ヒロインの力を思い知れ!
記憶を持ったまま転生とかすると、こうなりそうだよねって。
ヒロインのスーパー女神力には誰も勝てない。
シャロットは、優しく強い、女の子。
だから王子様と結ばれていればいいの。
悪役令嬢はとっちめられておしまい。
めでたしめでたし。
「満月……、明日は晴れるでしょうね」
私は格子越しから見える月の光を眺めながら、これまでの半生を思い返していた。
この世界はとある乙女ゲームの世界だ。
中世ヨーロッパのような世界観。
平民であり孤児だったシャロットがある日突然とある貴族の娘だと言うことが発覚し、礼儀作法を学ぶために貴族たちの通う学園に入学することから始まる。
このヒロインは最初は礼儀も作法もまったくわからない。周囲から馬鹿にされることは日常茶飯事だ。
そしてとあるイベントで、王族である攻略対象者にとうとう致命的な無礼を働いてしまう。けれど心優しい王子様はそれを許し、逆にヒロインの身を案じ、優しくしてくれて、それでさらに冷遇が加速する。
けれど、ヒロインは諦めない。必死に勉強にくらいつき、夜遅くまで礼儀作法について書かれた本を読みふける。社交界のマナーなどを先生に何度も質問しに行き、たった一人で社交ダンスの練習を誰も来ないであろう夜の寮の中庭で行っている。
ただ優しくされるだけではなく、努力し続けるヒロイン。彼女には才能はなかった。ただあるのは、実は親が伯爵だったという血統のみ。
生活が困難に陥っていたヒロインを救ってくれた親に感謝して、必死に伯爵令嬢として恥じないように生きるために、全ての知識に噛り付く。
その姿はある意味美しく、眩しく―――自然に、惹かれてしまうのだ。
社交界という華やかだと思っていた世界の闇を知っていくヒロイン。女同士の泥沼の戦いの中に踏み入れていくヒロイン。
けれど、どこまでも彼女は白かった。現実を知りながらも、汚い部分を知りながらも、人として気高く在った。それがどこか憎たらしく、けれど憧れずにはいられない。
少しづつたけれど、礼儀作法も身に付き、社交界でのマナーも、ダンスも、全てがその努力によって花開いていく。
普通の令嬢たちは幼い頃からレッスンが行われている。そんな彼女たちと並び立つには、並々ならぬ努力が必要だ。
このゲームでは、そういった血反吐を吐く努力を見せてくる。まあ言ってしまえばパラメーター上げだ。そしてそのパラメーター上げは、失敗の比率が多い。努力は必ず実るものではないということを突き付けているのだろう。
けれど、失敗しても確実に経験は詰みあがっていく。失敗の数に応じて、成功率も少しづつ上がっていく。
どんな乙女ゲームも、攻略対象が魅力的なのは当然だ。
でも、このゲームは主人公も魅力的なのだ。
ひたすら真っ直ぐで、歩みを止めることをせず、一つの目標に向かって妥協しない。困難なこと、くじけそうなことがあるけれど、諦めたりなんてしない。這い蹲ってでも前に進む。
傍から見たら泥臭く、けれど、そうして前を真っ直ぐ見つめる姿は、美しい。
そういうヒロインだからこそ、きっとみんなから好かれるのだろう。
――――私は、ローズ。悪役令嬢。明日処刑される、悪役令嬢。牢屋に入れられた哀れな悪役令嬢!
