こそこそ噂話。
これは、刀持ち達の間でおこなわれた会話である。
「おい、例の新人見たか?」
「あぁ。名無しの権兵衛って奴だろ。」
「無銘の継承者がまさかこんなに早く出てくるとはな。」
「ということは、流浪さん死んじまったのか?」
「そうとしか考えられないだろ。無敗の流浪さんが誰かに負けるなんてありえねぇし、あの人随分と歳食ってたからな。」
「流石の流浪さんも寿命には勝てなかったか。」
「まぁ何にせよ、あの名無しの権兵衛って奴は要注意だな。」
「あのカミが無銘の継承者として選定した奴なら間違いなく厄介な存在になるぞ。」
「無銘を手にした奴ら全員とんでもないことをやらかすからなあ。」
そして一般市民達の間でも名無しの権兵衛の事は噂になっていた。
「昨日の試合見た?」
「見た見た! 凄かったな。えーと、名前は何だっけ?」
「名無しの権兵衛だよ。」
「そうそれ!」
「すげーよなぁ。あのカミツキウルフを一撃で倒すなんて。」
「攻撃が速すぎて何が起きたのか全然分からないけどな。」
「新人なのに強いな。名無しの権兵衛。」
多くの人達の話の中心となっている名無しの権兵衛だが、彼女はそんな事知る由もなかった。
何故なら現在彼女は下校中である。加えて真琴は歩きながらスマートフォンを弄る事はしない。そもそも名無しの権兵衛の事を調べる気は一切無いので現時点で彼女が自分の事がどれだけ注目されているのか全く知らなかった。
「いやいや。少しは自分の活躍に興味を持ちなよ。」
「出たな諸悪の根源。」
「会って早々酷くない?」
いつのまにか隣に歩いている以前の青年がいるにもかかわらず、真琴は驚かない。青年に目を向ける事なく毒の言葉を吐く。
周りに人影はなく二人の会話を聞く者はいない。
「中々いいデビュー戦だったよ。カミツキウルフは結構有名な奴だったからね。それを一撃で倒したんだ。名無しの権兵衛の知名度は一気に上がるのは当然のことさ。」
「ちっとも嬉しくない。」
「えー。君が名無しのごおうふ!」
青年が名無しの権兵衛と言い切る前に真琴は青年の脇腹に肘をめり込ませる。効果は抜群だ。
「い、いきなり何するんだ。」
「黙れ。何さらっと正体バラそうとしてるの。」
痛みに悶絶する青年を気遣う事なく真琴は前へと歩く。青年は攻撃を受けたところをさすりながらついて行く。
「いやーごめんごめん。でもいいだろ? 刀持ちにしか見えないように設定してあるんだから。」
「刀持ちにはお前は見えるし声が聞こえるんだろ。もし万が一、私の正体を知った奴があいつに私の正体をバラすかもしれないだろ。」
「その可能性は低いでしょ。」
「絶対にないとも言い切れないでしょ。」
「真琴!」
真琴が小さな声で青年と話をしていると、後ろの方から真琴を呼ぶ声が聞こえた。その声の主は真琴がよく知る人物である。
真琴はその声を聞くや否や、青年にも見せたことのないような嫌そうな顔をする。
「真琴! お前また一人で先に帰ろうとしたな。にいちゃんが来るまで教室で待ってろって言ったろ!」
やって来たのは真琴の兄である。
「私もいつも言ってるよね。学校に来るなって。」
「何言ってるんだ。真琴の身に何かあったら大変だろ!」
「中学生にもなって送り迎えされる私の身を考えて。」
真琴は兄の顔を一切見ず、早足でその場から立ち去ろうとする。
「おい待てったら!」
「今日も友達と遊びに行くからついてくるな。」
真琴は早足で兄との距離を取り、曲がり角に曲がる。
「その友達って、本当に友達か? 紹介してくれ頼む! 確認したらすぐ帰るから。」
真琴の後を追いかけ、兄も曲がり角を曲がったが、そこにはもう、真琴の姿はなかった。曲がり角の向こうはなんの障害物のない一本道にもかかわらず。
「あれ? どこに行った。」
兄のすぐ近くにあるカーブミラーが一瞬妖しく光ったが、兄がそれに気づくことはなかった。
◆◇◆◇◆
