王宮
3.王宮
程無くして馬車は、町の入り口に当たる大門前に辿り着いた。サウスローザの木造りの門も立派な物だったが、鉄と石とで造られた巨大な門は、その前に立つ者を圧倒した。
「うわ、門も桁違いだな…」
「うん、カシムさんのいた門の何倍あるかしらね?」
「はっはっは!ワシの守る門は所詮田舎町の入り口の一つ。それに比べてここはこの国の中心である城への入り口。門の大きさも警備体制も比べ物にはならんよ!」
「それじゃあ、ここへ入るのは大変なんじゃないのか?」
「ああ、それなら心配無い。ワシはここの守衛達とは顔見知りだから、ワシが連れて来たと言えばすんなり入れてくれるわい!」
その言葉通り門には数人の兵隊が立っていたものの、カシムが頭を下げると皆丁寧に礼を返してくれた。馬車はすんなりと門をくぐり、城下町の賑わいに包まれる。
門を入って少し進むと、大きな広場が目の前に広がる。中心には噴水があり、その周りでは多くの人々が憩っていた。
カシムは広場の端に馬車を停めて二人を降ろすと、唐突に二人に言った。
「さて、ワシの案内はここまでとなる」
「えっ、もうお別れなの?お城まで一緒に行こうよ!」
ミンクは驚いて声を上げるが、カシムは笑いながら答える。
「はっはっは!城下町へは誰でも入れるが、流石に用も無く城へ入る訳にはいかんよ!と言うよりも、実はワシは城の堅苦しい雰囲気がどうにも苦手なんでな!悪いがここで失礼させて貰うよ」
「ああ、本当に助かった。有難う!」
「それじゃあ仕方ないね…カシムさん、帰り道気をつけてね」
「おお、とても楽しい旅だったよ。こちらこそ有難うよ!」
カシムはそう言い残して立ち去ろうとしたが、ふと思い出した様にオルアに尋ねる。
「そう言えば、城へ入る為の紹介状か何かは持っておるのか?」
「ああ、それならここに!」
オルアは自信満々な表情でハイネンに貰った紹介状を取り出した、が…
「なんじゃ…これは?」
「うーん、ちょっと読めないわねえ…」
カシムは、そしてミンクまでも眉を寄せて首を傾げた。
「はあ?二人とも何を言って………!」
まじまじと紹介状を見つめてオルアは言葉を失った。恐らく川に落ちた為だろうか、紹介状の文字はほぼ全てがぼやけていて、判読不可能な状態になってしまっていた。
「これは…どうしよう?」
呆然と天を仰ぐオルアだったが
「ま、何とかなるだろ!」
急に気を取り直した様に言うと、城へ向かって歩き出そうとした。それを見たカシムは慌てて止める。
「ちょっと待て、さっきワシが言った事聞いていたのか?」
「え、何を?」
「城へ入るとなれば、それなりにちゃんとした理由が必要じゃ。確かにここの王は気さくな方で民衆の評判も良い。とは言え一介の旅人風情がいきなり行って、おいそれと入城はさせてくれんじゃろ」
「そんなもんなの?」
「そんなもんなんじゃ!…ところで、一体城の誰に紹介状なんぞ貰ったんじゃ?」
「ハイネンって人。じいちゃんの古い友達みたいで、この間ウチまで来たんだ」
「なんと、ハイネン殿と顔見知りか?ならば何とかなるかもしれんぞ」
「そうなのか?」
「うむ、そう言う事ならばとにかく城門へ行ってみるとしよう!」
結局カシムも城まで同行する事となった。
「おや、お久しぶりですね!今日もどなたかの護衛ですか?」
カシムの姿を認めて城門の衛兵が声をかけてくる。
「うむ、この二人、オルアとミンクが騎士団長のハイネン殿に用が有るらしいのだが、紹介状を水に落として読めなくなってしまったのじゃ。そんな訳なので、身元引受人として同行して来た」
「そう言う事でしたら、少々お待ち下さい」
声をかけてきた衛兵がもう一人の若い兵士に合図をすると、その若い兵士は急いで城の中へ入って行った。
「カシムさん、もしかして有名人?」
「いやいや、昔ここで働いていたから、顔見知りが多いってだけの事よ」
「ここって…城でか?」
「まあ、人生色々と有るって事じゃ!」
「…過去までジジィに似てるのかよ」
カシムの言葉にオルアは思わず呟いた。するとその時
「お待たせ致しました。ご案内致しますので私の後に着いて来て下さい」
先程城へ入ったばかりの若い兵士が戻って来ると、カシムに向かって告げた。
「いや、ワシは入城するには及ばぬ。この二人だけで結構じゃ」
カシムは遠慮がちにそう言ったが、若い兵士は苦笑しながら答える。
「もしも真にカシム様であれば、きっとその様にお答えになるはず。それであれば必ずお連れせよとの騎士団長直々の命令ですので、何卒ご一緒においで頂けます様お願い申し上げます。また」
若い兵士は視線をオルアに向け直し、更に言葉を続ける。
「年の頃は十五、六の元気そうな少年剣士であれば間違いなく悪友の孫、オルア様で間違い無い。それならばカシム様同様、必ずお連れする様にと命ぜられております。ですからオルア様も、そしてお連れの方も是非、一緒においで頂けます様に、重ねてお願い申し上げます」
「くっ…相変わらず強引な奴め」
カシムは思わず苦笑しながら呟く。とは言えそこまで言われて帰る訳にもいかず、結局カシムは、オルアたちと共にハイネンの元へ顔を出す羽目になった。
「よう、まだくたばっておらんかったか!相変わらずしぶとい奴め!」
カシムの顔を見るなり、ハイネンはまるで子供がはしゃぐ様に声を上げた。
「相変わらず、ガキみたいな事を…」
カシムは苦虫を噛み潰したような顔になるが、ハイネンは気にもせずオルアにも声をかける。
「おお、本当に来てくれたのか!いやいや、助かるよ、有難う!」
ハイネンは嬉しそうにオルアの両手を握り締めた。
「ところで、そちらのお嬢さんは?」
今度はミンクに視線を移してそう尋ねた。
「ああ、訳有って俺に同行する事になった」
「ミンクです、初めまして!」
「いやいや、こちらこそ初めまして。それにしてもオルアよ、旅に出てすぐこんな可愛いお嬢さんを道連れにするとは、お主もなかなかのやり手じゃのう?」
ハイネンはそう言って大声で笑う。その時オルアは思った「何故、自分の周りに集まる年寄り達は、異常な程に元気な連中ばかりなのか」と。
暫く談笑しているうちに、オルアにもカシムとハイネン、そしてジークの関係が解ってきた。どうやら三人共ほぼ同時期に城勤めをしていた仲で、仕事上の接点が殆ど無かったにも関らず妙に気が合い、いつもつるんでいた程の仲だったらしい。かつてジークは近衛兵長だったのだが、王のたっての願いにより王子の剣術指南役に任命され、ハイネンは一兵卒から軍功を上げて騎士団に格上げ、今では団長と言う名誉な地位に就いている、と言う事が解ったが、結局カシムが何をしていたかはうやむやのままにされて教えては貰えなかった。
会話の中でオルアがジークの孫であるという事を知り、カシムはオルアが歳の割に腕が立つ事に合点がいった様子で何度も頷いて見せた。
「あ、そう言えば…」
話が一段落した所で、オルアは思い出した様にハイネンに尋ねる。
「この間言ってた、退治して欲しい盗賊って何て奴?」
「おお、もしやワシは家まで押しかけておきながら、肝腎な事を言い忘れておったか?」
「ふう、騎士団長ともあろう者が大した耄碌振りじゃな!」
カシムは容赦無く突っ込んでから笑うと、不意に真剣な顔つきになり
「まさか、ガルではあるまいな?」
語調を強めてそう言った。
「…その通りだ」
ハイネンの言葉に、一同は暫く沈黙した。しかしミンクだけが快活さを失わずに楽しげに喋る。
「ホントに言った通りになっちゃったね?でもきっといい修行になるよ!頑張ろう!」
オルアは正直な所、とんでもない奴を相手にする事になって気が重くなってしまった。しかしミンクの言葉は不思議とそんな気持ちを軽くしてくれる。
「そうだな…そう考えれば相手が強ければ強い程有難いって事だ!」
「そうそう、その意気よ!」
一瞬でオルアの気持ちを軽くしたミンク。その様子を見てカシムとハイネンは顔を見合わせるが、互いに苦笑してしまった。そしてカシムがハイネンに尋ねる。
「ところで、実はここに来る間にガルの手下と思われる男に会ったのだが…」
そう聞くとハイネンの顔が険しくなる。
「やけに目つきの鋭い痩せた男で、その太刀筋は正に目にも止まらぬ早業だった。相当の手練と思われるが、何か知らんか?」
「うむ…恐らくはガルの右腕と言われているスティングだろう」
「スティング?」
自分よりも強そうな男の名前が少し気になったのか、オルアは思わず口を挟んだ。
「左様。かつてガルの盗賊団と縄張り争いをしていた別の盗賊団の長だった男で、今でも旋風のスティングと言えば震え上がる者は数多くおる」
「そんな奴が、何故ガルの下で?」
「かなり前の事になるが…互いの縄張りを賭けて首領同士で一騎打ちを行い、結果スティングはガルの軍門に下った、そう聞いておるぞ」
「…じゃあ、やっぱりあの人よりもガルって人の方が強いって事よね?」
ミンクは自分に言い聞かせる様にそう言うと、視線をオルアに向け
「大変だね!」
何故か嬉しそうに言うと
「ああ、大変だな…とは言えそれ程の男を倒せば、ジジィも少しは俺の事を見直すかもしんねえな!」
ミンクにつられたのか、オルアまで何故か楽しそうにそう言った。
その日の夕方、オルア達はハイネンと共に王に謁見する事になった。この国の決して小さいとは言えない問題を解決する為の切り札を王に見て貰う為、ハイネンが半ば強引に連れて行った様なものだったが。当然の事ながらハイネンはミンクも、更には嫌がるカシムをも一緒に連れて行った。
「何でワシまで…」
ぶつぶつと不満を漏らすカシムだったが、そんな事はお構い無しにハイネンは玉座のある広間の扉を開けさせた。
扉は音も無く開き、ハイネンを先頭に一同は王の居る玉座へと歩いて行く。大理石の床に足音が響くと、オルアは今頃になって自分が場違いな場所に来てしまったのではないかと考え始めた。しかしそんな事を考えている間にも玉座は間近に迫り、ハイネンは立ち止まると玉座の王に声をかけた。
「陛下」
それまで隣に居た宰相と話をしていた王は
ハイネンの言葉に振り向くと
「おおハイネン、待っておったぞ。何やら私に会わせたい者がいるらしいではないか?」
親しげに声をかけてきた。その顔はオルアが想像していたよりずっと若く、そして温厚そうな笑みを湛えている。王は宰相に二言三言告げると、再びハイネンの方に向き直り、その後ろに立っているカシムに気付いた。そしてにこやかに話しかける。
「おお、これはまた懐かしい顔だ!ハイネンよ、会わせたい者とはカシムの事だったか。それはそうとカシムよ、既に隠居した身であるにも関わらずこうして私に会いに来てくれるとは、何とも喜ばしい事よ」
元気そうな王の姿を見て安心したのか、カシムも笑みを浮かべて言葉を返す。
「なんとも勿体ないお言葉。少々の旅の疲れなど、その様なお言葉を頂けるのであれば物の数ではございません。それよりも陛下のお変わりないお姿を拝見できただけでも、ここまで参上した甲斐があるというものです」
そう言ってカシムは王の顔を感慨深げに見つめると、オルアに向き直って王に告げる。
「それはそうと、騎士団長殿が陛下との謁見を望んだのはこの私では無くこちらの少年だと思われますが。違うかな、騎士団長殿?」
カシムがそう言うと、ハイネンはそれまでニヤニヤしていた顔を一変させ神妙な面持ちで王に向き直る。
「陛下、数年来の懸案事項であった盗賊退治についてお話したいことが御座います」
急に真剣な顔つきになったハイネン、それを見た王は思わず背筋を伸ばし、オルアに視線を注ぐ。