まあ、どうして処刑されるのかっていうと、あの子に酷い嫌がらせをして、さらには殺しかけたからね。うっかりと王子様もろとも。
ヒロインである彼女は、やっぱり私が見るこの世界でも、美しく気高かった。
もちろん最初は駄目駄目で、失敗ばかり。何度も嗤われて、馬鹿にされて、もう無理だと耳元で囁かれていた。
でも、それでも諦めなかった。
彼女は何一つ諦めない。彼女は何も知らない無知な娘だけれど、それでも何かを知ろうとする強さがあった。
馬鹿にされた相手にだって、わざわざ学びに行った。どこが悪いのか聞き続けた。自分の悪いところを直そうと、みんなから認められようと、必死に前へと歩み続けた。
それが気高く崇高な精神でなくてどうする。
目が眩むほどのまばゆさ。美しさ。
これが、主人公。
……悪役令嬢の私だけれど、いくらでも道を変えることなどできた。そもそも嫌がらせさえしなければ、こんなことにはならなかったに違いない。
でも、私はこの道を選んだ。
私自身が選んだ道だ。
例え誰に罵倒されようと、私はこの選択を後悔などしていない。
憎たらしかった。あの眩しい子だが、どこまでも綺麗な子が。妬ましかった。あんな風に在れない私が、何よりも嫌いだった。
希望なんて最初からない。絶望から這い上がる気力もない。
だから、憎悪のまま行動した。別に殺したって構わなかった。むしろ死んだら死んだで溜飲が下がっただろう。
私は、あんな風になどなれない。
私は、未来に期待なんてしない。
きっとすでに、絶望した『あの瞬間』からすべてが始まって、終わっている。
初めは軽く水をかけた。彼女に嫌味を言ったり、罵倒したりし始めた。取り巻きに命じて靴箱や机にゴミを突っ込んだ。彼女の悪評を流した。彼女を階段から突き落とそうとした。彼女が男に襲われるように街中にいた男に金を握らせてけしかけた。……等、いとまがない。ある意味原作以上に酷いことをしている。
そして極めつけに、私は彼女を倉庫に閉じ込めて、火をつけた。……誤算だったのが、助けに来たのは彼女を想っていた王子様で、その王子様にも酷い火傷を負わせてしまったことだろう。
いや、ある意味予定調和か。
結局彼女は死なず、彼女を殺しかけた私は裁判にかけられた。
直々に王様から厳しい言葉を貰い、婚約者だった王子からも散々怒鳴られた。まあそうだろう、王子は私という婚約者がいるから彼女を諦めようとしていたのに、その婚約者である私がこんな愚かなことをするのだから。
熱情に燃えた恋を諦めてでも、私と共に国を歩んでいこうと覚悟していたのに、そんな覚悟をあっさりと私は裏切った。
反逆者、だ。
間接的に王子も殺しかけたことになるのだから。
そのことは少しだけ申し訳ないと思っている。幼い頃から彼は優しくしてくれたのだ。自分の恋を諦めてまで、私を愛そうとしてくれていた。
彼も彼で美しい人間だった。真っ直ぐだった。だから、きっとヒロインに惹かれたのね。
私は貴方も妬ましかったと言ったら、悲しそうな顔で、全てを悟った顔で、こう言った。
『君は、なんで人の生き方自体を妬むのだ』
外面上は、私がヒロインに嫉妬してこんな事件を起こしたと思われているのだろう。だけど。
―――きっと、私が王子を愛していないことなどすでに御見通しだったのだ。
彼は頭がよく、そして見通す力にも長けていた。だからこそ礼儀やマナーなどすべてが完璧で、幼い頃から妃となるべく教育されていた私を尊重してきた。
でも、私の精神だけは見通すことが出来なかったみたいだ。それは王子にとって最大の誤算だったのだろう。
どこか歪な私の精神性に気付いていただろうに、その端をつかみ取ることが出来ず、きっと確証を得ないままここまで来てしまった。
救いたかった、とどこかで思ってくれたのだろう。散々私を糾弾した後、少しだけ苦しそうな顔をした彼の顔を見たらすぐにわかった。
王様になるにはある意味腹芸も必要だと思うのに、正直な人ね。
怒ってくれるということは、見放していないということ。でも世間はそういかない。王子様を殺しかけた私は、まああっけなく処刑という処断に。
人殺しの女。……実際には殺していないけど。
悪役令嬢のポジションらしく、私の家からも黒い情報が続々湧き出てるだろうし、私たちの血統自体が途切れ、断絶し、この国から名前ごと消えていくのだろう。
私は、明日死ぬ。
死にに行く。
―――嗚呼なんて悪役らしい最期!
