第四話「メラニン」
彗は料理を作ると言って部屋を出て行った。俺は暗い部屋で一人、横になっていた。
寝たいのだが、暑くて短いスパンで目が覚める。布団で何度も寝返りを打っているとふと、居間の方から味噌汁の匂いがすることに気がついた。次に、包丁で具材を切っている音がしてきた。トントンとリズムよくまな板と包丁がぶつかる音がする。
その二つ以外に目立つ音はしなかった。物を雑に扱うときに出る物音はせず、丁寧に優しい手つきで触れているんだろうなと思った。勝手に脳裏で彗はいい奥さんになってくれるんだろうなと想像をした。細い体、腕で料理をしている姿が似合うんだろう。
そう思うと心が暖かくなってきた。あぁきっと心が疲れているんだ。こうやって誰かがいる空間なんて、仕事をしだしてからは滅多になかったからだ。
他人の温度を直接感じてありがたいなんて久しぶりに思えた。
彗が部屋に入ってくる音がして、目が覚めた。いつの間にかまた眠っていたようだ。
「朝食です」
お盆を両手で持って運んできてくれた。すぐそばにあるベッドと同じ高さの本棚の上に置いてくれた。同じタイミングで俺は重たい体に力を入れて壁に腰をつける。あぐらをかいて、畳んだ膝の上に盆を乗せた。
木のお盆には黄色の卵焼きと豆腐とニラの味噌汁。茶碗に盛られたご飯が配置されていた。どれも香ばしく、良い匂いが白い煙の上から漂っていた。
いつからか料理をしなくなった俺はいつもコンビニで一色を済ましていたからか、人が手をかけた料理が眼前にあり、びっくりした。冷蔵庫にこんなものがあったんだと変なテンションになる。手軽だが栄養に偏りがある弁当を食べていることを危惧していた家族の仕送りはいつも野菜や肉といった食材だった。月の終わりあたりに冷蔵庫にぶち込んであったものの存在に気がついて適当に切って鍋にしていた。手遅れなものは泣く泣くゴミ袋に廃棄する。
俺からしたら彗の手料理は魔法でも使ったのかと思うほど、レシピ本に載ってあるような仕上がりの出来だった。こんな献立を作れるんだったら彗は毎日心が豊かなんだろう。
「どんなものが好みなのか知らなくて私が丁度いいと思う味付けにしました。苦手なものとかこの中にありますか?」
「ううん、ないよ。どれも食べれるしすごく美味しそうでお腹がすいちゃったよ」
「それならよかったです」
そういうと彼女は、窓辺に行ってカーテンを開けた。
「換気しますね。暑くて息するのも大変でしょうし」
さっきは暗くてよく見えなかったが太陽の光が入り込むと彗の顔がよく見えた。ワイシャツの袖を捲っていて、髪の毛を一つに結んでいた。白い光に反射して彼女のキメの細かい白い肌が反射される。
築6年のコンクリートマンション四階、斜めに注ぎ込んでくる日光、リクルートスーツのスカートと汚れのない白いワイシャツに裸足の彼女。その顔は笑っていなかったが、潤んだ瞳が俺の目と重なった。何を意図してくれているのかまではわからなかった。ただ、俺はこの人に勢いで婚約してよかったなと確信した。
涼やかな風が足元から滞留している無駄な温度を抜いてくれる。甘い卵焼きで白米をかき込む。少しむせると味噌汁を飲んで、喉を潤す。
「急いで食べ立って体はすぐに治りませんよ」
行儀は悪いが、頬張って俺は食べる。
「こんなに温かい料理久しぶりでさ」
いつもこうやって続けばいいのにと永遠を望むにはあまりにも世界が破綻しすぎていた。終わりはすぐそばに近づいていた。