聴振記
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
うー、また通院の時が近づいてきたな。数ヶ月に1回とはいえ、直前になるとどうにも嫌な感じさ。
ずっと前に、自分では健康体だと思っていたのに、いきなり臓器の不調を指摘されたことがあってな。お医者さんも周りの人も、「早くに見つかって良かったね」といってくれたが、個人的には伝えられる瞬間のストレスがすさまじい。
だってショックじゃん。これまで普通に過ごしていて問題ない人間と感じていたのが、とたんに病人の仲間入り。特別扱いに憧れる人はいても、自分が他より下に置かれる「特別」を受け入れられる奴などいないだろ。自分の生活にケチとか汚点とかつけられたみたいでさ、周囲の評価を気にする歳になるとえらいダメージだ。
それ以来、病院に入るとどこか緊張するようになっちまってさ。健康診断で血圧測ると、決まってギリギリ高血圧の範囲なんだわ。お医者さん曰く、「白衣性高血圧症」の疑惑あり。緊張で血圧が高まっちまうってこと。要は豆腐メンタルだ。
ある日、いきなり知らされる異状。お前は動じることなく受け入れることはできるか? 俺の親父も、かつて子供だった時に、突然の不調に襲われた経験があるんだ。それも病院沙汰にならない、特殊なもののな。
その時の話、興味はないか?
親父が小学生だった当時、自分だけの宝探しにはまっていたらしい。小さい頃は勉強でもスポーツでも他人に及ばない奴が、次に求める武器。それは往々にして「宝」や「力の覚醒」。いずれも昔話から綿々と続く、一発逆転要素だな。
後者はそれこそ天賦のもの。生まれた時から決まっており、運よく針にかかって引き上げられ、日の目を見ることを期待するしかない。
ま、見つかったら儲けもの程度に考えて、他の動くべきものに取り組んだ方が、大多数のパンピーにはいいだろう。実はなかったものにすがって、生涯を棒に振るよりずっといい。
親父も、成績ではこれといって際立つものがなかったようだ。だがら他人に自慢できるお宝を求めて、時間を見つけては近所を駆けずりまわっていたらしい。
そんなある日、少し足を伸ばした神社でのこと。そこの本殿の裏手で土をかいていた親父が見つけたのは、軽く湾曲した一本のあばら骨らしきだったらしい。手のひらに収まるほど小さいそれは、色も臭いもなく、ガラスのおもちゃのように思えたとか。
土を取り除けて、骨越しに向こうの景色をのぞき込む。裸眼で見るのと大差ない景色の中には、一片の傷や曇りも見られない。ずっと土の中にあったことを考えると、ろくに分解もしない頑丈な代物の可能性もあった。
これまでのサルベージ経験の中でも、大きな収穫。そしてこの現場は誰も見ていないと来ている。親父は小さいシャベルなどの発掘道具を入れたビニール袋から、もう一回り小さな巾着袋を出し、骨を入れる。家でじっくり検討して、友達に見せるかどうかを判断するつもりだったんだ。
神社から家までは、自転車でおよそ5分。途中でいくつか信号を渡ることになるが、交通量は多くない。その2つ目の信号に差し掛かり、車が来ていないのに足止めを食らうのが嫌だった親父は、赤信号にも構わずペダルを漕ぎ出した。
ふと頭のずっと上の方で、鳥が鳴いた。見るとカラスらしき黒い鳥が「く」の字に隊列を組み、東から西へ空を横切っていくところだった。親父は目が良く、ちょうど「く」の字の折れ曲がった角にあたる先頭の鳥が、口を開いて発声しているのが分かったとか。
かー、かー、一声一声を長く伸ばしながら飛んでいくカラス。距離は開いていくのに、その声量はほとんど衰えなかった。「妙な鳴き方をする」と、加速し出した親父の耳が、3度目の声を捉えた瞬間のこと。
突如、身体中に震えが走った。寒いというより、車に乗っている時の、車体の揺れに釣られて身体が振れたという感覚に近い。振動は想像以上に強く、ハンドル操作を誤りかけた。もし横断歩道を渡っていなかったら、車道へ逸れていたかもしれない。
足をペダルから地面へつける。ハンドルを握った両手を離し、ぐっぐっと閉じたり開いたりするが、握力には問題ない。肩、腕、胸、腹、足と身体中を撫でてみるけど、特に痛みを感じるところもなく。件のカラスはというと、遅れた後尾がわずかに視認できるだけ。
気のせいかな、と首を傾げつつ、親父はその日は家に帰ったんだ。