「うむ、実は先程から気にはなっていたのだが、その少年が、カシムの申した私に会わせたい者、と言う事か?」
「左様で御座います。時に陛下、この少年の顔に見覚えは御座いませんか?」
「うむ?いや、私にそんな若い剣士の知り合いなぞおらぬが…」
「いえ、この少年本人ではなく、この様な不敵な面構えに見覚えがお有りになるのではないかと思いまして」
「そうか?はて…」
王は玉座から身を乗り出し、暫くオルアの顔に見入ると…
「おお、もしや…!」
ハッとした様に目を見開き、指をパチンと鳴らして言葉を続ける。
「そちはもしや、あのジークの血縁の者であろう?いや間違い無い!どうじゃハイネン、その通りであろうが?」
「はっ、お察しの通りに御座います」
「何で解るんだよ…」
自分とは関係なく話が進むのを見て、オルアは思わず呟いた。
「いやいやいや、かつて私に泣きベソかかせたジークめも既に人の親、いや、年齢的には孫か?そうであろう!なんとあやつも既に孫を持つ身となりおったか!」
王はそう言いながら玉座を降りると、オルアの両手を握り懐かしそうにその顔を見つめた。
「おぉおぉ、間近で見ればまさに若き頃のジークと瓜二つではないか!のうハイネン?」
「はい、仰せの通りにございます。私も初めて目にした時、全く同じ事を思いました」
その言葉に、王は何度も頷いた。
「む、と言うことはこの少年…ところで名は何と申す?」
「えっ?あ…名前…お、俺はオルアと言います!」
しどろもどろなオルアの自己紹介に、王は思わず吹き出した。しかしまだあか抜けないオルアが気に入った様で、笑いながらその両肩を叩く。そして
「さて、少年の身元は良く解った。しかしハイネンよ」
急に真面目な顔になってそう言うと、ハイネンに向き直った。
「確かにジークは天下無双の剣士と言っても差し支え無かった。しかしいかに血縁者とは言え、このオルアの腕前の方は果たして如何なる物か、そちは承知しておるのか?」
「はい、先日私がジークを尋ねた折、その戦いを拝見致しましたので。既に陛下に御報告申し上げた件につきましては、一切の誇張などはございません」
「うむ、それは頼もしいな。とは言えこの私の性格はよ~く知っておろう?」
王は悪戯っ子の様な笑みを浮かべながらハイネンにそう言った。
「まだ悪い癖が抜けて無いか」
その様子にカシムが思わず呟くと、ミンクが尋ねる。
「悪い癖って、一体何の事?」
「うむ、陛下は昔から自分で見た物、見た事しか信じない性格でな。多分オルアに…」
カシムが言い終わるより先に、王はオルアに告げる。
「さてオルアよ、その方はこの私が信頼に足ると信じておる王国の騎士団長ハイネンの依頼によりここへ参上した。それについては間違い無いな?」
いきなりの問いにオルアはうろたえるが、視線の端にいたハイネンが無言で頷くのを見ると
「はい、その通りです」
今度は落ち着いた様子でそう答えた。
「うむ、ではその仕事はこの国の懸案事項の一つである盗賊団を退治する事。しかもその盗賊団は腕利き揃いで、その首領たるや人間離れした強さを誇る恐るべき相手である、それも承知の上と言うことだな?」
「はい」
「つまりは、命がけの仕事になるが、それも厭わない。その覚悟は既に出来ている、と言う事で間違い無いな?」
「はい、承知の上です!」
力強く答えるオルア。王は満足気に頷く。
「うむ、流石はこの私に剣術指南をした男の孫だ。若さ故の単なる怖いもの知らずかもしれんが、目を見ていると何かやってくれそうな期待をしてしまう。そこでじゃ…」
一旦言葉を切った王は再度ハイネンに声をかけるが、その視線はまたも悪戯っ子に戻っていた。
「…やはりな」
半ば観念した様に呟くカシムだったが、王はそれには全く気付かない様子でハイネンに告げる。
「では、早速オルアの相手を見繕ってくれ。久々の試合、楽しみにしておるぞ!」
「はっ、早速今夜にでも。宜しいですか?」
「うむ、それは楽しみだ!では下がるが良い…いや、その前にもう一つ。そちらの可愛らしいお嬢さんは誰の血縁者なのか?まさかカシムのではあるまいな?」
「いえ、彼女はオルアの旅の道連れでございます」
カシムはそう答え、更に
「確かに、この様な器量良しな娘を授かればそれこそ過ぎた幸福ではありますが」
そう言って笑うと、ミンクを促した。
「ご挨拶が遅れまして申し訳ございません。私はミンクと申す者で、カシム様のお言葉通り訳有ってオルアの旅に同行している者でございます。お見知りおき頂ければ、それに勝る幸せはございません」
丁重に挨拶をして頭を下げるミンク。その言葉は聞く者の心に響き、王やハイネンはともかくとして、既に何度と無く言葉を交わしていた筈のオルアやカシムまでもが、まるで初めて彼女の言葉を聞いたかの様に感動してしまった。暫く王も呆けてしまっていたが
「おお、何とも丁重な挨拶しかと心に響いたぞ。しかし見かけはオルアと変わらぬ年頃の様だが、言葉遣いなどは比べ物にならぬ程に洗練されておる。きっと良い家庭で育ったのであろう」
王はそれだけ言うと、それ以上は詮索しようとせず
「では、下がるが良い」
そう一同に告げ、その言葉で一同は退室した。
再びハイネンの自室へ戻ると、オルアは気になって仕方が無かった事を尋ねる。
「さっき言ってた試合って、何?」
「いや、実はのう…」
言い渋るハイネンに代わり、カシムがそれに答える。
「実は、陛下にはチト悪い癖があってな」
「あ、そう言えばさっきもカシムさんそんな事言ってたけど、一体何の事?」
思い出した様にミンクが尋ねると、カシムは溜息をついてから続けた。
「陛下は幼少の頃から人一倍好奇心が強くてな、誰よりも多くの事をご自分の目で見、耳で聞かなければ気が済まない性分なのじゃ。それ故我々がオルアの戦いを見ているのに、ご自分がそれを見ていないというのが何とも歯がゆいのじゃろう」
「…何だそれ」
「我々を信用してない訳では無いのだが、腕の立つ少年剣士となれば、何としても一度は見ておきたいと言うのが本音じゃろうな。もっとも建前としては、ハイネンの推薦とは言え、本当にオルアに盗賊退治に行って貰うとすれば、それは陛下の勅命と言う事になる。そうなると腕前も定かではない剣士を向かわせる訳にはいかない、とも言えるがな」
カシムがそう言って視線をオルアに向けると、ハイネンが後を続ける。
「そこでだな、いきなりで申し訳無いのだが今夜陛下の御前で剣術の試合をして貰いたいのだ。勿論果し合いではないので真剣は使わない、言うなれば腕比べだな。そしてその相手だが…」
そこでハイネンが言葉を切る。その表情はまるで嫌な事を思い出したかの様な渋面になっていた。するとカシムは何かに気付いたかの様にハイネンに視線を向け
「もしや、ガルフが何かしているのか?」
「相変わらず察しが良いな、その通りじゃ」
「…どうせ、お主へのあてつけと言った所なのじゃろう?」
「うむ、ワシがジークの所から戻るなりあやつも戦士を公募したらしいからな」
「相変わらずいけ好かない奴だ!」
カシムは思わず声を荒げるが、オルアとミンクは新たな名前を聞いて話が見えないといった表情をしていた。それに気付いたハイネンが二人に話しかける。
「おお、肝心のオルアそっちのけで話しを進めて申し訳無い。ガルフと言うのはな、ジークがこの城を去った後に近衛兵長となった男じゃ。もっとも武人としての腕では無く、狡猾な根回しと賄賂でその地位を手に入れた男で、正直ワシもカシムも虫唾が走る程に嫌っておる」
その言葉にカシムは無言で頷く。
「しかも、事ある毎にこのワシのやる事に対抗してくるからタチが悪い。試合の相手もほぼ間違いなく奴の選んだ者になるだろう」
ハイネンの言葉が終わると同時に、誰かが扉を叩いた。
「むう、噂をすれば」
「うむ、恐らくな」
カシムとハイネンは顔を見合わせる。同時に扉が開き、背中の曲がった陰険な顔つきの男が姿を現した。
「ごきげんよう、騎士団長ハイネン殿」
男は入ってくるなりそう言うと、カシムの姿を認めて眉をしかめた。そして
「おや、誰かと思えば…今でも貴方の手は血まみれなのでしょうなあ」
そう言ってニヤニヤと笑みを浮かべる。
「何の用かな?近衛兵長ガルフ殿」
あからさまに嫌な顔でハイネンが尋ねる。カシムはむっつりと押し黙っていた。
「いや、ちょっと面白い噂を耳にしたものでねえ」
嫌な笑みを浮かべたままでガルフは部屋の中に入ると、オルアに視線を向けた。
「なんでも、あのガルを倒す為に年端もいかぬ少年を連れてきたとか…」
そう言ってオルアを見る視線は、明らかに蔑みの意思が込められていた。オルアが厳しい視線を返すと一瞬たじろいだが
「まさか、君がその少年なのかね?」
また気味の悪い笑みを浮かべてそう言うと同時に、背後に控えていた大男を促す。
「如何ですか?この男こそガルに勝るとも劣らぬ強者、この私が選んだ勇士ゴリアテですぞ!」
その言葉と同時に背を屈めて大男が入って来た。その背丈は常人の倍はあろうかと言う大きさで、オルアの正面に立ち見下ろす様子は、大人と子供などと言う生易しい物では無く、巨人と小人と言える程に大きさに差があった。しかしオルアは全く動じた様子を見せず、頬杖をついたままゴリアテを見上げる。
「一体、何食うとそこまでデカくなるの?」
オルアは男の大きさに怖がるどころか、呆れた様に質問をして相手の調子を崩す。ハイネンとカシムは、全く動じていないオルアの発言に必死で笑いを堪えていた。その様子を見てすっかり調子を崩したガルフは
「…強がりは止めた方が君の為だ」
そう言って両拳を小刻みに震わせながら部屋を出て行った。ゴリアテも無言でその後に続く。
部屋の扉が閉まると同時に、ハイネンとカシムは顔を見合わせて大笑いし始めた。
「オルアよ、あの様な大男を目の前にしても全く動じぬとは、流石はジークの孫!」
「いや全くもってその通り!ハイネンよ見たか?ガルフの奴悔しさの余りプルプルと震えておったわ!」
「おお!もちろん見逃す筈無かろう?久々に爽快な気分じゃ!」
そう言って笑い続ける二人をよそに、ミンクはオルアの顔を覗き込み
「ねえ、さっきの人大きかったけど、あんまり強そうじゃ無かったね?」
同意を求める様にそう言った。すると
「ああ、少なくともジジィやスティングって人と比べたら怖さは感じないな」
オルアは事も無げにそう答えた。
その日の晩、オルアとゴリアテは闘技場で向かい合っていた。王のお触れにより多くの貴族や民衆が闘技場に集まり、闘技場はさながらお祭りの様な騒ぎになっていた。その張本人である王は、王妃と共に貴賓席で観戦を決め込んでいる。その両隣にはハイネンとガルフが控えていたが、一瞬視線が合うとすぐに逸らし、その後は互いに見向きもしなかった。そんな二人をよそに王は立ち上がると、集まった観衆に向けて声を発した。
「よくぞ集まった我が国民達よ!」
その声に観衆からは大きな歓声が上がる。王は満足げに微笑むと、片手を挙げてそれを制して言葉を続けた。
「予はここに二人の勇士を呼び寄せた。共に予の信任厚き騎士団長及び近衛兵長の選りすぐった勇士、オルアとゴリアテである!」
その言葉と同時に、闘技場の中心で向かい会う二人に対して大きな歓声が上がった。王は再び笑みを浮かべると、更に続ける。
「これは単なる御前試合では無い。この試合の勝者こそこの国一番の勇士!よって予は、この試合の勝者にあの悪名高き、なれど無類の強さを誇る盗賊、ガルの討伐を命ずるものなり!」
