任せろなんて簡単に言うものではない19
トオルの怒りが頂点に達してから数日後。
トオルは部屋にずっと閉じ籠る日々を続けていた。
食事は保存食で済ませているようで、最低限の用事以外では部屋から出てこない。
俺は心配しつつもスラウに稽古をつけたりという日々を送っていた。
スラウも気にかけてはいたが、個人の自由なので触れないようにしていたのだ。
しかし、こんな生活をいつまでも続けて良いわけがない。
……お節介だ、分かっている。
それでも放置するわけにはいかない……仲間として、心配だからな。
「トオル、いるか。開けないと強行突破をするぞ」
どんどんと扉を叩いても無反応。
仕方ないな、悪いが突入させてもらおう。
俺は事情を説明して貸してもらった合鍵を使った。
部屋の中は……酷いものだ。
散乱する書類、本、保存食の入っていた袋。
いくら温厚そうな宿屋を経営している老夫婦でも、これはキレるのではないかと思う。
そんな惨状の部屋の中心にトオルはいた。
髪はボサボサで目には隈があり、血走っている。
無理矢理入ってきた俺に対し、ものすごく不満を持っている顔だな。
「何が強行突破ですか。合鍵使って入ってくるなんて普通なのですよぅ。私は槍で扉をぶち破ってくるのではないかと、ドキドキしていたのに、期待を裏切られました。私のドキドキを返せなのですよぅ」
「槍でぶち破るなんてするわけないだろう。扉の修理費は誰が出すんだ」
「それはもちろん、ダットさんが自腹……ふぁあ、やばいのです。ダットさんと話していたら猛烈に眠気がします」
欠伸をして眠そうに目を擦る仕草を見ていると、トオルが既に限界を迎えていることがわかる。
……無理矢理、寝かせるために気絶させるべきか。
首元を圧迫すれば不可能ではない。
ただ、そんな手法を取るのはどうも手が進まないな。
そういえば、昔、猫と戯れていた時に使った手があった、確か……。
「ふぇっ、ちょっ、いきなり何を、セクハラですよぅ。離さないと慰謝料を請求するのです」
「良いから、寝ろ。安心して眠れるまでこうしているから……な」
後ろから抱き締めて頭を撫でてやる。
猫の場合はあぐらをかいて、出来た隙間に猫を入れて撫でてやったものだ。
この行為はセクハラとして訴えられるかもしれないが、効くはずだ。
俺が止めないと諦めたのか、トオルは大人しくなり、数分後には寝息が聞こえ始めた。
起きたら怖いが……今のトオルには睡眠が必要だ。
「全く、こんなに疲れた顔になるまで頑張るとはな」
寝ているトオルの頭を一撫でして、俺は呟いた。
寝顔は年相応の少女、もう少し早く強行突破をした方が良かったかもしれない。
「あまり、心配させるなよ、トオル」
寝ているのだから、伝わらないのはわかっている。
それでも、言いたくなったから言ったんだ。
こんなにも心配してしまうのは、トオルにどこか危うさを感じているからだろうな。
トオルをベッドに運びいれた俺はそっと部屋を後にした。
翌日、請求書を持ったトオルが部屋にやってきた。
「昨日のことはしっかり覚えていますよぅ。覚悟するのです。私に値切りは一切通用しませんからね。後悔したって遅いのですよぅ」
トオルは怒り心頭の様子で請求書を顔に押し付けてくる。
身なりは整っているし、健康状態に問題はなさそうだ、良かった。
「顔色が良い。充分な休息を取れたんだな。だが、まだ油断しない方が身のためだ。部屋に何日も引きこもっていたのだから、外に出て適度な運動を」
「話を逸らさないのですよぅ。私はダットさんが昨日行ったセクハラに関して抗議しているのです。逃げようったってそうはいかないのですよぅ」
「今日は天気も良いし散歩でもするか。気分転換にもなって、きっとトオルの悩みが少しは解決するだろう」
「人の話を聞くのですよぅ。大体、今の私には呑気に散歩する余裕なんて……ちょっ、離せ、離すのです」
聞き分けの悪いトオルを抱えあげる。
軽いな、ちゃんと食べている……いや、時折見せる食べっぷりは中々のもの。
問題は毎日食べているかだ、その辺はこれから俺やスラウが気を配れば良いか。
「スラウ、少し出掛けてくるから、留守を頼んでも良いか?」
「ああ、うん。わかったよ、ダットさん。えっと……いいや、いってらっしゃい」
「こら、私を横目で見てスルーするのを止めるのですよぅ。というか、助けて下さい。この人、人拐いですよーぅ!」
「わかった、わかった。……こうすれば大丈夫だな」
肩に担ぐのは嫌だったらしいので、おんぶにした。