兄が困惑する一方で、真琴は兄を振り切るためにカーブミラーを使い一度合戦場に行き、その後自分の部屋へやって来た。
刀持ちは鏡であれば例え小さな鏡であろうと合戦場に来ることができる。パンフレットでそれを知った真琴はそれを利用し最短で家に帰ることができた。
真琴はため息をつき、ベッドの上に座る。
「…本当にお前のこと、見えないんだね。」
「だから言っただろ。少なくともお兄さんには僕の姿は見えないし、声を聴けない。」
真琴は目の前にいる青年を見上げる。
青年は真琴の兄が来てからもその場から立ち去ることはせず、堂々と立っていた。
もし青年の姿が見えていたらどんな関係であろうと兄なら絶対に追い払おうとすると真琴は知っていた。
なのにそうしなかった。
兄には青年の姿が見えなかったからだ。見えなければ追い払うことはできない。
「それにしても話に聞いてはいたけど君のお兄さんってかなり過保護なんだね。」
「…あれでもマシになった方。」
「えっ、あれで?」
若干引いている様子の青年だが真琴は無視する。その反応を見るのは慣れてしまっているからだ。
真琴は依然、不機嫌そうな表情を浮かべている。そのまま愚痴を吐くように話を続ける。
「私がまだ小学生の頃に大怪我をしたみたいでさ。」
真琴は前髪をあげて額を見せる。
そこにはよく見ないと分からないがうっすらと傷跡のようなものが見える。
「私は覚えていないけど当時はひどい騒ぎだったらしいよ。この傷なら血も結構出たんじゃないかな?」
「覚えてないからって他人事だなぁ。」
「多分その日から兄を筆頭に家族が過保護になったんだと思う。」
真琴の目からは鬱陶しいなという思いが伝わりよっぽど過保護な家族で苦労していたんだなと青年は感じ取る。
「もし合戦場で戦ってるってバレたら絶対に小学生の頃に逆戻り。いや、さらにひどくなる。だから絶対に家族だけには正体がバレないようにしなくちゃいけないの。」
「そっかそっか。」
「だから二度と外で名無しの権兵衛の話をするな。」
「わかったわかった。わかりましたから睨むのやめて。」
真琴は青年を睨むのをやめるとスマートフォンを取り出し、検索サイトで『合戦場 名無しの権兵衛』と入力し、検索のボタンを押した。
どうやら青年の話を聞いて気にはなったようだ。
すると真琴が想像していた以上に名無しの権兵衛の情報が出てきた。
『大型新人、名無しの権兵衛現る!』
『無銘の新たな持ち主、名無しの権兵衛。』
『正体不明の謎多き剣士、名無しの権兵衛の正体を探ろう。』
名無しの権兵衛は真琴が思っているよりも注目されており、情報の中には自分の正体を探る者達がいる事も知ってしまう。
真琴は名無しの権兵衛が置かれている状況を知り、頭を抱える。
「うっわ。」
「たった一日ですごい有名人だね。」
青年はわざとらしくニヤニヤと笑っている。完全に楽しんでいる様子の青年に真琴はまた彼に向かって睨みを効かせる。
「おのれ諸悪の根源。」
「やめてよそれ。ちゃんと名前で呼んでよ。」
「名前知らないんだから呼べるわけないでしょ。」
「…あっ。そういえばちゃんとの名乗ってなかったね。」
青年は真琴の前に回り込み、笑顔を浮かべて名乗る。
「今は天野 一と名乗ってるよ。気軽に天野さんって呼んでね。」
「わかったよ天野。」
「呼び捨て?! オイラ君よりもだいぶ年上なんだけど!」
「はいはい。いいから今日はもう帰れ。」
大げさに驚く青年だが、真琴はまともに相手をせずスマートフォンを鞄にしまい、それを机の下に隠す。椅子とクッションで鞄が見えないようにすると、真琴は鏡の前に立つ。
その頃にはもうすでに青年、天野の姿はなかった。影も形もない。しかし、扉や窓を開ける音は一切しなかった。天野はまるで煙のように消えてしまっていた。
だが、真琴は天野がこれくらいのことは簡単にできると知っているため一切気にせず鏡を通じて合戦場へと向かう。
今真琴の考えていることはさっさと百人斬りを終わらせたい。
それだけを考えて今日も真琴は戦う。