王はそう言葉を結ぶ。そして再び上がった歓声は、闘技場をも倒壊させるのではないかと思える程の盛り上がりだった。
歓声も納まった頃、オルアとゴリアテは互いに向かい合っていた。その頃観客席ではミンクが
「カシムさんはどっちが勝つと思う?」
呑気にそんな事を尋ねていた。その顔には欠片ほどの心配も見られない。
「…そこまで余裕を見せられたら、どう転んでもオルアの勝ちとしか思えんが」
そんなやり取りをしていると、後ろにいた男が声をかけて来た。
「オルアってのは大きい方かい?」
「ううん、ちっちゃい方だよ」
「ほう、じゃあアンタ方はあの子供が勝つと思ってるのか?」
「当然!」
「ほう、じゃあ賭けるかい?」
「いいけど、多分勝っちゃうわよ?」
「あっはっは!大した自信だな?じゃあ負けた方は夜が明けるまで相手をもてなすって事でどうだ?」
「いいわよ!カシムさん良かったね♪今夜は好きなだけ飲めるわよ!」
「それはどうかな?俺の方がお譲ちゃんに接待して貰う事になるかもよ?」
「さて、それはどうかしら?」
そんなやり取りが行われている間に
「では、始めよ!」
ハイネンの合図と共に試合が始まった。同時にゴリアテは両手に持った棍棒を派手に振り回して威嚇する。しかしオルアは全く意に介さぬかの様に近付き、手にした木剣を水平に構えた。落ち着き払ったその態度が気に入らないと言わんばかりに、ゴリアテは気合と共に棍棒を振り下ろした。一瞬歓声が上がるが、すぐにざわめきに変わる。誰の目にもオルアが激しい棍棒の一撃を喰らうと見えたのだが、次の瞬間にオルアはそこから消えていた。そして気付くとゴリアテの背後に回っている。慌てて振り返るゴリアテをよそに、オルアは再び元の位置に戻って向き直った。カシムとミンク、更には王の隣のハイネンも思わず喝采を送るが、ガルフは信じられないといった顔をして
「な…何をしている?本気でやらぬか!」
そう言うのがやっとだった。ゴリアテは一瞬ガルフの方を見やるが、すぐにオルアに向き直って構え直した。しかし
「もういいや、アンタじゃ修行の相手にならない」
その言葉と同時にオルアは目にも止まらぬ速さで突進する。
「………!」
一瞬その場にいた全ての者が沈黙した。一体何が起きたのか、気が付くとゴリアテの巨体は宙に浮かび、そのまま闘技場の壁に激突した。無言のまま観衆の視線はゴリアテに向かい、その巨体がうつぶせに倒れると同時にオルアに向かった。しばらくの沈黙の後…
「オルアカッコいい!」
ミンクがオルアを祝福する。すると呆気に取られていた観客からも歓声が上がった。
「…いやはや、流石はあのジークの孫と言うべきか」
王は信じられないと言いたげに呟く。
「はい、以前私が初めて見た時より更に力をつけた様に思われます。正直な所、これ程とは私も思っておりませんでした」
ハイネンのその言葉に王は無言で頷いた。
再び王の前に呼び出されたオルアは、正式に王より盗賊退治の依頼を受ける事となる。ハイネンが王に裁可された文面を読み上げ、オルアが了解の意を示した事で、一時的とは言えオルアは王の配下である騎士団の傭兵となった。そして騎士団長ハイネンを通し、オルアに盗賊退治の勅命が下った。
その頃町の酒場、実は先程の賭けに負けた男が経営している店だったのだが、そこではミンクとカシムがオルアの祝賀会を勝手に始めていた。
「では、我らがオルアの見事な勝利を祝い、更には今後の活躍を願って、乾杯!」
「うむ、乾杯!」
ジョッキに並々と注がれたビールで勢い良く乾杯すると、ミンクはそれを一気に飲み干した。半分程飲んだ所でカシムは驚いてこぼしてしまう。
「ちょっとカシムさん!まだ酔っ払うには早いわよ?」
慌ててテーブルを拭きつつも、ミンクはちゃっかりとお代わりの注文を入れる。
一時間と経たない内に、ミンクの周りには人だかりが出来上がっていた。その飲みっぷりに感心した男達が次々に飲み比べを挑んだからだった。
「お代わり早く持ってきてー!」
既にミンクは何杯飲んだか不明だったが、全くふらつく様子も無く次々に追加注文を入れる。その様子に既に五人目となった相手は何とかジョッキに口をつけるが
「…うっぷ」
そう言いながら白目を剥いて倒れてしまう。
「あら、大丈夫?無理は禁物よ」
呑気な事を言いながらも更に平然と飲み続けるミンク。始めのうちは心配気に見ていたカシムも、今ではすっかり呆れた様な顔で勝負の行方を見守っていた。そこへ
「アイツ、何やってんだ?」
背後から声をかけられ振り向いたカシムの前には
「何か、妙に盛り上がってるけど…」
「うむ、なんの騒ぎじゃ?」
事情を飲み込めないと言いたげな顔でオルアとハイネンが立っていた。
「おお、やっと来たな!まあ座れ。実はさっきから面白い勝負が始まっておってな…」
カシムはそう言うと、盛り上がっている訳を二人に話し、自分もまた楽しげに飲み始めた。
「おお、それとな、実は今夜はこちらの主人がワシ等に奢ってくれるそうじゃから、遠慮せずに色々と頼むがいい」
「ほう、それはまた気前のいい事だ!とは言え何故?」
「そりゃあ、オルアのお陰じゃ!」
「…俺の?」
カシムはそう言って満足げに笑うと、また勢い良く飲み始めた。
「ふむ、よく解らんが折角のご好意、有難く受けるとしようか」
「うん、俺もう腹減ってしょうがない。細かい事はどうでもいいから、何か持ってきてくれ!」
暫くして大皿に乗った数々の料理が並び、オルアは思わず唾を飲み込む。そして
「いっただっきまーす!」
もう我慢できないとばかりに、いきなり大きな骨付きの肉を手に取る。すると
「あー、オルア今頃来たー!」
いきなり大きな声で自分の名を呼ばれてオルアは思わず振り返る。いつの間に近づいていたのか、すぐ背後には笑みを湛えたミンクが立っていた。その両手には大きなジョッキが握られている。
「もう、遅いよー!」
そう言いながらミンクはオルアの隣に座ると
「はい、喉渇いてるでしょ?」
そう言いながらジョッキを手渡した。
「ああ、すまない」
「はい、じゃあオルアの活躍に乾杯!」
「おお!」
オルアは渡されたジョッキを一気に空にしたが
「あれ、これって…ビール?」
そう言うと同時に椅子ごと後ろにぶっ倒れてしまった。
オルアが暫くして目を覚ますと
「あ、大丈夫?」
ミンクが心配そうにその顔を覗き込んだ。
「ああ、大丈夫…多分」
そう言いながら、オルアは自分の頭がミンクの腿に乗っている事に気付いて起き上がろうとする。しかしミンクは片手でオルアの額をなでながら微笑んだ。
「無理しないで。私が飲めないお酒飲ませちゃったのが悪いんだから」
「…ずっと、こうしてたのか?」
「うん…ゴメンね」
「いや、俺の方こそ…ろくに確かめもしないで一気に飲んじまったのは俺だからな…もう大丈夫だ」
オルアは起き上がって軽く頭を振った。
「平気?頭痛くない?」
「ああ、何とも無い。それよりさっき何も食ってないから、何か食わないとまた倒れそうだ!」
「そうだね、色々取っといたから好きなだけ食べて!」
「そりゃあ気が利くな!…ところで、あの元気な爺さん二人組はどうなった?」
「それならあそこで盛り上がってるわよ」
ミンクが指差した先では、カシムとハイネンが年甲斐も無く盛り上がっている。何故か周りを囲む多くの町人達とも一緒になって騒いでいるせいで、その盛り上がり方も異様な状況だった。
「…ホントに、元気なジジィ共だな」
そう呟きながら、オルアはやっとの事で骨付き肉にかぶりつく事ができた。その傍らではミンクが微笑みながら…またもやジョッキを空にしていた。
翌朝早く、オルア達はガルの根城である北の廃村を目差して出発した。
「まったく、何でワシが…」
出発して間も無くカシムが呟いた。それもその筈、単にオルア達を送り届ける筈だったカシムが、何の因果か結局は盗賊退治の結末を見届ける事になってしまったからだった。
しかも門番不在となるサウスローザには既にハイネンが代わりの者を送っていて、カシムはハイネンの思惑通りに動かされていた事を知り、余計に腹立たしかったのだった。
「まあまあ、私達はカシムさんと旅を続けられて正直嬉しいと思ってるんだから!」
「そうだな、少なくとも俺より旅慣れているのは間違い無いし、それに何より…」
「何じゃ?」
「いや、ウチのジジィと知り合いだったんなら、何か弱点でも知ってるんじゃないかと思って。昨日までは思いつかなくて聞き忘れてたからな」
「…ふっはっはっはっは!ジークも随分と頼りがいの有る孫を持って幸せじゃのう!」
「まぁ、お酒には弱いけどね?」
「うるさい、俺はまだ十六だ」
オルアの言葉にカシムは再び大笑いした。
暫くはなごやかな雰囲気で馬車を進ませるカシムだったが、不意に気になっていた質問をぶつける。
「ところでオルア、ガルに辿り着くにはまずはスティングを倒さねばならんぞ。勝算はあるのか?」
「…いや、考えてない」
「何じゃと?そんな事で…」
「多分大丈夫よ!そんな気がするから」
「うん、そうか?何故かは解らんがお譲ちゃんがそう言うと、そんな気がするから不思議な物じゃな」
「まあそれもあるけど…何て言うか、スティングって人が強いのは間違い無いけど、勝てない相手じゃ無い様な気がする。上手く言えないけど…絶対負けない」
「そうか…まあ、死なない程度に頑張れ」
「…縁起でも無い事言うな」
「大丈夫、オルアは死なないよ!」
「うむ、あのジークの孫なら仮に死んでも生き返るじゃろう!」
「だから、死ぬとか言うなー!」
オルアの言葉に再び笑い声が起こった。
北の廃村への道程は基本的に平坦な街道の連続だった。山越えも無ければ盗賊や魔物の類なども現れず、何事も無く二日目の夜を迎える。夕食を済ませるとカシムは改めてオルアに尋ねる。
「このまま何事も無ければ明日の夕方までには目的地へ着くだろう。今ならまだ引き返せるが、本当にこのまま進んで良いのか?」
「…何を今更。第一これは俺一人の問題じゃ無い。そんな事は解ってるだろうに」
「あら、なんか大人みたいね」
「…うるさい、細かい事に反応するな」
「いいじゃない、褒めてるんだから」
「…ミンクが言うと、いまいち褒められてる様に聞こえないんだよ」
「何よそれ?失礼しちゃうわ。カシムさん、ひどいと思わない?」
全く緊張感の感じられないやり取りを見ている内に、カシムは半ば呆れながらも本当に何とかなりそうな気がしてきた。そして思わず笑い出す。
「何だよ、真面目な顔してたと思ったらいきなり笑い出して…気持ち悪いな」
「まあ気にするな。年を取ると色々とあるんじゃよ」
「そうよねー、老婆心って言うのかしら?まあオルアみたいなお子様には解らない事って確かに色々あるわよね」
「はっはっは!確かにその通りじゃな」
「うるさい…二人揃って。第一ミンクは俺と大して違わないんじゃないのか?」
「え?…あ、その辺はまあ…聞かないで」
「何じゃそりゃ?もしかして実は俺よりも子供…って事は無いか。昨夜は何人も飲み比べで倒したらしいからな」
「え、何の事かしら?ねえカシムさん?」
「…そりゃあ流石にごまかせんじゃろう」
「あら、やっぱり?」
結局はその晩もこんな感じで終わり、翌日はいよいよ盗賊団の本拠地へ向かう事となった。
翌日の昼食時、オルア達は一応打ち合わせらしき物を行う。
「ハイネンの話によると、ガルは一対一の戦いが何より好きな男だと言う事じゃ。だから正面から勝負を挑んでも、罠にかけようとしたり大勢で襲い掛かってくる事は心配しなくてよい。但し、中途半端な腕で挑んで来る者にはそれ相応のもてなしをするそうじゃぞ」