これなら人拐いには見えないし、トオルも満足するだろう。
「わたしが言いたいのはこういうことではないのですよぅ。この請求書を……あれ、ないのです。さっきまで握っていた請求書が!」
「じゃあ、いってらっしゃーい」
スラウがハンカチの代わりにトオルが持っていた請求書をひらひらと振っている。
話している内にトオルから盗ったのか、相手の隙をつくスキルは向上しているようだ、安心したぞ。
「あーっ、スラウくん、いつの間に。ぐぐぅ……さてはこの二人、私が部屋に籠ってる間に連携の修行でもしてましたね。私の完敗ですよぅ」
諦めたのか、トオルが背中で大人しくなった。
「あの、すみません……負けを認めます、認めますから降ろして欲しいです……」
「そう言って逃げる気だろう。トオルが使いそうな常套手段だ。安心しろ、今日は俺がお前の足になってやる」
「いや、そういうことじゃなくてですね。この体勢で町を歩くのはちょっと……本当に許してください、ダットさん。もう引きこもったりしませんから」
「何を言ってる。許すも何も俺はトオルを心配していただけだ。怒ってるわけじゃないぞ。ただ、何事にも休息は必要だ。疲労が貯まった常態では満足な結果を得るのも難しい。これは戦いでも言えることで、昔……」
「話はちゃんと聞くから、降ろして欲しいですよぅ……。ところでどこに向かっているんです?」
「決めてない」
「へ……すみません。私を連れ出したのはダットさんですよねぇ。連れ出した本人が行き先も決めてないってどういうことなんでしょうか。意味がわからないですよぅ!」
背中からトオルの抗議が飛んで来る。
……トオルの言い分はもっともだ。
勢いのままに連れ出してしまった、心配だったとはいえ、これは良くない。
「連れ出したかったんだ。その想いだけが先行して今の状況になっている」
「いやいや、それは誘拐犯の台詞ですよぅ。捕まりたいんですか、ダットさんは。それなら喜んで協力します。今ならもれなく罪状に痴漢、不法侵入も付いてきますからねぇ」
「悪いことをしたかもしれない。それでも……」
身を削って仕事に打ち込むトオルを見ていたくなかった。
自分のやり方に口を挟まれるのは良い気分はしないだろう。
だが、俺にはそんなトオルの姿が痛々しかった。
自分勝手な俺の想いを押し付けて、実力行使する……最低だな。
「最低でも良い。雇用主を勝手に連れ出す用心棒なんて即解雇だ。だけど、今日は俺の我が儘を聞いてくれないか」
「……ふん、私は心の広い雇用主なのです。ダットさんやスラウくんに心配をかけさせたのも事実ですから……今日、一日くらいはダットさんのために時間を使ってあげても良いですよぅ」
「そうか」
ふと、思うことがある。
トオルは今どんな顔をしているんだろうか。
普段なら何かを誤魔化すような含み笑いをしていたり、眉間にしわを寄せていたり、はたまた年相応の少女と変わらぬ笑みを浮かべていたり。
俺の誘いをしぶしぶ受けたトオルはどんな顔をしているのか。
……しかめっ面かな。
背負っていたトオルを降ろす。
「お、やっと降ろしてくれましたね。安心して下さい。ここで逃げ出すなんて真似はしませ……どうしました?」
「……いや、何でもない」
特に変わったこともなく、トオルだった。
まあ、当たり前か、俺は何を考えているんだ。
「さあさあさあ! 全く、何も考えていなかったダットさんは私をどんな場所に連れていってくれるんですかねぇ。とても楽しみですねぇ。いやぁ、こんな何が起こるかわからなくて楽しみな休日は初めてですよぅ。期待しちゃいますねぇ」
……やっぱり、トオルはトオルだな。
「過度な期待をするな。女性を連れて歩いた経験なんて俺には……」
「またまたぁ。ダットさん程の人なら引く手あまたでしょう。よっ、色男!」
「……わざとだろ」
「えへへ、ばれましたか。まあ、楽しみなのは本当ですよぅ。外歩きなんて食事か資料集め目的ばかりですから。私の期待を裏切らないで欲しいですよぅ」
「善処しよう」
さすがに簡単に任せろとは言えないな。
……俺はトオルの期待に応えられるだろうか。
いや、不安になってる場合じゃない。
行動無くして結果は得られん、腹を括るべきだ。
連れ出した以上、責任を持たねばなるまい。
「よし、行くぞ」
はぐれないようにトオルの手を握る。
痛くならないギリギリくらいの力でがっちり掴んだ。
これではぐれる心配はない。
「えっ、い、いきなりですねぇ。ダットさん、大胆です」
「ああ、大胆に攻めてみようかと思う」
二人で楽しめそうな場所に案内してみるか。