一人旅…そして二人旅
2.一人旅…そして二人旅
住み慣れた森を抜け、草原を横断した頃、オルアの歩みはいきなり遅くなった。
「あっちい…」
親心とでも言うべきか、ジークはオルアに持てる限りの装備をさせていた。剣や短剣は当然として、厚手の生地でできた旅装束の上に革の鎧、更には革のマントに篭手や脛当て等々、更には日持ちのする食料や簡易テントにロープや数々の小物の入った大きな荷物を背負っており、春の半ばとは言え日中の日差しの下ではかなりキツい状態だった。汗だくになったオルアはたまらず水筒を口にする。
「ふう」
一息ついたオルアだったが
「やっべ、ちょっと飲みすぎたか…」
そう言って水筒を振ると、残りは明らかに半分を切っている。しかし
「まぁ、夕暮れ時には町に着くって話だし、何とかなるだろ」
当のオルアはあまり気にしてはいなかった。
更に歩き続けるオルアの耳に、期待はしていなかったものの、非常に有難い音が聞こえて来た。
「水の音か?」
言うが早いかオルアは駆け出す。しかし
「…うっわ…」
思わず絶句するオルア。それもその筈、確かに豊かな水量の川が有ったのだが…
「こりゃあちょっと無理か?」
川は渓谷の間を流れており、遥か眼下にそれはあった。水を汲むには絶壁を降りていかねばならない。幸い古びてはいるが釣り橋が架かっており、向こう岸へ行くことは出来そうだった。
「とりあえず、先へ進むか」
上流、下流共に見渡す限りの峡谷が続いているのを見て、オルアは不本意ながらも橋を渡ろうと歩を進めたが…その第一歩で思わず足を止める。
「この橋、大丈夫か…?」
オルアが躊躇したのも無理は無い。なにしろ橋は所々板に穴が開いており、足を踏み出す度に背筋の凍りそうな音が響くのだ。丁度橋の真ん中辺りまで来ると
「こりゃあ、確かに馬じゃ渡れないな」
ハイネンが遥かに遠回りしてきた、と言う話を聞いていたオルアは思わず苦笑する。しかし次の瞬間、その表情が凍りついた。
「奴らは…」
橋の向こうに数匹のコボルドが居た。よく見ると、先日ハイネンと共に散々な目に遭わせた一団のボスが待ち構えている。振り返るといつの間に来ていたのか、元居た場所にも数匹のコボルドが待ち構えていた。
「頭悪い子鬼の分際で、仕返しでもするつもりか?」
オルアはそう言いながらも、至って冷静に剣を抜いた。仮に一斉に襲い掛かられても蹴散らせる自信があったからだ。余裕を持って前に進むオルアだったが、再びその表情が凍りつく。何と、事もあろうに彼らは襲い掛かっては来ずに、釣り橋の綱を切りにかかったのだった。
「ちょっと待て!それは卑怯なんじゃ…」
慌てて駆け出すオルア。しかし無常にも橋の前後で斧が振り下ろされた。前に進むか後ろへ戻るか、そんな事を考えている僅かな間にも斧は何度も振り下ろされ
「うっ…わああああああああーっ!」
絶叫を残し、オルアは橋と共に谷底へと落ちて行った。
急流はやがて緩やかな流れへと変わり、オルアの体は大河の岸辺へと流れ着いた。
「…?」
木陰で歌っていた人影がそれに気付き、慌てて駆け寄る。そして
「…生きてる?」
穏やかな声で呟いた。
木陰で寝息を立てているオルア。その顔に木漏れ日が射していた。
「う…」
軽いうめきの様な声を上げると、オルアは目を覚まし、ゆっくりと起き上がると辺りを見回す。
「…ここは…どこだ…?」
まだ少しボーっとする頭を軽く叩くと、オルアは急に思い出した様に
「あいつ等、絶対に許さねえ!」
そう叫びながら立ち上がった。しかし
「あ…あれ?」
不意に全身から力が抜けた様に膝から崩れ落ちる。その時、頭上から声が響いた。
「もう目が覚めたの?随分タフなのね!」
驚いたオルアが見上げるより早く、目の前に人影が舞い降りた。そしてオルアの顔を覗き込む。
「うん、大丈夫そうね!」
そう言って微笑むのは小柄な少女だった。
「大変だったのよー、貴方見かけによらず重たいんだもの!でもホラ見て、頑張って引っ張り上げたんだから!」
オルアが少女の指差す方を見ると、そこには先程まで担いでいた荷物が置いてあった。しかもご丁寧に広げて乾かしてある。マントも木に掛けて干されていた。
「ああ…色々と…済まない…」
ただでさえ混乱気味の所に、いきなり現れた見知らぬ少女。益々混乱するオルアだったが、何とか今までの事を思い返していた。
「確か…橋で待ち伏せされて、落っことされて…じゃああの谷底に落ちたのか?…で、そのまま流されてここまで…」
独り言の様に呟くオルア。しかし少女は会話しているかの様に頷いていた。その様子にオルアは小声で呟く。
「何だよ、聞こえてるみたいに…」
「ええ、よーく聞こえてるわよ?」
「…!」
思いがけない答えにオルアは絶句した。
「お前…あれ、その耳は…?」
思わず少女の顔をまじまじと見つめるオルアだったが、その耳が少し尖っているのを見て首を傾げた。
「その耳は…でも、まさかなぁ、こんなチビの訳無いし…」
「ちょっと、誰がチビなのよっ!」
オルアの言葉に少女は猛然と突っ掛かる。
「確かに、エルフの平均的身長からみたらちょっとだけちっちゃいけど、これでもエルフのおぅ…」
「おぅ?…おぅって何だよ?いや、それ以前にお前やっぱりエルフなのか?」
