第1話 ヒーローのお仕事
その川には千年に一度、光り輝く魚が遡上し、それを見た者は災厄に見舞われると言われている。まあ、あくまで言い伝えだ。今、川を上っていった光り輝く魚がその言い伝えの魚かどうかなんて誰にも分からないだろう。
鮭は産卵のために川を上ると言われているが、この魚は果たして鮭なのだろうか……。水の上からでは判別することはできない。
魚は川を上り、人のたくさん住む都会へ向かっていく。そして、住宅街を流れるコンクリートで囲まれた川辺にひょいと乗り上げた。そこで魚の全貌が明らかになる。
八つのヒレを持ち、ずっしりしたその体躯は、現存する魚類でいうと『生きた化石』とも言われるシーラカンスのそれに酷似していた。
が、光り輝くその魚は川辺に乗り上げたまま動こうとしない。……やがてその光は次第に強くなり……光が収まった時、そこには魚の姿はなく、一人の人間の女性が立っていた。
女性にしては高めの身長、妖艶さを纏ったその身体は、露出度の高いドレスと網タイツで覆われていた。長めの髪は後ろでクルクルと巻いており、女性の謎めいた魅力的に彩りを添えている。
「ふぅん、少し見ない間に人間も随分偉くなったものねぇ……」
女性は口元に人差し指を当てながら物憂げに呟いた。
「いいわ。アタシが試してア・ゲ・ル」
そう色っぽく告げると、女性は住宅街の闇に消えていった。
ジリリリリ! ジリリリリ!
あーくそ、また朝が来ちまった……
カーテンから陽射しが差し込んでいるのを感じる。朝なんだし当たり前なのだけど。
オレは騒ぎ立てる目覚まし時計を手探りでぶっ叩いて黙らせると、ベッドから勢いよく飛び起きた。
寝巻きを洗濯物のカゴに放り込み、Tシャツに長ズボン、ジャケットを羽織る。これがオレの仕事着だ。
次に鏡の前で髪型をチェックする。明るい金髪に染めた髪は、セットするまでもなくキマっている。よーし、今日もいっちょやってやりますかー!
オレの名前は日渡 怜央。年齢は十六。同い年の他の奴らは高校とか行ってるんだろうけど、オレには大切な仕事があるから高校には進学せずに働いている。
少し散らかっている自分の部屋から飛び出ると、オレは階段を駆け下りて1階の事務所に駆け込んだ。
「おはざーっす! 彩花センパイ!」
「ん、おはよーレオくん」
十畳ほどの小さな事務所に設置されたデスクでパソコンとにらめっこしていた女性が顔を上げた。黒い肩につかないくらいの髪に白いワイシャツを着込んでいる、真面目そうな印象の彼女は夜響 彩花という。年齢は二十。
「センパイ、今日も早いっすね!」
「ん、まあね」
もちろんセンパイはこの家の住人ではない。几帳面な性格の彼女は遅刻を嫌い、いつも仕事が始まる八時の十分前には事務所に来てパソコンを叩いている。オレにはよく分からない経理だとか事務処理だとかやってるらしい。
センパイの能力を使えばセンパイの家からここまですぐに来れちゃうから遅刻することは無いはずなんだけどね。
『空間移送』それがセンパイの能力。物体を瞬時に移動させる能力でとても強力なんだけど、他の物はよく移動させたりするが、なぜか自分に対してはあまり使いたがらない。なぜだろうか。
「レオくーん」
おっと、センパイがこの呼び方でオレを呼んだらなにか厄介なことを頼まれるサインだ。
「なんすか?」
「悪いんだけどちょっとお仕事頼めるかな?」
……言っておくが拒否権はない。
断ろうものなら「私が……私がせっかくレオくんを信用して頼んだのに……私の頼み方が悪かったのかな?私の存在そのものが悪かったのかな?ごめんなさいごめんなさい……」みたいなことを延々と言われて、とても、とてもとても面倒くさい。
「……うぃっす」
「あんまり乗り気じゃない? ……もしかして私の……」
「いやいや大丈夫大丈夫っす! ノリノリの乗り気っすから!」
あぶねぇあぶねぇ、危うくセンパイのネガティブモードが発動するところだったぜ……。
とまあこういうわけだから、センパイと話す時は気を遣わないといけない。正直ダルい。
