どうなるかなんて誰にも分からない。
つい先ほどまでは作中ではサポート役として活躍しているカキヘイとサイボーグオチムシャくんとは全く関係のない刀持ちが目に止まらぬ速さで動き、戦っているように見えたかと思えば、二人とも鏡の中へと落ちていってしまった。
それを見ていた客席にいるもの達は騒然としている。
客達はこれが本当にショーなのか? 何かしらのトラブルに巻き込まれてしまったのではと皆不安に思っていた。
観客達の不安を無視するかのように会場内がいきなり暗くなってしまう。そのせいで一瞬観客達の不安が一気に膨れ上がったが、それはすぐに霧散する事になる。
暗くなったのは一瞬のことであたりはすぐに明るくなる。その一瞬のことで周りの景色が様変わりしてしていた。その光景見た客達は圧巻の声をあげる。
先ほどまでショーの会場だった場所は違う場所へと変貌を遂げていた。時代劇に出てくる古風な街並みにその景観を壊す和風な城の屋根がついた高層ビルが目に映る。
だが誰もそれを疑問に感じる者は少なくともこの場にはいなかった。特に子供達は毎週見ている光景だ。子供達は周りの景色を見るなり興奮で声をあげる。
「すっげぇ! オーエドタウンだ!」
まるで本当にその場にいるかのようなリアリティに子供だけでなく大人も興奮で言葉にならない声を漏らす。
しばらくするとサイボーグオチムシャくんのテーマソングと共にアニメタイトルのように上から文字が降りてきた。
『サイボーグオチムシャくん&名無しの権兵衛VSアオタン&ニセカキヘイ!! オーエドタウンの平和を守れ!』
でかでかと己を主張する色合いの巨大なタイトルロゴの文字を見た客達は口々にこのようなこと言う。
「なんだ、さっきのはショーの一部だったのか。」
「てっきり何かの事件かと思っちゃった。」
つい先ほど行われていた二人の戦いは本物なのだが、客の多くはショーを盛り上げるための演出だと思っていた。
すでに客達の心には不安の感情は跡形もない。次は何を見せてくれるのかと心を弾ませていた。
◆◇◆◇◆
一方その頃。
観覧板アプリを入れているものの端末に通知を入る。
その日は休日。多くのもの達がその場でその通知の知らせを読んでいく。通知にはこのような事が書かれていた。
『速報! 第三広場で開催されているサイボーグオチムシャくんショーに名無しの権兵衛が登場! さらに特別出演で巫女の一人、しおんもカキヘイくんの役で登場! 現在生放送中。動画は後日無料配信されます。』
「なんであの名無しの権兵衛が?!」
「しおんちゃんが出てくる!? 絶対に見ねば!」
「サイボーグオチムシャくんよく知らないけど名無しの権兵衛としおんが出てくるなら見てみよっと。」
知らせを見た人達の動機はそれぞれ違えど動画を見ていく。それによって動画の観覧数がどんどん伸び、生放送は様々な者達に注目されていく。
◆◇◆◇◆
名無しの権兵衛は悟る。これ、逃げられないやつだと。いつの間にか自分もショーの一部として組み込まれてしまった真琴は腹をくくる事にする。
その直後、モニターの映像がきり変わる。今度はアオタンという名のサイボーグオチムシャくんに登場する悪役とサイボーグオチムシャくんの二人が対峙している姿が映る。
「あーはっはっはっ! 名無しの権兵衛よ。サイボーグオチムシャくんと共にあの世に行くがいい!」
「そうはさせるか!」
モニターに視線を向けている名無しの権兵衛の姿を見た男はこの好機を逃すわけにはいかないと立ち直る。
男にとってここは訳のわからないことの連続でこの短時間で精神がいささか消耗していた。
それでも男はすぐに行動をとる。
「行け! ニセカキヘイよ。名無しの権兵衛を始末するのだ!」
「すまない名無しの権兵衛くん。俺が行くまで何とか持ちこたえてくれ!」
男はモニターに映る二人の言葉が言い終わると同時に、名無しの権兵衛とは逆の方へと走る。
「…え?」
真琴は、走り去っていく男の後ろ姿を呆然と眺めていた。さっきまで真琴に攻撃して来た男が逃走するとは思っていなかったのだ。
しかし、真琴にとっては都合が良いはずだ。
なにせ高い実力を持つ男とこれ以上戦う必要は無いのだ。もう真琴の意思と関係なく戦う必要は無いのだ。
真琴は忍刀による攻撃を防いでいた時に銃を向けられた時はどうしようかと思っていたが、鞘で防いだ時は心の底から良かったと感じていた。
まるで他人事のようだが、これまでの攻防に真琴の意思はない。気がついた時には真琴の体は勝手に動いていた。逃げるのではなく、戦うために。
男の攻撃を防いでいる間、真琴はまるで他人に操作されているような気分だった。まるで何年も同じ動作を繰り返しているかのように真琴の体は男の攻撃を危なげなく防いでいた。
だが、いつまでも戦っているわけにはいかない。
ツジキリの時は大抵一撃で相手を倒してきた真琴はここまで長時間戦うのも初めてなのだ。いくら体を動かせてもあのまま戦い続ければ体力はもたず、真琴は倒れていた。
だから男のほうから戦いを放棄してくれたこの状況は真琴にとって喜ばしい事のはず。なのに、真琴の心の中の違和感は消えてくれない。むしろ男の姿が遠ざかっていくにつれてそれは増す一方だ。
(どうして逃げる?)