「え?…あ、そうよ。でも、それよりもお前って呼ばれるのは嫌い」
「ああ、ゴメン…それはそうと、大分話に聞いてたのと違うな」
「何よ、何か文句でもあるの?」
「いや、別に無いけど。それよりおぅって何だよ?」
「え?…あ、あれ?そんな事言ったかしら?聞き違いじゃない?」
「そうか?まぁどうでもいいけど。それより助けてくれたんだろ?有難う」
「え?…ああ、どういたしまして」
「あ、そう言えばまだ名乗ってなかったな」
オルアはそう言って立ち上がると
「俺はオルア、とある人に盗賊退治の依頼を受けて旅の途中だ。まぁその道中で谷底に落ちちまった所を助けて貰った訳だな。本当に助かったよ、有難う」
礼を述べて頭を下げた。
「あら、どういたしまして」
そう答えた少女は
「私はミンク、家出…じゃなくって、偶然にも貴方と同じく旅の途中なの!これからも宜しく!」
そう言って手を差し出した。
「ああ、宜しくな」
反射的に出された手を握って答えるオルア
「これからも…?」
「うん!私行き先も決まってないし、結構役に立つわよ?」
「そ、それはちょっと待ってくれ!」
慌てて手を振り解くオルア。しかし
「まあまあ、そんなに気にしないで?勝手に付いて行くだけだから。それにまさか、命の恩人とも言うべき人のお願いを断ったりはしないわよねぇ?」
そう言われてしまっては、流石に返す言葉も無い。
「…好きにしろ。但し、足手まといになる様だったら何処へでも置いていくからな」
「じゃあ、いいのね?」
「嫌だって言ったら、おとなしく引き下がるのか?」
「ううん!」
「…言っとくけど、多分危険な旅だぞ」
「そうよね、いきなり谷底に落ちる位だし」
「…うるさい」
こうして、オルアには賑やかな道連れが出来た。
「ところで、今はどこへ向かってるの?」
歩き出して間も無く、ミンクが尋ねた。
「ん?ああ、今日の日暮れまでにはファス村に着きたいんだ」
「ふーん…でも、全然方角が違うわよ?」
「…はぁ?」
「だって、このまま西に真っ直ぐ行ったら…そうね、よくて三日後にサウスローザの町に着くかどうかって所よ?」
「そんな訳ないだろ?第一俺はずっと西に向かって…」
そう言いかけてオルアはふとある事に気付いた。
「もしかして、俺は相当流されたのか?」
「それは知らないけど、貴方の話しぶりを聞く限りではどうもそうらしいわね。ホラ、多分現在地はこの辺りよ」
そう言ってミンクは自分の小さな鞄から地図を出して広げて見せた。それは一体どうやって畳んであったのかと思うほど大きな地図だったが、その事はオルアにとってはどうでもよく、食い入る様に地図に見入った。
「ホラ見て、ファス村はここ。大きな山脈を越えて行くか、川を遡るか。船も無いし川は無理、かといってこの山越えは相当厳しいわよ。どうしてもそこへ行かなきゃならないのならともかく、中継点として考えてたのなら変更した方がいいんじゃないかしら?」
そう言われたオルアは、無言のまま地図を見つめ続けている。もっとも地名自体はエルフ文字なのかオルアには全然理解できないのだが、大体の地形はジークに叩き込まれていたので図柄から今の状況を理解する事は出来た。
「あ、あの…大丈夫?」
ミンクが心配そうにその顔を覗き込むと
「あっはっは!いきなり大失敗ってヤツか?こりゃ前途多難だなオイ!」
オルアは開き直った様に大笑いしだした。
「仕方無い。本当はファス村経由でローザ城へ行くつもりだったけど、サウスローザの方が城下町の情報も入り易いだろう。とりあえずはそこを目差すけど、今夜は野宿になりそうだな。夕暮れまで歩き続ければ、その内いい場所も見つかるだろ」
オルアはそう言いながら地図を畳んだ。今度は驚くほど小さくなったそれを見て、オルアは今更ながら怪訝そうな顔をする。
暫く歩き続けて日も暮れかかってきた頃、森を抜けた二人の前に小さな丘が現れた。
「見て、ここなんか良さそうじゃない?」
そう言ってミンクが指差す先には十分な広さの洞穴があり、結局そこが冒険初日の宿となった。
軽い夕食を済ませると、オルアはふと気になっていた事を尋ねた。
「なあ、そう言えば俺と一緒で旅の途中だって言ってたよな」
「え?…うん、まあ」
「目的は?」
「うーん…言うなれば人探し、かな」
「エルフの仲間か?」
「ううん、貴方と同じ人間よ。とは言え私にとってはお姉さんみたいな感じの人」
「ふーん…なんか事情が有りそうだけど、見つかるといいな」
「うん!」
「でも…それだったらなんで盗賊退治になんか付いて来るんだ?あんな凄い地図持ってるんだから、一人であちこち探せるだろうに」
「うーんとねぇ…実は私、その探してる人以外の人間を知らないのよ。あちこちの町を探すにしても私一人じゃちょっと…怖くて」
「なるほど…ってじゃあ待て、俺の旅に付いてくるんじゃなくて、自分の旅の護衛か何かに俺を使おうってのか?」
「そんなんじゃ無いわよ!第一私が探してる人がどこに居るかも判らないんだし、貴方を引っ張りまわすつもりは無いわ。とりあえず貴方の向かう所に付いて行くだけよ。その位ならいいでしょ?」
「まあ、その位なら問題は無いか…ただ」
「何よ?」
