それにはお答え出来かねます
夜も更けてきた。小説家は自宅の書斎でラップトップPCに向かい仕事をしていた。そのとき電話が鳴った。担当の編集者からであった。
「お疲れ様です。今、よろしいでしょうか?」
「ああ、大丈夫だよ。でも、こんな時間にどうしたんだい?」作家は時計をチラリと見た。
「実は、問題が起こりまして……」
その口調に、ああまたかと作家は思った。「新作の事かい? ああ、そういえば今日が発売日だったね」
「はい、本日発売の号に掲載されました先生の作品が、その……また似た作品があるとの指摘がありまして……」
「またかい? あの短編は私の方でも事前に似た既存の作品がないかを調べたし、そちらでも調べたはずだろう?」
「はい。まったくその通りで。特に今回は人手もたっぷりと動員して時間もかけて調べたのですが……見落とすなど考えられなかったのですが」
「まあいいよ。過ぎてしまった事は仕方がない。またこの前の要領でいいんだね?」
「はい、申し訳ありませんがお願いします。回収には至らないという見解が社の方での結論となりましたので。謝罪文はこちらの方で用意して来月の号に載せる手はずになっております」
「わかった。よろしく頼むよ」
「先生にはご気分を害されることもお願いしなくてはならなくなるとは思いますが、なにとぞよろしくお願い致します」
そうして電話は切れた。小説家は、またいわれのない汚名を被らなくてはならない現実にうんざりとした気分になった。盗作など彼にとって一番許しがたい行いであったのに、悲しいかな今はその疑惑を自ら受けてしまっている。
「それにしても」彼は呟いた。「いったいどこにその作品は隠れていたんだ?」
時間は大きく遡り、舞台は昭和となる。ひとりの男が純日本風な家屋の部屋で鞣した動物の革を広げていた。かなり年代物の小さな家――要するにボロ屋だ――で、障子やふすまはあちこちがぼろぼろに破れ、畳はぼさぼさに毛羽立っていた。柱に手をかけて力を入れれば家全体がぐらぐらと揺れた。
畳の上に広げられた革には円形の不思議な模様が描かれていた。男がぶつぶつと唱えると、円形の模様はその形を保ったまま革から剥がれるように浮かび上がり、革から3センチほどの位置を保ったまま環形動物のようにうねうねと蠢いていた。やがて室内は暗くなり、完全な闇となった。電灯があるはずの場所が朧月のようにぼんやりと光の残滓を滲ませている。下を見れば、蠢き続けている円形の模様が赤黒く発光している。すると突然、映画のフィルムをぶつ切りにして無理やり繋げたように突然、部屋の真ん中に人が現れた。いや、恐らく人とはいえないような存在なのだろう。それは純白のスリーピース・スーツを纏い、国籍も人種も推し量ることが出来ない端整な顔立ちをした青年だった。
「もって来てくれたかい? ささ、早く渡してくれ」
男が両手を差し出して催促すると、現れたそれは高級レストランのボーイがメニューを見せるようなうやうやしく優雅なしぐさで手に持っていた本を差し出した。その本には2017年と発行年が記されていた。男は奪い取るように本を手にすると、ぱらぱらとその内容を検めた。
「よし、これだ。これなら使えるぞ。なんとかしめきりに間に合いそうだ。ありがとう助かったよ」
「お役にたてて何よりです。わたくしと致しましてはお約束のものさえいただければどんなご要望であろうともお応えするのを方針とさせていただいておりますので」
男は栞のようにペンを挟むと、本を机に置いた。
「小説のねたなんて、そうそうあるわけじゃないんだ。大概がすでに誰かが書いてしまっていて、もう残ってりゃしない。石油のように尽きてしまう運命さ」
純白のそれは、男の言葉を聞いているのかいないのか、身動きひとつせず表情をぴくりともさせずにただ直立の姿勢を保ってそこに居た。男は狭い部屋のなかをうろうろと動き回りながら、ひとり言のように言葉を続けた。
「すでに有る作品のアイディアを失敬すれば、いつかばれて作家としての人生は終わりとなってしまう。だけど、これから生み出される作品の、今後発表される作品のアイディアならばどうだろう? 我ながら実に素晴らしい発想だ。そうは思わないか? 誰もそんなことが行われているとは気がつきはしない。出来るとも思わないだろう。もちろん、僕にしたって君の力があって初めて成しえることなんだけどね」
男はそこまで言うと、突然立ち止まった。ときおり猫がするように天井のあたりの空間をじっと見つめたまま黙っていた。しばらくして男は口を開いた。
「もしかして……もしかしてだけど。君は以前にも、僕に呼ばれるずっと前にも同じことをしたのかい? 文豪と呼ばれている人たちの元にも行ったことがあったりするのかい?」
それは答えた。
「守秘義務にあたります。それにはお答え出来かねます」