武闘大会
6.武闘大会
手も足も出ない惨敗から早二ヶ月。オルア達は、ガルの愛馬である象の様な巨馬ドラガンと、皆で協議の上名付けられた駿馬マルスの背に揺られて次の町へとたどり着いた。
廃墟から遥か南にある町、カントの大通りを歩きながら一同は辺りを見回す。
「凄い賑わいね!何かあるの?」
町の規模から想像する以上の人の多さに、ミンクが驚いた様に叫ぶ。すると
「あれを見てみろ」
そう言ってガルが町の中心部を指差す。そこに見えるのは…
「何だ、アレは?」
「…闘技場、かしら?」
「その通り!」
ガルは振り返ると、嬉しそうな声で二人に説明を始めた。
「あれこそは三年に一度、世界中の強者が集い、その腕を競い合う聖地だ!いつかは参加してみたいと思っていたのだが、なかなか都合がつかなくてな。しかし何という運命の悪戯!たまたま立ち寄った今の時期、丁度武闘大会が開かれるって話だ!だから俺とオルアの分早速登録しておいたぞ!」
「ふーん…ってナニぃっ?」
突然の事に驚くオルア。しかしガルの言葉は冗談では無かった様で…
三日後、オルアはガルと共に闘技場前の広場に立っていた。その周りには数え切れない程の様々な男達、それに混じって中には女剣士、更にはかなりな御老体の姿も見受けられた。
「まぁそんなに気負うな。お前なら予選なんか楽勝だ」
落ち着かなげに周りを見回すオルアと対照的に、ガルは楽しげに笑う。ふと見回したオルアは、自分達の周りにだけ妙にスカスカな事に気付いた。
「なぁ、俺達の周りだけ隙間が…」
「そりゃあどいつも俺が怖えんだよ」
オルアが言い終わる前にガルが答えた。確かに良く見ると、周りの連中は一様に警戒の眼差しでこちらを見つめている。
「言っちゃ何だが、お前は見た限りじゃ全然強そうに見えん。俺やスティング位の腕利きなら見た目に騙される事も無いが、ここに集まった奴等は見た目で強さを測る未熟者揃いって事だ。だから真っ先に弱そうなお前を狙って来るだろう」
「…え?」
「だが安心しろ。俺様が必殺技を考えて来たからな!」
そう言ってガルは豪快に笑う。オルアはその姿に、頼もしさ以上に何故か薄ら寒い恐怖を感じた。
それから数分後、闘技場の前に建てられた壇上に一人の男が立つと、口に拡声器を当てて叫び出した。
「えー、お集まりの皆様…」
と思った瞬間、いきなり言葉を切る。
「…何だ?」
「さーて、どうやら噂は本当らしいな」
「噂?それは…」
オルアが何か言おうとした正にその時
「では皆様、周りの方々をブッ飛ばして下さい♪」
壇上の男が告げた。同時に集まった全ての猛者共が雄叫びと共に暴れ始める。そしてガルの予告通り周りの数人がオルアに襲い掛かって来た。
「…っ?」
驚きのあまり立ち尽くすオルア。すると
「とりあえず、剣を抜け」
傍らでガルが言う。
「あ…ああ」
ハッとした様にオルアが剣を抜くと…
「口は閉じておけよ」
ガルはそう言うが早いか、その巨大な手でオルアの両足を掴み、事もあろうにオルアの身体ごと振り回して回りの連中を吹き飛ばした。
「ふんぎゃああぁぁぁーーーっ!」
何か言おうにも、言えない状況が果てし無く、と言っても実際には数十秒の出来事だったのだが、とにかくオルアにとってはいつ果てるとも解らない状況が過ぎ去った後…周りには、ぶちのめされた哀れな輩が無数に転がっていた。更にはオルアもガルの足元に転がっていたが、暫くして
「…やり…方を…考え…ろ…よな」
かなりフラフラとしながら、何とかオルアは立ち上がった。
「おお!流石にくたばらなかったか?予選突破ついでにお前も消えてくれりゃあ楽が出来ると思ったんだが、そこまで上手くは行かねえか!」
そう言ってまたもや豪快に笑うガルを見て、オルアはついさっき感じた恐怖が、決していわれの無い物では無かった事を理解した。まあ、今更と言えばそれまでだが。
再び壇上の男が口を開く。
「さて、あらかた片付いた様ですね」
その声に辺りを見回したオルアは、先程まで数え切れない程いた猛者達の殆どが地べたにつっぷしていることに気付き、呆気に取られた様な顔でガルを見上げた。
「丁度十六人か、いいじゃねえか」
同じく辺りを見回しながらガルはそう言った。その言葉を確認するかの様に、再び辺りを見回したオルアが立っている人数を数えると、確かに都合よく十六人の強者達が立っていた。
「トーナメントにはおあつらえ向きの人数じゃねえか!」
ガルの言葉に答えるかの様に、壇上の男は残った面子に告げる。
「さて、今立っている皆様は、見事ここから先に進む資格を得ました!」
その言葉と同時に背後の巨大な門を指し示す、すると轟音と共に、巨大な闘技場の門がゆっくりと開いた。
「ではご入場下さい!選ばれし戦士達よ!」
促す様に壇上の男が告げると、残った参加者は闘技場の巨大な門をくぐって行った。
「よくぞ参った、世界中から集いし選ばれし強者共よ!」
闘技場へ入ったオルア達の前で、老いたりとは言えいまだ元気溌剌と言った感じの老体が大音声で迎えた。
「まだ生きてたんだな」
ガルは呆れたように呟くと、オルアに向かって説明を始める。
「あの爺さんの家系はな、代々百年以上もこの地を治めている領主なんだ。初代の頃から強い奴らの戦いを見るのが何よりも好きで、それがこの武闘会の由来な訳だが…それよりもあの爺さん、もう二十年以上前から爺さんだった様な…まぁいいか」
そんなガルの疑問はさておき、残った十六人は早速決勝トーナメントの組み合わせ抽選のクジを引かされる事となった。そして…
「俺は…十五番だ」
「お、じゃあ決勝まで当たらねえな?」
ガルの言葉通り、オルアとガルは互いに最終戦まで進まない限り再戦は無い組み合わせだった。ガルは周りを見回しながら更に言葉を続ける。
「まぁ、要注意人物はアイツと…奴は?」
ガルが目を止めたのは、ガルに匹敵する程の巨漢と、そして拳法着に身を包んだ弁髪の男だった。
「…ああ、あの巨漢は見た目通り強そうだけど、あの細い奴…只者じゃ無いな」
ガルの言葉にオルアは頷く。しかし幸いな事に、二人とも初戦の相手はそのどちらでも無かった。
初日の試合は、残った十六人を半数に減らす八試合だったが…
「…もう終わりかよ」
「ま、こんなモンだろうな」
オルアもガルも、かろうじて予選を勝ち上がった程度の相手だった為、正に秒殺で試合を終わらせてしまった。ガルが気にしていた二人も、秒殺…と言うよりは瞬殺とも言える速さで初戦を終わらせていた。そして武闘大会第一日目が終わる。
「よお、お互い初戦突破に乾杯!」
ご機嫌な声でガルがジョッキを空ける。オルアも負けずに、と行きたい所だったが、下戸のオルアは食べる事に集中し、ガルの相手はミンクが勤めた。そんなノリで祝勝会は終了し、大会も二日目を迎えた。とは言えこの日は単なる二日目では無く、残った精鋭八名の中から一気に優勝者を決める大事な日だったのである。
「さーて、ここからが本番だぞ!」
ガルの檄に応える様に、オルアは力強く頷いた。
流石に世界中から集まった強者の中から一番を決める大会だけあって、決勝トーナメントともなればその賑わいは想像を絶する物がある。会場へ向かう途中でもそれを感じていたオルアだが、いざ闘技場の中へ入ると
「…!」
あまりの歓声に思わず立ち止まり、周りを見回した。昨日の賑わいも相当な物だと感じていたのに、今日のそれは昨日を遥かに上回るものだったからだ。
「オイ、こんなんでビビってちゃ今日は勝ち残れねえぞ」
立ち止まったオルアを小突きながらガルはからかう様に言う。すると、更にその背後から声がかかった。
「おいおい、さっさと入ってくれよ?後がつかえてるんだ」
思わず振り返るガル。その眼に入ってきたのは…
「よお、お前さんとは是非手合わせ願いたいと思っていたが、どうやら今日その願いがかないそうだ。その時は宜しくな」
快活に笑う男、それはガルが昨日要注意と言っていた巨漢だった。実際並んでみるとガルよりも頭一つ大きいのが判る。更にはその後ろにもう一人の要注意人物、細身の拳法家の姿もあった。
「俺はここの領主に仕える、言わば用心棒みたいなモンだ。ここ数年俺の相手になる奴がいなくて我が主人は非常に退屈している。そこへお前さんみたいなとんでも無い奴が現れたって寸法だ!予選での暴れっぷりは我が主人も大層お喜びだったのでな、我らが直に戦うとなればその喜びもひとしおだろう!ではまた後でな!」
巨漢はそう言い残して先に進む。
「ほう、俺の真正面に立ってあれだけの口を叩いた奴は初めてだ。予想以上の強者かもしれん」
感心した様に呟くガル。オルアも一緒になって巨漢の後姿を見送る。すると
「…アイツ、いつの間に?」
思わず驚きの声を漏らすオルア。それと言うのも、先程まで巨漢の背後にいた筈の拳法家が、いつの間にか巨漢の遥か前を歩いていたからだった。それに気付いたガルも、驚いてオルアに視線を向ける。
「こりゃあ、俺が決勝でリベンジするのも楽じゃなさそうだ」
「ああ、少なくともあの二人は只者じゃ無いし、他の連中も強そうな奴ばかりだ」
「だからこそ、参加したかいがあるってもんだろ?」
「…ああ、その通りだ!」
不敵に笑うオルア。その姿を見下ろしながら、ガルも小さく笑った。