「何で俺を道連れに選んだんだ?」
そう言われてミンクは少し考え込んだ。そして
「うーん、何となくだけど、悪い人じゃ無い気がしたのよね」
「…なんじゃそりゃ?」
「まあいいじゃない?そんな事よりそろそろ寝なくていいの?」
そう言われてオルアは、まるで急に眠気に襲われた様に大きな欠伸をした。
「そうだな、そろそろ寝るわ」
「うん、お休みなさい」
言うが早いかオルアはすぐに横になって目を閉じる。眠りに落ちる直前、オルアの目に淡い光を放つ少女の姿が映った。それが夢か現か、そんな事を考えている間にもオルアは深い眠りに落ちていった。
翌朝早く…
「ホラ起きて!もう日の出よ?」
熟睡中のオルアは、元気のいい声で起こされた。
「うーん、もうそんな時間か…」
目をこすりながら起き上がるオルア。立ち上がると大きく伸びをした。そして背後に気配を感じて振り返ると…
「…!」
オルアは息が止まるほど驚いた。
「う…馬?」
そこには、昨夜まで居なかった筈の立派な白馬が立っていた。
「こ…この馬は、一体…?」
「えへ、可愛いでしょ?迷い馬みたいなの。昨夜一人ぼっちの所見つけて、お友達になったのよ」
「お友達って…」
呆気に取られるオルア。それ以上は何も言葉が出て来なかった。
その日の旅は、昨日に比べて遥かに道がはかどった。何しろ立派な体躯の馬だったので二人乗せた程度ではビクともしない。とは言え乗馬経験の無いオルアは、ミンクの背後で必死にしがみついているのがやっとだったのだが。
正午を迎え
「流石にこの子も疲れちゃったみたいね。そろそろ休憩しましょう」
ミンクはそう言って小川の近くで馬を止めた。軽やかに下馬するミンクとは対照的に、オルアは馬から転げ落ちた。
「ちょっと!大丈夫?」
ミンクは慌ててオルアを助け起こしたが
「あー、やっと地に足が着いた」
立ち上がるなりオルアはそう言って、大きく伸びをする。
「何言ってるのよ、この子凄く安心して乗ってられたじゃない」
「そうか?何しろ馬に乗るのなんて初めてだからな…正直少し怖かった」
「ふーん、少し…ねぇ?」
オルアの言葉に、ミンクは思わず笑みを漏らす。
休憩しながら昼食を取っている時
「ところで、今どの辺なんだ?」
不意にオルアが尋ねた。ミンクは例の地図を取り出すと
「うーんと…この辺ね、多分。この調子ならあと数時間もあればサウスローザに着くと思うけど…」
「けど、何だ?」
「あとちょっと進むと、険しい山越えがあるのよ。馬ではちょっと無理かな」
「そうなのか?」
「そうねぇ、残念だけど…ここでお別れかしら」
ミンクはそう言うと、寂しげに小川に目を向けた。そこでは、先程まで二人を運んだ白馬が美味しそうに水を飲んでいた。
「…そうか」
「良かったじゃない?歩いて行けて」
「うーん、まぁそうなんだけど…」
「?」
「いや、何か別れるとなるとちょっと寂しい気が…」
「じゃあ…担いで行く?」
「いや、それは無理」
「そうよね。じゃあこれ以上情が移る前に、お別れしましょうか」
ミンクはそう言うと、馬に近寄って二言三言、オルアには解らない言葉で呟いた。すると馬は大きく嘶き、勢い良く走り去った。
「今、何したんだ?」
「ん?ちょっとあの子を勇気付けてあげただけよ。あと、運んでくれて有難う!ってね」
「ふーん、意外と淡白なんだな」
「何よそれ?あの子はねぇ、呼んだらいつでも来てくれるって約束してくれたのよ」
「馬と…約束?」
「そうよ、多分後でまたお世話になると思うから、あの子の顔は覚えておいてね」
そう言って微笑むミンク。しかしオルアは全く解せないといった感じで首を傾げた。
再び歩き始めて二時間と経たない内に、ミンクの言った通り、道は険しい山中へと入っていった。一応道らしきものはあるものの、巨大な落石などで所々塞がっていた。しばしば大きな岩を乗り越えねばならず、馬での通行は不可能な状態だった。そんな障害をミンクは軽々と越えて行く。山育ちのオルアも山道は苦手ではなかったが、ミンクのペースはそれを遥かに上回っていた。
山頂へ辿り着いた頃にはオルアは既に汗だくで、激しく肩を上下させていた。
「はぁ、はぁ…ふう」
オルアは息を弾ませながら、手ごろな大きさの岩に腰掛ける。すると
「あ、ほら見て!」
そう言ってミンクが山の向こうを指差す。
「んー?」
オルアは億劫そうに立ち上がると、ミンクの指差す方に目を向けた。
「何だよ、何も無いじゃ…ん?あれは…」
一見どこまでも広がる草原、しかしその先にオルアは何かを見つけた。
「あれは…町…か?」
「そうよ、あとひと踏ん張りすれば、今夜までには町に辿り着けるんじゃない?」
「そうか…じゃあ一休みしたらちょっとペース上げるか」
僅かに小休止した後、二人は下りの山道を勢い良く駆け出した。先程までバテ気味だったオルアも、とりあえずの目標が目に見える地点まで迫ってきたことを知り、元気を取り戻した。
「あら、すっかり元気になったみたいね。じゃあこの道下り切るまで競走しよっか?」
「お、勝負する気か?受けて立つぜっ!」
そう言いながら二人は尋常ではない速さで駆け下りて行く。登山路同様時たま大きな岩が道を塞いでいたが、勢いに乗ったオルアはそれを軽々と飛び越える。その様子を見たミンクは
