中
「ご、ごめんなさい。取り乱しちゃって…」
相楽は赤い目をこすりつつ鼻声で目の前の男女に詫びる。
「…」
「平気平気!仕事柄こういうのには慣れてるしね!」
冷めてしまった紅茶を温かいものに黙って取り替えてくれる山田と、気遣うようにわざと明るく言う田中の優しさに対し自然と笑みをこぼす相楽。
「さてと。相楽ちゃんも落ち着いたみたいだし、新しい紅茶も淹れた。…相談内容を詳しく聞こうか」
新しく淹れて貰った紅茶を一口飲み相楽に話を促す。
「えと…。初めに右手に違和感を感じたのは二カ月くらい前なの。でも、その時は動かそうとした時に一瞬動きが鈍くなる程度で…回数的にもそんなに頻繁に起こらなかったし気のせいかと思ったんだけど。」
本人たちの実年齢は分からないが、見た目的に年が近いことと先ほど取り乱し素をだしたこともありすっかり敬語が抜ける。
しかし二人はそんな相楽の様子を気にすることもなく黙って話を聞いていた。
「一ヶ月くらい前に急に右手が少し震えるようになってきて。動きも鈍いし感覚もあまり感じなくて。気になって病院に言ったんだけど特に異常は見られないって言うから少しすれば治るのかなってその時は思ってた。」
でも…と相楽は続けるとおもむろに右手の裾を捲りあげ肌をさらす。
それを見た瞬間二人の目が一瞬見開いたと思ったら細くなった。
かちゃんと田中がティーカップをソーサーに置く音がする。
相楽の右手首には紐が巻きついたような紫色の痣が肘までわたって残されていた。
「この変な痣が出来てきたの。怖くなって神社にも言ったけど悪い気配は感じないし、何か妖が憑いているわけでもないって言われて…」
「右手に痛みはないんだよね?」
「うん。少し震えるのと、感覚が鈍いだけ」
「腕の方に不調は?」
「今のところは右手だけ、かな?」
「そう…。ご両親に相談はした?」
「ううん。初め病院に行く時はしたけどこの痣が出てきてからは怖くてしてない」
そっか。
田中は短くそういうと小さくため息をつき再び紅茶に口をつける。
「治るかな?」
質問していた田中が急に黙るその様子を見て、不安げに呟く相楽に慌てたように言葉を続ける。
「あぁ!ごめんね、不安にさせちゃって!!治るよ、治るから相楽ちゃんは安心して良い!」
力強く言われたその言葉に相楽は安堵の表情を浮かべる。
相楽の表情が良くなったのをみた田中はさらに言葉を続ける。
「えぇっと、一応相楽ちゃんの右手に何が起きたのかはわかるんだけど、原因聞きたい?」
「ぜひ」
田中の質問に素早く答える相楽。
だよねぇーと小さく笑うと田中は説明を始めた。
「実は相楽ちゃんの右手、正確には右腕なんだけど。そこに憑き物が憑いてる」
「えっ??で、でもお祓い頼んだ時には何も憑いてないって…」
「あぁ、ごめん。僕の言い方が悪かった」
えぇっと、なんて説明すればいいのかなぁ…と相楽にも分かりやすい様言葉を探す田中。
その間、山田は口を出さずにじっと田中と相楽の様子を傍らで見ているだけだった。
「世の中にはさっき相楽ちゃんも言ったように憑き物がいる。例えば妖怪とか疫病神が人や動物にとり憑いたりとかね。そういうのはお祓いでどうにかなるんだけどそのカテゴリに含まれないモノがいるんだ。
ソレらは妖と分類できるものなのか…よくわからない。もともと僕には妖の知識なんて皆無だしね。僕らがただわかるのはソレらは人にとり憑いて何らかの影響をもたらすということだけ。
だからソレらを区別する名前がないから勝手に僕らで憑き物と呼んでいるんだ。
紛らわしくてごめんね…えぇっと、理解できるかな?」
苦笑し、人さし指で頬を掻きながら問う田中。
「…でも、人の常識として理解不能なモノであれば妖怪として定義してもいいんじゃないかな?」
「あ、妖怪について調べてるんだ」
「うん。…手がこんなになっちゃったからね。何か情報はないかなと思って」
「そっか…。
でも、そうなると神社の祓い人の見えているものと僕の見えているものが異なるのは何故だろう。どちらが見ているものが妖怪なのか。それとも、どちらの見ているものも妖怪なのか、またはその逆か…僕は自分が何か異常な物が見えていることを知っているけれど祓い人にそれを証明することはできない。もちろんそれ以外の人にもね。