残るはヒロインと王子様が結ばれてハッピーエンドね!
なんて幸福な結末でしょう!
めでたしめでたし。これにてお仕舞い。
「―――――ローズ様」
なのに、なんで出てくるの。主人公。
「あら、負け犬の落ちぶれた姿を見に来たの? 今まで散々な目にあってきたものね、貴女には私を罵倒する権利がある」
私は不敵に微笑みながらシャロットに告げる。
ここには光源が月明かりくらいしかない。だから、月の青白い光が窓に作られた格子から差し込んでくるのを唯一の明かりにするしかない。
幸いにも満月だったので、普段よりも明るい。
「見張りはどうしたの?」
「ローズ様の言う通り、貴方に仕返しをしに来た、って言ったら兵士の人は快く入らせてくださいました」
「あらそうなの、案外ザルね。……いえ、貴女の信頼の結果、というべきかしら」
「お褒めに預かり光栄です」
「……前みたいに無礼千万の言葉遣いはやめたのね」
「だってローズ様が貶してくるから悔しくて」
そう言って笑う彼女の笑顔は、下手くそで、いかにも作ったと呼べるものだった。
……まあ、そうでしょう。だってこの子は主人公だ。例えどれだけ酷いことをされた相手でも、明日死ぬとなるなら同情心がわくでしょうに。
「それで? 本当に私を罵倒しに来たの? だったらさっさと言うだけ言って帰ってほしいのだけど。あまり貴女と居たくないのよ。わかるでしょう? 私が貴女を憎んでいることなど」
「ええ、重々承知です。それをわかっていながら、私はここに来ました」
そう背筋をぴん、と伸ばして言うシャロット。私は石でできた硬い椅子から立ち上がり、同じく彼女に向き直る。
悪役令嬢としての最期の矜持だ。精々その言葉、ちゃんと聞き遂げようじゃないか。
「ローズ様」
「……」
青い、サファイアのような瞳。月の光に照らされて、とても美しい。
改めて見てもこの子は少し田舎臭くはあるけれど、優しい雰囲気の整った顔をしている。
そんな彼女に見つめられて目を逸らすことなど出来ない。から、同じように見返す。
そして、シャロットの言葉を待った。
「逃げませんか?」
「―――――は、」
聞き間違いか、と思った。
私は令嬢らしからぬ間抜けな顔で彼女を見る。
「だから、逃げませんか、と聞いているんです。ローズ様」
「な、にを、」
「ここから。そして処刑から。そのための手助けはします。アルス様も許可してくださってます。……まあ、私とアルス様二人だけの計画ですけど」
アルス様って、あの、元婚約者の、王子様?
ええと、なんで?
いきなりの思ってもみない展開に、私の頭は真っ白になる。思わず令嬢の皮が剥がれ落ちそうになり、それを慌てて取り繕う。
「初めは貴方を見て、未来の王女らしい気高い存在だと思いました。私の理想となりました。けれど、貴女に酷い嫌がらせをされるようになってからは、貴女を憎んでいたと過言ではない感情を抱きました」
「……驚いた。貴女もそんな感情を持てるのね」
「何を言っているのですか。私も人間ですよ?」
「そう。……そうね、貴女はどこまでも人間らしいわ」
「ありがとうございます」
「……褒め言葉だと受けとる時点で、その素直さはある意味美点なのね。忌々しいことだわ」
「私は人であることを誇りに思ってますから。……だから、人がするようなことを平然とする、貴女が怖かった。人間味があまり感じられない、貴女が得体のしれないものに見えていた」
「へえ、そこまで言えるようになったので。……なら、さっきのはやはり聞き間違いかしら?」
「いいえ、本心です。私はこの牢獄から貴女を出して、遠い国へと行ってもらおうとしています」
「……あの世、とかいう隠語ではなく?」
「そのままの意味で、です」
本当に、意味が分からない。
このゲームをプレイしていたから、この子の性格をある意味私はわかっていた。わかっていたつもりになっていた。
けれど、どうだろう。この状況は。なぜ、敵である私に、自分を殺そうとした女に、手を差し伸べようとしているのだろう。
「同情のつもり?」
「……否定しません。これが同情かと言われたら、私は違う、とは言い切れない」
「正直ね」
「でも、同情だ、とも言いきれないんです。私にとって貴女の存在は、腑に落ちない点が多すぎて、不明瞭でどうすればいいのかわからない」
「何言っているの。私は貴女を憎んでいたことに間違いはないし、殺そうとしていた自覚もある。貴女に恨まれる理由こそあれ、心を砕かれる理由など何一つもないわ」
「違います。……そうではないんです」
「なら何? お情けをかけて、人でなしの私を助けて、自己陶酔に浸りたいの? それで私が感謝して心を入れ替えると?