「やるじゃない?それなら私も本気で行くわよっ!」
そう言うと同時に、先程を遥かに凌ぐ速さでオルアを引き離し始める。
「オイ…嘘だろ?」
オルアは一瞬呆然とするが
「負けるかよーっ!」
そう叫ぶと同時にミンクを猛追し始めた。
空に星が瞬き始めた頃、二人はサウスローザの門前に辿り着いた。清々しい顔のミンクと対照的に、オルアは疲労困憊といった顔をしている。
「さ、ここから先は任せたわよ」
そう言って振り返ったミンクは、深々と頭巾を被った。
「お…おう…まか…せ…ろ」
言葉は強気だったが、オルアの声はかなり弱々しい。そんなオルアの様子にミンクは
「…大丈夫かなぁ?」
不安げに呟いた。
町は背の高い石垣で囲まれており、四方に石造りの門があった。二人は南門から入ろうとしたが、既に日も暮れていて門は閉まっている。
「えーっと、こんな場合は確か…あれか」
オルアは門の脇にある管理人詰め所の扉を叩いた。
「何用かな?」
声と同時に現れたのは、背は低いがかなり
がっちりした老人で、いかにも門番といった感じの男だった。
「えーと、ローザ城まで行く途中だが、既に日も暮れて先には進めそうも無い。今夜はこの町で宿を取りたいので、門を開けて貰いたい」
多少緊張した声音でオルアが告げると、門番はオルアの顔をじっと覗き込んだ。
「ふむ、少なくとも悪人じゃなさそうだな。
で、あちらさんは?」
門番はそう言うと、今度はミンクの方に視線を移した。
「ああ、あれは連れのミンク」
オルアはそう言って振り返ると、ミンクに向かって手招きした。
「どうしたの?もう入っていいの?」
オルアに尋ねるミンクの顔を見て、門番は少し驚いた様に口走る。
「ん?お嬢ちゃんは少し雰囲気が違うな。もしや人間ではないのかな?」
その言葉に驚く二人を見て、門番は笑いながら
「ああ、心配しなくていい。誰だろうと悪い奴は通しゃせんが、あんた等二人は大丈夫そうだ。さあ、入りなさい!」
そう言いながら門を開けてくれた。二人が礼を述べて町の中へ入るとすぐ、門は再び閉められた。その迅速さに驚いて二人が振り向くと
「最近盗賊やら何やら物騒なんでな。それにちゃんとした理由がある奴は、ワシ等門番がしっかり見極めてあんた等同様入れてやる事になっとる。逆に理由が不確かな奴らや悪人は絶対に入れんがの!」
そう言って門番は大声で笑った。更に
「おお、そう言や宿を探してると言ったな?それならこのまま真っ直ぐ行けば右手に「止り木」っていい宿が有るぞ!」
そう言い残して再び詰め所に戻った。
「見かけによらず、いい人だったね」
「ああ、なんか俺のジジィに似てた」
「そうなの?」
ミンクはそう言ってクスクス笑い出した。
「…何だよ?」
「あ、ちょっと貴方のお爺さんを想像しちゃって」
「…変な想像するなよ」
「それは…どうかしらね?」
そんな事を言っている内にも二人は「止り木」の前に着いていた。
「えーっと…ここか」
「あら、なんか素敵」
その宿はかなり時代を感じさせる木造りの建物だった。と言っても無骨な感じは無く、まるで巨木をそのまま宿にした、といった感じのなかなか粋な建物だった。
「んじゃ、入るか」
そう言いながら中へ入るオルア。すぐ後にミンクも続いた。
中へ入った二人は、圧倒的な熱気に一瞬戸惑う。と言うのも入ってすぐの所に受付が有ったのだが、その奥には広い酒場が有り、一仕事終えた男達が大勢飲みながら騒いでいたのだ。
「なんか、盛り上がってるな」
「そうね、皆楽しそう!」
「ああ…」
オルアはそう言うと、群集に鋭い視線を向ける。
「どうしたの?」
「いや、城から来てる人でもいれば、盗賊の情報知ってるんじゃ無いかと思ってな、それらしい人を探してみようかと」
「あら、意外と考えてるのね」
「…どういう意味だ?」
「あ、気にしないで」
「…まったく」
そう言ってオルアは受付にいた少年に声をかける。すると
「いらっしゃいませ!遅くまでお疲れ様でした!お泊りですか?お食事ですか?」
受付の少年は元気良く用件を尋ねた。
「二人泊まりで」
「かしこまりました!お部屋は一部屋で宜しいでしょうか?」
「ああ、それで頼む」
「はい!では只今案内の者が参りますので、少々お待ち下さい!」
程無くして部屋係の少年が来ると、二人を階上の部屋へと案内した。
「では、お部屋はこちらになります。お食事は一階の食堂で深夜までお召し上がりになれますので。先にお風呂でしたら、当宿自慢の露天風呂が用意してございます。ご利用の際は一階受付までお声掛け下さい」
少年はそう説明すると、深々と頭を下げて立ち去った。と、同時にミンクが嬉しそうに声を上げる。
「ねえ、聞いた?」
「な、何をだ?」
「露天風呂だって!早く行こうよ!」
「え?俺は早く何か食いたい」
「えー?じゃあ先に行っちゃうよ?」
「別に構わないけど…一人で平気か?さっき人間慣れしてないとか言ってたと思うけど」
「えーとね、さっき門番のおじさんとお話しして、ちょっと安心しちゃった。それに夜だし、細かい所まで見られないでしょ?」
「まあ、それもそうか。俺は風呂より先に何か食べないと倒れそうだ」
「うん、じゃあまた後でね?」