「もてなし?」
「仲良く皆でお酒でも…じゃ無いわよねえ」
「それならワシが代わってやりたいが、当然そんな事にはならんじゃろ」
「当たり前だ」
「うむ、その通り。しかもガルにはスティングを始めとした腕利きの配下が数多くおり、少なくともその内の何人かを蹴散らして力を示さなければ、ガル本人が出てくる事も無かろう」
「じゃあ、この間の人と戦って勝たないとガルって人を倒す所か、戦うことすらできないんだ?」
「うむ、ハイネンが言うにはそうらしい」
「ふーん…なんか盗賊退治って言うよりか、腕比べに行くみたいな感じだな」
「そうじゃ。それだけに余計にタチが悪い。何しろ一対一で勝つ以外には奴らを退治する方法は無いのじゃからな」
「討伐隊とか送らなかったのかしら?」
「いや、城の兵士じゃ相手にならなかったらしい。そう言ってた」
「言ってたって…ハイネンさんが?」
「ああ、家に来た時そう聞いた。それでわざわざジジィに助太刀を頼みに来たんだ。まあ結局は俺が来たんだけどな」
オルアのその言葉に、カシムは自分を納得させる様に言う。
「うむ、結局はオルアの腕に頼るしか無いと言う事じゃな」
その言葉に三人は顔を見合わせて頷いた。
「じゃあ、私は頑張って応援するわね!」
「よし、ならばワシも応援してやるぞ!」
「…いらねえ」
結局の所、打ち合わせは解り切っていた事を再確認するだけの事に留まる。とは言え、再び出発した時のオルアの顔は既に少年のそれでは無く、何かを決意した男の顔になっていた。
カシムの予想より若干早く、日が傾きかける前には既に廃村が見えて来た。
「あ、あそこにいる人は…」
廃村の中に立つ物見台らしき物を指差しながらミンクが言う。
「あの人…この間の。凄く大きな弓を構えているよ」
「この間の、スティングじゃろうか?」
「しかも弓って、いきなり飛び道具かよ?」
オルアもカシムも人影らしきものは確認できなかったが、次の瞬間ミンクが決して冗談を言っているのでは無い事が解った。
「来たよっ!」
ミンクの言葉とほぼ同時に、巨大な矢が二頭の馬のど真ん中の地面に突き刺さった。カシムは驚く馬をなだめるのに精一杯となってしまう。オルアとミンクも馬車から飛び降りて、馬をなだめるのに手を貸した。
「あ、あの人笑ってるよ。多分今のは本気で狙ったんじゃ無いみたい」
「…ヤロウ」
馬をなだめつつもミンクは様子を窺っていたが、それ以上の攻撃は無かった。
程無くして廃村の入り口に辿り着くと、オルアは勢い良く馬車から飛び降りて中へ入って行く。
「ちょっと、オルア?」
「えーい、気の早い小僧め!」
ミンクとカシムも慌てて後を追うが
「あ…あの人は」
「スティング!」
二人がオルアに追い付いた時には、既にスティングと向かい合っている。スティングは背後に数人の部下を従えてはいるものの、一切の手出しはさせない様にしていた。
「おや、誰かと思えばこの間の少年か。もしや仲間に入れて貰いに来たのかな?それなら歓迎するぞ」
「ふざけるな!いきなりあんな歓迎されてそんな訳無いだろうが!」
「ああ、あれは断り無しにここへ近付く者への警告だよ。何しろ我等の御頭は今留守にしている。その間に何か有ってはこの私の立場が無くなるのでな。悪く思うな」
「うるさい!とっとと剣を抜け!」
余裕を見せるスティングと対照的に、オルアは頭に血が昇っていた。
「やれやれ、あれじゃあ勝負にならんな」
カシムの言葉通り、オルアは剣をぶんぶんと振り回しながら喚き立てている。
「ふーむ、どうやら私は君を買い被っていた様だ。もしやこの私をも凌ぐのではないかと少々気になっていたのだが、今の君には万に一つも負ける気がしない」
スティングはオルアを更に逆撫でする様な言葉を放つと、急に冷たい笑みを浮かべて剣を抜いた。
「所詮その程度の器だったのなら、もう君に用は無い。とっとと立ち去るか…さも無くばここで死んで貰おう」
「面白ぇ!やってもらおうじゃ…」
オルアは言いかけて急に気持ちが静まるのを感じていた。いつからか微かに流れる歌声がいきり立った心を静めていく。オルアは大きく深呼吸して再びスティングに視線を向け直したが、その目は既に落ち着きを取り戻していた。
「全く、お子様なんだから…」
ミンクは歌い終えるとそう言って微笑を浮かべた。すっかり落ち着いた様子のオルアを見て、カシムも胸を撫で下ろす。
「ほう…折角の度重なる挑発もどうやら功を奏さなかった様だな。どうやら君は仲間に恵まれているらしい」
「ああ、認めたくは無いけどどうやらそうらしい。で、やっぱりアンタを倒さないとガルには挑戦すら出来ないのか?」
「そういう事だ。どうする?」
「当然、アンタを倒す!」
力強いオルアの言葉に、スティングは笑みを浮かべた。しかしその時、周りからどっと笑い声が上がる。オルアが驚いて辺りを見回すと、いつの間にか周りをすっかり囲まれていた。そしてその集団の長と思われる巨漢が高台に腰を降ろしていた。
「…ハルクか、いつ戻った?」
落ち着いた口調のままスティングが尋ねると
「弓を構えた所から見ていたさ。とは言え、アンタ程の男が何故そんなガキ相手に本気になっているのかは解らんし、そのおかしな状況はなかなか笑えたがな!」
ハルクと呼ばれたその男はそう言って再び笑うと高台から飛び降りた。そしてオルアとスティングの真ん中辺りに立ち、嘲るような目付きでオルアを見下ろす。そして
「こんなガキがアンタを凌ぐってか!とてもナンバー2のスティング様のお言葉とは思えねえな。いつから冗談言うのが好きになったんだ?」
スティングを振り返りながらそう言った。
「何よアイツ、感じわるーい!」
「うむ、どうやら盗賊団の一人の様だが、明らかにスティングの一団とは違う様じゃな」
ミンクとカシムがそんな話しをしている間も、オルアの視線はまるでハルクなど見えていないかの様にスティングから離れる事は無かった。それに気付いたハルクが猛然と怒り出す。
「スティング!このガキ俺に殺らせろ!」
ハルクはそう叫ぶと、腰に下げていた二本の槌を手に取って構えた。しかしオルアの視線は揺るがない。それを見たハルクは逆上してオルアに打ちかかる。しかし
「待て」
静かな声でスティングが言った。ハルクは手を止めて振り返るが、その怒りは一向に静まった様子は無い。
「何故止める!どうせアンタもこのガキ殺るつもりだったんだろうが!」
逆上したまま叫ぶハルクに、まるで言い聞かせるかの様にスティングが言う。
「まあ待て。お前はその少年の戦いを見ていないから知らんだろうが、その若さからは想像できない程の使い手だ。なので、この私からお前に油断しない様にと忠告しよう。更には、もしもお前がその少年に勝てたなら、私に代わってお前こそがナンバー2に相応しいと、御頭に進言する事を約束する」
ハルクは一瞬言葉の意味を理解しかねて首を傾げたが
「…本気で言ってんのか?」
暫く考え込んだ後で目を見開いて言った。
「無論だ」
「じゃあ、俺がナンバー2に?」
「ああ、勝てたらな」
「…話が上手すぎる、何を企んでやがる?」
「何も、単にその少年が手強いという事だ」
「そうか…だがそこまで言われたら俺も本気で戦う。後でどうなっても言った事は守って貰うからな!」
ハルクはそう叫ぶと再びオルアに向き直って構え直した。その背後からスティングがオルアに声をかける。
「と、言う訳だ。すまんが君には更にもう一戦交えて貰うことになる。嫌ならすぐに立ち去って貰う事になるが、どうする?」
その言葉にオルアはやっと視線をハルクに移すと
「いいよ、じゃあ始めよう」
事も無げにそう言ったが、柄に手をやっただけで剣を抜く素振りは見せなかった。その余裕にハルクはまたも頭に血が昇りかけたが、スティングの言葉を思い出して深呼吸すると
冷静にオルアに対峙した。
「いつでも来い!小僧!」
そう言いながら二本の槌を上段と中段に構える巨漢の姿は、改めて見るとかなりの迫力だった。するとオルアは
「いつでもいいの?じゃあ…」
そう言いながらやや前傾姿勢を取ると
「やっ!」
気合と共に突進した。それに対してハルクが猛然と槌を振り下ろす…前にオルアはその横を駆け抜けていた。そしてスティングの前に立ち、不敵な笑みを浮かべる。
「…素晴らしい、久々に心躍るぞ!」
オルアを見下ろしながら、スティングは声を大にして叫んだ。その顔は今までに無く興奮の面持ちで、周りで見ていた男達はその変わり様に驚いた。しかし同時に何が起きたのかと訝る。するとその時、大きな音を立ててハルクの巨体が崩れ落ちた。
一瞬の沈黙の後でざわめきが起こるが、オルアとスティングは全く意に介さないとばかりに互いに剣を抜いて対峙した。そして
「先日見た時よりも更に力を上げたのか、もしくは今日初めて本気の君を見たのか…どちらにせよこれ程の相手なら是非その名を知っておきたい」
そう言うとスティングは剣を胸元に構え
「わが名はスティング、盗賊団の御頭ガルの右腕にして旋風の異名を持つ者!そなたを我が好敵手として認め、ここに一対一の勝負を挑む物なり!いざ名乗りを挙げ、我が挑戦に応え給え!」
そう名乗りを挙げると、オルアに向かって一礼した。堂々とした挑戦に戸惑いつつも、オルアは
「えっと、俺…じゃない、我こそは…我こそは………まだ二つ名は無いが、きっといずれは誰もがその名を知る事になるであろう剣士オルアだ!」
まるで様にならない名乗りを挙げた。ミンクとカシムは思わず吹き出すが、スティングは笑みを浮かべる。
「大変結構!その礼は私の挑戦に答える証と受け取って間違い無いな?」
改めて問われたオルアは
「あ…ああ、俺はさっきからアンタと戦いたくてウズウズしている!」
元気良くそう叫ぶと、気を取り直して剣先をスティングに向けた。するとスティングも笑みを浮かべつつ剣先をオルアに向ける。
「では、いざ尋常に」
「勝負!」
オルアは叫ぶと同時に仕掛け、勝負は始まった。オルアは猛然と突進して渾身の一撃を振るう。しかし歴戦の強者であるスティングにとってそれをかわす事は容易い、が
「まずはその力、見極めさせて貰う!」
いらぬ好奇心が、かわせる筈の一撃を受け止めさせた。すると
「ぐうっ?」
スティングは思わず呻き声を漏らす。たった一撃を受け止めただけで、その両手は軽く痺れてしまったのだ。
「なんという剛力…想像以上だな」
驚きつつもスティングは嬉しそうに微笑を浮かべる。とは言えこれ以上腕が痺れては勝負にならない、そう悟ったスティングは真っ向勝負を避け、オルアの攻撃を紙一重で交わしつつ剣を返す。その鋭さにオルアはたじろぐが、同時にオルアの恐るべき突進力と剛力にスティングは舌を巻いていた。オルアが攻めてスティングが返す、そんな状況が暫く続き、互いに決め手を欠いた状態でオルアが大きく跳び下がった。
「ふう、隙が無いな…」
オルアが額の汗を拭いながら言うが、その表情にはまだ余裕があった。対するスティングは少し苦しげな表情を浮かべ、呼吸も少し荒くなっていた。
「これ以上長引いたら、流石に持たないかもしれんな…」
そう呟くスティングはかろうじて両腕を下げない様に堪えてはいたものの、その腕は小刻みに震えていた。殆どの攻撃はかわし、攻撃をまともに受け止めたのは最初の一回だけだったにも関わらず、既にその両腕の痺れは限界に近かった。しかしスティングの表情からは苦しさが消え、それどころか楽しそうに笑みすら浮かべていた。