「さーてご来場の皆々様!大変長らくお待たせ致しました!これより、大武闘会予選及び第一回戦を勝ち残った精鋭達による、最強の戦士決定トーナメントを開始致します!」
既におなじみとなった壇上の男が、超大型の拡声器で告げる。と、同時に闘技場を埋め尽くした観衆から、まるで地鳴りの様な歓声が沸き起こった。先程の数倍以上の歓声に、オルアはまたもやびっくりするが、今度はうろたえずに腕組みをしたまま、じっと立っていた。その姿を見下ろしながら、ガルはまたもや小さく笑う。
「どう、二人とも決勝まで残れそう?」
控え室に戻ったオルアとガルの前に、いきなりミンクが現れた。
「ミンク?こんな所でなにやってんだ?」
「ん?参加選手の関係者って言ったらすんなり入れたわよ」
「そうなのか?まあいいけど…バーンはどこに行ったんだ?」
「あ、あのコは特等席確保しとくっ、て言って飛んで行ったわよ」
「そうか…って話し込んでる場合じゃない!ガルの出番だぞ!」
そう言いながらオルアは選手控え室からのみ通じる観覧席へと向かった。すると
「オルア、遅かったギャ。ガルの試合がもう始まるギャ」
不意に頭上から声がする。オルアは目の前の空を見上げるが、雲ひとつ無い青空が見えるばかり。更に身を乗り出し、窓枠から上半身を出したオルアは、その枠の上にバーンの姿を認めた。
「お前、そんな所で何を…」
「あら、確かに特等席ね!」
「ここならよーく観えるギャ!あ、ガルが出てきたギャ!」
バーンの言葉にミンクも身を乗り出してオルアの隣に並んだ。
「ガルの相手は…戦士?ではなさそうね」
「ああ、何か魔法使いみたいな雰囲気だな」
「武闘会なのに魔法使いが出るのかギャ?」
そう言って顔を見合わせる三人に、例の巨漢が背後から声をかけた。
「君は、参加しておいてそんな事も知らなかったのか?この大会は単なる武芸を競う大会では無い。この世のおよそ考えられる戦闘術であれば、それが武芸であれ魔術であれ、あるいは特殊な薬を使った物であれ、全てが認められている。但し、一対一の戦いに限定されるがな。それ故この大会の勝者は、一騎打ちならば正に世界最強と言えるのだ!」
巨漢は力強くそう言うと
「まあ、それはさておき、あのデカイの…ガルと言っていたな、君達の連れだろう?俺も正直気になってはいたんだ。ここはじっくり観戦といこうじゃないか。おあつらえ向きに彼の相手はシュナイダーと言う火炎の呪文使いで、前回の準優勝者だ。互いに相手にとって不足はないだろうからな」
巨漢はそこまで言うと腰を降ろし、会場で対峙する二人に真剣な眼差しを向けた。オルア達も一斉に会場へ目を向けると、今まさに壇上の男が、向かい合う二人を観客達に紹介しようとしている所だった。
「さーてまずは第一回戦を戦う強者二人を紹介しよう!まずは」
男はそう言ってまず右手を差し出す。
「予選で一番目立っていたのは間違いなくこの大男!真紅のいでたちに加え、味方を棍棒代わりに振り回す極悪非道!正に赤鬼と呼ぶにふさわしい!はたしてその巨体から繰り出されるのはいかなる技か誰が知る?正に第一回戦を飾るに相応しい!地獄の赤鬼ガルの登場だ!」
ノリノリの紹介に観衆はまたもや興奮の面持ちで叫ぶ。しかし男はそれを制すると、今度は左手を挙げて対戦相手の紹介を始める。
「しかーしっ!相手が赤鬼だろうとこの男は決して怯んだりはしない!覚えている方々も多いことでしょう!前回の決勝戦でのあの激戦を!この男の繰り出すのは剣でも槍でも無い、紅蓮の炎だ!いかなる強敵も焼き尽くす業火は、果たしていかなる結末をもたらすのか?赤鬼退治は俺に任せろ!煉獄より来たりし火炎の魔術師、シュナイダーッ!」
再び湧き上がる歓声、しかし
「昨日…しっかり見られてたのか」
予選での事を思い出してオルアは肩を落すが、ミンクは大笑いしながらその肩を叩く。
「良かったじゃなーい!オルア覚えててもらえたみたいよ?でも棍棒って…ぷっ」
「…うるさい、ちっとも嬉しくない」
「あ、始まるよ」
「お、そうか?」
気を取り直したようにオルアは身を乗り出す。同時に試合開始の銅鑼が鳴り響いた。
互いに対峙したまま動かない状態が数秒続いた。様子を探っているのかと思った次の瞬間
「来ねえのか?じゃあ俺から行くぜ」
不意にガルは言葉を発すると、大きく一歩踏み出す。と見えたその瞬間
「速いっ!」
オルアの背後で思わず巨漢が声を漏らす。
その間にもガルはシュナイダーの目の前に迫り、巨大な拳を下から一気に振り上げた。しかし、シュナイダーは正に紙一重でかわすと同時に大きく跳び下がる。着地と同時に驚きの表情でガルを見上げるシュナイダーだったが、不意に笑みを浮べた。
「正直力を計りかねていたが、流石は音に聞こえた大盗賊だな。こちらも全力で行く」
言うが早いか、シュナイダーは両手で印を結び、何やら唱え始めた。と思った瞬間にはその両手から放射状の火炎が吹き出される。かなりの距離があったので、ガルにとってかわすのは造作無い。実際ガルも充分引き付けてから横にかわした。しかし、あろう事かその火炎はまるで生き物の様にガルの後を追いかけ、あっけなくその身体を包み込んでしまった。火炎は容赦なく燃え上がり、ガルは力なく両膝を付いてしまう。
「ガルっ!」
思わず立ち上がって叫ぶオルア。対照的にミンクは落ち着いた様子で状況を見つめていた。そして
「大丈夫よ、ガルの命の光は全然弱まって無い。それどころか、あの火炎より強く燃え始めたわ!」
力強く言い放つミンク。するとその声に呼応するかの様に、炎の中から大きな声が響いた。
「温いっ、ヌルすぎるっ!」
そう叫びながら立ち上がったガルは、気合と共にまとわり付く火炎を全て振り払った。
「…何て奴だ」
オルアの背後で、巨漢が嘆息する。しかし
「だが、これで奴も本気になったぞ」
更に続ける巨漢の言葉の通り、シュナイダーの雰囲気が変わったのが遠目にもはっきりと解った。
「一度だけだが、奴の本気を見た事がある。その時の炎は、俺の倍はあろうって巨岩を一瞬で消し去った。俺が前回奴に勝てたのは、その際詠唱時間が若干だが長くかかるって事を知っていたからだが…まずいぞ!」
思わず唸る様に巨漢は声を上げる。見るとガルは、目の前で呪文の詠唱を続ける相手を全く妨害する事も無く、仁王立ちで待ち構えていたのだった。
「おい、君達の連れは何を…」
思わず絶句する巨漢。しかしオルアとミンクは黙って様子を見守っている。まるで先程の小手調べで、二人共どちらが勝つのかを悟ってしまったかの様に。
「今度の火炎は…温くは無いぞ」
詠唱を終えたシュナイダーは、その言葉とともに両手を前に突き出した。同時にまたもや火炎が吹き出す。しかし先程とは違い、まるでそれは収束された光線の様な光を放ちながら一直線にガルに襲い掛かった。同時に観客の視線はガルに向けられる。するといつの間に抜いたのか、ガルは身の丈程もある長刀を大上段に構えていた。
「まさか、あれで止めるつもりじゃ…」
「多分そうよね」
「だろうな」
信じられないとでも言いたげにオルア達を見つめる巨漢だったが、二人は既に何の心配もしていない様だった。そして次の瞬間、巨漢は自分の心配が全くの杞憂だった事を目の当たりにする。
ガルは大きく息を吸い込むと。迫り来る火炎めがけて、気合と共に自慢の長刀を振り下ろした。鋼の刃に切り裂かれた火炎が辺りに飛び散って弾ける。一瞬闘技場の中は、立ち込める煙で視界を遮られた。
「…馬鹿な」
シュナイダーは両手をダラリと下げて立ち尽くす。その目の前に
「お前、いいセンいってたぜ。だが相手が悪かったな」
不敵な笑みを浮べながらガルが立っていた。
「とりあえず、眠っとけ」
言葉と同時に軽く手刀を落した。力を使い果たしたシュナイダーは、あっけなく崩れ落ち、程無くして煙は風で飛ばされ…
「こ…これは一体」
状況が理解できずに壇上の男は絶句する。それは観客達も同様だったが、ガルは長刀を振り上げ、壇上の男に視線を向けた。同時に男はハッとして
「けけけ…決着―!赤鬼対火炎の魔術師対決を制したのは、紅蓮の炎をも物ともしない、赤鬼ガルだーっ!」
何とかそう叫ぶと、観客達は一斉に歓声を上げた。ガルはオルア達に視線を向けて小さく笑うと、歓声を背に闘技場を去った。
「やれやれ、どうやら俺とした事が彼の力を見誤っていた様だな」
巨漢は頭を掻きながら照れ臭そうに言う。
「それは仕方無いわよ。だってガルは見た目以上に普通じゃ無いんだし」
「…それは言い過ぎな気がするが、否定する気も無い」
「そうよねー」
そう言いながら笑う二人を見ては、巨漢も苦笑するしかなかった。そうこうしている内にガルが入って来ると、ミンクが駆け寄って祝福した。
「おめでとう!って言うのはまだ早過ぎるかしら?でも少なくともオルアよりは一歩進んだ訳よね、やっぱりおめでとうって言わせて頂くわ」
そう言いながら、ミンクは仰々しく頭を下げた。その様子を見ていたオルアは、若干顔を歪めた。しかし、ふと思い出した様にガルに尋ねる。
「なあ、そう言えばさっき崩れ落ちたのは何だったんだ?結構効いてたのか?」
「んあ?何が?」
「いや、いきなり相手の攻撃喰らって両膝ついてたじゃんか、あの時は正直驚いたぞ」
「ああ、あれはなぁ…」