――そんなの侮辱でしかないわ。今更生き汚く媚び諂いたくなどない。私は私なりにプライドがある。死ぬのなら美しく死にたいわ、女ですもの。髪を振り乱して、死にたくないなどと叫ぶ姿を見せたくない。
だからもう納得したことなのに、こうして逃がそうとするなんて、どういった意図があってのことなの」
嘲笑う様に口元を歪ませながら彼女に向かって言い放つ。
シャロットは、表情を一つ変えず、決意したような顔のまま、私を見つめるだけだ。
それがどこか薄気味悪かった。
彼女が口を開くのが、どこか恐ろしかった。
「ローズ様、」
彼女が一歩だけ、私に近づく。
「なぜ 、処刑だと言われた時、安堵したのですか」
―――私は、一歩、後ろに下がった。
なんで。
私の取り繕っていた表情が固まる。
笑え、ここで嘲笑ってそんなことはないと言え。……口は、動かない。
薄々は感づいていたことだった。シャロットは少しだけど、王子と共通点がある。
それは人を見通す目に長けていること。
その人を見て、その人の人間性を見て、決して周りからの言葉に左右されない。その人の本質を見極める。
特に秀でている、というわけではないけれど―――彼女が、あまりにも真っ直ぐに人を見るから、わかるのだろう。綺麗な部分も、汚い部分も、目を逸らさないのだから。
「何を、言ってるの。ただ私はなるべくしてなった、と思っただけよ。証拠が掴まれたわけだし、どうしたって私は処刑から逃げられない。そう予想していたから落ち着いていただけ。別に、安堵したわけじゃない」
「嘘です」
「っ、何を根拠に、」
「だって、少しだけど笑ってました。私しっかり見てました。私を憎んで愚かな行いをしたのなら、責任は私が取るべきで、目を逸らすわけにはいかないって思って」
「……」
「だから、不可解だったのです。その安堵の笑みの正体について、気になりました」
そう区切って、シャロットは私を見つめる。
その目に映された私は、もう恐怖の感情しか頭に浮かばない。
すべてを見透かされているような、根源的な恐怖。
私の心が泡立つ。感情が荒れる。ぐるんぐるんと、思考回路が回る。爆発しそうになる。なにもわからなくなる。
剥き出しに、なる。
「……生きてほしい、と私は何故か思いました。なんでだろう、と一晩考えてわかりました。貴女は、生きることに絶望していた」
「……」
「なぜですか。貴女は恵まれていた。貴女を愛そうとしてくれている婚約者がいた。何も不自由などなかった。友人もきっと居たはずです。聡明な貴女なら、王女となる未来も見越して努力も欠かさずにしてきた。そこになんの空虚があったというのです」
「…………さい」
「腑に落ちなかった点は、そこでした。貴女はいつだって虚ろだった。生きる意志を感じなかった。
だって、人の目があるところで私を罵倒する。そんなの、王女になる人間としては恥ずべき行為なはずです。何度も周りの方から忠言されたことでしょう。貴女は周りに恵まれてきた。
なのに……なのに、それでも、人として恥ずべき行為を、止めることはなかった。そして最後には私にまで手をかけようとした」
「………るさい」
「ようやくわかりました。確かに、私を憎んでいたんでしょう、殺したかったのでしょう。それでも、本来の目的は違う。もっと違う。
ただ、貴女はどうなってもよかっただけだ。
貴女は、周りすべてを巻き込みながら自分を殺したかっただけだ!!」
「うるさい!!!」
私は鉄格子に自分の拳を叩き付ける。
化けの皮がはがれる、とはこのことを言うんだろう。今の私はひどく醜い顔をしているに違いない。
そんな私の姿を予想していたのか、シャロットは動揺しなかった。むしろ鉄格子に叩き付けた私の腕を掴んでくる。
手を振り払おうとしたけれど、予想以上に力が籠っていて、ふり払えない。
「貴女に、貴女に何がわかるというの。私のことを暴いて何がしたいのよ!