「…どうやら私の目に狂いは無かった様だ。きっと御頭もお喜びになる」
そう言うと同時にスティングは震える手を抑え、その剣を地面スレスレの所に構えた。
「さあ、正真正銘これが私の奥の手だ。覚悟が出来たなら、いつでも来るがいい!」
オルアは相手の狙いが解らず戸惑うが
「まあ、考えても解らない事は考えるだけ時間の無駄…行くぜっ!」
そう叫ぶと同時に、今まで以上の速さで突撃を仕掛けた。そして太刀筋を読まれない様にギリギリまで剣を振るうのを遅らせる。一瞬でも遅れすぎれば致命的なカウンターを喰らう危険な攻めだったが、オルアの頭には相手に渾身の一撃を喰らわせると言う考えしか無かった。
「…いい度胸だ」
スティングは呆れた様な感心した様な複雑な笑みを浮かべる。そしてオルアが間合いに入った瞬間、剣を大きく回転させて砂を巻き上げた。
「目潰し?」
オルアは急に足を止めて叫ぶが、すぐにそれが目潰しなどと言う苦し紛れの手では無い事に気付いた。目の前のスティングはまるで砂の竜巻に包まれたかの様に、その姿が見えなくなってしまった。オルアが唖然と立ち尽くすと、そこへ突然スティングの剣が襲い掛かる。
「おわっ!」
かろうじてオルアはそれを弾くが、更に見えない所からの攻撃が続く。思わず跳び下がるオルアだったが、竜巻はその後を追って逃がさない。
「やっぱ、スタミナ切れ待とうってのは考えが甘いか…なら!」
逃げるだけ無駄と悟ったオルアは、両手で剣を持つと右斜め上に構え、大きく深呼吸して唸りを上げる竜巻に目を凝らした。そこへ竜巻を切り裂く様な剣が飛び出してオルアに襲い掛かる。同時にオルアは
「ここだーっ!」
そう叫び声を挙げながら、スティングの剣を叩き斬らんばかりの一撃を振り下ろした。更にその勢いで回転しながら大きく跳躍する。
「ぐうっ!」
たまらずスティングは回転を止めるが、まだ剣を離してはいない。それどころか両腕がほぼ限界だったにも関わらず、オルアに対して最後の一撃を返そうと気合を入れる。しかし気持ちとは裏腹に、その両腕は上がろうとはしなかった。
「おおおおお!」
ほぼ同時に両者が雄叫びを上げ、その叫びと同時にオルアの剣が遂にスティングを捕らえる。
スティングは左肩から大きく袈裟懸けに斬られると、そのまま地面に大の字で倒れた。いまだに握られた剣が何とか持ち上がろうともがいていたが、間も無くそれも地面へ落ち
「…ふう、参った」
スティングはそう言って天を仰ぐ。かなりの出血をしてはいたものの、その話し方を見る限り命に別状はなさそうだった。
「…アンタ、大丈夫か?」
勝敗が決したのを悟り、オルアは急に興奮が治まる。同時に自分が大怪我させた、それも特に恨みも何も無い相手が急に心配になり思わず声をかけた。そして助け起こそうとするが
「ダメよ、不用意に動かしちゃ!」
背後から声をかけられて振り返ると、いつの間にかミンクが立っていた。ミンクはスティングの傷口と顔を見て、ほっとした様に笑みを浮かべ、スティングに声をかける。
「大丈夫、すぐに治るから安心して!」
「あ…ああ」
思わずうろたえるスティングだったが、ミンクは構わず周りに声をかける。
「ちょっと、誰でもいいから運ぶの手伝ってよ!ここじゃ手当て出来ないでしょ」
周りで観戦していた連中は、スティングの敗北が信じられないかの様に呆然と立ち尽くしていたが、ミンクの声で我に返ると慌てて駆け寄って来た。
程無くしてスティングは小ぎれいな地下室へと運ばれた。始めはオルア達の入室は拒否されていたが、いざ服を脱がせた瞬間傷の大きさに驚き、男達は尻込みしてしまったのだった。
「もう見てられないわ!オルア、手伝って!それにカシムさんも、早く!」
「お、おう」
「ぬ、ワシもか?まあ良いが…役に立つかのう?」
ミンクはうろたえる男達を尻目に傷口に軽く手を触れる。一瞬スティングは苦痛に顔を歪めるが
「少し痛いけど我慢して、すぐ終わるわ」
ミンクの声を聞くと、安心した様にそのまま気を失った…と言うよりまるで安らかな眠りに包まれている様に見えた。
暫くして…
「ふう、これで大丈夫!…って言っても何日かは安静にしてなきゃダメだけどね」
額の汗を拭いながらミンクが言うと、オルアもほっと胸を撫で下ろした。そしてスティング配下の男達は目を潤ませながら複雑な表情を浮かべる。なにしろ自分達を束ねる男に大怪我をさせた憎むべき少年の連れが、その大怪我の治療をしたのだから。
夜も更けた頃、馬車へと戻っていたオルア達の所へ一人の男が駆け寄って来た。真っ先に気付いたミンクが顔を出す。
「あら、何か用かしら?」
「はい、今日の勝負を記念し、剣士オルア殿及びその一行をお招きしたいとスティングが申しておりますので、是非ご同行頂けないでしょうか」
思わぬ言葉にミンクが振り返ると、オルアとカシムも顔を見合わせる。
「だそうだけど、行ってみる?」
「そうだな、まさかもう復讐戦なんて事も無いだろうし」
「確かに…今更罠など仕組む位なら全員で襲い掛かる方が早いじゃろうな」
「そうそう、それにあの人盗賊って言っても全然卑怯な感じしないしね!」
「そうだな…実はさっきからスティングの怪我が気になってたし、行ってみよう」
オルアの言葉を聞いた男は笑顔で頭を下げる。
男に案内された先は、先程の地下室の真上辺りにある大きな屋敷だった。部屋の中では数人の男達が楽しげに談笑していたが、それは全て先程スティングの背後にいた男達で占められていた。部屋の中央には長方形の大きなテーブルがあり、その両脇には整然と椅子が並んでいる。一番奥の大きな椅子にはすっかり元気を回復したスティングが座り、今では仲間と共に杯を傾けていたが、オルアの姿を認めると立ち上がって近寄ってきた。若干フラつき気味にも見えたが、どうやらそれは怪我の為と言うよりは酒のせいといった感じで、その顔は少し紅潮していた。
「よう、我が友、我が好敵手!」
そう言いながらスティングは笑い声を上げる。その顔からは先程までの戦士の凄みが消え、まるで旧友に再会したかの様な暖かい笑みが浮かんでいた。
「まあ飲め!久々に俺を負かした男に乾杯するとしよう!おい、誰かオルアの杯を持って来い!」
「あ、いや…俺は」
「心配するな、毒なんか入ってないぞ!」
「いや、そうじゃなくって」
強引にオルアに飲ませようとするスティング。その様子を見ていたミンクとカシムは顔を見合わせてクスクスと笑い出した。
「あの人、酔うとまるで別人なのね」
「まあ、陽気なのは良い事じゃ!しかし…」
「何?」
「いや、さっきからオルアが困った顔でこちらを見とるぞ」
「え?あら本当。じゃあ助けてあげるとしましょうか」
そう言ってミンクは笑いながらスティングに声をかける。
「ごめんなさい、オルアはまだお子様なんでお酒が飲めないの。よろしければ私が代わりますけど」
声に気付いたスティングは振り返ると
「おお、お嬢さん!先程は随分と世話になった。手当てが良かったお陰でもうこうやって酒が飲める。貴女になら喜んでお注ぎ致しましょう!」
そう言って(何故か)既にミンクの手に握られていた特大サイズの杯を満たした。更にはカシムに向き直って挨拶しようとしたが、その顔を見て急に真顔になる。
「…どちらかでお会いしませんでしたか?」
急な問いにカシムは戸惑うが
「いや、恐らくどなたか似た方が知り合いにいただけの事では無いかな?何処にでもある顔じゃからのう!」
そう言って笑い飛ばすと、スティングもそれ以上の詮索はせずカシムの杯を満たす。
「そうか…それは失礼致した。まあ、まずは一杯やって頂こう!」
「うむ、それなら喜んで」
二人の杯を満たすと、スティングは別の容器から何かをカップに注いでオルアに渡す。
「これは…何かの乳か?」
「ああ、山羊の乳だ。これなら子供でも平気だろう?」
「うるさい…」
そのやり取りを見て、ミンクとカシムはまたもや顔を見合わせてクスクスと笑う。
スティングは元の場所に腰掛けると、その隣にオルアを、その向かいにミンクとカシムを座らせて食事を勧める。既にテーブルの上には数々のご馳走が並んでおり、酒に弱いオルアも何の不満も無くお腹を満たす事ができた。
その後もオルア達に対して親しげに話すスティングの様子を見て、配下の男達でまだオルアを快く思っていなかった者もだんだんと打ち解けて来る。しかし色々と話をして盛り上がれば盛り上がる程、オルアの中にも色々な疑問が浮かんできた。そこでオルアは食べるのを一休みしてスティングに聞く。
「そう言えば、ガルってのはここの一番偉い奴なんだよな?」
「何を今更、言わなかったか?」
「いや、それにしちゃスティングがここで一番偉いみたいだから」
「ああ、この屋敷は俺と直接の部下達の物だからな」
「…この屋敷?」
「俺は元々ここにいる奴らの首領だった。御頭に負けるまではな」
その言葉に周りの話し声が止まったが、スティングは構わずに続ける。
「御頭は何より一対一の戦いが好きでな、自分がその力を認めた相手には勝負を仕掛け、負けた相手を自分の配下に置くのを趣味にしている」
「それはまた…迷惑な趣味だな」
「さっきのハルクもそうだが、俺も腕に覚えがあったからつい勝負を受けてしまい、そして見事に負けちまった訳だ。まあ、実はそれ以上に御頭の持つ数々の財宝に少しだけ目が眩んだのは否定しないがな!」
負けた時の話しをしている割にスティングは嬉しそうに笑う。
「まあ、御頭は力の有る者が好きだからな、俺はこうして結構な屋敷をあてがわれているという訳だ。ついでに言うとハルクの屋敷はここの半分以下の広さだ」
そう言ってスティングは楽しげに笑う。そしてひとしきり笑うと、真面目な顔でオルアに向き直って言う。
「しかしオルア、お前が俺の賞賛を光栄に思うなら良く聞け!俺は今まで五百戦以上の一騎打ちを戦ったが、その中で一太刀も浴びせられずに完敗した相手は御頭とお前だけだ」
「そう…なのか?」
「ああ、お前は強い。しかも俺の見た限りこれからまだまだ強くなる。今のお前相手ならば正直な所、三回戦えばその内一回は勝てる自信がある。しかし、あと五年と経たぬ内にお前は俺など足元にも及ばぬ剣士に成長するだろう」
そう言ってスティングは一気に飲み干した杯をテーブルに置く。そして少しニヤけ気味なオルアを見つめ、意外な言葉を放つ。
「だから悪いことは言わん、明日の朝ここを離れるがいい」
いきなり予想もしていない事を言われて戸惑うオルアに、スティングは更に続ける。
「確かにお前が更に修行を積めば、いずれは御頭をも凌ぐ強さを身に着けるだろう。しかし今はまだ早過ぎる…余りにもな」
「いや、そう言われ…」
何か言おうとするオルアを遮ってスティングが続ける。
「言った通り、俺は今のオルア相手なら場合によっては勝てると思っている。それは決して負け惜しみではなく冷静に戦力を分析した結果だ。しかし御頭相手では…百回戦っても唯の一度も勝てる気がしない。だから言うのだ、本気で御頭を倒すつもりならば、一度ここを離れて更なる力を身に付けよ、と」
真顔で話すスティング。オルアだけでなくミンクにカシム、そして周りの男達もいつの間にか沈黙していた。
「予定通りなら御頭は明後日の昼前には戻るはずだ。その時まだお前が居れば、御頭は間違い無くお前に勝負を挑む。何しろこの俺を無傷で倒した男、絶対に自分の配下に欲しがるだろう。そうなったら事は面倒になる。俺の様に御頭を認め、その配下となって楽しく暮らすのならばそれもいいだろう。しかしお前の望みはそうではあるまい。御頭を倒し、剣士として名を上げる。確かに…三年後なら出来ない事もなかろう。だが今はまだ早過ぎる。その歳でそこまでの腕になったのだから師匠には恵まれているはず。一度師匠の元へ戻り、更に修行に励んでから御頭に挑戦すればいい」