相楽ちゃん自身に不可解なことが起きていて、僕がそれを言い当てたからこうして話して貰える立場になったけど…それも当事者だから信じられることだ。
それとは逆に祓い人が本当に何か見えているのか僕には全く分からない。向こうも証明の仕様がないからね。
とにかく扱うモノが違うんだよとしか僕には言えないかな…世の中不思議なことだらけだね」
君の身に起こった現象も、僕の目に映る事象も。
最後に小さく呟いて言葉を締めくくった田中は気を取りなおすように両手をぱんっと叩いて言う。
「じゃあ相楽ちゃんに説明も終わったことだしさっそく消滅させちゃおうか、ソイツ」
田中はにっこり笑うと相楽の右腕を指差し言った。
「…そういえば、田中君には私の右腕に痣以外の何かが見えるみたいだけど、何かいるの?」
相楽の素朴な疑問に対し田中は答える。
「よくぞ聞いてくれました、相楽ちゃん!!これからソイツを消滅させるのに重要なことだからね。よぉく聞いておくように特に山田!!!」
テンション高めで山田を指差す田中。
山田はそんな田中を嫌そうな顔で見つつ指された指を払う。
「人のこと指差さないで下さい。きちんと話聞いてますから」
「山田は会話にあまり入ってこないから時々聞いてるのか確認取らないと不安になるんだよ。嫌なら相槌なりなんなりして自分の存在をアピールして」
ははっと笑いながら山田の苦情をサラっと受け流す。
「では、相楽ちゃんの質問に答えようか。僕が見えているのは黒い蛇だよ」
「蛇??」
「そう。真っ黒な蛇。それが相楽ちゃんの腕に絡まり憑いているんだ。…あの痣のようにね」
大きさや太さはあの痣から推測できるくらいだよ。瞳の色は黄色。左目はつぶれてしまっているね。
すらすらと相楽の右手の不調に繋がる諸悪の根源について説明し出す田中。
なぜそこまで詳しく説明するのかと思いつつも静かに聞いていた相楽だったが山田の方へふと目を向ける。
すると山田は何かをイメージするかのように瞳を閉じて田中の説明を聞いていた。
「どうかな、山田。イメージできないようであればスケッチするけど…」
「いえ、その必要はありません」
田中の提案にきっぱりと答えた山田はそっと硬く閉じられていた瞳を開き小さく呟いた。
――― 捕えました
その瞬間、山田の右手には青白く光り輝く日本刀が握られていた。
黒髪美少女が綺麗に光る日本刀を持ち佇むその姿はひどく絵になるものだったが目の前で急に起こった出来事に相楽はひどく混乱した。
「え、ええぇぇぇっ!!!!
今まで山田さんそんなの持ってなかったよね!?隠し持つにしても大きすぎるよね!!?え?なに??山田さん、銃刀法違反!!?」
相楽は大きく動揺を見せると、山田の持つ日本刀らしきものを指差して田中に問うた。
「あははっ!世の中は不思議なことでいっぱいだからね!!」
田中の返事は相楽にとって全く回答になっていなかった。
「これでいけそう?山田??」
「はい。今回名前は必要なさそうです」
田中と短く会話をした山田は相楽の方へと目をやる。
「相楽さん。そこから決して動かないでください」
何が何だか分からないが山田の持つ物騒な武器と真剣な表情からひたすらに首を縦に振る相楽。
そんな相楽の様子を見た山田は小さく頷くと右手に持っていた日本刀の切っ先を相楽の右腕に向ける。
「…え?……まさか、冗談ですよね?山田さん??」
「いえ、本気です。相楽さん」
顔を真っ青にして聞く相楽に真顔で冷静に返答する山田。
田中はそんな二人の様子を面白そうににやにやと見ていた。
「(う…うそでしょ?右手の相談に乗ってもらいに来たはずなのにどうしてこんなことに…)」
右手どころか全身が小刻みに震えだす相楽。
右手に持っていた日本刀に左手も添え本格的に構えをとり狙いを定める山田。
「(も、もうだめかも…)」
涙目になりつつ日本刀を見ていられなくなった相楽が目を瞑ったその瞬間、右腕に強い衝撃が走る。
相楽は自身の右腕辺りから低くかすれた声の悲鳴を聞いたような気がしたが、そのまま意識を手放した。