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第八話【ペンタゾシン】


 駅の近くに併設されている駐車場には俺達が乗る車しか停まっていなかった。



「行こっか」



 何もいわず、彗は頷いた。シートベルトを腰に巻いたのを確認した後、俺はエンジンキーを捻る。いつも通りハンドルを左右に傾けて真っ直ぐ進むことしかできない乗り物の舵をきる。



 途中で赤信号にはまってしまい車を停める。信号が青色に変わるまでハンドルの上に顎を乗せる。



 ブルートゥースをラジオに接続させて音楽でも流そうかと思ったけれど、暗い夜の中、信号のLEDの光が真っ直ぐに彗の顔を突き刺しているのをじっと眺めていた。


 何か話しかけて静かな雰囲気を掻き消そうかとも考えた。


 しかし実家から帰ってきた彼女の顔には何も感情を宿っていなかったからやめた。


 ただ疲れているだけなのかと思うが、下唇を噛んでいる辺り彼女なりに憤りがあるのだろうと察した。何も話しかけることができなかった。手でも握れればいいのにな、なんて臆病風が囁く。


 

 ふと一瞬、道路沿いの街路灯に蛾が無数に集まっているのが目についた。この時期に昆虫を目にするのも慣れてしまったからなのか驚きはしない。


 だが着実に人類が終焉を迎えている証拠なのを実感する。



 これから眠れば明日になる。今日が終わる。今日は彼女の人生について考えていた一日だった。聞いてもいなければ彼女が生きた記録も見てもいない。ゆっくりでいい。彼女を知りたいと思う気持ちの分だけ彗に好きになって貰いたい。



十字路を曲がる。



「なんなんだこれは」



お祭りのような賑わい方をしている。電灯はあるのに光量が足りないのか焚き火で灯りを増やす。



 昼間は誰もいない廃墟のように、静かだったのに夜になって人が集まり、歓楽街のような賑わい方をしていた。ただ、パージという映画の世界観と似ていて外にいる人たちの目付きはギラギラと鋭かった。



 真ん丸の月が顔を出している。闇夜に隠れている雲が月の前を泳ぐと月光が発するライトの残滓だけが地上に数秒の闇を演出した。



 ハロウィンのスクランブル交差点でだって車は走れたのに大勢の人間が道を塞いでいた。俺は何度もクラクションを押した。こちらを睨んでくるが避けてくれる。


 まるで俺たちが悪いことをしたのかと強い視線がこっちに当たり詰問にあっている気分になる。刺激を煽らないよう目を逸らす。何が起きてもおかしくないんだ。暴動に襲われるのがとてつもなく恐しい。




 なかなか家には辿り着けず、膠着状態で少しイライラしてきた。関を切る想いで三度目のクラクションを鳴らした時だった。




うるせーと怒号が聞こえてきた。だが、何もされない。そこに少し安堵する。



 俺ばかりが怖がったって何ができるんだろうか。チラリと隣を見る。助手席に座る彗が頭を下にしている。両手を双方の二の腕を掴んで震えていた。



「大丈夫?すぐに家に着くから・・・」



「−−−−なんでも・・・ないから・・・大丈夫」




 俺の言葉を遮って彼女なりに強がった。だが明らかにこれは異常な事態だ。実家に帰る時にも目には不安が宿っていた。だが今は遥かに防衛本能が身体的な影響となってあらわになっている。




 俺は意を決して車のクラクションを長めに押した。車を覆うようにここら一帯を覆う人たちは体を震わせ驚く。コンマ何秒後にはこの音を発端にガラスを殴りつけてくるだろう。だがもう襲われたっていい。





 俺は左手でシフトレバーを切り替える。次にギアを入れずにアクセルのペダルを踏んでエンジンを蒸す。すると稲妻が落ちるような轟音がここら一帯に響いた。そうやって何度も何度も警告を告げる。クラクションでは道を開けてくれなかったのに瞬く間にこの車を避ける人たちが続出した。


 燃料をエネルギーに変換して稼働する仕組みに連動してか俺の心臓も爆速で血を排出する。心音が大きくなり周りで苦情を吐く人間の声なんて耳に入らなくなってしまった。次第にエンジン音が五月蝿いのか心臓がうるさいのかすら判別ができなくなっていた。



 もう恐怖が消えていた。バックミラーで俺の顔を見ると瞳孔が開ききっていた。サイドミラーで後部を確認する。今から襲いかかろうとしてくる人がいた。



 だから俺はアクセルを踏んで前進し、次にギアを変え右にドリフトをする。俺は心拍数が上がっていて

呼吸が荒くなっていた。次はどうする・・・。家に帰るんだ。その道を作ってもらうしかない。脅迫めいた行動だった。だが、人を轢く思いでないとどうすることもできない。



−−−−倫理の外側にいる人間には常識の外で対抗しないといけない。



 突然、そんな言葉が思考回路によぎった。水の中に一滴の悪意が滴り落ちる。波紋が波紋を呼び透明だった思考に黒い感情が染まった。



「だめだよ」



 レバーを握る手に温かいものが覆い被さる。彗の手だ。小さくてヌルい掌が俺の熱くなりすぎた血管を芯から下げてゆく。



「人は殺さないよ。ただ危機感を抱いてもらうだけ」



 目の前には何層もの人の壁が立ち込める。俺はアクセルを踏んで前へ前進した。ぶつかれば怪我を負う程度の速度は出す。分厚かった人の波が勝手に退いていった。



 ハイビームの先に映る人間たちが引いていく様が少しだけ清々しくて気持ちが晴れ渡る自分がいた。俺は今、海外映画の主役の名シーンを再現している気分だ。



 その時、俺は彗の表情を横目で見ることができなかった。今の俺がどんな表情をしているのか、安易に予想がついた。きっと悪魔が乗り移っているように彼女の眼に映っているだろう。いつの間にか俺は鬱積していたものをこの瞬間だけに全てのストレスを発散させてしまっていたのだろう。自分の目的と俺の内にとどめているだけで良かった感情を全て吐き出すことに目的がシフトさせていた。



 そしてマンションの地下の駐車場で停止させて二人で家に帰った。自分のもう一つの顔が見えてしまったことの申し訳なさで彼女とは寝るまで一言も喋れなかった。




 







次の日、俺は彗を連れてこの家を出ることにした。



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