ええ、ええそうよ、そう、貴女の言う通り。全部正しいわ!
けれど、だからわかるでしょう! 私は望んでこの騒動を起こした! 女王になんてなりたくない、こんな家にいたくない、―――そもそも、こんな世界にいたくなんて、なかったのよ!
だったら、だったら思うでしょう! 周りに迷惑をかけて、周りに憎まれながら、周りすべてを憎みながら、いっそこの世界そのものに殺されてしまえば、ならもう、私はこの世界を憎みながら死ぬことが出来るじゃない!」
「そうでしょうとも、貴女の周りには優しい人が多かった。だから、憎まれて、罵声と憎悪の中で死ねたら、貴女自身も憎みながら死ぬことが出来るでしょう!」
「なら、なら放っとけばいいでしょう……! 悪役の私が死ねば、周りの人の溜飲も下がるわ。所詮私はもうどうあがいても、世間では悪女そのものなのよ。人殺しの人でなし。私も望んで、周りも望んでる。ならそれでいいじゃない!」
「でも!! 少なくとも、ここに一人望んでいないものがいます!!!」
そう言って、自分を指すシャロットが、本気で理解できない。
私は思わず言葉を失う。それから恐怖するように、ぽつりと呟く。
「……貴女、狂人なの?」
「あはは……そう言われるとは思ってましたけど、でも、仕方ないじゃないですか」
「なにがよ」
「だって、私は生きてます。アルス様も軽いやけどを負ったけど、生きてます。なら別にローズ様が死ぬ理由なんてないはずです」
「は…ぁ!?」
「これはアルス様も納得済みなので。つまり被害者二人が加害者を恨んでいないのならば、貴女を逃がしたって構わないはずです」
「……私が構うわ」
「今のローズ様は罪人なので、発言権はナシです」
「………」
なんだかどっと力が抜ける。膝が崩れて、冷たい床にへたりこんだ。
シャロットも同じように床にぺたんと座る。そしてにへら、と間抜けな平民臭い笑みを見せた。
ああもう、意味が本当にわからない。死ぬことを望んでここまで来たのに、最後に盛大に憎まれながら、憎みながらこの世界を呪って死のうとしていたのに、それなのに他でもない被害者である主人公が私を生かす、だなんて。
どんな馬鹿な話だ。やはり狂っている。
「……やっぱり、どう足掻いても、貴女は主人公なのね」
「主人公? 物語とかに出てくる主人公って意味ですか?」
「ええそうよ。……今から話すことは、ただの頭のおかしな女の昔話なんだけど、」
力なく私は笑った。
一呼吸おいて、続けた。
「幸せな家庭に居たの。家族がいたの。友達がいたの。ゲーム……いや、物語が好きだったの。特に主人公が王子様と結ばれる話がね。
でも、幸せの途中で、私は死んだ。
そしたら、違う世界に生まれ変わっていた―――いいえ、物語の中の世界に生まれ変わっていた。
しかも、物語の中の悪役令嬢の立ち位置に」
「悪役令嬢……?」
「そう、ヒロイン……貴女を苛める、性悪女」
あの時の絶望は覚えている。
悪役令嬢として生まれたことが、じゃない。
自分が死んだ瞬間の暗闇も、いきなり世界が変わった時の、頭がおかしくなったのかという、夢でも見ているのかという、あの現実味のない感覚を。
そして、それが現実だと思い知った時の、あのすべての色彩がざっと消えていくような、あの感覚を。
「どこを探してもね、住んでいた街がないの」
中世のヨーロッパみたいな風景が見えて、日本じゃないと確信した。
世界地図を見て、地球じゃないと理解してしまった。
「お母さんや、お父さん、お兄ちゃんがいないの。ゆいちゃんやまどかちゃん、はるちゃんもいない。みんなみんないないの。知らない人、ばっかり。