男は真琴に向けて銃を発砲しただけではなく、傷を負わせるだけでなくさらに追撃して来た。そして男はやるだけやってさっさとこの場から逃げ出そうとしている。
男がどう思って行動しているのかは真琴には分からない。分かるのは男が逃げようとしているだけだ。
(ふざけるなよ。)
さっきまで自分の意思で戦っていなかった真琴は今日初めて、自分の意思で足を動かした。
◆◇◆◇◆
最初の三発で仕留められなかったことが本当に残念でならない、と男は抑えきれない苛立ちを誤魔化すために歯を軋ませる。
事の発端である男の依頼主から相手は刀を手にして間もない奴だと聞いていた。だが銃弾を刀と鞘だけでいなす名無しの権兵衛の姿はとても素人の動きには見えない。
魂弾には限りがある。あのまま戦っていたらジリ貧であっだ。
加えてどういう仕組みかはまるで分からないが鏡を通して別の場所へと移動させられた挙句に名無しの権兵衛と戦えとモニター越しに言われた。
だが男は撤退を選んだ。
男は依頼主からこのような指示を出されていた。
名無しの権兵衛をあの場で再起不能、または弱らせろと。決して殺してはいけないと。
あの場とはサイボーグオチムシャくんのショーが行われていた第三広場のこと。だがその場所から移動させられたため、男は撤退を余儀なくされた。男はあくまで第三広場で名無しの権兵衛を再起不能するように指示されただけ。そこから移動させられては依頼はもう果たせない。
このまま逃げ帰れば依頼主から長々と嫌味を言われることを知っている男だが、そこは受け入れるしかないと諦めている。
男にとって最悪な事は任務に失敗し、捕まるような事態だ。ゆえに男は即座に逃亡を選んだ。
男は自分の速さに自信がある。本気で逃げようと思えば誰が相手だろうと逃げられるほどの自信だ。それは戦闘面でも同じこと。自分の速さについてこれるものはそうはいないだろう自負している。
決して自惚れではない。
男は確かに速い。男の速度に適応する者は確かにそう簡単に見つからないだろう。
だから男はここから一人で逃げられると確信していた。
だが、後ろから聞こえて来た音でその確信は揺らぐ。
後方から聞こえてくる音はだんだんと近づいている。正体を探るため、首を少し後ろへと向けると音の正体は簡単にわかった。
バイクだ。
熟した柿のような色合いのバイクが後方から男を追いかけて来る。そのバイクに搭乗しているのは二人。
一人はバイクを運転しているカキヘイの格好をした少女、しおん。
もう一人はしおんの後ろに座っている男の標的、名無しの権兵衛である。
「!」
なぜ追って来た。
男が真っ先に思い浮かんだ事はそれだ。
名無しの権兵衛にとって男が逃げる事は好都合なはずだ。なのに名無しの権兵衛はバイクに相乗りして追いかけて来てる。
そんな男の考えなど露知らず、バイクは男との距離をどんどん縮めていく。
このままでは捕まる。
男はさらに加速しようとしたが、すんでのところで留まる。前方に道を塞ぐ存在がいるからだ
「オー。オー。」
「オー。オー。」
「オー。オー。」
それは同じ単語を何回も繰り返している。
見た目はサイボーグオチムシャくんにそっくりだが、大きさは本物の半分くらいの大きさだ。
これはミニオチムシャくんという名前のロボットであり、サイボーグオチムシャくんの特撮番組で実際に出てくるのだが、番組を一切見ていない男には知る由もない。
ミニオチムシャくんの両手には刀が装着されている。男にはその用途は簡単に想像はついた。
そのミニオチムシャくんが道を埋め尽くすほどの数で道を塞いでいる。このままでは進む事はできない。
ならばと男は壁周辺の建物の屋根に登ろうとも考えたが、その考えは即座に切り捨てる。
屋根の上にもミニオチムシャくんが場所を占領しているからだ。足の踏み場がない。
「ちっ!」
次から次へと湧いてくる障害物に男は苛立ちの衝動のまま、また舌打ちをする。
前にはミニオチムシャくんの軍団。後ろからはバイクに乗った二人組。このどちらかをどうにかしなければ逃げられない。
男がとった選択は、後者だ。
忍刀を片手に持ち、姿勢を低くし、バイクに向かって駆ける。
その速さは肉眼で捉えるのは容易ではない。
男がバイクとすれ違った直後、異変は起きた。
「きゃあっ!」
突然しおんが乗っているバイクがあらぬ方向へと行き、そのまま建物の壁に激突してしまった。
結果だけ伝えると、男がした事は走りながら走行しているバイクの前輪を斬ったのだ。
男はそれを一瞬の事で済ませていたのだ。
得物が優れているとはいえ人間の手で走っているバイクのタイヤを切るのは容易では無い。それを可能にしたのは男の長年の技の研鑽によるものだ。今の男の実力ならば鉄を斬るくらい容易である。
バイクはもう使い物にならないためもう追いかけてはこれまいと考えていた男だが、ふと違和感を感じた。
男は思い出す。
さっきバイクの前輪を斬った時、名無しの権兵衛の姿を見たか?