「そう?よかった……」
そう言いながら微笑むセンパイは少し魅力的だったりするわけだけど、半分脅迫まがいの方法で仕事を押し付けられたこっちとしてはたまったもんじゃない。
「……で、仕事ってなんなんすか?」
「三丁目のコンビニで強盗発生。目標は思念動力遣い。レベル3程度。いける?」
パソコンを見つめながらセンパイは淡々と言う。多分SNSの情報を確認しながら言っている。今どき警察の無線を傍受するよりもこっちのほうが情報が早いのだ。
「いけます!」
言っておくが拒否権はない。センパイが面倒くさいのもあるけど、レベル3程度なら余裕だし、犯罪は見逃すわけには行かないし、なによりそれがオレたちの仕事だから。
「文字通り朝飯前っすよ! 帰ってきたら飯にしましょう!」
「グッドラック……標的は黒いTシャツにサングラス、黒いマスク。じゃあ移送するね?」
センパイは親指を立てると、デスクから立ち上がる。この人結構背が高い。オレとそんなに変わらないかも。
「空間移送!」
センパイが手のひらをオレに向けながら叫ぶと、途端にオレの視界が歪んだ。現場に移送されたんだ。
再び視界の景色が再構成された時、オレは狭い路地裏にいた。マンションとマンションと間、先日降った雨でいまだに湿っているその路面を秋の風が微かに吹き抜ける。
オレは呼吸を整えると聴覚に意識を集中させた。……聴こえてくる。タッタッタッと路面走る音。さすがセンパイ、ドンピシャだ。
次の瞬間、路地裏に一人の男が駆け込んできた。飛ぶような走りでこちらに駆けてくる。身につけているのは黒いTシャツにサングラス、黒いマスク。そして背中には大きなリュックサックを背負っている。
……なるほど、概ね情報どおり。ヤツが犯人だろう。飛ぶような走り方をしているのも、ヤツが思念動力遣いである証で、自分の能力で体を浮かせて走っているのだ。
「止まれ! これは警告だ」
オレは男に向けて叫んだ。もちろん男は止まるわけはなく、チラチラ後ろを振り返りながらもまっすぐオレの方に突っ込んでくる。すごいスピードだ。時速20キロは出ているだろうか。
「……警告はしたからな!」
男が止まらないのを確認すると、オレは右手のひらを相手に向けて能力を発動させた。
「輝捕食者!」
能力、『輝捕食者』。輝きを喰らう者。実体を伴った闇を操るオレの能力。
オレの右手から溢れ出した漆黒の闇は、一直線に走ってくる男に向かって勢いよく伸びる。
「くっ……!?」
しかしなんと男は大きく跳躍して闇とさらにオレの頭上を飛び越えようとした。
「させるかよ!」
即座にオレは空いていた左手を掲げて闇を自分の頭上へと広げる。
男はそのまま闇の壁に激突して地面に落ちた。
「ぐはっ!?」
落ちた拍子に男の背負っていたリュックサックが吹っ飛んで、中身の紙束が地面にぶちまけられる。……なるほど、金だ。相当な金額を盗んでいるなこれは。コンビニを襲う前に現金輸送車でもやったのか?
男は地面に倒れて起き上がれずにいるようだが、相手は超能力者だ。油断はできない。
「食らえっ!!」
なんと男は倒れた状態で腕を掲げて、隠し持っていたと思われる大ぶりのナイフを投げてきた。……というか能力で飛ばしてきた。
物体を自由に移動できる。それが思念動力の力だが、男はあまり能力レベルが高くないらしく、小型の物しか飛ばすことが出来ないようだ。
「うぉっと、あぶねぇ」
オレは飛んできたナイフを闇で防ぐと、そのまま闇を操って倒れた男に一撃を加え、気絶させた。そうしたところでやっと路地裏にパトカーのサイレンの音が響く。全く、いっつも遅いぜ警察は……。
やってきた警察にオレは犯人を引き渡すと、事務所に帰り始めた。帰りが徒歩っていうのがなんとも面倒くさい。センパイは視認できるものしか移動する事が出来ないからだ。
超能力犯罪対処請負人、通称ヒーロー。警察の対処困難な超能力犯罪に対して、超能力を使って解決する。それがオレたちの仕事だ。