スティングはそう言って最後の杯を飲み干すと
「すまんが、俺はそろそろ休ませて貰おう。調子に乗って飲みすぎたら、お前にやられた傷が疼きだしたよ」
そう言って笑いながら立ち上がるが、よろめいてテーブルに手を着いてしまった。慌てて手を貸そうとするオルアだったが、スティングはその手を軽く払う。
「心配するな、お前は俺の事よりも自分がどうするかを考えればいい。俺としてはお前に俺と同じ道を歩んで欲しくは無いが…決めるのはお前だ。後悔の無い様に今夜一晩よく考えろ」
そう言ってスティングは奥の部屋へ立ち去った。その姿を見送りながら立ち尽くすオルアに、ミンクが声をかける。
「さて、どうするの?」
「いや、どうするのって言われても…」
戸惑うオルアに、周りの男の一人が真剣な顔で声をかけた。
「なあ、アンタはさっき全力だったのか?」
思わぬ質問にオルアは一瞬その意味を理解しかねるが
「…ああ、手加減する余裕なんか無かった。むしろ一瞬でも気を抜いたら俺が負けてたと思う」
先程の戦いを思い出しながら返事をした。
「そう…だよな。ああ、気にしないでくれ。
それよりあの人が言った通り明日の朝どうするかよく考えるんだな。それとも一緒に飲みながら考えるかい?」
男は表情を一転させ、笑いながらオルアに酒を勧める。
「いや、俺は…」
「はい、私が代わりに頂きます!」
「そうか、それならワシも頂こう!」
調子よく答えるミンクにカシム。すっかり出来上がっていた二人の活躍で、一晩じっくり考えるというオルアの目論見は一瞬にして崩れ去った。何しろ馬車に戻ろうとするオルアを、その都度ミンクにカシム、更には男達が帰そうとはしなかったのだから。
翌朝、再び姿を現したスティングは思わず絶句した。一見しただけでは何が起きたのか理解できず、唯一人優雅にモーニングティーを飲んでいたミンクに声をかける。
「一体、あの後に何があったんだ?」
その声に振り返ったミンクは
「あら、おはようございます」
何事も無かったかの様に、爽やかな笑顔で答えた。
「昨夜は少し飲み過ぎてしまったので、口直しにお茶を頂いております。よろしければご一緒しませんか?」
「ああ、頂こう」
スティングはそう言ってミンクの向かいに腰掛けたが、改めて周りを見渡す。テーブルに突っ伏した者、床に転がった者、背もたれにもたれながらもいまだにジョッキを手にしたままの者…更には
「…オルア?」
壁際に目をやって信じ難げに声を上げる。壁際のベンチには、カシムと隣り合わせに座り、互いに寄りかかったオルアの姿があったのだから。その姿を認めたスティングは何か言いたげにミンクに視線を移す。しかしミンクは
「心配いらないわ、オルアならきっと大丈夫だから」
事も無げにそう言うと、お茶を一口飲んで続ける。
「それに、貴方の忠告が逆効果だったみたいで、色々話している内にどうしてもガルと手合わせしたくなったって言っていたわ」
「…なんてこった」
「ふふっ…でも貴方にも少年の頃、怖いもの知らずな時期があったでしょう?今のオルアは正にそんな時期なのよ。だから、その挑戦が無謀と思えてもそれが彼の本心なら私は見守るつもり。それに…」
「…?」
「貴方の言う通り、私もオルアの潜在能力を買ってるの、だから何とかなるわ」
「…一体、何を言ってるんだ?」
「それはいずれ解るわ」
確信があるかの様なミンクの言葉は、不思議とスティングの心配がいわれの無い物と思わせる。
結局オルア達が目を覚ましたのは既に日も高く昇ってからのことで、それもいいかげん見兼ねたミンクとスティングに起こされての事だった。
「んあ…おはよう」
オルアが目を覚ますなり間の抜けた挨拶をすると、ミンクとスティングは顔を見合わせて苦笑した。
「…ん、どうかしたか?」
「ううん、よく眠れた?」
「ああ」
オルアはそう言って大きく伸びをする。その顔には不安の色は一切見られず
「…俺が考えた以上の大物かもな」
スティングは思わずそんな言葉を呟いた。
その日はもうスティングもオルアを説得することは無く、むしろガルと戦う為の助言を色々としてくれた。しかし、話を聞けば聞く程まだ見ぬガルの強さだけが際立って来る。
暫く話を続けている内に、スティングはオルアが項垂れたまま押し黙っている事に気付いた。しかもその体は小刻みに震えている。
「…流石に恐ろしくなったか、まあ無理もないが」
スティングは心にそう呟いたが、その瞬間オルアは顔を上げて叫ぶ。
「そんな強い奴を倒したら、いくらあのジジィでも俺を認めるよなあ!」
唖然とするスティングをよそに、オルアはまるでガルの帰りが待ち遠しいとでも言うかの様にはしゃぎ出す。同時にミンクとカシムは煽るかの様に囃し立てた。
「…全くこいつらは」
スティングは半ば呆れながら呟くが、その様子を見ている内に不意にオルアならば本当にガルを倒してしまうのではないか、と思い始めた。同時に心配して説得していた事を思い出して苦笑する。それに何しろあと一晩は考える時間はある、スティングがそう考えた時、外から大きな声が響いた。
「御頭がお戻りになったぞー!」
その声と同時にオルア達は一瞬硬直した。そして互いに顔を見合わせて頷くと、揃って村の入り口へと向かう。
オルアとスティングが戦った広場には、黒山の人だかりができていた。帰還したガルを出迎える者が大勢居たものの、オルアはガルが誰なのか一目で判断できた。とは言え別にオルアが特別だった訳ではなく、真っ赤な装束に身を包んだ、明らかに常人では無い雰囲気を漂わせた大男がその中心に立っていたからだった。その傍らで立っている馬も本当に馬かどうか疑わしい程巨大な獣で、その姿は主人に勝るとも劣らない程堂々としていた。
「無事の帰還なによりです」
ガルの前に進み出てスティングが言葉をかける。するとガルは
「よお、留守番ご苦労…ってお前、その怪我はどうした?」
にこやかな挨拶が一転、スティングの怪我に気付いて驚きの声を上げた。
「実は、御頭にこの上ない楽しみを用意してお待ちしておりました」
スティングはそう言いながらオルアを振り返る。
「何だその小僧は?お前の知り合いか?」
オルアの姿を認めたガルはそう言ってスティングに尋ねるが、その表情は冑と覆面に包まれていて、その鋭い目つき以外にはうかがい知る事はできない。とは言えオルアには、この大男がスティングの言う程恐ろしい相手とはどうしても思えなかった。何しろ今目の前に居るガルは、スティングの話を聞きながら派手に驚いたり笑ったりする、単に陽気な大男と言うのが適切な表現と思えたからだった。
ガルは一通りスティングの話を聞くと、オルアに向き直ってその顔を覗き込んだ。
「…何だよ?」
全く物怖じせず言葉を返すオルアを見て、ガルは何度も頷く。
「うむ、どうやらスティングの冗談って訳じゃなさそうだな」
ガルは言いながら背負っていた身の丈程もある大刀を外した。そして
「俺は長旅で疲れてるから、勝負は明日だ。だがその前に少しだけ腕を見てやる。ほれ、とっとと抜きな」
まるで子供を遊びに誘うかの様に言うと
「さあさあとっとと散れ!巻き添え食っても知らねえぞ!」
笑いながら鞘に入ったままの大刀を振り回す。周りの男達は慌てて跳び退き、あっと言う間に一暴れするには十分な広さが確保できた。
「さあ来い!」
ガルは勝手に話を進めてオルアを呼び込んだ。少し戸惑いを見せつつも、指名された以上オルアも引き下がる事は出来ない。ガルの前に立つと勢いよく剣を抜き、自分の倍はあろうかという男へ鋭い視線を向けた。しかし
「おお!なかなかいい目じゃねえか!だが今は単なる小手調べ、そう熱くなんなよ」
「そっちがそのつもりでも、俺は真剣勝負のつもりで行く!アンタも早く抜きな!」
いまだに鞘から刀を抜かないガルに苛立ちを感じ、オルアは少し頭に血が昇っていた。
「ああ、俺はいつもこうなんだ。いつでも掛かってきていいぜ」
「後悔すんなよ!」
その言葉と同時にオルアは猛然と斬りかかった。ガルは全く反応していない、一太刀で勝負あった。オルアがそう思った瞬間、ガルの姿は目の前から消えていた。慌てて左右に目をやるオルア。すると背後から声がする。
「なかなかやるじゃねえか!」
驚いたオルアが振り返るより早く、その頭に巨大な鞘が乗せられた。そして
「だが、それじゃあ俺には勝てねえ」
見下ろしながらガルは笑う。頭にきたオルアは鞘を払おうとしたが、凄まじい剛力で押さえつけられていてとても払えない。必死にもがくオルアだったが、鞘を押さえる力はだんだんと重さを増してオルアを責め立てた。
「く…のヤロウ!」
重さに耐えかねたオルアは力を振り絞って鞘を払いのけた。しかし、払うと同時にガルの巨大な脚がオルアを軽々と弾き飛ばす。
「オルア!」
ミンクとカシムが同時に叫ぶ。スティングも心配そうにオルアの吹っ飛んだ先を見つめた。そしてガルへ視線を移す。
「よお、コイツ本当にお前に無傷で勝ったのか?」
スティングの視線を感じたガルは、若干疑わしそうな声音で問いかけた。しかしスティングは無言で指差す。
「ん?」
つられてガルが見ると、そこには何事も無かったかの様な顔でオルアが立っていた。
「はっは!なかなかタフな奴だな、じゃあもう少しだけ遊んで…ん?」
言いかけてガルは空を見上げる。同時にポツポツと降り出した雨は、あっと言う間に目も開けられない程の豪雨となった。ガルは刀を背負うと、土砂降りの雨音を圧する大声で叫ぶ。
「小僧、今日はここまでだ!一晩休んで考えておけ!部下になるなら歓迎するぞ!」
「…誰が!」
「まあ今夜は休め!俺もそのつもりだ!じゃあな!」
ガルはそう言って一番大きな建物の中へと消えて行く。オルアは昨日同様スティングの屋敷へと案内された。
「オルア、怪我してない?」
ミンクが声をかけるが、オルアは暫くの間うわの空と言った感じで立ち尽くしていた。
「オルア?」
「…ああ、何だ?」
「もう、しっかりしてよ…どこか痛いの?大丈夫?」
「ああ、何とも無い…」
オルアはそう言いながらも、疲れを隠せずにどっかりと腰を降ろし大きな溜息をつく。
「予想以上だったか?」
オルアの向かい側に座りながらスティングが尋ねると
「…正直、あの素早さには驚いた。それに腕力も見た目以上だし、それに多分まだ本気じゃないだろう」
オルアは思いの他素直な感想を漏らす。
「ほう、頭に血が昇っていた割には冷静に分析しているじゃないか」
スティングは杯を傾けながらも感心した様に言い、更に続けた。
「しかし御頭は実力の半分、いや三割も見せていないはずだ。どうだ、御頭を倒すのは諦めて仲間にならないか?」
スティングは冗談半分で言うが、オルアはかなり深刻に考えていた。腕力で勝てないのはガルを見た瞬間から解っていた。しかし絶対的優位に立てると思っていた素早さでも良くて五分、もしも隠している力がガルの方が上ならば、それすらも有利になる条件とは思えなかった。唯一頼れるのは、鬼のような祖父に鍛えられた剣技だけだったが、圧倒的な力と速さを目にした今ではそれすらも頼りなげに思えるのだった。
「あらあら、深刻に考えちゃって」
ミンクはうつむくオルアに声をかけると、その目を覗き込んで
「大丈夫、オルアは自分で思ってるよりずっとずっと強いよ」
