第16話 帰宅
無事街の視察を終えて、帰路についていた頃。
「森がやけに静かだな」
ぽつりとマーチェス様が呟いた。
「…言われてみればそうね、いつもならもっと魔物達が彷徨いていてもいいはずなのに」
「森に入ったばかりの時は普通だったと思うんですけどね… 」
「この魔物の不自然な動き…もしかしたら何処かで強力な魔物でも現れたのかもしれないな」
「強力な魔物…ですか」
「あぁ、新しくやってきた魔物がここら辺をテリトリーとして支配している可能性が考えられるな」
「ですが…街へ向かう時はそのような兆候は見られませんでしたが」
「…となると、魔力溜まりから新たな魔物が生まれたか。それとも魔力溜まりの魔力を吸収した魔物が進化した、とかも考えられる」
「ここまで魔物を追い払うほどの魔物となれば、相当大規模な魔力溜まりがあったと推測されますが…そんなものは」
「二人とも考えるのは一旦後よ。とにかく周囲を警戒しながらも急いで家に帰りましょ!何だかとても嫌な予感がするわ」
「あぁ急いで戻らねばな、レンジェルの事も心配だ」
「ええ、ですから急いで帰りましょ」
レンジェルの事を話しても冷静なピューリア様…これはよっぽどの事が起こっているのかも知れない、取り敢えずピューリア様の言うように急いで帰るべきだな。
こうして俺達は胸に不安を抱きながら帰路を急いだ。
ε=ε=ε=ε=ε=ε=┌(; ̄◇ ̄)┘
家に近づくにつれてジリジリと圧が増していくようなこの感覚。そして家まであと500mをきった頃には、ついには周囲から魔物の気配が完全に消え去った。
この先で明らかに何か不味い事が起きている、それは否が応でも感じ取れた。
みな無言でその歩を進めているが、頬からは大粒の汗が幾重も流れ落ちている。
「草花、木々が凄く生命力に溢れているわ…気をつけて、この先にこの現象を引き起こしてる魔物がいるはずだわ」
「環境を変化させる魔物…災害級の魔物か、それに近い奴がいるってことか」
災害級の魔物とは通常の魔物とは異なり、存在するだけで周囲の環境を塗り替えて自身のテリトリーを作り出す魔物の事だ。
当然通常の魔物とは比較にならない程の強さを有しており、過去に何度も国家を崩壊させてきたと記録にも残されている。
ゆっくりとゆっくりと息を殺しながら、じわじわと家が視界に入る距離まで詰め寄る。
家の側にはポツンと一本の木が生えていた。
「木が生えているな」
「えぇどう見ても木だわ」
「ただ…あの木からものすごい圧を感じます。恐らくあれがここ一体の環境を変えた原因でしょう。しかし何でまた家の前に…」
「災害級の魔物が何故ここに…なんて考えるのは後にしろリューマ。取り敢えず家は壊されていなさそうだな。家の中にレンジェルがいるかは不明だが…ピューリア、お前の残した骨から何か分かることはあるか?」
「残念ながら何も。みんなエネルギーを吸い取られたのか全く機能しないわ… 」
「そうか、ならレンジェルがあの家の中で倒れておる可能性がある。すでに何処かへ逃げているかもしれないが、突然出現したのであれば家にいる可能性は高い。…よし、俺とリューマで魔物の気を引く。その間にピューリアは家の中にレンジェルがいるか確認しろ」
「それは危険です!先に周囲を探してみた方が良いのでは?危険を事前に察知して何処かへ逃げている可能性も… 」
「俺もそうしたいところなんだがな、どうやらあちらさんは俺達の存在に気がついてるらしいぞ。さっきからずっとこっちを監視している視線を感じる。何故こちらへ攻撃せずに監視しているのかは不明だが、流石に俺達がコソコソ動き回っていれば襲いかかってくるだろうな」
「まだこちらを監視している今だからこそ、距離を詰めて家の中を探し回れる…て事ですか」
「あぁ、奴が本気を出せば俺達なんかすぐに殺されてしまうだろうな。だが警戒して様子を見ている今ならまだチャンスがあるとは思わんか?」
「確かにそうなんですけど… 」
「リューマ、腹を括りなさい。文句など後で幾らでも聞きますわ」
「わかりましたよ… 」
「俺とリューマで敵の目を引き、その間にピューリアが家の中を調べる。恐らく時間などほとんど稼げるとは思わない方がいいだろう……すまないが30秒で確認しろ」
「分かったわ」
「よし、10秒後に俺とリューマがここから飛び出す。タイミングを見計らってピューリアは家に向かってくれ」
俺とピューリア様は無言で頷き、全神経を集中させてその時を待つ。
己の心音だけが嫌でも耳に入ってくる。まるでこの世界には俺以外いないのではないかと錯覚してしまうほど森は静かだった。
…………
「行くぞリューマ」
「はい」
俺とマーチェス様は一気にトップスピードまで加速しながら、いつもより緑の匂いの増した森を駆け抜ける。
周囲にものすごいプレッシャーを放っている木は、俺たちが近づいたのにまだ何もアクションを起こそうとしていない。舐められているのか様子見しているだけなのか?
そのまま森を抜けた瞬間マーチェス様が懐に忍ばせていた煙玉を地面に叩きつける。
2個、3個とそのままどんどんばら撒いていき、視界が白く濁っていく。
「リューマ!集中しろ!気を抜くな!動き続けろ!魔力を常に全身に循環させとけ!」
「分かってますよ!」
ピリピリと張り詰めた空間の中を、雷の魔力を駆使して全身の筋を活性化させ素早く動き回る。
その時、突如として空気の流れが激しく……風か!
「マーチェス様!」
「何かくる!距離を取れ!森へ退避!」
マーチェス様の指示通りに全力で森へ向かって逃げようとするが、風がまるで川の上流の激流を思わせる勢いで荒々しく逃げる俺に襲いかかる。
風はあっという間に巨大な嵐の海の如き狂いようとなって、何とか踏ん張っていた俺を容易に呑み込んでいく。
くそ!周囲にしがみつける物もないじゃないか!
そのまま荒れ狂う風は進路を上に変え、天翔ける竜巻きとなって濁っていた空気を吹き飛ばした。
空へ投げ飛ばされた俺は、何とか魔力を足に纏って空気を蹴るようにして着地の衝撃を和らげた。
周囲を見渡しても、他の二人もどうやら無事のようだ。
…そしてあの竜巻きを起こしたとみられる木。そいつは、いつの間にか姿を変えており人型をした植物の魔物だった。