスが私の体を抑えた。よほど切羽詰まっていたように見える。
それをされてやっと、全員の敬意の払いように本当に神様なんだろうと信じられた。
「すまないが皆さん下がっていてほしい。俺は、この旅の人と話がしたいんだ」
分かりました。と一言ヤニスが村の代表として返事をして、一斉に私たちの声が聞こえない距離、森の入り口の方まで遠くに行った。
「小人はね、耳がいいんだ。ほら、子供は聞いたことすぐ覚えるっていうじゃん。だからあんなに遠くまで行ってくれたんだね」
「はぁ。で、この本の事を・・・」
私は立ち上がって、足に付いた小石を払う。
やっとだ。この本がどんな役割を持つのかを聞けるのは。
「この本ねー」
プロテウスは私が取り出したラオグラフィアを手に持った。
「うん、これはやっぱりロキの魔力を感じるね。またあいつはめんどくさい事を・・・」
「で、この本なんだけれども—————まあ俺が直接手を出すことは出来ないんだ」
「え!?」
「ごめんね、でも俺は君に最大限のバックアップはするつもりだ。まあそのためにここに来たんだし。それに、この本にはそうするってあらかじめ決まっているようだしな」
「まず俺は真子ちゃんが本来住む時代には帰せないんだ。帰るにはこの本の通りに進むしかない。知っていると思うけど北欧の神は万能じゃない。できることは限られているんだ。時間に関しては、クロノスが担当だったんだけど」
「——でも、クロノスは・・・」
「うん、ゼウスが殺した」
「君の考えている通りだ。だが、ロキは何かをしてクロノスの力を得た。そしてあいつはこの世界に君を運んだ」
「さてこの本の後ろは読んだかい?」
プロテウスは言葉を続ける。
「いえ、まだ・・・」
ルールには先の事を読むなとは書かれていないが、物語を読む場合は絶対に筋書き通り読み進めたいというのが私のポリシーだった。
「じゃあ先に教えてあげる。当然だけど君は物語の指示を完遂させてロキに会う。だからそれまでは何とか頑張ってくれ」
ズルをせず、やるべきことはやれってことなんだろう。
「俺たち神ってもんは時代の干渉なんてしちゃいけないんだ。俺たちは人間の形をした人間より多くの事に優れているだけだ。そんな奴らが人に多くの知恵を与えたって繁栄はしない。観測するのが性に合うんだ」
「まあ君たち二人は特例の特例なんだけれどな。自分の言葉に縛られないあたりにはやるだけの事は手伝うよ」
「あの、なら、プロテウス様」
私の呼称の発音にはてなが付いた。この人は、黒い肌をして、茶色のハーフパンツですごく見た目がチャラいのにしっかりと考えているんだなと見受けた。私は普段の生活では言いなれない、様付けで呼んだ。
「フランクにさんでいいよ、どうしたんだい?」
「—————プロテウスさん、それではあなたの使命って何なんですか」
「あいつの策略にはまるようで癪なんだけど、ここはアスガルド辺境に地で君と出会う事。そして現と神の世界を繋ぐこの大海での案内と船の譲渡だよ」
彼の背中に広がる大海原がザブンと音を立てた。
「さっきから言っているロキの策略ってなんなんですか?」
「すごいマシンガンで質問するね
神の本殿はアスガルドっていう神の住む地がある。そこの辺境がここだ。ここは俺みたいなもの好きじゃないと基本、神はいなんだ。で、そこをあいつは目をつけて、あの花畑に飛ばした。神の監視から離れるにはもってこいだからね。神がいない所ならロキは悪逆できる。俺が未来視できるのをあいつは知っての上でここに来るのも計算して、おれが現に帰させるように仕向けた」
「現って現代ってことですよね?」
「いや、正確には今の時代の世界ってことなんだ。この世界の時間では5世紀ごろだ」
「そんな・・・」
「じゃあなんで・・・未来視が出来てロキを止めなかったんですか・・・・・・?」
どうしてかこの人が神様という認識ができるのに、一つ一つの発言に責任感が追い付いてこなくて、言葉全てが軽く聞こえてしまう。
私は、今さっき思いついたかのような発言にふつふつと怒りが込み上げてきた。
「きみが取り乱すのも分かる。でもな、急に過去が書き換えられたんだ。それでこの筋道の未来になった」
「それならロキの考えくらいは読めたんじゃないんですか」
—————私は努めて冷静を装おうとする。出来るだけの考えを、現実的にできる方法なんかを論理を無視して覆そうとした。
プロテウスは苦い顔を作り、鼻で深く息を吐いた。そのまま首を静かに振った。
「予見視っていうのは実際に起きるはず、起きた事しか見れないんだ。至高の神が卑猥な事を目論んだって分からない。だからヘラは頭をなやませた。
話がズレたな。そんなことで5世紀の今はまだロキは、ヘルが作った世界に投獄されている。そして何があったのかが分からないが、奴は二十二世紀に《《突如現れた》》。」
「じゃあ、私がこうすればよかったじゃないと言ったってどうにもならないってことですね」
