戸締り注意
仕事場の席で大きくのびをすると、ギシリと背もたれがたわみばきばきと関節がなる。
視線をモニターからはずすと、いつのまにか部屋にはオレともう一人しかいなかった。
最近はずっと残業続きなせいか、頭が重い。これ以上続けても大した仕事はできないだろうと思い始めたときだった。
「先にあがりますが、戸締りまかせていいですか?」
声をかけてきたのはもう一人残業していた同僚だった。
いつもは必ず暗くなる前に帰っていたが、どうしても終わらない仕事があるせいで残っていた。
こいつは最近、中途で採用されて入社した剣崎というやつだった。
仕事はいたって真面目で同僚たちからの評判もそこそこではあるが、ひとつ困った癖があった。
「じゃあ、オレも上がろうかな」
帰り支度を済ませ、二人で部屋をでると剣崎が扉に施錠したが中々歩きだそうとしない。
―――ガチャガチャガチャ
人気のない廊下に耳障りな音が響く。
剣崎はドアノブをひねって何度も執拗に確認していた。
病的ともいえるその仕草はいつ見ても気持ちのいいものではない。
「大丈夫だって、オレもさっきちゃんと確認したから。あんまりやってると間違えてセコムがきちまうぞ」
いらだちを隠しながら茶化すように声をかけと、剣崎はハッとしたように顔を上げてバツが悪そうな顔をする。
ビルを出ると、外はすっかり暗くなっていた。
街灯に照らされた道に人影はなく、二人分の足音が聞こえてくるだけだった。
「……すみません」
ポツリと声がきこえ、いぶかしみながら隣を見る。
「本当は自分でもおかしいってわかっているのですけど、どうしてもやめられないんです」
剣崎の顔は苦しそうで、本当に悩んでいるようだった。
精神的な病から来るものだとしたら、自分ができるのは気休めの言葉をかけることぐらいだろう。
「気にするな。うちの母親もガス栓とか何回も確認しないと気が済まなくてな、あるときなんて気になるからって一旦家に帰ったこともあってさ」
「ちがうんです。私の故郷はけっこう田舎でして、元々戸締りなんて気にしない性質だったんですよ。カギなんてかけたのなんてこっちに来てからでした」
「じゃあ、なんでだ」と疑問を口にしてみると、剣崎は「すこし聞いてくれますか?」と前置きをしてから話し出した。
それは、以前住んでいたアパートで起きたことらしい。
剣崎が以前勤めていた会社は残業が当たり前でいつも0時前に帰ってくることもザラだったとか。
疲れを感じ、転職の文字を頭に浮かべながら、疲れた足でアパートに向かっていた。
そこはアパートが立ち並ぶ地区で似たような直方体の建物が並んでいた。
剣崎が住んでいたのは古いアパートでエレベータもついておらず、3階までのぼりきるころには息が切れそうになっていた。
その日もうんざりとした気分を抱えながら一歩一歩上を目指していたとき、その音が耳に入ってきた。
―――ガチャガチャガチャ
恐る恐る階段から顔をのぞかせると、一階の突き当たりの部屋に女が立っているのが見えた。
格好からして若い女のようだった。
もしかして、鍵を落とした苛立ちをドアノブにでもぶつけているのだろうかと思いながら、視線をはずして自分の部屋に向かっていった。
次の日は昨晩の女性のことなど忘れて、ただ積み上げられた仕事を片付けることだけを考えていた。
しかし、アパートの階段を上っているとまたあの音が聞こえた。
―――ガチャガチャガチャガチャガチャ
同じ女性だった。
しかし、昨日とは部屋が違っていた。女は一階から二階に移ってきている。
昨日はあまり見ていなかったが、その様子はどこかおかしかった。
髪がほつれ病的な白い肌にかかり、外灯に照らされた影がほそく伸びていた。
女は扉にジッと視線を落としたまま、何度も何度もドアノブをひねり続けていた。
何かを口にしているようだったが離れているせいでよく聞き取れない。
気配を殺して足音を立てないように階段を上りきり、自分の部屋に入ったときにようやく安堵の息をはいた。
あれはなんだったのだろうかと考える暇もなく、疲れた体は睡眠を要求していた。
次の日、昨日のことが気にかかり、早めに仕事を切り上げた。
道を歩く他の人間の存在に安堵しながらも、アパートに向かう足取りは重くなる。
恐る恐る階段を上りながら、1階……2階……とのぼっていく。
あの幽鬼めいた女の姿はなかった。
よかったと思いながら、敷きっぱなしにしている布団の上に体を投げ出す。
連日の疲れでぼんやりする頭の中、ネクタイをゆるめた。
ふと気になって視線が玄関に向いた。
そういえば鍵をかけてなかったと思い出すが、いったん寝転がったせいで起き上がるの億劫だった。
しかし、頭の隅にあの女の影がちらつき、自分でも心配しすぎだと苦笑をうかべながら重い腰をあげる。
指先がシリンダー錠のつまみに触れる。
そして、ひねった瞬間。ドアノブが震えた。
―――ガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャ
固まりながら目の前の扉を凝視する。
一枚の扉を隔てた先にアレがいると思うと、息をするのさえ怖くなった。
「……ねえ、そこにいるんでしょ?」
扉のすき間からひび割れた声が這入りこんでくる。
女が何をいっているのかわからない。知り合いにあんな女なんていなかった。
足音を忍ばせながら机の上のスマホを手に取る。
布団の中にもぐり声を潜ませながら、110番へとつなげようとする。
その間にも扉からは耳障りな音が響き続ける。
電話口から警官の声が聞こえると、恐怖で混乱する口調でただ「早く来て」という言葉を繰り返した。
10分ほどで到着すると聞かされるが、その時間が果てしなく長く感じた。
……不意に音が鳴り止んだ。
うるさいほど聞こえる心臓の音の中、息を潜めながら様子をうかがっていた。
「……いったのかな?」
やがて、チャイムの音が聞こえ警察が来たのかと布団から抜け出す。
しかし、女がいなくなってしまいどうやって説明しようかと新しい悩みを考えながら、鍵を開くと……
「やっとあけてくれたぁ」
そこに…………いた……。
喜悦に顔をゆがめて血走った目で見上げてくる女の姿。
目を見開き口から悲鳴のような呼吸音が漏れたところまでは覚えていた。
駅に到着すると、乗り場の違う剣崎とはホームで別れた。
去り際に、「戸締りには気をつけてください」と真面目ぶった口調で注意してきた。
電車にゆられながら、剣崎の話の続きを思い出す。
事の顛末としてはひどくバカバカしいものだった。
恋人が浮気していると思い込んでいた女が、浮気相手と恋人がいる現場を押さえようとしたらしい。
後からかけつけた警官によって女は連行され、気絶していた剣崎は警察に介抱されて事情を聞かされたとか。
怖くなった剣崎はアパートを引き払い、仕事もやめてしばらく一人で引きこもっていたらしい。
剣崎も少し真面目すぎるところがある。オレだったら同僚とのバカ話で笑いの種にでもしているところだろう。
アパートの部屋に帰ると、酒をあおりながら動画サイトを眺めていた。
しかし、どうにもさっきから玄関の方が気になってしょうがない。
「はぁ、なにやってんだか……。ほら、ちゃんと締まってるじゃないか」
席を立ってついつい扉のカギを確認してしまう。
これで10回目だったろうか?
ニコニコ生放送のとある生主から聞いたネタを元に書きました^^