「ああ」
そして二人は揃って一階へ降りると、オルアは食堂へ、ミンクは露天風呂へと向った。
食堂と言っても酒場と兼用なので、オルアは先程感じた熱気の中へ入って行く事となった。幾つものテーブルで無数の男達が楽しげにジョッキをぶつけあっていたが、給仕をしているのは一人の少年だった。あちこちからひっきりなしに注文を受け、まるで独楽鼠の様に動き回っている。よくよく見ると受付の少年、更には部屋係の少年とも似ている。
「兄弟?それとも三つ子か…?」
思わず呟くオルアだったが、その時腹の虫が催促の合図をした。たまらずオルアは給仕の少年を呼び付ける。
暫くして…
「うー、食ったー」
味も量も満足といった感じでオルアはお腹をさすった。人心地ついた所で急に周りの会話が気になりだしたオルアは、暫く食後のお茶を飲みながら聞き耳を立てたが
「世間話ばかりか…」
知りたい情報は何も無いと判断して部屋へ戻ると、そのまま暫く眠ってしまった。
暫くして、オルアは起き上がると目をこすりながら
「うーん、寝ちまったか」
そう言いながら部屋の中を見回した。そして
「…あれ、まだ戻って来てないのか」
隣のベッドが空のままなのを見て呟く。そして自分の体もかなり汗臭い事に気付くと
「俺も入ってくるか」
そう言って部屋を後にした。
「…あー」
お湯につかるなり、オルアは思わず声を漏らす。大きな岩風呂の中で疲れた体を伸ばしていると、どこからともなく歌声が聞こえて来た。思わず聞き入っている内に、オルアはまたもや眠ってしまった。そして
「んご…っぷあ!」
眠ったまま顔までお湯に浸かってしまったオルアは、たまらず目を覚ます。
「いっけねえ、また寝ちまった」
オルアが頭を軽く振りながら呟くと
「こんな所で寝てちゃ駄目よ?」
不意に背後から声がした。慌てて振り返るオルアの前では、岩場に腰掛けたミンクがオルアを見下ろしている。既に服は身に着けていたが、足だけは素足のままだった。
「…いつの間に?」
「そんな事はどうでもいいじゃない。それより寝るなら部屋に戻った方がいいわよ?」
「ああ、そろそろ戻るか。あ、そう言えばさっき歌が聞こえて来たんだけど、ミンクも聞いたか?」
「え、どんな歌?」
「何か、心地よい子守唄みたいな…凄く落ち着く感じの歌だった。まあそのせいで寝ちまったんだけどな」
「そう?気に入って貰えて嬉しいわ!」
「え?」
「じゃあ、先に戻ってるね!」
そう言い残すと、ミンクは風の様に立ち去った。
「…アイツの…歌?」
オルアは信じ難いとでも言いたげに首を傾げた。
オルアが部屋へ戻ると、ミンクは大きな本にペンを走らせていた。
「何書いてるんだ?」
「え?…まあ日記みたいなものよ。見ちゃ駄目だからね?」
「…いや、別に見たくもないが」
「そう?それなら安心」
ミンクはそう言って本を閉じ、そして
「ねえ、明日の予定とか決まってるの?」
オルアの方に向き直ってそう聞いた。
「ああ、この町に長居しても大した事は聞けそうも無い。とっとと城を目差す」
「そっか…」
「どうした?」
「えっとね、もうちょっとだけ町を色々見てみたかったなあ、なんて思ったから…あ、でも貴方に任せるわ」
「そうか、じゃ出発は明後日にするか」
「えっ?」
「ああ、いきなり自分の発言を否定する事になるけど、門番の爺さんが盗賊やら何やらって言ってたのを今思い出したんでな。それに正直な所、俺も町に来たのって初めてだからちょっと興味はあるんだ。だから…」
「だから…?」
「明日は情報収集、と言う名目で…色々見物しよう!」
「やったー!」
「そうと決まったらとっとと寝るぞ!」
「うん、おやすみ!」
翌朝早く、二人は町の朝市を覗きに出かけた。広大な草原の中の町なだけあって、農作物を扱う店が無数に出ている。他にも鶏や羊に牛や豚、更には数多くの魚を扱う店も出ていて、まるでお祭りの様な賑わいだった。その熱気たるや、オルアには昨夜の酒場以上に感じられた。
「何か凄いね!」
「ああ、俺もこんな大勢の人を見たのは初めてだ」
「あ、そう言えば食料の蓄えは足りてるの?折角だから色々見ていかない?」
「そうだな、金なら多少は有るし…あれ?」
そう言って財布を取り出したオルアは、その軽さに首を傾げる。
「どうしたの?」
「金が…無い」
「え?」
「…多分、流されてる最中に殆ど落っこちたみたいだ」
「…じゃあ、何もお買い物できないの?」
「悪ぃ。いや、そんな事より…宿代どうするか」
「そんなー、どうするの?私もお金なんて持って無いわよ」
「そうなのか?…それは…まずいな」
途方に暮れる二人。
「はあ、仕方無いわね…」
溜息をつきながらミンクが何か言おうとしたその時
「ガルだーっ!ガルが出たぞーっ!」
町の西方から叫び声が聞こえて来た。
「何かしら?」
「行ってみよう!」
「うん!」
そう言って二人は駆け出した。町の人々も口々に何か叫びながら同じ方向へ駆け出す。よく見ると殆どの人が手に何か武器を持っていた。
「…一体何が始まるんだ?」
「さあ、でも良い事では無さそうね」
そう話しながらも二人が町の西門前に着くと、既に人だかりが出来ていた。その中に昨夜の門番の姿を見かけたオルアは、傍に行って声をかけた。