そう言ってガルは遠い目をする。そしてほんの少しだけ自分の世界に旅立ったが、すぐにニカっと笑って答えた。
「実は昔な、仲間と思ってた連中に裏切られた時に、不覚にも罠にかかって火ダルマにされちまったんだよ。その時の精神的ダメージを思い出してつい、な」
言い終わるとガルは大声で笑う。そしてひとしきり笑った所で、巨漢の姿に気付いた。
「おお、アンタは!一足先に準決勝に進ませて貰ったぜ」
ガルは嬉しそうに笑いながら巨漢の隣に座った。
「俺は今まで色んな所を旅して来たが、アンタ程の大男は俺と兄貴意外に見た事が無い。しかもアンタは、見た目に違わぬ強さだって事は見た時から解ってるんだ。何しろ一試合終えたばかりだってのに、アンタの隣に座った瞬間から俺の両腕はウズウズしっぱなしなんだからな!」
そう言って両の拳を見つめるガル。その両手は小刻みに震えていた。すると
「それは奇遇だな。俺も先程の試合を見ていて、思わず武者震いをしたよ。しかもそれは今でも治まらない」
巨漢はそう言ってガルの前に立つ。確かに良く見るとその両足が震えている様に見えなくも無い。そして巨漢は
「そう言えばまだ名乗っていなかったな。俺はこの町の用心棒…ってのは昨日も言ったかもしれんが、他にも自警団団長だったり町の守り手だったり闘技場始まって以来最強の戦士だったり…とまあ色々言われているが、つまるところデカくて強い男、ジャイアントジャック、略してJJと呼んでくれ!」
そう言ってJJはガルと力強い握手を交わす。その様子を尻目に
「ねえオルア、ジャイアントならスペルはJじゃ無いわよねぇ?」
「…細かい事は気にするな。何しろ二人とも普通じゃ無いんだ。そもそもジャイアントはいいとして、何で強い男がジャックなのかも不明だしな」
「あら、オルアって意外と優しいのね?」
「そうじゃない、つまらない事に関わり合いたく無いだけだ…ってオイ!」
小声で喋っていたオルアは突然立ち上がって叫んだ。
「何よいきなり?びっくりするじゃない!」
「もう…終わっちまってるぞ」
呆然と立ち尽くしながら、オルアは闘技場を指差した。そこには、汗ひとつかかずに勝ち名乗りを受けている、例の拳法家の姿があった。
「…」
ガルとJJも顔を見合わせていたが、そこへ
「JJ様、パークス様、そろそろスタンバイお願い致します」
次試合の選手を促す為、係員が声をかけた。
「さて、行くとするか」
JJはそう言って立ち上がると、長身痩躯の剣士パークスの前に立って、闘技場へと向かった。
「なあ、JJは勝てると思うか?」
「それは解らん。何しろ勝負ってのは実力以上に運が左右する時があるからな」
「でも、ガルとしてはJJに勝ち残って欲しいんでしょ?」
「まあな。真正面からぶつかり合える相手ってのは、やっぱりいいもんだ」
「まあ、順当に行けばJJが残りそうだな」
「そうね…ただ、パークスって人が全く気を発していなかったのが、ちょっとだけ気になるわね」
「そう言えば…確かにいたのかどうかも解らなかったな」
「嫌な感じだな、それも最近感じた様な…っと、そろそろ始まるぞ」
ガルの言葉に二人が闘技場に視線を向けると、またもやノリノリの壇上の男が選手紹介を始めた。
「お集まりの皆様、大変長らく御待たせ致しました!遂に我らが生ける伝説の登場です!右手に見えますのは、最早説明の必要も無い闘技場始まって以来の最強戦士!この町の守り手でもある彼の名を、皆で呼び給え!我らが守護神、JJの名を!」
その声と同時に、割れんばかりの歓声が場内にこだまする。しかし、対戦相手のパークスは全く意に介した様子も無く、冷めた視線で様子を窺っていた。
「さて、我らが生ける伝説に立ち向かうはこれなる無名の剣士パークス。しかし私は知っている!この男が類稀なる剣の使い手である事を。何故ならそれ以外にここに立っている理由が無いからだ!さあ瞬きすら許さぬこの戦いは、果たして一体どちらが制するのか?いざ戦え、孤高の戦士達よ!」
言葉の終わりと同時に、銅鑼の音が鳴り響く。そしてまたもや耳をつんざく歓声が沸き起こった。
まがりなりにも前回優勝者であるJJ。誰もが迎え撃つ戦いに出ると思っていたその刹那
「うおりゃあああーーーっ!」
気合もろとも、JJは両手に持った斧を振りかざしてパークスに襲い掛かった。その余りの速さに、誰もがパークスの無残な姿を想像する。しかし
「…消えた?」
全く手応えを感じなかったJJは、信じ難げに両の目を見開く。しかしいくら目を凝らしても、捕らえたと思った相手の姿はそこには見当たらない。不意に気配を感じたJJは咄嗟に背後を振り返った。そこには何事も無かったかの様にパークスが立っている。
「…信じられん、いつの間に?」
JJは驚きの声を上げながらも、再び構える、と同時に突進した。
「…成程、理解した」
そう呟いたパークスはJJの凄まじい一撃を難なく受け流す。つんのめったJJはそのまま前のめりに倒れそうになったが、何とか堪えて背後を振り返った。しかし
「…消えた?」
思わず首を傾げるJJ。慌てて前後左右を見回すと、更には上空にも目を向けた。しかし、それでもパークスの姿を認める事は出来なかった。
「え…と、これは一体」
全く状況が解らず、壇上の男も言葉に詰まる。するとその時
「すまないが、私は棄権させて頂く」
いつの間にそこへいたのか、パークスは壇上の男の隣に立っていた。余りの出来事に硬直してしまった壇上の男。しかしそこはプロの意地を見せて、何とか言葉を発する。
「き…棄権、ですか?それはまた何故に?」
「…」
「あのー、宜しければその理由なり貴方の素性なり…」
壇上の男が勇気を振り絞って質問をした瞬間、パークスの姿は掻き消す様に消えた。
「何だよ、今のは…」
観戦していたオルアは呆然と呟く。言葉こそ発しない物の、それは他の全ての者も同様だった。このままでは、時を待たずして大騒ぎになる。そう察した壇上の男は大きく深呼吸すると
「これは意外な結末!前回優勝者のJJに恐れをなし、剣士パークスは棄権したーっ!闘技場始まって以来最強の戦士JJ、見事に準決勝進出だーっ!」
観客達の機先を制するかの様に、あらん限りの大声で叫んだ。
「…え?」
「恐れをなした…とは思えないわよね」
「まあ、まとめ方としちゃ上々だろう」
思い思いの言葉で自分を納得させるオルア達だったが、観客達の歓声を聞く限りは特に騒ぎは起きなかった様だった。そして、時を置かずにオルアの出番となる。
「さっきまで緊張してたみたいだが、いい感じにほぐれてきたみたいだな」
「そうね、でも相手がちょっと…」
「うん、多分やりにくいと思うギャ」
闘技場に立つオルアを見て、仲間達が茶化すように言う。なにしろその相手とは…
「さあさあ皆様お待たせ致しました!恐らくこの方の登場を待ち焦がれていた方も多いのではないでしょうか?何しろかく言う私もその一人なのであります!まさにこの方こそ、闘技場に咲く一輪の薔薇!そして紅一点にして妖艶なる舞姫!その足元にひれ伏した男の数は既に星の数!さあ皆の者よーく眼を見開いてその舞を見るがいい!舞姫フレイヤ、今ここに光臨!」
壇上の男の紹介に合わせ、観客席から恐ろしいほどの歓声が上がった。とは言えその殆どは野太い声で占められていたが。何しろオルアに対峙したその相手は、およそ戦うには似つかわしくない美しい装束に身を包んだ妖艶な女性だったからだ。因みに、オルアの紹介はごく簡単に行われた。
「よろしくね、かわいいボウヤ」
フレイヤと紹介されたその女性は、艶めかしくお辞儀をすると、世界中の男達が卒倒する様な笑みを浮べながらオルアを見つめた。
「…え、あ…ああ」
何とか言葉を返すオルアだったが、その顔は全く締まりが無く、一応剣を手にしてはいるもののその手には全く力が感じられなかった。
「あーっはっはっは!見ろよあのマヌケ面!俺と戦った時とは天と地の差だ!」
オルアの腑抜け振りにガルが大笑いした。バーンも一緒になって笑うが、ミンクは肩を落して嘆息する。驚きの表情でその様子を見ていたJJは思わず尋ねる。
「あの少年がお前さんと戦ったのか?それは驚きだな。それで、どっちが勝ったんだ?」
若干興奮気味なJJとは対照的に、ガルはごく普通に言葉を返した。
「あの時は俺の完敗だった!なあミンク?」
「うーん、まあ紙一重って感じだったんじゃないかしら?でも仮に再戦するとなったら、勿論勝つつもりなんでしょ?」
「まあな。ってか、この大会に出た目的の一つはその辺に有る訳だが」
「…またもや驚きだ。あの小柄な少年がお前さんに勝ったとは…そう言う事ならば、ここは一つお手並み拝見といこうか」
そう言ってJJが闘技場に目を向けた時、試合開始の銅鑼が鳴り響いた。
「…さて、どうするか?」
攻撃を加えるべきか否か、オルアは一瞬躊躇する。その瞬間、風切り音と共に複数の刃がオルアに襲い掛かった。
「なっ!…っと、何のっ!」
不意の攻撃にも関わらず、オルアはそれら全てを弾き返し、フレイヤに鋭い視線を向けた。フレイヤは一瞬目を見開いたものの、すぐに妖艶な笑みを浮かべる。
「ウフフ、ただの可愛いボウヤかと思っていたけど、流石にここまで残って来ただけの事はあるわね」
