stagger
地球が残り一年で終わると半日前に宣告された。人生で初めて一目惚れをした。人生で初めてプロポーズをした。そして承諾された。嬉しさから倫理観が壊れそうになる。視界の外では国民が荒れ狂っていたが、俺のピントは彼女だけを捉えていた。
頭を軽く振って、邪魔な前髪を右に分ける。
「山田彗です。よろしく」
ゲームセンターの自動ドアの前で右手を差し出してきた。親指と人差し指の間、ヒレのようなところに絆創膏が貼られていた。傷口にあてがう部分以外は皮膚の色を模しているが彼女の白い肌には不釣り合いだった。身体は無垢である象徴だが確実に異物と捉えてしまう。一瞬、注視してしまうがさして気には留めないでおいた。
「よろしく」
そう言われれば自己紹介がまだだったな。俺も自分の名前を告げる。
「あの」
「ん?」
「実は私、帰る家がないので貴方の家に住んでもいいですか?」
いいよと了承する瞬間、頭一つ分背が低くくて、俺が見下ろす形で彗の顔を見る。彗は真顔だった。奇麗に澄んだ黒の双眸。でも中心部が濁っていた。コーヒーを淹れたら出てくる油のような汚れ。
頭の回らない俺には歳は近そうだしきっとそれなりに苦労の絶えない生活を強いられているのだなと思うことが手一杯だった。
「俺の家少し遠いけれど大丈夫?」
「あ、それは仕事の行き来で慣れておりますので」」
「じゃあいこっか」
少し悪いことをしている気分になる。
ドアが開くと列車から波の満ち引きのように人間が降りては乗り込んでくる。
揺れる電車の中。窓ガラスを貫いて鈍色の太陽光が背中に当たる。昨日までは職場と家を行き来するだけに使っていた電車。年季の入った薄いクッションはいつも尻が痛くなる。一定のリズムで車内が揺れている。俺の心臓の動悸も未だに落ち着いてはいない。
俺の隣には彗が座っていた。彼女は眠たそうに頭をこくりこくりと上下に振っていた。彼女の伸長に対し、ワンサイズ大きい半袖のワイシャツから染みのない白い腕が表に出ていた。
太陽の放射線は俺たちの背後で影が伸びる。二人のシルエットが目の前のガラスに反射する。横幅が俺の半分ほどしかない彗。全体的に彼女は細すぎる。
まるで触れれば壊れてしまいそうなほど儚い。
手を伸ばせば届く距離だった。安易な気持ちで彼女の手を重ねてみたくなる。ただの肉欲のくせに一丁前に愛に焦がれている俺が心のどこかで潜んでいた。
「はぁ」
俺はため息交じりの深呼吸をして気分を入れ替える。口約束の婚約で信頼は生まれていない。なにも考えず陽向を浴びれるだけで俺は満足だ。
周りに座る客も無言。エンジン音がけたたましく響く。反響するブレーキ音が遠ざかる。俺の家まではあと三十分はかかる。
人混みで窮屈な列車の中で遠くを眺める。俺が通勤で使っていたこの乗り物。もしかしたら俺はどこかで彗とすれ違っていたのかもしれない。地球が終わるから出会えた。そう考えると邦画のキャッチコピーでよくありがちで嫌だが、運命なのかもしれない。
蒸し暑い空間に適度に涼しい空気が入り込む。夏の澄んだ空気。俺は彗の安心しきった顔を見ていて意識が遠のく感覚に襲われた。
次に意識したのは暗い世界の中で自分じゃない誰かの心音だった。
地球が残り一年で終わると宣告された。なのに今日はここ一年で一番、心地よく眠れそうだ。来年死ぬのに明日も同じように満足した未来が見えてしまう。
恋愛編とでも称しておきます。
ながながと緩急のない話が続きますがどうか読んでいただけたら光栄です。