「そうなんだよごめんね。それにしても二日しか経っていないのに落ち着いているね、真子ちゃん。あーまあ異世界の物語とかそっちじゃ流行っているもんね。」
「・・・・・・いえ、そういうのじゃありませんよ。今この地にいることがもう常識的な内容じゃないので頭働いていませんよ。でも、一刻も早く家に帰りたいんです。だからアナタが一番に情報源なんです。プロテウスさんが発する言葉の数々で疑問に思ったところを聞いて頭を納得しようとさせているだけですよ」
ここまでの会話で、分かったのは神の力を使ってこの本の指示に従わないで帰れると思ったが、それは無理だという事。しかも確定。
また、ロキはクロノスの力を扱い、過去の世界に私を転送させたこと。
「そりゃあもちろん、俺を頼ってほしい。なんたって俺がこの世界で一番予見するのに長けているからさ。この世界が出来てから俺が生まれて、そしてこの世界が真の意味で終わるまでずっと見つづけていれるかね」
なんていやらしい能力なんだ。
「あぁ、普段はアザラシの格好をしていたり日焼けをしたりしてるよ。今回は教えてほしいって懇願されたわけじゃなくて、俺が手を引いてやらねばいけない状況だったからやるっていう自愛だねこれは」
プロテウスは、自己で納得して口早に照れくささを隠すように自分を売り出した。
「じゃあこれからの話だけど、あなたが船を貸してくれてしかもガイドもしてくれるってわけでいい?」
「ああ、いいとも。船はすぐそこに停めてあるから君たちが行く気になればすぐにでも乗せてあげる」
「ふーん、そっか」
「ああ、行く?」
そろそろ長時間、立って話しているせいで膝が痛くなってきた。それと、肌もヒリヒリと痛みだした。
ここでふと名案を思い浮かんだ。
「ねえ、プロメテウスさん。もしもこの本の指示を無視したらどうなるわけ?」
私は最悪のケースについて聞こうと思った。
「なるほど、パラレルワールドか。もちろん君は指示を守るつもりだけれど守れなかった場合の未来の選択のルートも見てほしいのね」
「そういう事です。未来なんてのは別に一つしかないという道理ではないですから」
「うーん、確証はないね。人の行いは結局、その瞬間には一つないからなぁ」
プロテウスさんは大きな右の掌を私の頭に乗せた。膨らんだ掌の厚みに、生きる事の過酷さが物語っていた。そして、筋肉も引き締まっていた。
「・・・・・・うーん、中々に面白いねぇ」
私の手を放した。目を見つめて真剣な顔をした。深々と息を吐いた。
「え?どういうことですか?」
「ロキがやりたい事、全て分かったよ。でもこれを言うには条件が一つある」
状況が変わった。それはプロテウスの双眸の震えから察した。
私は、一つ大きなつばを飲み込む。
「きみが使っているそこに入っている日焼け止めちょうだい、そしたら教えてあげる」
プロテウスさんは、私のカバンの中にある日焼け止めを欲した。この人には見せていない日焼け止めをカバンにあるとあてられたのが不思議だった。
彼は少し咳ばらいをして、
「神はね、過去にも未来にも行けないが、今を生きる人を助けるのが使命だ。ここに留まって現を眺めては嘘をつく人間に罰を与えたりしている。だから未来は見えるんだけれど、ってだけ。俺からしたら未来で作られた道具を持っていてすごく目新しいし羨ましい。だってさ、そう鑑みると今の文明レベルってなんもなくてほんとカスなんだもん。この先にさすっごい便利なものが発明されるのは分かっているんだよ?でも手に入らない。・・・悠久の時に類似するほどの時間を俺は待つしかないんだよ。それに人にものを頼むときは物々交換をするのがこの世界の時間でのルールだよ。なのでください」
まだ私は何とも言っていないの駄々をこねる子供のように、言葉を発した。神だから許されるのか分からないが歴史の冒涜もした。
わたしはすぐさまに渡した。
「ありがとう。奥さんも喜ぶよ。じゃあ言うけど、この話は二人だけの秘密にしてね」
「え、そんなにやばいんですか?なら聞かない方が・・・」
私は聞いてしまって取り返しのつかない事になるのは嫌で、この意見を取り下げてもらおうとおもった。
「ああいや、ここではシュレーディンガーの法則なんて発生しないから俺が言う事には何の問題が無いよ。ガイアは地球にしか干渉できない。でもここアスガルドだし。それに俺は神だ。神と神の強制力なら相殺して、なんとかなる」
プロテウスさんは焦りを顔に出した。でもすぐに笑った。にかって音が鳴るような溌溂とした笑顔だった。
「これはね相当深刻な事なんだ—————でもとりあえず船を出すか。まあなにはともあれ、知らない方がいいこともある。さあ冒険の時間だ」
彼は、指を鳴らした。
小さな地響きに海水には波紋が起き、そして大きな木造船が顔を出した。
「うわー」
この世界に来て、私は一番驚いた。
ちなみにこの船はアルゴー号を修理した物です。