知らないお父さんと、知らないお母さんと、知らないお兄ちゃん。私の生きていた世界じゃない。私の家じゃない。私は、私じゃない」
だったら、それならば。
「そんなの、この世界を憎みたくもなるでしょう?」
―――しばらく、シャロットは黙っていた。
こんな突拍子もない話を聞かせたためだろう。多分自分の中で消化しているに違いない。
どんな思考回路をしているかわからないこの子は、きっとこの言葉をそのまま受け取るだろう。そして正しく知るだろう。私が死にたいと願いに足る理由が。この世界に呪いを吐き散らして死にたいと望む祈りが。
難しい顔で黙った後、ぎゅっと目を瞑り、……一筋だけ、涙を流した。
それを見て私は半笑いとなる。
なんで、貴女が泣くの。
「ローズ様が泣かないから、泣いただけです」
一筋だけ涙を零した後は、ちゃんと目を開けて私をそのサファイアの瞳に映す。
「貴女の願いは妥当です。確かに、そうなってしまえば貴女は死にたいと思うのも頷けてしまう。……けれど、だからといって私は貴女を死なせてやりたいだなんて思わない」
「……私に死の安寧をくれないの?」
「貴女は自分のことばっかりで知らないでしょうが、この国の花は綺麗なのですよ」
「へ?」
突然話が変わったかのように、花が綺麗だ、と言われて、私は一瞬頭が混乱する。
「この国の東に行けば昔の人が植えた木の苗が成長して出来た人工的な森がある。そこには可愛い動物たちがたくさんいるんですよ。
この国を出て西に行けば、綺麗な湖があるんです。透き通ったエメラルド色の魚が泳いでいて、伝説によれば海ではなく湖に住む人魚もいるとか。
南のずっと遠い国は熱い気候で、様々な果物が売られているんです。一度アルス様から贈り物の一つを分けて頂いたことがあるんですけど、みずみずしくて甘酸っぱくて、とても美味しかったんです。
北の山を越えたところでは、真っ白な雪が降るんです。ちょっと寒い場所ですけど、その雪原には洞窟があって、その中では凍った水で出来たまるで水晶で作られたような空間があるらしいんです」
「なに、いきなり」
「ローズ様、世界は美しいのです。貴女はこの世界に生まれて、まず最初に絶望しました。―――ならば、その眼がくすんでしまうのも、仕方ありません。
ほんの少し空を見上げるだけで、人は青空を美しいと思います。
けれど、貴女は世界の汚点しか見ない。
そんな生き方―――あまりにも、もったいないじゃないですか」
「そんなの、綺麗事でしかないわ。だってそうじゃない。貴女にはわからないじゃない。暖かい、幸福な家庭から、得体のしれない世界に飛ばされた恐怖なんて」
「確かに、わかりません。わたしも貴族の世界に入った時は、わけがわからなくて、怖くて仕方ありませんでした。その何倍もの恐怖をローズ様は味わったことでしょう。狂ってしまいそうになったでしょう。
でも、私と出会うまで貴女は気高く美しい女王のようだった。貴女は、世界を憎みながらも、それでも美しく立つことだって出来る強い人です。
これは私の我儘です。世界を憎みながら死んでほしくない。世界を恨みながら死んでほしくない。ただ、生きていてほしい。空を見て綺麗だと言えるような人になってほしい」
「……どうして、あなたをころそうとしたわたしに、そんなこと、いえるの」
「だって、貴女はどんな経緯があったにせよ、この世界に生まれた。この世界は貴女を祝福しているはずなんです。
けれど、世界は救いの手を出してはくれない。貴女は貴女のまま救われないでいる。
私が貴女の空虚を、絶望を、拭ってあげたい。そう思うのは傲慢でしょうか」