そう言いながら笑うフレイヤの周りで、無数の刃が音を立てて舞い始める。目を凝らして見ると、フレイヤの着ている一見華やかな衣装には無数の飾り布が付いており、その先には小さな、とは言え鋭利な刃が取り付けられていた。それらはフレイヤの巧みな舞に操られ、まるでそれぞれが生きているかの様に縦横無尽に飛び回る。しかしその余りの速さに、時折日の光を反射して光る以外は全く目にする事は出来なかった。
「どう、私の舞はお気に召して?とは言え、さっきのじゃきっと貴方には物足りないわよね?だから…もっと激しいのをあげるわ!」
その言葉と同時に、フレイヤはオルアの周りで舞い始めた。とは言え当然それは単なる踊りでは無く、フレイヤが舞う度にオルアの周りで無数の刃が輝く。妖しく美しい舞、その華麗さに心を奪われた観客達だが、次の瞬間には血煙に覆われたオルアを見てギョッとする。
「おいおい、あの少年…オルアだったな。防戦一方じゃないか。このままじゃまずいぞ」
JJが唸るように言うが、ミンクとガルは至って平然と観戦している。
「何だ、心配じゃないのか?」
呆れたようにJJが言うが
「そうねぇ、少なくともまだ…ね?」
「ああ、仮にあの女の手がこれで終わりだったら、もうじき勝負は着くだろ」
やはり二人とも平然と答えた。一方の闘技場では
「鬱陶しい」
一見猛攻を受け続けているかに見えたオルアだったが、その全てが表面だけを切り裂く軽い攻撃だった為、見た目程にはダメージを受けていなかったのだった。しかし見た目通りダメージを与えたと確信したフレイヤは、一気に舞の輪を縮めて勝負を仕掛けた。
「さあボウヤ、終わりにしましょう!」
その声と同時に、周囲を飛び回っていた刃の全てがオルアを包み込んだ。同時に観客席から悲鳴とも歓声ともつかない声が響く。
フレイヤはオルアに巻き付けた刃を手元に引き寄せると、気の毒そうな顔でその傍らに歩み寄り、その顔を優しく撫でる。しかし
「ごめんなさいね、でもボウヤちょっと強そうだったし、手加減する訳にも…!」
フレイヤは突然、何かに驚いた小動物の様に飛び下がった。すると同時に、着物の端に付いていた刃が一つ残らず地面に落ちてしまった。
「…えっ?何がっ?」
驚きの声を上げるフレイヤ。しかし
「アンタが止めを刺そうと、攻撃を集中した瞬間に切り落としただけだよ」
オルアは事も無げにそう言った。そして剣先をフレイヤに向ける。
「どうする、まだ続ける?」
明らかに全力を出し切っていないオルア。それと悟ったフレイヤは、両手を降ろすと同時に、うつむきながら両目を閉じた。
「それは、降参って事でいいんだな?」
オルアはそう言いながら、じりじりとフレイヤに近付く。そして剣を一振りすれば仕留められる間合いまで近付いたその瞬間…
「…あれ?何…だ?」
急に足がもつれたのか、オルアはまるで酔っ払いの様に倒れてしまった。するとフレイヤはまたもや妖艶な笑みを浮かべ
「うふふ…やっと効いて来たみたいね」
そう言いながらオルアを見下ろす。
「な…なにふぉひた?」
ろれつの回らないオルア。その様子は、流石に呑気に観戦していた二人をも驚かせた。
「オイオイ、こりゃ流石にマズイぞ」
「そうね、でもあれは一体…魔法の類とは違うみたいだし…毒?」
ミンクがハッとした様に声を上げると、頷きながらJJが答える。
「あの女はさっき舞姫なんて紹介されていたが、もう一つの通り名は…毒の蝶だ」
「毒の蝶?そりゃあまた何とも…」
「嫌な通り名ねえ。でも確かに実戦では有効と言わざるを得ないみたいね」
「ああ、着物の袖に含ませた神経に作用する毒鱗粉を、巧みな舞で相手にだけ吸わせるんだ。正に絶対絶命だな」
「本当に何でもアリなんだギャ」
屋根の上で観戦していたバーンも、降りて来るなりそう言って溜息をついた。
「あ、でもまともに喋る事も出来ないと、降参を告げる事も出来ないギャ。オルアはこのまま止め刺されるかギャ?」
「ちょっと、物騒な事言わないでよ!」
「イヤ、あながちそうとも言い切れんぞ」
そう言ってガルは闘技場に目を向ける。見るとフレイヤは怖ろしくも美しい笑みを浮べながら、両の腰から短刀を抜いた。
「ちょっと何よあの女!頭おかしいんじゃないの?」
そんなミンクの声など届く筈も無く、フレイヤはやはり笑みを浮べたままオルアへとにじり寄る。そして、手にした短刀に舌を這わせながら
「うっふふふふ…ご気分はいかが?」
その笑み以上に陰険な声でオルアに尋ねた。もとよりオルアが動けないのを知っての事であるのは言うまでも無い。
「ふぬ…っ」
オルアは必死で両手を踏ん張ると、やっとの事で上体を起こし、フレイヤを睨みつけ…たい所だったのだろうが、その目は虚ろで、更に口は半開き、しかもその端からは涎を垂らすという有様だった。それを見たフレイヤは、満足気な顔でオルアを見下ろす。
「降参するなら命は取らないわ…あ、でも動けないんじゃ降参って言う訳にもいかないわよねえ?じゃあ、私の手で終わりにしてあげる!」
フレイヤはより一層サディスティックな笑いを浮べると、叫びながら短刀をオルアに向かって突き出そうとした。が…
「いつ…だ…」
微かな声でオルアが呟く。反射的に動きを止めるフレイヤ。オルアは言葉を続けた
「いつの間に、頬に紅を塗ったんだ?」
「何ですって?」
フレイヤは思わず自分の頬に手をやる。すると、その手に何か生暖かい物が触れた。驚いたフレイヤがその手を見ると…そこには赤い液体が見えた。と、同時に頬に鋭い痛みが走る。
「これは…まさか…私の…?」
フレイヤの笑みは一瞬にして消え、その両目は恐ろしい程に見開かれた。
「悪いな…さっきアンタの武器を切り落とした時に、勢い余ってやっちまったみたいだ」
平然と言ってのけるオルア。対照的に、フレイヤは体中を震わせ始めた。その顔を見なくとも怒りに震えているのは間違い無い。しかしその怒りのあまり、フレイヤはオルアが今は普通に喋っている事には気が付いていなかった。そして、その事がフレイヤにとって致命的なミスとなる。
「こっのガキ!調子に乗りやがって!」
一変して般若の如き恐ろしい表情になるフレイヤ。先程までの華麗な舞とは打って変わって、滅茶苦茶に短刀を振り回す。
「あーあ、悪い癖が出たな」
頬杖を着きながらJJが言う。
「悪い癖?…ってもしかして」
「ああ、多分ミンクの想像通りだ。あの女、自分の見た目に自信があるだけに、その顔を傷付けられると逆上する、そんな所か」
そんな二人のやりとりに、JJは感心した様に頷く。そして
「死ね死ね死ねえーっ!」
狂ったかの様に襲い掛かるフレイヤだったが、既に動きの戻ったオルアの敵では無かった。オルアは右、左と短刀を叩き落すと、今度は問う間も無く、みぞおちに剣の柄をめり込ませた。
「あっ?…うっ」
一瞬の悲鳴、直後にフレイヤは前のめりに倒れ、そのまま動かなくなった。
「…こ、これは…」
壇上の男も一瞬言葉に詰まるが
「何と言う逆転劇!四強最後の一人は、見事舞姫の奥義を打ち破った、少年剣士オルアだーっ!」
同時に歓声、そして一部の観客達からのブーイングが巻き起こる。オルアは一つ深呼吸をして、控え室へと戻ろうとした所で呼び止められた。
「あー、お待ち下さい!他の三選手もこちらへいらっしゃいますので、それまでどうかこの場でお待ち下さい!」
「…?」
首を傾げるオルア。しかしその言葉通り、オルア以外に勝ち残った三人が闘技場に降りてくると、横一列に並べられた。フレイヤはいつの間にか運び去られている。
「ガル、どうしたんだ?」
「ああ、てっきり俺と拳法家、オルアとJJで準決勝だと思ってたんだが…」
オルアの問いに答えようとするガルだったが、それを遮る様に声を発したのは例によって壇上の男だった。
「えー皆様、準決勝を前に待ち切れない心持とは思われますが、ここで主催者でありこの町の領主でもあるガンツ様より皆様にご挨拶がありますので、何卒ご静聴願います」
思わぬ言葉にざわめく観客達。再びその前に現れた老人は、いかにも楽しそうに笑いながら声を発した。
「ここまで勝ち残った四人の戦士達よ、今までの戦いまことに見事だった。これならば準決勝以降も楽しめる事は間違い無い…が、ワシは予想通りの展開は嫌いじゃ!なので、残った四人には再びクジを引いて貰い、それで準決勝の組み合わせを決める!」
意外な発言に観客達はざわめくが、すぐに歓声に変わる。
「今更クジ引きやり直すのか?」
「まあ…聞いての通りだ」
半ば呆れた様なオルアと、既に観念した様子のガル。
「まあ、我が主は気まぐれだからな。俺としては…早い所お前さんと当たりたいんだが」
JJはそう言ってガルに視線を向けた。
「…そいつはまぁ、俺も同感だ」
ガルも言葉を返すと同時に笑みを浮べる。そんな周りの様子にも、拳法家は全く気にした素振りを見せなかった。そして…
「さあ、いよいよ抽選結果が出ました!まずは準決勝第一試合、1番の札を引いた方は挙手を願います!」
その声に促されて手を上げたのは
「俺だ!」
抽選の札を掲げながら、ガルが高々と手を上げた。
「では次は二番…と言いたい所ですが、その前に準決勝第二試合に出場の…三番の方挙手を願います!」
「あ…俺だ」
続けて手を上げたのはオルアだった。