優しい口調で話しかけた。そう言われたオルアは不思議と心が軽くなるのを感じ、顔を上げて笑顔になる。
「さあ、明日は大一番があるんだから、しっかり食べてゆっくり休まなくちゃ!」
「そうだな…よーし、食うぞーっ!」
あっと言う間にオルアを立ち直らさせたミンク。スティングとカシムは
「全く、お嬢さんは…凄いな」
「うむ、ワシも全く同感じゃ」
そう言って互いに顔を見合わせると、苦笑しながら杯を重ねた。
翌朝、オルアは清々しい朝日を顔に感じて目を覚ました。
「おはよう、よく眠れた?」
声に振り向くと、そこには笑顔のミンクが座っていた。
「ああ、お陰で吹っ切れた。有難うな!」
オルアはそう言うと元気良く飛び起き、そこへスティングが入って来た。
「よお、お目覚めの様だな」
「ああ、いい部屋貸して貰ったお陰でぐっすり眠れたよ」
「そうか、なら言伝を伝える。御頭は今日の正午、昨日の場所でオルアを待つそうだ。勝負を挑むも配下に加わるも自由だが、敗者は勝者に逆らう事は許されない。それでも異存は無いか?嫌なら今すぐ立ち去れ。俺が上手くごまかしてやるぞ?」
スティングはそう言ってニヤリと笑うが
「そんな気遣いはもう要らないよ。昨日の俺なら受けたかもしれないけどな」
オルアはそう言って苦笑する。その顔には昨日抱えていた不安は微塵も感じられない。
「よし、じゃあ朝飯だ。用意できているから早く来い」
すっかり吹っ切れた様子のオルアを見て、スティングは安心した様な顔で立ち去った。
正午まではまだかなり時間があったが、オルアは若干神妙な面持ちをして落ち着かな気に床を踏み鳴らしていた。
「もう待ち切れないって感じだね!」
ミンクはオルアの顔を覗き込むと元気良く声をかけた。するとその時再びスティングが顔を出す。そして半ばからかう様にオルアに問いかける。
「どうした、待ち切れないのなら御頭を催促して来てやろうか?」
その言葉に顔を上げるオルア。しかしオルアが何か言うより早く
「その必要は無いぜ」
スティングの背後から声がかかった。
「ハルク…どうした?」
驚いて振り返るスティングだったが、ハルクはスティングには答えずオルアの前に立ち
「御頭はとっくに準備出来てる。お前の覚悟が出来たんならいつでも来いと仰せだ」
見下ろしながらそう言った。その口調は少しイラつき気味で、どうも昨日惨敗した事を根に持っている様だった。しかしその言葉にスティングが異を唱える。
「…?さっきは正午と言っていた筈だが」
「ああ、小僧はアンタのお気に入りみたいだから、充分に考える時間をやろうって御頭の優しい心遣いだろ。まあどうでもいい、言うことはそれだけだ」
ハルクはそれだけ言うとさっさと出て行った。
「何よアイツ、弱っちいくせに偉そうに!」
ミンクは聞こえよがしに大きな声を上げたが、恐らく聞こえていたはずのハルクはその声を無視して立ち去った。
「さて、どうする?あえて挑発に乗る必要は無いが、待っている時間が耐えられないのならば、今すぐ出て行くのも手だ」
「ウム、全てはオルアの気の入り方次第。別に焦ることは無い。気負いが消え尚且つ戦意が高揚したと思った時が適時じゃ。その時が来るまでは相手を待たせておけば良い。焦ったら負けじゃぞ」
「そうね、全てはオルアの気分次第よ!」
三人の言葉を聞きオルアは目を閉じると、静かに深呼吸を始めた。
そして数分後。オルアは目を開くと勢い良く立ち上がり、勇ましく声を上げた。
「行くぞっ!」
「おおー!」
すかさずミンクが応じると、オルアを先頭にした一団は広場へと向った。
既に広場には人だかりが出来ていて、その中央では既にガルが待ち構えていた。ガルは腰を降ろしたまま仲間達と呑気に食事をしていたが、オルアの登場に気付き視線で合図をする。同時に人の輪が割れてオルアはガルの正面まで歩を進め、その目を睨み付けた。
「おいおい、おっかねえ目で睨むなよ!全く俺も他人の事は言えねえが、お前も相当なせっかち野郎だなあ!」
ガルはおどけたポーズで笑い、手に持ったチキンの最後の一口をしゃぶっていたが、その間にもオルアの目はすっとガルを睨み付けていた。
「…ほう、どうやら本気で俺と勝負する気らしいな」
ガルは真顔になって言うと口元を拭い覆面を降ろす。同時に再び周りに視線を送ると、一瞬の内にガル配下の男達は食事の片付けをしつつ輪を大きく広げた。その輪が昨日よりも遥かに大きいのを見て怪訝そうな顔をするオルアに、ガルが声をかける。
「俺が本気で戦うと周りが巻き添え喰うんでな、ただそれだけの事だ」
ガルはそう言いながら立ち上がると背中の刀に手をかけようとしたが、ふと思い出した様にオルアに問いかける。
「そう言えばお前、誰に頼まれて俺を倒しに来たんだ?」
突然の問いにオルアは戸惑って思わず振り返る。カシムが頷くのを見ると、オルアは素直に今までの経緯を話した。するとガルの目つきが穏やかになる。そして
「…ハイネンか、懐かしい名だ。今でもあの人は元気でやっているのか?」
表情同様に穏やかな声で尋ねた。
「ああ、ウチのおっかねえジジィと互角に渡り合う位には元気だ」
オルアの答えを聞くと、ガルは嬉しそうに笑った。
「そうか、それは何よりだ」
そう言うガルの表情は、まるで過去を懐かしむかの様に遠い目をしていた。その様子を見てカシムはまだ話し合いの余地があるのではないかと思ったが、次の瞬間それがとんでもない勘違いだと悟った。ガルは急に表情を一変させると、低く冷たい声でオルアに告げる。
「あの人は絶対に半端な腕の奴を俺と戦わせたりはしない。お前があの人の使いと判った以上、昨日の小手調べはもうどうでもいい」
そこまで言うと、ガルは背中の大刀を抜いた。そして大音声で名乗りを上げる。
「良く聞け!我こそは盗賊団の首領にして、天下無双の大剣士ガル!我が剣は空を裂き、我が力は大地を震わせる!我が名乗りを聞き尚戦意を失わぬのなら、いざその剣を抜くがいい!」
先程までの穏やかな様子からは想像もつかない程の激しい名乗りだったが、オルアも負けずに返す。
「我こそは、騎士団長ハイネンの友にして好敵手ジークの孫オルア!今ここに盗賊団の長にして無敗の剣士ガルに勝負を挑む!いざ、尋常に勝負!」
昨日とは見違えるほどサマになった名乗りを上げるオルア。その様子にスティングは思わず昨日を思い出して苦笑する。
「…ジーク?そうか、お前はあの伝説の剣士ジークの血縁か!ならば尚の事俺を楽しませてくれそうだ!さあ構えろ!そして俺にここ数年味わうことの無かった興奮を味わわせてくれ!」
ガルはその言葉と同時に大上段に構え、全身から凍りつくような殺気を漲らせた。
「………!」
その殺気にガルをよく知る男達も戦慄を覚えた。ミンクにカシム、そしてスティングまでもが背筋に冷たいものを感じ、指一本動かすことが出来なくなる。それ程の殺気を正面から受けたオルアは、まるで蛇に睨まれた蛙の様に全身が硬直した。
「…何だ、こりゃあ…?」
オルアは心に呟く。まるで全身が巨大な蛇か、もしくは氷の鎖にでも縛られた様な感覚に襲われていた。そしてその目に映るのは、ゆっくりと自分の終末を告げにやって来る、恐るべき死神の姿だった。
一歩、また一歩と近づくガルの姿を認めながらも、オルアは微動だにしない。と言うよりは動く事が出来なかった。呼吸が乱れ、鼓動が高鳴るのが感じられるのに、自分の意思に反してその体がまるで石になった様に硬直している。そして致命的な一撃が間近に迫ったその瞬間、オルアの心に何かが響いた。そしてオルアの体は、戒めから解き放たれたかの様に跳躍する。
「…!」
刀を振り下ろしたガルが驚き振り返ると、一跳びで背後に回ったオルアが猛然と斬りかかって来た。ガルはそれを弾くが、予想以上に鋭く、かつ見た目からは想像もつかない剣の重さに驚く。だがそれ以上に解せなかったのは、先程まで恐怖で固まっていたオルアが何故急に動けるようになったのか、そう考えて首を傾げる。すると
「…歌っているのか?」
言葉は解らないが、美しい声で歌うミンクの姿が目に入った。その歌声に自然と耳を傾けている内に、不思議とガルの全身にも活力が漲って来る。
「あの娘、一体どっちの味方なんだ?まあいい、長旅の疲れがすっかり消えたお陰で、全力で戦えるってもんよ!さあ来い!」
気を取り直したガルがオルアに向かって叫ぶと、オルアは猛烈に攻撃を再開した。最初の一撃を受け止めたガルは、一層重さを増した剣に驚きつつも、嬉しそうに声を上げる。
「何だよ、本気出せばお前結構やるじゃねえか!」
ガルはオルアの猛攻に防戦一方になるが、その表情には全く焦りは見られない。むしろ剣の師匠が弟子に稽古をつけているかの様に余裕が感じられた。逆にオルアは次第に攻め手を欠いて焦り始める。このままでは体力を消耗するだけと判断し、オルアは隙を見て大きく跳び下がった。するとスティングとカシムが同時に叫ぶ。
「下がるな!」
その声がオルアの耳に入った瞬間、目にも止まらぬ素早さでガルが突進して来た。気合もろともその大刀を振り下ろすガル。オルアは正に間一髪でかわすが、その威力に目を瞠る。ガルの一撃は軽々と大地を裂き、まるで地割れの様なひび割れを作ってしまったからだった。驚きの余り一瞬硬直するオルアに、ガルは返す刀で追い討ちをかける。かろうじて受け流すオルアに、ガルは先程までの防御一辺倒から一転して猛烈な攻撃を仕掛け始めた。するとその様子を見ていたスティングが呟く。
「…少なくとも、私は攻めに転じた御頭が負ける姿は見たことが無い」
「…うむ、あのまま攻め続ければ僅かながらも勝算はあったと思うのじゃが」
カシムの言葉に頷くスティング。しかしミンクはふと歌いやめると、笑いながら二人に話しかける。
「二人とも何言ってるのよ?よく見て!」
そう言ってミンクが指差す先には、数々の攻撃を繰り出すガルと、それをかわしながら反撃に転じているオルアの姿が目に入った。互いに攻めては守り、守っては攻め、激しい攻防は何時終わるとも知れず更に激しさを増して行く。オルアはガルの一撃必殺と言える攻撃を間一髪でかわしながら、鋭く突き返し斬りかかる。ガルはその攻撃を受け止め弾き返し、なおかつその攻撃は唸りを上げてオルアに襲い掛かる。正に一瞬も気の抜けない勝負を展開しながらも、二人の顔には僅かに笑みが浮かんでいた。
「…これは一体」
「どうした事じゃ?」
思わず顔を見合わせる二人。ついさっきまではガルの猛攻をかわすのが精一杯に見えていたのに、いつしかオルアはガルとの勝負を楽しむ様に剣を振るっていた。呆気に取られる二人にミンクは訳を話す。
「実はね、私が歌ってたのは戦いの歌だったの。戦いの興奮状態にある者がこの歌に耳を傾ければ、その身体は緊張から解かれて疲れを忘れる。そして、もしも隠された力を持つ者がこの歌を聞けば一時的にその力は解放され、見る間にその戦闘力は飛躍するわ。私はオルアの潜在能力の方が上だと思ったから、ちょっと賭けてみたのよ。どうやら賭けは成功だったみたいね」
そう言いながら笑うミンクの言葉を二人は瞬時に理解しかねる。しかし
「…では、御頭の体が急に軽くなったのも」
「…いや、それ以前に、ガチガチだったオルアが急に身軽になったのも」
スティングとカシムはそう言うと、声を揃えて驚いた様に声を上げる。
「その歌の力だったのか?」
「えへへ…」
ミンクは少し照れ臭そうに舌を出す。しかし、周りがそんな話をしている間にも戦いは佳境を迎えていた。