「……清廉潔白すぎて、私には貴女が狂人にしか見えないわ。私の殺意は本物なのに、それでも私を救おうとするだなんて、貴女綺麗事を極めすぎて思考回路が迷路みたいになってるんじゃないの」
「私はいつでも真っ直ぐですとも。そう生きたいって思いながら、毎日生きてます」
「……本当、ばっかみたい」
「ばかですよ、人間ですから。そして、ローズ様も人間です。悪役令嬢とか、そんないかにも悪役な役名じゃなくて、人間です。私と同じ人間で、これから先色んな未来があって、色んな綺麗なものが見れる、希望溢れた人間です」
「人間って、役名って……、ああ、もう、貴女は、もう」
私は思わず、顔を覆って笑い声をあげる。
ああ、もう、おっかしい。
そう思いながら、この世界で初めて心から笑った。
そして同時に、涙もボロボロと零れる。
真っ直ぐに生きられる人が妬ましくて仕方がない。
―――羨ましくて、たまらないの。
だってそうじゃない。この世界を呪って、呪って、呪って、呪い続けて、いつの間にかこんな高いところまできて、馬鹿やって、今にも突き落とされそうな崖っぷちだっていうのに、突然空中からヘリコプターが飛んできて『助けに来ました!』ってヒロインが縄梯子を掴んでこちらに差し出してるような状態。
そんな突拍子もないような行動で、人を救える。
利益も何も関係なく、そうしたいと思ったから、手を差し出せる。
聖人君子すぎて気味が悪い。
―――でも、きっとこれが主人公としての姿なのだ。
ひたすら努力して、前へと突き進んで、恋をして、幸せになる。
前の世界で私が憧れた主人公そのもの。
憧れたから妬んだ。妬んだから憎んだ。その眩さが、羨ましくて仕方なくて、そう生きられたら私も幸せなんだろうなって。
目の前に現れた時、その憎悪は爆発した。ただひたすら彼女だけを狙って攻撃した。
なのに、そんな被害者である彼女が、私に手を差し伸べるだなんて。
――――ああ、そうか。
世界は私を祝福していると言った。同時に、世界は救いの手を差し伸べてくれないとも。
じゃあ、今私に差し伸ばされている、この手は。
小さくて、白くて、ちっちゃな爪で、平民の仕事をしていたことから少し硬い、この手は。
間違いなく、神様の手、なのだ。
「………ごめん、なさい」
私は目の前の、その手に縋りつくように掴む。
「ひどいこと、いっぱいして、ごめんなさい……」
「しょうがないですね、許してあげます」
えへん、と胸を張る彼女が、私にはやはり、眩しすぎて目が眩みそうになった。
「シャロットには敵わないだろう?」
王子様が意気消沈している私を見て、得意げに笑った。
「殿下、貴方はこんなこと、許さないと思っていました。愛しい子だったのでしょう。その子を傷つけていた私をどうして許せるのですか」
「他ならぬシャロットが許したことと、お前自身が見るに堪えないくらい傷だらけだったことが、哀れだったからだ」
「直球ですね」
「彼女のまばゆさを、真っ直ぐさを俺だって妬んだことがある。彼女の人間としての強さは、豪華絢爛な装飾品よりも輝かしく羨ましいものさ。だから手に入れたくなって、ここまで惚れこんだ」
「わかりますよ。……ええ、思い知らされましたとも。主人公は本当に怖い。こんなご都合主義な結末までご用意するなんて、本当、わけがわからない。恨みも、呪いも、あっけなく受け止めてみせるその度量が本当、……羨ましい」
「ご都合主義か? 彼女にとったら予定調和だと思うがな。シャロットに関わった人間は、幸福になる」
「まさかそんな、……ありえない話でも、ないですね。幸福の女神ですか、……いいえ、デウス・エクス・マキナ、ということでしょうか」
「……なんだそれは? 聞いたことがないが」