「どうやら決勝までは当たらねえな」
そう言ってガルはニヤリと笑みを浮べる。
「さて、次が運命の瞬間!準決勝第一試合でガルと対戦するのは、果たしてどちらになるのか…二番の札の方、挙手を願います!」
「…俺は、神に感謝する」
そう言って手を上げたのは…他でもないJJだった。
「おおっとー!これは正に赤鬼対巨人!はっきり言いますと、私一刻も早くこの試合が見たかったーっ!恐らく観客の皆様方も同じ思いの方が大勢いらっしゃるのではないでしょうか?そしてそして、第二試合もやはり注目と言わざるを得ません!何しろ今まで全ての試合、何が起きたかも解らない内に勝利してしまった、完全無欠の拳法家イーロン!そしてそれに対するのは、どんな苦境も、それが例え自分が武器になろうとも跳ね返す少年剣士オルア!果たして決勝に残り、そして優勝の栄冠を手にするのは一体誰なのか?全く持って予断を許さない準決勝となりました!興奮冷めやらぬ状況ではありますが、第一試合開始まで三十分お待ち下さい!では」
「しっかし…アンタの思い通りの展開だな」
控え室に戻ったオルアがJJに言うと、JJは満面の笑みで答えた。その様子を見ていたミンクは
「ガルはどうなの?嬉しかったりする?」
ガルの顔を覗き込みながら問いかけた。すると
「…そうだな、全力で戦っても大丈夫そうな相手は久々だ。せいぜい楽しませて貰うさ」
答えながらガルも笑みを浮べた。しかし壁際で瞑想する拳法家、イーロンを目の端に捕らえたガルは、真剣な目つきでオルアに話しかける。
「あの拳法家、恐らく今までは実力の半分も出しちゃいない。それにイーロン…一龍って名前も気になるな。とは言えお前も只者じゃ無いって事は俺が一番よく知っている。そのお前にリベンジするのが俺の当面の目的なのだから…死んでも勝てよ!」
「おう!」
力強く答えるオルア。その後は暫くの沈黙が続き…いよいよ準決勝第一試合が始まる。
「お集まりの皆様、大変長らく御待たせ致しました!いよいよ準決勝第一試合、赤鬼ガルと最強の戦士JJの対決が始まります!どちらも目を瞠るほどの巨漢であり、更には見た目に違わぬ、いやそれどころか見た目以上の強者である事は最早疑いがありません!そんな二人が激突するとなれば、これはもう期待するなと言うのが無理な話!果たしてこの試合は一体どちらが、どの様な形で勝利を収めるのか?さあ刮目せよ!一瞬たりとも瞬きをせず、この戦いの行く末を見守れ!」
今日一番のノリで壇上の男が叫ぶ。観客達の興奮も最高潮に達した時、領主ガンツが静かに合図をする。同時に試合開始の銅鑼が鳴り響いた。
異様に盛り上がる闘技場の中心で、二人の巨人は互いに武器を構えて睨み合う。そのまま時間は過ぎ、観客達も次第にざわめき始めた。その刹那…
遂に意を決した二人が刃を交えた瞬間、轟音と共に火花が飛び散り観客達は息を呑む。息をつく間も無く再び、そして何度も火花は散り、その回数が増す毎にぶつかり合う音と火花は大きさを増していった。しかし、互いに接近戦では埒があかない。そう考えた二人は大きく跳び下がると、猛然と駆け寄って渾身の一撃を振るう。またもや飛び散る火花。その激しさは先程の比では無く、その轟音は観客達を圧倒した。それはオルアも例外ではなく、声も出せずに戦いを見守っている。
「…凄い迫力ねぇ」
ミンクはオルアに話しかけるが、夢中になって見ているオルアは全くの無反応。ミンクはバーンと顔を見合わせると、クスクスと笑った。するとその時
「えっ?」
オルアが声を上げた。何事かと思ったミンクが闘技場の二人を見ると、あろう事か二人とも手にしていた武器を地面に置き、拳を鳴らしていた。
「えっ、何で二人とも…」
ミンクは思わず声を上げるが、オルアは意味が解ったとでも言いたげに笑みを浮べ
「二人共…バカだなぁ」
楽しそうにそう言った。
「こ、これは一体…」
壇上の男も思わず絶句する。観客達も沈黙に包まれる中、二人は歩み寄ると…
「うわっ!」
壇上の男も、観客達も一斉に声を上げた。その目の前で、二人の巨人が互いの顔に拳をめり込ませている。かと思えば次の瞬間には逆の手で相手に殴りかかった。その後も互いに全く避けるそぶりは見せず、ただ力任せに相手を殴り続ける。ガルの右、JJの右、ガルの左、JJの左…はたから見れば馬鹿げた戦いだったが、その迫力には誰もが言葉を失う。そして血と汗を飛び散らせながら延々と殴り合いを続ける二人を見ていた観客の誰かが、不意に殴り合いのリズムに合わせて調子を取り始めた。それはあっと言う間に会場全体に広がり、いつしか手拍子と足踏みの音で会場は埋め尽くされて行った。
「…凄い」
そう呟くオルア。声こそ落ち着いていたものの、その身体は一刻も早く戦いたい、とでも言いたげに小刻みに震えていた。一切の技術を否定するかの様な純粋な殴り合い。物心付いた頃から祖父に剣術を仕込まれていたオルアにとって、それは初めて目にする光景だった。まるで野生の獣の様に、力だけを頼りに殴り合う二人。始めこそはその二人の意図を理解した様に笑っていたオルアだったが、いまは既に観客の一人と化し、夢中になってその行く末を見守っている。
延々と殴り合いは続く。疲労とダメージでボロボロになっている筈の二人だったが、その顔には互いに笑みを浮べていた。流石の壇上の男も、その凄まじさに声も出ない。そして、互いの拳が同時に相手の顔面を捉えた直後、二人は両手をダラリと下げて額をぶつけ合った。
「よお、そろそろ疲れただろう?いつでも倒れてくれて構わんぞ」
「へっ、まだまだ…と言いたい所だが、俺もアンタ同様ちっと疲れちまった。そろそろ決めねえか?」
「奇遇だな、俺もそのつもりだ」
「そうか、なら…」
ガルはそう言うと同時に数歩後へ下がる。JJも同様に数歩下がると、申し合わせたかの様に二人揃って大きく息を吸った。
「こ…これは一体、何を?」
壇上の男は思わぬ展開に驚くが、流石は幾多の戦いを実況してきた経験で二人の意図を察する。
「どうやら、二人共力を使い果たし、最後の一撃に備えて間を取った様だ!つまり、次の一撃が正に勝敗を決する最後の一撃!果てしなく続くと思われたこの戦いにも、とうとう終焉を告げる鐘が鳴り響くのかっ!さあ皆この一瞬を見逃すな!そして歴史の生き証人となれ!」
すっかり調子を取り戻したその言葉に、闘技場の二人は思わず苦笑する。
「これはまいったな、すっかり見抜かれている様だ」
「まぁいい、どうせその通りなんだからな」
再び静まり返った闘技場の中心で、二人は呼吸を合わせるように大きく息をする。そして…
「行ったーっ!」
壇上の男の叫びと同時に、両者は猛然と突進する。
闘技場全体に鈍い音が響く、そして…
「お前さん…やっぱり…普通じゃ…ねえな」
JJはそう言うと同時に崩れ落ちた。その身体を受け止めたガルは、大きく息をついてからオルア達に視線を移し、拳を振り上げて笑う。
「ねえ、ガルが勝ったよ!凄いね?」
「…ああ、凄え戦いだった」
そう言いながらオルアも拳を突き上げて答える。ガルは頷いてから壇上の男へ視線を向け直す。
「あっ?え…と…」
一瞬うろたえる壇上の男。しかし、すぐさま気を取り直すと、大きく息を吸い込んで絶叫した。
「き…ききき、決まりましたーっ!史上稀に見る巨人対決を制したのは、最強の戦士JJを下した、最強の魔神、赤鬼ガルだーっ!」
その絶叫と同時に、またもや闘技場は歓声で揺れる。
「あーあ、とうとうガルは魔神にされちまったよ」
「まあ、似た様な物じゃない?」
控え室のオルアとミンクは、そんな事を言いながら笑っていた。
「さて、興奮冷めやらぬ中で続いて第二試合なのですが、今の試合が余りにも激しかった為、闘技場がかなり荒れてしまいました。会場整備後に第二試合を開始致します。それまで皆様はおくつろぎ下さい」
壇上の男の言葉通り、巨人二人の壮絶な戦いで闘技場の地面は荒れ放題となっていた。その様子を見て、一瞬文句を言いかけた観客達も納得した様に或いは互いに頷き合い、或いは興奮気味に試合を振り返り、或いは第二試合について、更には優勝する戦士についての予想をぶつけ合ったりしていた。
程無くして会場整備も終わり、係員がオルアとイーロンを呼びに来た。イーロンが無言で立ち上がり、オルアに一瞥する事も無く控え室を後にする。
「うーん、確かに只者じゃなさそうよね」
「ああ、だから俺はさっきから奴を挑発しようとして何度も睨みつけてみたんだけど…間全然反応無しだった」
「そんな事してたの?全くお子様ねえ」
「お子様って言うな」
「ホラ、こっち向いて!」
ミンクは両手でオルアの顔を挟むと、強引に自分の方へ向けた。
「おい、何を…」
「いいから、静かに」
そう言ってからミンクは聞き取れ無い程の小さな声で何かを呟く。そして
「はい、おしまい!行ってらっしゃい!」
元気な声と共にオルアの背中を叩く。
「ああ、行って来る!」
ミンクに負けず元気な声で答え、オルアは会場へ向かった。
入り口の前まで来た所で、オルアは妙に身体が軽い事に気付いた。
「…さっきのアレか?全く余計な事を」
不満そうに呟くオルアだったが、その顔には笑みが浮かんでいた。