「おお、お前さん達は昨夜の…」
「どうも。ところでこの騒ぎは一体?」
「うむ、少し前からタチの悪い盗賊共が出没する様になったのだが、最近は大胆にもこの様に朝も夜もなく現れては、強盗まがいの事をする様になってな…正直頭を痛めておる」
「盗賊?一体どんな奴等なんだ?」
「ほれ、あいつ等だ」
そう言って門番の指差す先には、馬に乗った一団がいたが、その中に一際大きな赤装束の男がいた。
「…奴は?」
「ああ、あの大男が盗賊団の首領のガルって奴だ。なんでも、片手で大木を引っこ抜くとか一蹴りで巨熊を倒したとか…噂は色々ある奴だ」
「ふーん…で、アイツ等何やってるんだ?ただ突っ立ってるだけにしか見えないけど」
「うむ、確かに妙だ。いつもなら町の外にいる隊商を襲うのが奴等の常套手段なんだが」
「何なら、挑発して来ようか?」
「何?」
オルアの思わぬ発言に驚く門番だったが、
止める間も無くオルアは小石を拾い上げ、一団目掛けて投げつける。
「お、おい!」
門番は驚いて叫ぶが、それよりも早く小石は首領らしき男に命中し…落馬させた。
「…あれ?」
あまりのあっけなさにオルアは首を傾げ
「あれが、熊を倒したのか…?」
「うーむ、噂程の事は無いと言う事か?」
思わずオルアと門番は顔を見合わせる。同時に盗賊団は馬を駆けさせて遁走した。
「凄いじゃない!小石一つで追っ払っちゃったよ?」
駆け寄ってきたミンクがオルアに声を掛けると、成り行きを見守っていた町の人々からも歓声が上がった。
「あ、いや…」
「ホラ、手でも振ればいいじゃない」
ミンクは思わず照れ臭そうにするオルアの手を取ると、群集に向けて大きく振る。同時に一層大きな歓声が上がった。
「何か、色々貰っちゃったね」
「ああ、石投げただけなのにな…」
盗賊を追い払ったお礼なのか、町の人々は色々と世話を焼いてくれた。お陰で当日の食事と食料の補給は無一文でも問題無く済み、更には路銀の足しにと蓄えの中から幾らか分けてくれた人も多数おり、その為に朝は空っぽだった財布も黄昏時には大分重たくなっていた。更には…
宿に戻ったオルアに、店主が満面の笑みを浮かべて近寄って来た。そして
「いやー、朝方のご活躍大変お見事でした!我ら町民一同大変感謝しております」
そう言って深々と頭を下げた。オルアはまんざらでも無さそうな顔をしたが、オルアを本当に喜ばせたのは、その後に続く言葉だった。
「町の英雄様から宿代など頂く訳には参りません。何泊されても宿泊代は結構ですので、是非この町での御用向きの済むまでご滞在下さい!」
「え?…本当に?」
「はい?信頼が第一の私は嘘など申しませんよ。他にも何か御用がございましたらいつでもお申し付け下さい!」
店主はそう言って立ち去った。
「これって、あの石コロの成果か?」
「多分、そうみたいね」
「…何でも、やってみるもんだな」
オルアはその晩ぐっすりと眠り、翌朝は快適な気分で目覚める事が出来た。
翌朝、日が昇って間も無くオルアとミンクは宿を出た。宿の主人と少年達は丁重に見送ってくれた上に、北門へ行けばきっと役に立つものが待っていると教えてくれた。
程無くして北門へ着いた二人を、がっちりとした二頭の馬と、同じく頑丈そうな作りの馬車が待っていた。
「これは…?」
思わず声を漏らすオルア。するとその声に反応するかの様に御車台から声がする。
「よう、待ってたぜ」
そう言って振り返ったのは、一昨日の晩にオルア達を町へ入れてくれた門番だった。
「町長からのお達しでな、あんた等が城へ向かう手助けをする様に仰せつかったのさ」
門番はそう言って御者台から飛び降りると、馬車のドアを開けて二人を促した。
「遠慮するな、皆昨日の活躍に感謝してるんだよ」
そう言われてやっと、オルアにもこれが冗談では無い事が理解できた。二人が勧められるままに馬車に乗り込むと
「よーし、二人とも乗ったな?じゃあ出発するぞ?」
「ああ、よろしく頼む!」
「お願いします!」
「よーし、では行こう!」
門番の威勢のいい掛け声と共に、馬車は勢いよく町を飛び出した。
「あ、そういえば」
暫く駆け続けた所で、出し抜けにミンクが言う。
「どうした?」
「あの門番さん、まだお名前聞いてなかったよね?」
「あ、そう言えば…」
ミンクは腰を浮かせると、門番に近づいて
「あのー、よろしければお名前を教えて頂けませんか?」
背後からそう声をかけた。
「ん?ワシの名前か?」
「はい!」
「そう言えばまだ名乗ってなかったな。ワシはカシムじゃ。まあ縁有ってあんた等に同行する事になった。とは言え城までの二日足らずの道のりだが、まあ宜しく頼む!」
「ああ、何かアンタは他人とは思えない所があるからな、宜しく頼む。ついでに言うと俺はオルア。そしてこっちは」
「ミンクです!宜しく!」
「おお、流石に若いだけあって二人とも元気が良いな!結構結構!」
そう言ってカシムは大声で笑った。
「あ、ところで何でカシムさんが私達を送ってくれる事になったんですか?」
「ああ、それは俺も気になってた」