「機械仕掛けの神様ですよ。神様が出てきて全部解決した、所詮予定調和。主人公の呪い。どうあがいても、彼女の引力は世界を動かす。どうせ私も世界の一部なのだから、―――もう、彼女に勝てるはず、なかったんです」
「よくわからんが、シャロットは神様でもなんでもなく人間だよ。とんでもなく優しい、人間だ」
「……そうですね。………ここまで送ってくださり、ありがとうございます」
「ここまででいいのか? 国境にはまだ遠いが」
「一人旅をしてみますよ。今頃は一人罪人を逃がしたことで混乱しているでしょうし。……本当、私は貴方たちの慈悲深さは狂ってるとしか思えませんよ。人がいいを突き詰めるとそうなるんですかね」
「もともと処刑自体がやりすぎな措置だったんだ。俺の火傷も軽かったしな。ただ、シャロットを殺そうとしたことは一生許すことはないが、まあ、俺の知らないところで幸せになってみろ。
今まで不幸でしかなかったお前の人生なら、そのくらい許されてもいい」
「……身に余るお言葉、です」
「そうか。……それでは俺ももう行く。シャロットも待っているようだしな」
「はい、ありがとうございました。……あ、そうだ」
「ん? なんだ」
「空って、こんなに青くて、綺麗だったんですね」
そんなことを呟くと、王子はシャロットと似たような顔で笑った。
「ようやく気づいたのか。世界は美しいんだよ、ローズ」
最初の段階ではローズは死ぬ予定だったんですが、ヒロインに熱を入れすぎて、これじゃヒロインはローズを救えるな、と方向転換しました。
本来は自分の前世を語ってから、だからこそここで悪役として死ぬことを選ぶつもりでした。ローズにとってある意味死は救済でしたし。
でもシャロット的には『死を救済とするのではなく、もっと世界に目を向けて、貴女は本当に世界から呪われているのか思い返してほしい。世界は貴女を祝福するはずだ。それを貴女がわからないのは、きっと世界の綺麗さまでも目を逸らしているからだ』って感じなので、ヒロインらしく救ってあげました。
悪役令嬢:ヒロインが羨ましくて妬ましくて仕方なくて嫌がらせを行ったり殺しかけたりした、本当は一番ヒロインに憧れてた加害者。なんで許してくれるのか意味わからないし、最後までわからなかったままだけど、圧倒的女神力に絆されるしかなかった。自殺願望を持ってたけど、あまりにも周りの人がいい人ばっかりなので、最後にこの国を盛大に荒らし、自分を憎んでくれたら自分も憎めるだろう、と随分自分勝手な持論を展開。そんな持論もヒロインに打ち砕かれた。国を逃げてからはもっと世界の美しさを見つめてみる。死ぬことはいつでもできるので、まず生きてみよう。
ヒロイン:悪役令嬢の被害者。そして圧倒的女神力を持つヒロイン。苦しんでいる人間は総じて救われるべきと本気で思ってるし、その祈りを行動原理にして突拍子もないことを行ってみんなを本当に幸せにしたりするどうあがいてもヒロイン。加害者であるローズを許せるのは少し異常に感じるかもしれない。綺麗事に思われるかもしれない。けれど、綺麗事も、理想論も、本気で突き詰めればいつか本物にだってなる。それを体現する主人公。
王子様:ヒロインの女神力に籠絡した。だけどいつか王になる身として、この恋は叶えず、王女として最も相応しい能力を持ってる悪役令嬢と共にこの国をおさめて行こうと思っていたら裏切られた。悪役令嬢の魔の手からいつもヒロインを護ってきたのはこの人。ヒロインを殺しかけたことは許さないが、生まれてから今の今まで苦しみ続けたのだから、せめてこれからは幸せになってもいいよ、と言える男。ヒロインを殺しかけたことは一生許さないが。