「さあさあ皆様お待たせ致しました!遂に、つ・い・に準決勝第二試合を開始致します!第一試合を勝ち上がった赤鬼ガルと対するのは果たして、いかなる苦境をも物ともせずに勝ち上がってきた少年剣士オルアか!はたまたこれまでの全ての試合を瞬く間に終わらせて来た拳法家イーロンか!どちらが勝つにせよ好勝負が期待できます!正直私も先程から震えが止まりません!さあ出でよ!最強に挑む二人の戦士達!」
終盤に近付いたせいか、壇上の男は異様なテンションで選手紹介をした。そして一方の入り口からオルアが、そして反対側の入り口からイーロンが姿を現す。二人とも落ち着いた表情で相手を見据え、程好い緊張感に包まれている様子だった。
「おっ、今度はいい具合に気合が入ってるみたいだな」
背後からの声にミンクが振り返ると、そこには満身創痍ながらも笑みを浮べたガルが立っていた。
「ガル!もう大丈夫なの?」
「ああ、とは言えまだあっちこっち痛えんだが」
「それでも気になって、つい来てしまった…って所かしら?」
「まあ、そんな所だ」
ガルはそう言うと、ミンクの隣に腰を降ろした。
「さあ遂に姿を現した最強を目差す二人!はっきり言って私ももう待ち切れません!なのでもうこれ以上は何も言いますまい!それでは、試合開始―っ!」
壇上の男の絶叫に続き、銅鑼の音が鳴り響き、同時にオルアとイーロンは歩み寄る。
「お…っとこれは?」
壇上の男同様、いや、それ以上にガルが驚いた様に目を見開いた。そして呻く様な声を上げる。
「あの馬鹿!正気か?」
あろう事か、互いにあと一歩で間合いに入る地点で立ち止まったオルアは、イーロン同様に素手で構えを取った。
「あれはきっとホラ、相手が素手だから自分も素手で、って事じゃない?ガルもさっきお互いに素手で戦ったじゃない?」
解った様な事を言うミンクだったが、ガルはそれを瞬時に否定する。
「いくら何でもそりゃ無茶だ。俺とJJはお互い力任せな戦い方をするから武器でも素手でも試合になったんだ。だがあのイーロンって奴は恐らく、いや…間違いなく白龍の拳士だ」
「白龍の…拳士?」
「ああ、名前位は聞いた事あるだろう?白龍を祭る隠れ里に住む、凄腕の守り手達だ」
「なんでそんな人がこんな大会に?」
「それは知らん。だが、白龍の拳士と言えば素手での戦いに特化した戦闘集団だ。対してオルアはガキの頃から剣術だけを叩き込まれている。そんな二人が素手で戦うとなりゃあ勝負は見えてるだろう」
ガルはそう言って溜息をついた。
「まあ、山育ちのオルアがそんな事知ってる筈も無いわよね。何しろ聖竜達の事も知らなかった位だし」
「まあ、いいか。イーロンって奴も相当強そうだし、どっちが勝っても楽しめるだろ」
半ば諦めた調子でガルは深く腰掛けたが、それでも真剣な眼差しで闘技場の様子を見守っていた。
そんなガルの気持ちは露知らず…
「相手が素手なんだ、こっちだって…」
オルアは呟きながらジリジリと更に距離を詰めた。そして
「先手必勝!」
先手を取ろうとオルアが仕掛け…ようとした瞬間、イーロンの姿が目の前にあった。
「…!」
オルアは驚く間も無く腹部に衝撃を感じ、そのまま闘技場の端まで吹き飛んだ。そして闘技場内は凍りついた様に静まり返る。かろうじて第一声を発したのは、やはり壇上の男だった。
「…こ、これは物凄い一撃。果たしてイーロン選手のあの細身の身体のどこにこれ程の破壊力が秘められているのか?正に、正に驚くべき戦闘力!恐るべし拳士イーロン!」
その声に観客席からも歓声が上がる。しかしガルはニヤリと笑みを浮べた。
「何よ?ニヤニヤしちゃって…」
「いや、オルアがただの馬鹿じゃ無いみたいなんでな」
「…どう言う事?」
ミンクの問いにガルは無言でオルアの吹き飛んだ先を指差した。すると
「おおっとーっ!何と、あれ程の一撃を喰らいながら、オルア選手は何事も無かったかの様に立ち上がったーっ!」
壇上の男の絶叫が響く。一斉に観客の視線が集中する中でオルアは平然と立ち上がって大きく伸びをすると
「さーて、大体解ったぜ」
そう言って躊躇無く剣を抜いた。そして再び元の間合いへと戻る。若干驚いた感のあるイーロンだったが、手応えの軽さとオルアの動きを鑑みて、小さく呟いた。
「不死身?…否、自ら跳躍。衝撃緩和」
「…変な喋り方するなぁ。でもその通りだ。こっからは本気で行くぜ!」
「承知」
イーロンはそう言うと、両腕を鋭く振り下ろす。すると左右の手甲から三本ずつ鋭い鉤爪が飛び出した。
「そっちも全力じゃ無かった訳か…」
そう言いながらオルアが剣を構えると、イーロンも鉤爪を突き出すように構えた。
「緊張感あるわね…」
「ああ、今までのは互いに小手調べって所だろう。ここからは目が離せないぞ」
ミンクとガルが、そして観客達が息を詰めて見守る中…
「うりゃあーっ!」
待ち切れないと言った感じで先に飛び出したのは、やはりオルアだった。
「行ったー!若き剣士オルアがまずは仕掛けた!さあイーロンはどう返す?」
壇上の男の言葉と同時に、イーロンは鋭い一撃を難なくかわすと、同時に左右の鉤爪でオルアに襲い掛かる。
「オルアっ!」
思わずミンクが叫ぶ。しかし
「大丈夫だ」
何事も無いかの様にガルが言う。見るとオルアは剣で鉤詰を、そして足でもう片方の腕を押さえつけ、更に次の瞬間
「おりゃあっ!」
雄叫びと共に剣の柄でイーロンの顎をかち上げる様に打ち抜いた。細身のイーロンの身体が中に舞い上がる。
「おおっ!」
「オルア凄いっ!」
二人は同時に歓声を上げる。しかし、強烈な一撃を喰らったかに見えたイーロンは、何事も無かったかの様に着地すると、相変らずの無表情で構えた。手応えの軽さに驚いたオルアは、事情を察して呟く。
「…さっきのお返しかよ」
その問いに、イーロンの口の端が僅かに上がった様に見えた。
「全く、不気味な奴だな…」
そう言いながらオルアが再び身構えると、不意にイーロンが口を開いた。
「お前強い、とても。我が里にもお前程の男いなかった。だから…」
イーロンはそこで言葉を切ると、両手の手甲を外し、完全に素手となった。普通に考えれば明らかな戦闘力ダウンの筈が、事もあろうに
「本気、出す」
それだけ言ってオルアに鋭い視線を投げかける。
「この野郎…」
再び素手となったイーロンを見て、オルアも剣を手放そうとするが
「…駄目だ」
何かを悟った様に呟く。本能的に武器を使って何とか互角、全く不本意ではあるが、オルアは自然とそう悟った。物心ついた時から自然の中で育ったオルアならではの危険察知能力が働いたのだった。とは言え、それはガルと対した時とは明らかに異質な、オルアにとって初めて体験する物だった為、異様な寒気を感じていた。
「さて…どうする?」
攻めるにも全く隙の無いイーロンを前に、オルアはいつしか肩で息をしていた。
「こりゃまずいな…」
様子を見ていたガルが呟く。
「そうね、まるで貴方と戦った時…ううん、あの時とはちょっと違うわね。あれからオルアだってちょっとは成長した。単に相手が怖いってだけで固まったりはしないわ。って事はつまり…」
「ああ。認めたくは無いがあの拳法野郎、この俺様以上の…いや、後はおとなしく見守るとしよう」
「…そうね」
ガルの言葉に、ミンクも喋るのを止めた。
そして…
「こ…これは一体!」
壇上の男が叫ぶ。
「わ、私の目がどうかしてしまったのでしょうか?先程からイーロン選手の手が全く見えません!」
その言葉の通り、オルアの正面に立ちながらイーロンは「何か」をしている様に見えるが、壇上の男にも、そして観客達にも一体何が起きているのか判別することは出来なかった。しかし、イーロンと向かい合うオルアの身体には次第に無数の傷と、そしてフレイヤ戦以上の血煙…と言うよりは血飛沫が舞い上がっていた。防戦一方となるオルアは、僅かに攻撃が緩んだ瞬間、やっとの事で一太刀を返した。しかし既に満身創痍、身に着けた革鎧は至る所傷だらけとなり、肌の露出している部分は血で赤く染まっていた。
「何故?素手なのに何故あんな…刃物で斬られたみたいに?」
うろたえるミンクと対照的に、ガルは真剣な目付きでイーロンの様子を窺っていた。そそして
「おい、イーロンの手を見てみろ」
何かに気付いた様にガルが言う。そしてミンクが見たイーロンの両の手は、青白い光に包まれていた。
「…あの光は?」
「気…凝縮された闘気が拳を覆っているんだろう」
「闘…気?」
「ああ。お前達の様な魔法を使う者は、遍く精霊達の力を借り、その力を具現化する事で力を使うだろう?しかし奴らの使う気の力ってのは、この大地を大きな生き物と考え、そこから無限に溢れる精気を自らの体内で凝縮して力に変換するんだ。それは使い方によっては癒しの力にもなるが、別の使い方をすればあの通り…己の肉体を鋼以上に強化する事も出来る。とは言えいくら気を凝縮させた所で、目に見えるまでの濃度にはならない。つまりあの光は、イーロンの手には異常とも言える程の気が凝縮してるって事の証明だ。こりゃあ…打つ手無し、か?」
「ちょっと、随分弱気じゃない?」
「まあ、全く打つ手無しって訳でも無いんだが、実現するのはほぼ不可能に近い」
「何かあるの?」
「ああ。如何に大地の気が無尽蔵とは言え、それを凝縮して使いこなすには相当な精神の集中が必要だ。長時間精神を集中すれば当然疲労も溜まる。その隙を突けば」