見ると二人とも肩で息をしながら、互いに嬉しそうな視線を交わしている。最初から全力で飛ばしていただけあって、流石に余力も尽きかけている様だった。それにも関わらず消耗する体力とは裏腹にその精神力は益々力を増して行く。まるで強敵との戦いが終わるのを惜しむかの様に。
とは言え、正直な所二人とも全力で戦えるのがあと僅かなのは充分に承知していた。その上空は雲一つ無い晴天で、時間もそろそろ正午を迎えようとしている。照りつける日差しの下で一時間以上も全力で戦えば体力も消耗する。そろそろ決めなくては、互いの気持ちが期せずして一致した所で、二人は大きく距離を取った。
「そろそろ…だな」
「ウム、恐らくは」
「そうなの?何かドキドキしてきたよ」
オルアを見守る三人同様、周りの男達も固唾を飲んで見守っていた。その瞬間
「行くぞっ!」
今までで一番とも思える速さでガルが突進した。一瞬恐怖を感じたオルアはすかさず跳ぼうとするが、それでは大刀の餌食になると判断し直前まで堪える。その目からは既に恐怖の色が消えたのを認め、ガルは渾身の一撃を振り下ろした。直前までガルの攻撃を引き付けたオルアは、振り下ろされた大刀を寸前でかわすと、そのまま大刀を駆け上り同時に大きく跳躍した。
「上に跳ぶとは血迷ったか?」
ガルはすかさず大刀を振り上げるが、オルアはその大刀に剣を沿わせ、振り上げられた勢いで更に上空へと跳び上がる。
「小細工を!舐めるな!」
ガルは叫びながらオルアの姿を追う。しかしその瞬間
「ぐっ?」
中天に上った強烈な日差しを直接目に食らい、ガルは呻き声を上げて目をつぶる。その瞬間
「くらえーっ!」
オルアの叫び声がした。しかしガルは目を閉じたままで精神を集中させる。するとその耳に空を切る刃の音が聞こえて来た。その音が頭上まで近付いたと同時に
「甘いっ!」
気合と共にガルはその剣を振り払った。しかしその思わぬ手応えの軽さに驚き、自分の振り払った方に目をやる。すると
「…剣だけ、だと?」
視線の先に有ったのは地面に突き刺さった剣だけで、オルアの姿は見当たらない。その瞬間ガルは反射的に上空に突きを放つ。
「あっぶねえ!」
上空から捨て身の突撃を敢行しようとしていたオルアは、予想外の攻撃に驚く。しかし
「だったら…こうだっ!」
叫ぶと同時に眼前まで迫った剣先を両手で挟むと、そこを軸にして大きく前転した。そのまま突き上げられる刀の勢いも加わり、オルアの踵が恐ろしい程の速さを持ってガルの後頭部に激突する。
一瞬、全てが静止したかの様な沈黙に包まれた。しかしオルアの着地と同時に
「痛ってえええーっ!」
けたたましい叫びが辺りに響いた。ガルの後頭部への打撃が自分の足にも相当なダメージを与えた様で、オルアは左足一本でケンケンしながら飛ばされた剣を拾う。
「さあ、まだまだっ!」
痛む足を引きずりながらオルアがガルの背後に立つと、ガルはゆっくりと振り返る。
「…御頭」
そのただならぬ様子にスティングは思わず呟く。その言葉が聞こえたかどうかは判らないが、ガルの視線はスティングへと向けられ
「…お前、俺を楽しませ過ぎだ」
そう言った後でオルアへ視線を戻すと、大きく刀を振りかぶった。しかし、その刀は振り下ろされる事無く
「…小僧、いや、オルアだったな…認めたくはねえが…俺の…完敗だ」
満足気な笑みを浮かべると、ガルの体は大きな音を立てて崩れ落ちた。
暫くの間呆然と立ち尽くすオルア。両肩を激しく上下させたまま、目の前でうつ伏せている大男を見下ろしていた。
「オルア…どうしたの?」
不意にミンクの声がしてオルアは我に返った様にハッとする。そして
「…俺は…勝った…のか?」
呆けた様な声で呟く。
「そうだよ」
その声にオルアが振り返ると、そこには笑みを湛えたミンクが立っていた。
「頑張ったね…貴方の勝ちよ」
その言葉を聞き、オルアの体にはつま先から頭の天辺まで震えが走った。そして改めて足元に倒れたままの巨体を見下ろす。そして
「やったー!勝ったぞーっ!」
両の拳を振り上げ、勝利の雄叫びを上げた。
「全く、お前は人の忠告を聞かずに無茶な勝負をして、それで勝ってしまうとは…俺の思っていた以上のとんでもない奴だな」
その声にオルアが振り返ると、何とも複雑な笑みを浮かべたスティングが立っていた。「いや、全くもってその通りじゃ」
その隣に立っていたカシムは嬉しそうな顔でオルアを称えた。
「見事な勝利じゃった、これならジークにも文句は言われんじゃろう!」
「そうね、とは言え私はそのお爺さん知らないから何とも言えないけど…どうかな?」
「…うーむ、あのジジィの事だけに、手放しで俺を褒め称えるとは思えん」
思わず腕組みして考え込むオルア、その様子を見たミンクとカシムは大笑いする。
「何がおかしいんだよ?」
オルアはそう呟くと同時に、張り詰めていた緊張が解けたのか、意識を失った。
「オルア?」
慌てて抱きかかえるミンク。
「…本当に、頑張りすぎたね」
微笑みながらミンクは優しく頭を撫でた。
「やれやれ、今の状況を見ると、とても御頭に勝ったとは思えんな」
苦笑しながらオルアを見守るスティング、その視界の端に倒れたままのガルの姿が目に入った。
「…御頭」
スティングは歩み寄り助け起こそうとするが、ただでさえ手に余る巨体の上、傷も完全に癒えていない状態では不可能と思われた。するとその時背後から声がかかる。
「この仕事に関しては俺の方が適任だ」
スティングが振り返るより早く、ハルクがガルの体を抱えて立ち上がった。
「確かに、お前の言う通りだな」
苦笑を浮かべつつスティングはハルクと並んで歩き出す。しかし
「…?」
今まで戦いを見守っていた男達が周りを取り囲んでいた。スティングとハルクの直接の配下は彼らを手伝おうとしていたが、それ以外の圧倒的多数の者は険悪な目つきで睨み付けている。
「…何か、嫌な感じだね」
「うむ、すんなり帰れそうには無いな」
不穏な状況に、ミンクとカシムは不安げに呟く。
「…貴様等、何の真似だ?」
射抜く様なスティングの視線を向けられた男は一瞬たじろぐが、他の男が口を開く。
「…どんなに腕が立つかは知らんが、そんなガキに負けたとあっちゃ御頭の…いや俺達の面目は丸潰れだ。こうなった以上はそのガキも、そのガキに負けたあんた等も最早用無しだ。今まで世話になったが、こうなった以上はここで最期を迎えてもらおう」
その言葉と同時に囲みは一気に狭まった。
「…どうやら、本気の様だな」
スティングは言葉と同時に剣を抜いた。その配下の男達も一斉に剣を抜くが、数の面では三十倍近い戦力差があった。
「幾らアンタでも流石に手に余る数だな」
ハルクはそう言いながらガルの体をゆっくりと降ろすと、腰から槌を外す。同時にハルクの配下も一斉に武器を構えた。
「一番最初に死にたい奴…掛かって来い」
スティングが静かに呟く。その声の冷たさに圧倒的優位な筈の男達は凍り付いて動けなくなった。
暫くの沈黙の後、耐えられなくなった男が叫びながら突進して来る。
「貴様が最初の犠牲者か」
対照的にスティングは落ち着き払って剣を振るおうとしたが、その瞬間背後から巨大な拳が飛び出し、男を遥か彼方へと吹っ飛ばした。
「御頭!」
スティングとハルクが同時に叫ぶ。その視線の先にはいつ気が付いたのか、天を突く様なガルの姿が目に入った。ガルは首を左右にゴキゴキ鳴らしながら更にあちこちの関節を鳴らす。そして大きく伸びをした。
「あー、すっかり気を失っちまった。とは言え…そのお陰で裏切り者共を見付けられた訳だが」
ガルはそう言うと、ゆっくりと辺りを見回した。その視線に、取り囲んだ男達は背筋に冷たい物を感じて縮こまる。
「さーて、薄情な裏切り者共をブチのめすとするか!」
「仰せのままに!」
「ああ、やっちまおう!」
その後は正に地獄絵図だった。復活したガルを目の前にして男達は戦意を喪失していたが、そんな事はお構い無しにガルの大刀が唸りを上げる。目にも止まらぬスティングの剣が光り、ハルクの槌が有象無象を薙ぎ倒し吹き飛ばした。
「…凄いね」
「うむ、手伝う必要も無さそうじゃ」
呑気に呟く二人の前で、あっと言う間に男達は皆倒されてしまった。
「…我が手下ながら情けねえ、まぁどっちにしろもう不要なんだが」
あらかた片付いたのを見てガルは言った。
「…では、やはり」
その意を察した様にスティングが言うと
「ああ、無敵のガル様も今日で終わりだ」
「…そうですか、今までお疲れ様でした」
「ああ、俺の方こそ世話になった」
「いいえ、私の方こそ楽しかったですよ」
「そうか…俺も楽しかったぜ」
ガルとスティングは感慨深げに言葉を交わしていたが、状況を理解しかねてハルクが口を挟む。
「はぁ?そりゃあ一体どういうこった?まるで今生の別れみたいな…」
そこまで言うと、ハルクは自分で発した言葉によって状況を理解した様にハッとした。
「まさか御頭…アンタ?」
「ああ、そのまさかだ」
暫くの沈黙の後
「俺の盗賊団はこれで解散だ。少なくともお前らみたいに信用の置ける奴らが居てくれて嬉しいぜ。今まで通り好き勝手やるもよし、まっとうな生活に戻りたけりゃそれもまたよし。後は好きにやってくれ」
そう言ってガルはまだ少々おぼつかない足取りで歩き出した。
「お主、これからどうするつもりじゃ?」
脇を通り過ぎようとしたガルにカシムが声をかけた。
「さあな、まぁ元々俺は根無し草だったから元に戻るだけさ。あの人には上手く言っといてくれ」
「…そうか、幸いにもお主は悪名高かったが非道な殺しはしなかった様じゃし…見逃してやろう」
「そりゃあ有り難い。冷酷な処刑人様のお言葉とは思えんが、ここは素直にお言葉に甘えさせて貰うとしておく。じゃあな!」
ガルはそう言うと、口笛を吹いて愛馬を呼び寄せた。しかし飛び乗ると同時に駆けさせようとするガルを、ミンクが呼び止めた。
「ちょっと待って!」
「…何だ?」
「行くあても無いなら、ちょっと相談があるんだけど」
ミンクはガルを片隅に連れて行くと、何やらこそこそと内緒話を始めた。暫く成り行きを見守っていたカシムの前で、ガルが大声で笑い出す。
「あっはっは!そりゃあいい考えだな!だが即答は出来ねえ、暫くブラつきながら考えさせてもらうさ。縁があればまたきっと会う事になるだろう…じゃあな!」
そう言うと共にガルは馬を駆けさせる。その馬は見た目に違わぬ速さを発揮して、あっと言う間に視界から消え去って行った。
「うわぁ、凄い馬だね…」
その姿を見送りながらミンクが呟く。そして更に
「ところで…オルアがあの人に勝ったのはいいとして、どうやって王様達にそれを証明するの?」
「ぬ?…そりゃあ…忘れておった」
「あら、じゃあカシムさんが説明して解って貰うしか無いわね。昔は王様の信頼も厚かったみたいだし、何とかなるかしら?」
「…うむ、と言うよりも何とかするしかあるまいなぁ」
「やれやれ、カシムさんも呑気さではオルアといい勝負かもしれないわ」
そう言われてカシムは苦笑しながら頭を掻き、その様子を見ていたスティングとハルクは思わず笑い出す。
「ま、そうは言ってもこの期に及んで熟睡してるオルアの方が、やっぱり上かもね」
片隅で横になっているオルアを見てミンクが言うと、三人も一緒になって大笑いした。
ミンクも一緒になって笑い出すが、オルアは気持ち良さそうに寝息をたてていた。
王宮へと辿りついたオルアとミンク。そしていきなりの腕試しから更には王の勅命。
次々に立ちはだかる強敵を打ち破ったオルアだったが、それを機に一度原点に立ち返る事に。
その後どうなるのかは…どうなるんでしょうね?