いいや乗っていなかった。
まさかと思い、前方を見る。
そこには逃げ道を塞ぐように立ちふさがっている名無しの権兵衛だ。刀は鞘に納めて手にしてはいない。
どうやらバイクの前輪が斬られる前にバイクから降りたのだろう。
最初は男の方が名無しの権兵衛を狙っていたはずなのだが、今は逆だ。男が逃げる側で、名無しの権兵衛は追う側だ。
男は名無しの権兵衛がなぜ追いかけてくるのか理由をほんの一瞬の間考えたが、すぐに戦うしかないと腹をくくり、思考を切り替える。
名無しの権兵衛と男の間には距離がある。
だが男はそれに慢心しない。名無しの権兵衛の一挙一動を見逃さないように男は注意深く観察していると、名無しの権兵衛は少し、身を低くした。
何をするつもりなのかは男には分からないが、どんな状況になっても対応できるよう身構える。だが、不意に背筋に寒気が走る。
よけろ。
男の本能がそう告げる。
その本能に従うように男は横に避けると、男がさっきまでいた場所に名無しの権兵衛が刀を振るっていた。
「!?」
名無しの権兵衛と男との間の距離はお互いが目視できる程度ほどの距離ではあるが、確かに離れていた。近づかれないよう名無しの権兵衛の行動を一切見逃さないよう見張っていた。
その結果、男は名無しの権兵衛の接近を許してしまっている。これは揺るがない事実だ。
名無しの権兵衛は攻撃がかわされたことを物ともせずすぐに次の行動に移すのは目に見えていた。
男にとって幸いなことに、名無しの権兵衛が男の方へと接近してくれたおかげで道を塞ぐものが無くなっている。
男はまた道が塞がらないうちに即座に走り出し、名無しの権兵衛から目を離さないよう距離をとろうとする。
だが、名無しの権兵衛はあっという間に男との距離をつめてしまう。
名無しの権兵衛は手には先ほどまで握っていた刀がない。それは再び鞘に納めたからである。
何のために?
最速の手で男に攻撃を仕掛けるためだ。
抜刀と同時に、逃げることに専念していた男を名無しの権兵衛は斬る。
「なっ!?」
男は自分が斬られたと理解できたのはすぐだった。名無しの権兵衛の気配を感じ咄嗟に身をよじってかわしたことで深い傷は負わなかったが、それでも斬られたことには変わりない。
血が滲み、服が赤色に染まっていく。
男は驚愕によって表情を歪ませる。額には冷や汗が浮かんでいる。
それは斬られた事に驚いているのではない。
男は自分の足の速さに確固たる自信がある。その速さの秘訣は男の一族から代々伝わる特殊な歩法とたゆまぬ努力によるもの。
ならばその自信をへし折るように名無しの権兵衛に二回も追いつかれた事に男は驚いたのか?
いいや、それも違う。
ただ速いだけなら男は表情を歪ませてまで驚きはしない。男が驚いたのは名無しの権兵衛の足運びだ。
男は名無しの権兵衛の足運びには見覚えがあった。
「なぜだ!? どうしてお前が!」
男は思わず感情的に声をあげる。
粗削りではあるが、名無しの権兵衛が見せた歩法は間違いなく男の一族が長年の歳月をかけて受け継がれてきた技術だ。
歩法だけでなく男の一族は技術の露呈を防ぐために徹底的に隠してきた。
だが、名無しの権兵衛は本来長い修行を得て得られる男の一族の代々から伝わる特殊な歩法を、会得している。
その事実は男を狼狽させるのには充分だった。
男は考えずにはいられなかった。
どうして名無しの権兵衛が男の一族にしか使えないはずの歩法を使っているのか。つい先ほどまではそんなそぶりを見せていなかったはずなのに。
だけど実際名無しの権兵衛はその歩法で男を追い詰めている。
まるで今、覚えたばかりのことを練習するかのように。
「…まさか。いや、そんな。」
男は流石にあり得ないと思っているが、その考えは正しい。
名無しの権兵衛は覚えたのだ。この短時間で男が血反吐を吐く思いで修行した技を、見ただけで覚えてしまったのだ。
だが、名無しの権兵衛は自分がその特殊な技術を会得している事にはまだ気がついていない。
そして、自分が取り返しのつかない失敗をした事にもまだ気がついていない。