「ん?別に深い意味は無い。町の門番は交代制でやっとるのだが、今日はワシが非番だったから、単にそれだけの事よ!なにしろ客人を他所まで送るとなればそれなりに危険も伴う。万一の際に戦えるのは、町ではワシ等門番やっとる者か、もしくは警備隊の者位しかおらん。流石に警備隊を町の外へ出すわけにはいかんし、そんな時は我々の出番と言う訳じゃ!」
カシムはそう言うと再び大声で笑った。
日が中天に差し掛かる頃、流石に馬が少し疲れを見せ始めた。それを見たカシムは
「そろそろ休憩するとしよう」
そう言って木陰に馬車を停めた。
「ほれ、喉が渇いたろう」
カシムは泉から水を汲んでくると、汗だくの馬の前に置いた。余程喉が渇いていたのか二頭の馬は勢いよく水を飲み始める。
「さて、じゃあ次はワシらが喉の渇きを潤すとしよう」
カシムは手際よくお茶の準備を始め、あっと言う間に昼食が用意された。
「さあ、食って一休みしたらまた出発だ。とは言え急ぎの旅では無し、ゆっくり食べながら話でもしよう!」
暖かな日差しの下で食べる昼食は格別で、いつも以上に食が進む。満腹になり、更には暖かな日差しの下で横になると…
「ちょっと、いつまで寝てるのよ?もう、カシムさんまで!」
すっかり熟睡したオルアにカシム。ミンクに起こされたのは既に日が傾きかけてからだった。
「おお、つい寝過ぎてしまったか」
「はぁーあぁ…んん、寝ちまったのか?」
「もう、これじゃいつになったらお城まで辿り着けるのか…」
呆れた様にミンクが言うが
「まあ、このまま休み無く馬を走らせてもどうせ日暮れまでには城までは行けんよ。夜中に城へ着いても中には入れんし、一晩野宿すれば丁度いい時間に辿り着けるさ」
カシムは事も無げに言った。そしてその日は何事も無く終わり、その翌朝
前日同様馬車を駆けさせていると
「ねえ、何かいるよ?」
出し抜けにミンクが言った。
「何かって、何だよ?」
「うん、よく解らないけど…囲まれてる」
「何?」
オルアはすかさず様子を見ようと、カシムの背後から外の様子を伺おうとした。その時
「うおっ?」
カシムが驚きの声を上げながら大きく手綱を引く。同時にオルアは不意を突かれた形で馬車の外へ転げ落ちてしまう。
「…痛ってえ」
オルアは首筋を擦りながら起き上がり…周りをすっかり囲まれている事に気付いた。
「あれ?こいつ等は…」
周りを見回したオルアは思わず呟く。
「うむ、昨日の朝追っ払った連中に違い無い様だな」
そう言われて良く見ると、確かに周りを囲んでいる輪の外に、赤装束の大男が居た。馬上からこちらを見下ろす姿には威圧感、と言うよりは違和感があった。
「カシムさん、あの大男何か変じゃない?」
「うむ、ワシもそう思っておる。そこでな」
カシムはニヤリと笑いながらボウガンを手にした。そして馬上の大男に狙いを定める。
そんな事は露知らず、オルアは剣を抜いて周りを囲む一団に鋭い視線を向けていた。
「おう、金目の物置いてきゃ命だけは取らねえでやるぞ」
オルアに正対した男が声を上げた。しかし
オルアは怖がるどころか一層鋭く男を睨み付ける。
「お…おい、俺達とやる気か?悪い事は言わんが、それはやめておけ。何しろ俺達の頭はその名を天下に知らしめた、あのガル様なんだからなあ!」
男はそう言って背後の大男を振り返る。同時に鋭く放たれた矢が大男の頭を射抜いた。
「あっ?」
男が驚きの声を上げると同時に、馬上の大男は崩れ落ちた。
「なんじゃありゃあ?」
「…変なの、中身が無いよ?」
ミンクの言葉通り、矢に射抜かれたのは中身の無い冑だけで、次いでその下の中身の無い鎧も崩れ落ちた。
「やはり偽者か!」
思わず叫ぶカシム。同時に一団は一様に互いの顔を見合わせるが…
「バレちまっちゃ仕方無い!こうなりゃお前等全員始末するまでよ!」
開き直った様に一斉に襲い掛かって来た。
「おっちゃんは馬車とミンクを頼む!」
オルアはそう言って物凄い勢いで囲みを突き破った。一気に数人の男を蹴散らすと再び向きを変え、更に別の一団を蹴散らす。それを数回繰り返す内に、囲みの半分以上は地べたに這いつくばった。始めの内は数人が馬車の隙を窺っていたものの、カシムの正確な狙いに手を出せずにいる。
「くそっ、何て小僧だ…」
明らかに劣勢に立たされた男が呟いた。す
るとその時
「おい、これは何事だ?」
いつの間に近づいていたのか、別の一団が更に大きな囲みを作っており、気付いた時には偽盗賊団もろとも囲まれてしまっていた。その中の長らしき男が、転がっている冑を手に取り、問い詰める様に言った。
「さあな、そいつ等に聞いてくれよ」
鋭い視線を向けられたオルアだったが、関係無いとばかりに言い捨てる。すると
「では貴様等か、これは何の真似だ?」
今度はその視線は偽盗賊団に向けられた。
「何の真似?…何を訳の解らねえ事を!」
その言葉と同時に、まだ無事だった偽盗賊団はその男の前に立ちはだかる。周りを囲んだ一団もそれに合わせて動こうとしたが
「構うな、俺一人で充分だ」
制する様な男の言葉と共に動きを止めた。その整然とした動きは、訓練された軍隊に勝るとも劣らない。
「ナメやがって…こいつからやっちまえ!」
オルアに手も足も出ない腹いせなのか、偽盗賊団は矛先を変え、一斉に襲い掛かった。そして…