「勝ち目も有るって事ね?」
「…まあ、そう思いたいが」
「何よ、歯切れが悪いわね」
「イーロンが普通じゃねえんだよ。あれ程の気を凝縮する場合、普通なら口訣を唱えるなり、印を結ぶなり、何かしら準備が必要だ。しかし、さっきからそんな素振りは何一つ見えやしない。どうやってそんな奴の隙を突くのか、そこが俺には解らねえって事さ」
「そんな…」
「まあ、粘れるだけ粘って…奴さんが疲れるのが先か、オルアがくたばるのが先か、そんな勝負だろう。とは言え、二対八の割合でオルアが不利だけどな」
半ば諦め気味にガルが言葉を結ぶ。そう言われてはミンクも黙るしかなかったが、ふと気になった事を尋ねる。
「…ねえ、仮にオルアが負けちゃった場合、ガルは勝算あるの?」
「…まあ、その確率を上げる為に今こうやって試合を見ている訳だ」
「あ、なるほど」
そんな二人のやりとりの間も、オルアは必死で防戦しながら反撃の糸口を探していた。しかし…
「コイツ…化け物か?」
オルアは剣を振るいながら思わず口走る。光芒を発しながら襲い掛かるイーロンの無数の拳は、剣で打ち返しても傷を負う事も無く勢いも衰えない。かつてスティングと戦った時の事を思い出したオルアだったが、あの時とは一撃の重さがまるで違った。相手はスティングよりも細く、更には素手だと言う事を考えるとそれは驚くべき事だったが、オルアはいつまでも驚いている場合ではない。なんとか直撃を避けていたオルアは、一瞬の隙を突いて鋭い突きを返す。イーロンは咄嗟に跳び下がると、再び遠い間合いとなった。
「…今、俺は何を?」
自分がどうやって隙を突いたのか解らず、オルアは呟く。しかしよく考える間も無くイーロンは再び襲い掛かってきた。再び防戦に努めるオルアだったが、今度はその猛攻を防ぎつつ、かろうじてイーロンの身体全体の動きを観察していた。すると…左右の連撃を繰り返すイーロンの足捌きが右構えから左構えに変わるその刹那、両足が揃う瞬間がある事を見つけ出した。そこに気付いたオルアは、再びイーロンの両足が揃った瞬間に鋭く反撃を返すと、一気に攻勢に出た。
「おいおい、こりゃあどうなってんだ?」
思わずガルが唸る。それ程までに攻守は逆転し、今度はオルアの剣が容赦無くイーロンに襲い掛かる。攻めから一転防戦となったイーロンは、それでも落ち着いてオルアの攻撃を捌く。しかし、自らのクセを見抜かれている事には気付いておらず、反撃に移ろうとはするもののその度に鋭く反撃を受け、そしてついに肩に一撃を受けた。たまらずイーロンは跳び下がって間を取る。
ここまで全ての試合を秒殺で勝ち上がって来たイーロンにとって、オルアは正直な所しぶとい相手だった。それでもイーロンは表情一つ変えない。それは虚勢でも何でも無く、今までの戦いでオルアの力を推し量ったイーロンが、自分の余力と比較した上で出した結論だった。若干呼吸を整えると、両手を胸の前で向かい合わせる。
「…何の真似だ?」
怪訝そうに呟くオルアに、観客席のガルが叫ぶ。
「何やってんだ!待ってねえでとっとと攻めろ!」
その声が聞こえるまでも無く、オルアはイーロンに飛び掛っていた。イーロンに時間を与えてはいけない。またも本能的に悟ったオルアの身体は、考えるよりも早く動き出していた。しかし…
「うりゃあああーっ!」
渾身の力を込めたオルアの一撃だったが、それが振り下ろされるよりほんの一瞬早くイーロンの両掌がオルアの前に突き出された。同時に眩い光芒がオルアを包む。
「オルアっ!」
ガルとミンクが同時に叫ぶ。しかし、凝縮した気に包まれながらもオルアは必死の形相で剣を振りかざす。そして全身全霊を込めてその剣を振り下ろした。同時にオルアを包んでいた気が弾け跳ぶ。
「やったあーっ!」
「ああ、やったな!」
一転してミンクとガルは表情を明るくして叫ぶ。オルアも「どうだ!」と言わんばかりの表情でイーロンを見た…つもりが、相変らず無表情のイーロンはすぐ目の前に迫っている。
「…何だと?」
咄嗟に振り下ろした剣を斬り上げオルアだったが、それよりも早くイーロン必殺の一本貫手がその喉を突き刺した。苦悶の表情になったオルアだったが、息も出来ないその状態でも構わず剣を振り上げる。まさかと思っていたのか、イーロンが跳び下がるタイミングが一瞬遅れて強烈な斬撃を受け、血飛沫が飛び散る。観客席から悲鳴が上がるが、イーロンは僅かに顔をしかめながら両手でオルアの両肩に再び一本貫手を放つ。ツボを点穴されたオルアの両腕は痺れて動かなくなり、剣を取り落としてしまう。しかし…
「うおおおーっ!」
何を思ったのか、オルアは腕をダラリとぶら下げたまま跳躍すると、イーロンの両肩に座り込む様に飛び乗った。既にイーロンは激しすぎる出血で朦朧とし始めている。そこへ
「んがああーっ!」
叫びながらオルアが頭突きを喰らわせた。一発、二発、三発…何発目かでイーロンもオルアも互いに後ろへ倒れた。
「こ…これは…」
流石の壇上の男も絶句した。何しろ二人揃って血まみれのまま倒れ、ピクリとも動かないのだ。困った様に領主の顔を覗き込むが、老人は興奮の面持ちで二人の様子を窺っていて全く意に介した様子は無い。
「…参ったな」
壇上の男が心にそう呟いたその時、沈黙に包まれていた観客席からざわめきが起こる。何と、今まで全く動けなかった二人が全身を震わせながらも立ち上がろうとしていたのだった。それと気付いた観客達は、割れんばかりの歓声を二人に送る。そして闘技場は手拍子と歓声と足を踏み鳴らす音とに包まれた。そんな中、他の全てを圧する大音声で領主が叫ぶ。
「二人の戦士に告ぐ!これまでの戦い真に見事であった!しかし共に最早戦う力は残っていまい!なので特別ルールを定める!二人の内、先に立ち上がり拳を振りかざした者をこの試合の勝者とする!」
領主の言葉に一瞬沈黙した観客達もその結論には異存が無かった様で、再び大歓声が巻き起こった。そんな中
「オルア…頑張って!」
「うーむ、俺としては微妙な立場だ」
「何でよ?」
「いや、ここで共倒れなら俺の不戦勝だからな」
「こんな時に何を!…とは言え、あの怪我じゃどっちが来ても今のガルには勝てそうにないわね」
「だろ?だったら無駄な事はしない方がいいって事よ」
「何か、妙に説得力あるわね…」
オルアを気遣っている様な、そうでも無い様な、そんなやりとりの最中で何と、二人はほぼ同時に立ち上がった。再び壇上の男が叫ぶ。
「何と!最早致命傷とも言える深手を負いながら、二人の戦士は立ち上がった!ここまで来れば後は勝利の証を示すのみ!さあ聞こえているか?立ち上がった戦士達よ!拳を振り上げ勝利の証を立てた者、それこそがこの死闘の勝者たりえるのだ!さあいざ拳を振り上げろ!真の勝者よ!」
その声に反応するかの様に、両者の腕が動く。しかし肩を点欠されて腕が麻痺しているオルアにとって、拳を振り上げるのは無理難題と言えた。必死の形相で力を込めてみるものの、どちらの腕も動こうとはしない。対するイーロンは、出血多量で朦朧としながらも右腕を高々と差し上げた。
「あっ?」
勝利宣言をしようとした壇上の男が言葉に詰まる。何と、拳を振り上げたイーロンが再び後ろへ倒れてしまったのだった。肩で息をしながら立ち尽くしていたオルアは、その様子を呆然と見守っていた。
「この試合、勝者は…」
壇上の男はそこで言葉を切ると、領主に視線を送る。無言で頷く領主。そして
「勝者は、若き剣士オルアだーっ!」
闘技場一面に、絶叫が響き渡った。
目も眩む様な眩い光の奔流。その中に立ち尽くすオルアは、その先にある物を見ようとして目を見開く。すると始めは黒い点と見えた物が次第に大きくなり、目の前に来た時、それは鬼の形相をしたイーロンの姿となってオルアに襲い掛かって来た。
「うわああああっ!」
叫びながら飛び起きるオルア。その額には汗が滲み、両肩は大きく上下している。
「…ここは…どこだ?」
オルアは驚いて辺りを見回す。そして自分が清潔なベッドに寝かされていた事に気付くと、腕組みをしながら考え始めた。
「俺は一体…ん?んんんん?」
自分が何気無く腕組みをしたが、その瞬間ふと自分の腕が動かなくなっていた事を思い出し、驚きの声を上げる。するとその声に反応したかの様に、ミンクが顔を出す。
「あ、気付いたのね?良かった!」
そう言いながら、ミンクはオルアのベッドに腰を降ろす。
「俺は…試合はどうなったんだ?いや、それもあるけど、何で俺の腕が動く?いや待て、そんな事より…俺は何でここにいるんだ?」
興奮気味にまくし立てるオルアだったが、ミンクはその肩に手を当てて横にさせると
「まあ落ち着いて聞きなさい、順を追って話してあげるから」
そう言って試合終了直後からの事を語り始めた。
「まずは、貴方が覚えているかどうかはともかくとして…あの試合は貴方が勝ったわ」
「本当か?」
「いいから落ち着いて。それでね、貴方の勝利が宣言されると貴方も倒れちゃって、二人揃ってここへ運ばれたのよ。まあイーロンの方は重傷ではあったけど普通の怪我だったからすぐに治せたわ。ちょっとだけ私も手伝ったんだけど、ここの外科医さん達は凄く腕が良いからその必要も無かった位ね。流石に大武闘会を開くだけの事はあるわね…でも、貴方が受けた不思議な技、点穴…ってガルに聞いたんだけどね。あれは…あれはね、えーっと」