だが、本当に厄介だったのは、翌日になってからだった。朝起きてカーテンを開けた時に、部屋の窓の近くを飛び去ったスズメの鳴き声を聞いて、全身が震えた。ほんの一瞬だったが、抗う暇さえなかった。それは朝ごはんを食べている時でも同じ。台所の窓の網戸越しに聞こえる鳥のさえずりに、テーブルを揺らしてしまうほど身体が反応してしまう。
そのたび「貧乏ゆすりはやめなさい」と注意されたが、違うと返すと、追及された時に面倒だ。生返事を返しながら、さっさと学校へ行く支度を整える父親。耳栓を突っ込むこともしたけれど、さっぱり効果が出なかったとか。
学校でも、鳥の声に対する身体の反応は止まず。それぞれがわずかな間とはいえ、何度も重なるとさすがに周りのみんなから不審な目を向けられる。それを「なんでもない」と退け続けたものの、4コマ目の授業が終わったと同時に、喉の奥に何か粘つくものが絡んでくる気配。
タンだ、と思った。親父はタンを吐く行為を、この頃から蛇蝎のごとく嫌っている。路上で飛ばしている人を見ると、胸がむずむずしてくるほど。すぐさまトイレに駆け込んで、ポケットティッシュの一枚を口に当てた。
そこに出したのは、普段見慣れたタンとは少し違う、薄い赤みがかった黄色い液体だったんだ。色がタンのそれより明るめで、濃さのムラもなく広がっている。事情を知らなければ、シュークリームの中身だと話しても納得できてしまえそうな見た目だ。
そして嫌な臭いがする。長い時間、歯の間に挟まっていたと思しき食べ物のカスを、くしゃみで吐き出してしまったことがあるが、その腐ったような臭いにそっくりなんだ。親父は何度も口をゆすいだけど、それから帰宅までに何度か、この液体が喉の奥に溜まってきたらしいんだ。
校舎を出る前にも、念入りに口をゆすいだ親父は、いつにない早足で家への道を急いでいた。相変わらず、鳥の鳴き声から受ける震えも止まない。さすがに自力じゃどうにもできないことを悟り、一刻も早く親に相談するつもりだったんだ。
バス通りに面した通学路は、この時間、車の通りが多い。少し前を行く児童の話し声も、簡単にかき消されてしまう。落ち葉たちも、車の速さと質量が成すつむじかぜにあおられ、そのたび飛んだり転がったりしながら、歩道の隅へどいていった。
その耳障りな音たちの間を縫って、かつかつとヒールがひと際高い音が、親父の耳へ届く。うつむきがちな顔をそっと上げると、背が高いひとりの女性がこちらへ歩いてくるところだった。
胸の辺りにベルトがついたトレンチコートを、襟を立てながら着込んでいる。漫画家が使うようなベレー帽をかぶり、両手はコートのポケットの中。口にはマスクをして、伏し目がちと来ている。
「口裂け女かよ」と思いつつも、その手の怪談にはさほど怖じない親父。ちょっと道の端へ寄りながら、すれ違おうとしたんだ。
その最も互いが近づいた時、親父はがっと肩をつかまれる。なんだ? とそちらへ顔を向けた時に、あのコードの女性の顔がすぐそばまで迫っていた。空いている手でぱっとはがされたマスクの下から現れたのは、他の人と大差ない口周り。その紅を塗った唇が大きく開くや、「ケーッ!」と甲高い叫びをあげて、親父の鼓膜を揺すぶった。
オペラ歌手もかくやという超高音。親父が耳を塞ぎ、周りの人がこちらを向いた時にはもう、女性はマスクを着けなおし、再び歩き出していた。悪びれる様子などみじんも見えない、堂々とした歩みだったらしい。
耳が痛み、親父はその場に片膝を着く。頭蓋の中で釣り鐘を鳴らされているように、脳がぐらぐらした。わずかに遅れて、喉奥に例の感触。
人前で吐き出すのはごめんだ。口に溜めたまま親父はすくっと立ち上がり、平静を装いながらしばらく歩く。ひと目につきづらい駐車場の影でティッシュに吐き出したのは、今日すでに見飽きたクリーム色のそれではなく、透明な液体だったらしい。
そして帰るまでの間、また何度か鳥の声を聞いたものの、あの震えが襲ってくることは、もうなかったらしい。それでも念のため、病院へ行った親父は奇妙な診断結果を聞く。
肋骨のうち、一本が途中からかけているというんだ。向かって左側の第10肋骨が、プツンと途切れている。そしてその破片が、身体のどこかへこぼれた形跡は見当たらなかったんだ。
失われた肋骨部分の大きさを聞いて、親父は顔をしかめる。あの神社で拾った透明な骨が、ちょうどはまるくらいの大きさじゃないかと思ったんだ。お医者さんには話さなかったが、病院から戻った後、親父は元の場所へ例の透明な骨を埋めなおしたのだとか。