正に瞬く間の出来事だった。日の光を浴びて剣が煌くと同時に一人、また一人と倒れていく。とは言えその太刀筋はオルアの目には全く見えず、何かが光ったと思った時にはバタバタと周りの男達が倒れて行った。
「…凄え」
「うむ、一体何者じゃ?」
「さっきのオルアも凄かったけど、あの人はそれ以上かしら?」
「ああ…ってうるさいな」
そんな事を喋っている間に片は付き
「二度とふざけた真似はするな。次は容赦無く殺す」
その言葉と同時に、偽盗賊団は一目散に逃げ出した。それを見届けた男は剣を納めると再びオルアに視線を向け
「お前達は、関係無いんだな?」
相変わらず手に持ったままの冑を差し出して尋ねた。その横柄な態度にオルアの手が僅かに動いたが、それよりも先にカシムが男に答える。
「うむ、それは先程の連中がガルの名を語る為に用意した物らしい。恐らくその名を使えば労せずして略奪できると、そう思って使ってたんじゃろう」
「ふ、我等の御頭にしては随分と迫力に欠ける」
カシムの話を聞き、男は思わず苦笑した。そして冑を投げ捨てて踏み潰す。
「御頭って…」
何か言おうとするオルアを、カシムが制する。そして
「さて、どうやらあんた方は偽者ではなさそうだが、ワシ等など襲っても何も出んぞ」
穏やかな口調で告げた。
「心配するな、我々は御頭が狙った獲物以外
に手は出さん。それはそうとそこの少年」
「ん、俺?」
「うむ、先程の戦いを少々見せて貰った。今はまだまだだが、いずれはかなりの使い手になるだろう」
「え?…いや、それは…」
思わぬ相手に褒められ、オルアは照れ臭そうに頭を掻いた。
「では、邪魔したな」
そう言って颯爽と馬に飛び乗ると、男は一団を率いて去って行った。
「流石に本物は違うの」
「でも、盗賊なんでしょ?あ、そういえばオルアの退治する盗賊ってどんな奴なの?」
そう聞かれてオルアは暫く考え込んだが
「…そういや、名前聞いてなかった」
「何と?」
「もしかして、そのガルとか言う人だったりして?だったら多分今の人より強い訳よね?ちょっと危ないんじゃない?」
「いや、それは…まぁいい、城へ行けば解るだろ」
その日はそれ以上のトラブルは無く、日暮れ前までにかなりの距離を稼ぐ事が出来た。
「さて、この調子なら今夜一晩たっぷり休んでも、明日の昼前には城へ着けるじゃろう」
満足そうなカシムの言葉に、オルアも安心した様に笑みを浮かべた。しかしミンクは浮かない顔をしている。
「どうした?」
「うん…お城に着いちゃったら、カシムさんとはお別れなんだよね?それがちょっと寂しいな…って」
「あ、そうなるのか」
そう言って二人は寂しげにカシムを見つめるが
「がっはっは!嬉しいことを言ってくれるじゃないか!だがそんな気にする事は無い。あんた等がワシとの出会いを大切に思ってくれたのなら、それだけで十分満足と言うものじゃ!」
カシムは大声で笑い飛ばした。つられて二人にも笑顔が戻る。そしてその晩はさながら宴会の様に盛り上がる。楽しく飲んだり食べたり騒いでいる内に調子に乗ったオルアとカシムは、ミンクの歌に合わせておかしな踊りを踊り始め、その内踊り疲れてぶっ倒れてしまった。するとミンクも大の字になった二人の間に倒れこんだ。
「草の上って気持ちいいね!」
星空を見上げながらミンクが言った。
「うむ、全く。それにしても今夜は久方振りに楽しんだわい!」
大の字になったカシムが言うと、同じく大の字になったオルアが笑いながら同意した。
「ああ、今夜は凄く楽しいや。よく考えたら毎日おっかねえジジィにしごかれて、こんなのんびりした事無かったもんなあ」
「毎日か?そりゃあ強くなるのも納得できるという物!そのお陰で偽者とは言え盗賊団を蹴散らせたのだから、帰ったら感謝せんといかんぞ?」
「よく言うぜ、どれ程しごかれてるかも知らないで」
「だが、そのしごきが無ければ逆にやっつけられてしまっていたかもしれんぞ?やはり感謝すべきだろう」
「う…それは…まぁ」
「そう言えばオルアのおじいさんって、カシムさんと似てるんですってね?」
「いちいちそんな事言うな!」
「ほう、そうなのか?ならば尚更素晴らしいおじいさんに違い無いな!」
カシムはそう言うと、また大声で笑った。
翌日の昼前、そろそろ日が高くなり始めた頃に、一同は城下を見下ろせる丘の上に立っていた。
「おお、予定通りだな。ほれ見てみい」
カシムに促されてオルアとミンクは馬車を降りると、並んで丘の下を見下ろす。
「おお、あれが…」
「うわー、おっきなお城だね」
二人は思わず感嘆の声を上げた。天を突くかの様な尖塔を中心に巨大な城塞が幾重にも聳え立ち、その周りを囲む城下の町は、オルアが大きな町だと思ったサウスローザの数倍はある巨大な都市だった。暫く立ち尽くす二人の肩を叩くと、カシムは
「あれがこの国を統べる王、アスラン十三世の居城であるローザ城じゃ!」
城を指し示しながら言った。
「そして、あそこまであんた方を無事に送り届けるのがこのワシの役目。さて、目的地は目と鼻の先だ、行くとしよう」
旅立ち早々に散々な目に遭ったオルア。しかしそれが新たな出会いのきっかけとなり、それは更なる出会いへと繋がる。だが、それは更なる危険への誘いとなるのだが…どうなるのかは、今後のオルア次第。