「おいおい、そこで詰まるなよ」
いつの間にいたのか、ガルが声をかける。
「まぁ、あれは奴等の秘伝とも言える技だ。俺だって自分で使える訳じゃないから上手く説明は出来んがな」
そう言いながらガルは、オルアの隣にあるベッドに腰を降ろした。余りの重さにベッドが軋むが…気にせずにガルは話を続ける。
「お前が両肩を突かれたのは、相手のツボを決める点穴って技だ」
「点…穴?」
「ああ、詳しくは俺も知らんが、簡単に言えば突く場所や突き方によって、相手を麻痺させたり喋れなくしたり昏倒させたり…殺したりも出来るおっかねえ技だ」
「殺したりって…」
「そんで、お前が両肩に喰らったのが、両腕を麻痺させるツボだった訳だな。まあ殺されなくて良かったじゃねえか!とは言え、点穴を解除するには解穴が必要だ。それが出来るのはイーロンしかいない。だから奴をとっとと治して、そんでお前の解穴を頼んだって訳だ。幸い奴もお前に恨みがある訳じゃ無し、あの無表情のままだったがすぐに治してくれたよ」
ガルは楽しげに笑いながら事の次第を話して聞かせた。成程と思いながら聞いていたオルアだったが、不意に思い出した様に飛び上がって叫ぶ。
「じゃあ、決勝は俺とガルなんだな!よっしゃー寝てる場合じゃない!さっさと始めようぜ!」
オルアの言葉と対照的に、部屋の中を沈黙が包んだ。
「な…何だよ?」
戸惑いながら二人の顔を交互に覗き込むオルア。そんなオルアに、ミンクが気の毒そうに声をかける。
「あの…ね、ちょっと言いにくいんだけど…貴方の出番は無いわよ」
「…は?」
再び沈黙に包まれる中ガルは肩を震わせていたが、暫くすると堪えきれないとでも言いたげに笑い始めた。怪訝そうな顔をするオルアに、ミンクが言う。
「多分気付いてないと思うから教えてあげるけど、貴方丸一日寝ていたのよ」
「…丸一日?」
「ええ、つまり決勝戦は…」
「俺様の不戦勝だった訳だ!」
今まで笑っていたガルは、そう言って更に大声で笑う。そしてひとしきり笑うと話し始めた。
「まあ、確かにお前はイーロンとの死闘を制した…が、そこで力尽きて倒れちまったんだよ。小休止を兼ねてお前の回復を待ってはみたものの、結局目覚めず仕舞い。仕方無えから俺は用意されていたリザーバーと決勝で戦ったんだが…正直な所お前やJJと比べりゃかなり楽な相手だったぜ。まあお陰で派手にぶっ飛ばせたんで、観客達にはウケたのは何よりだったけどな。まあそんな訳で…俺様が今回の優勝者って訳だ。解ったら我が前に平伏せ!このへっぽこ剣士が!」
ガルは言い終わると同時に大仰なポーズを取ってみせる。オルアは暫く唖然としていたが、やがて状況を理解すると同時に肩を落し、そして悔しそうに呟き、項垂れて沈黙してしまった。
「お、おい…」
「どうしたの?」
心配そうに二人が声をかけたその時
「あークソッ!優勝出来なかったー!」
絶叫と共にオルアはベッドの上に立ち上がる。しかし次の瞬間には笑顔となって
「まあいいか、正直勝てないと思ったイーロンには結果的に勝てた訳だし、それにガルには一度勝ってるから今更相手する必要も無いし!」
そう言いながらガルの顔を覗き込んだ。先程へっぽこ呼ばわりされた事に対する仕返しなのはその表情が物語っている。
「お前なあ…」
ガルは思わず苦笑するが、オルアの調子が戻った事に安心したのか、思い出した様に告げる。
「おお、そう言や俺がここに来たのは別にお喋りする為じゃ無い。お前が回復次第表彰式を行いたいって領主が言うもんだから、様子を見に来たんだ。イーロンはとっくに回復してるし、お前さえ良けりゃいつでも始めようって勢いなんだが、大丈夫か?」
「ん?表彰式…って丸一日経ってまだやってなかったのか?」
「ああ、是が非でも準決勝に残った四人は集めたいらしいんでな」
その日の夕暮れ、準決勝に残ったオルア達を前に領主は嬉しそうな笑みを浮べていた。決勝戦こそは不本意な結果に終わったが、最早この戦士を越える者無し、と思っていたJJを凌ぐ戦士が現れた事で領主は満足していた。戦士達に自ら祝福の言葉をかけ、表彰式は滞り無く進む。そして決勝トーナメントに残った他の戦士達も交えて、激戦を労う為の祝賀会が開かれた。とは言え、当然その中にパークスの姿は見当たらなかったが。
豪華な上に山の様に盛り付けられた数々の料理や色とりどりの飲み物を前に、それぞれが楽しく談笑しながら試合を振り返っていると、不意にオルアにフレイヤが話しかけて来た。その顔は僅かに紅潮し、頬にかすかな傷跡は残っているものの相変らず美しい。話しかけられたオルアは思わず緊張する。
「な…何だ?」
「何だとはつれないわね。もう敵同士じゃ無いんだし、楽しくお話ししましょうよ。ホラ貴方も飲んで」
そう言って差し出されたワイングラスを、困った顔でオルアが見つめる。しかしフレイヤの妖艶な笑みはそれを拒むことを許さず、オルアは観念した様に口をつけようとした時
「私が頂くわ」
白い手が伸びてそれをひったくると、一瞬にしてグラスを空にしてしまった。
「ミンク!」
驚くオルアを横に押しのけると、ミンクはフレイヤの正面に立った。
「御免なさいね、オルアは全然お酒飲めないの。よろしければ私がお付き合いさせて頂きますわ」
そう言いながら手にしたボトルをフレイヤに差し出す。若干うろたえたフレイヤだったが、ミンク同様一瞬でグラスを空ける。
「あ…あら、なかなかいけるわね」
「レディとしては当然の嗜みですわ」
互いに不自然な笑みを浮べた状態が続く、と思われたが、フレイヤはすぐに話題を変える。と言うよりは本来の目的を思い出しただけだったのだが。
壁際の椅子に並んで座ると、フレイヤは気になっていた事をオルアに尋ねる。
「ねえ、私と試合した時、動けないフリをしてたわけじゃないんでしょう?」
「…あー、体が痺れたアレの事?」
「そうそう!貴方の様子を見る限り確実に効いてたし、あの毒は三度も吸えば暫くは動けなくなる筈なのよ?それをあんな短い時間で回復するなんて…どういう事?」
「あ、そういえば私もそれ気になってた。今まですっかり忘れてたけど」
「…アレは、単に俺が山育ちだから。俺の育った山の中には色んな虫もいたし、蝶や蛾だって色々飛んでたんだ。中には毒を持ってる奴もいて、その毒で痒くなったり痛くなったり、吸い込むと咳き込んだり痺れたり…そんなのを色々知ってたから、一息吸い込んだ時にまずいと思ったんだよ」
「え…じゃあ貴方、一息吸ってからは息をしないで戦ってたの?」
「まあ、そうしないと動けなくなると思ったからな」
オルアの答えに唖然とするフレイヤ。と、突然笑い出した。
「…何かおかしな事言ったか?」
「さあ、オルアの存在自体がおかしいんじゃないの?」
「オイ」
フレイヤはひとしきり笑うと、再びオルアに向き直る。
「貴方ってただのボウヤじゃなかったのね。そんな事を当たり前にやってのけるなんて、私なんかじゃ勝てる訳も無いわ」
フレイヤは楽しそうにグラスを(既に何杯目かは不明だったが)空けると
「じゃあ、後は素敵な彼女と楽しんで頂戴」
そう言ってフラつく足取りで立ち去った。
「あの女も、相当な酒飲みだな…」
「そうね、一度二人で飲んでみたいわ」
「その時は、二人きりで別室で頼む」
「ご冗談を!貴方も同席に決まってるじゃない?」
「いや、それは…頼むから止めてくれ」
夜通しの宴も終わり…日が昇る頃にはオルア達は領主の前に集められて執拗な説得を受けていた。JJと互角以上に戦った戦士達を何としても自分の配下に、との考えから領主ガンツは破格の条件を提示してはみたものの…金に興味の無いオルア、金で出来ることはあらかたやり尽くしたガル、強さ以外に全く興味の無いイーロン…領主の言葉もそんな連中には届く筈も無かった。
オルアは当初の目的通り父親探し兼武者修行の旅を再開する事にしたのだが、次の目的地がはっきりしている訳でも無かった。そこへガルがすかさず案を出す。故郷へ戻るイーロンと共に白龍の里へ行ってみよう、と言うガルの言葉に特に反対する理由も無かった上に、その案にバーンも乗り気だった為一行は白竜の里を目差してカントの町を後にした。
とは言えイーロンが積極的に道案内をする筈も無く、徒歩でさっさと進むイーロンの後を或いは馬上で、或いは馬を引いて追いかける破目に陥った事は言うまでも無いが。それでもイーロンが快く、とは言えないまでも里への同道を全く拒否しなかったのはオルア達にとっては意外な事だった。イーロンにとってオルア達が里へ入れても問題が無い存在と判断したのか、はたまた単にどうでもいい存在なのかは定かでは無いものの、カントを後にしておよそ二十日後、オルア達は峻険な谷の中にひっそりと佇む白竜の里に辿り着いた。
惨敗から心機一転、闘技場で名を上げるはずのオルアの前に、またもや得体の知れない敵が現れ、それは姿を消した。しかし大会はそんな事にはお構いなく進み、結果的にはガルの1人勝ち状態。しかしそんな事を言っている間も無く、旅は次のステージへと進む。そこで待ち受けるのは果たして…