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四、ほろ苦い出来事

 それから三日間、クレイアはひたすらチョコ作りをしていた。

 前日までにチョコを買いに来る人もいるが、最も売れるのは、もちろん〝ライラ・ディ〟当日だ。特に蜜林檎入りチョコの売れ行きを考えると、林檎を大量に蜜を漬けておかなければならない。

 数日前はクラリスの言葉によって、つい苦い過去を思い出してしまったが、今では忙しすぎて目の前のことに集中せざるを得ない。

 慌ただしい時間を過ごしたまま林檎菓子専門店『アフェール』は年に数回ある稼ぎ日に突入した。



「いらっしゃいませ! アフェール特製、蜜林檎入りチョコはいかがですか!?」


 クレイアは朝から声を張り上げて客を呼び寄せる。従業員も含めて一番若いのはクレイアであるため、必然的にこういう役は任せられた。そして雑誌の掲載の効果か、予想していた通り、人の列の長さは例年以上である。

「ここで折り返して、並んでくださいね! チョコはたくさんありますから、心配しないでください!」

「あら、クレイアちゃん、こんにちは」

 ふと近所にいるお姉さんがクレイアに対して、にやにやしながら話しかけてきた。

「こんにちは。いつもお買い上げ頂き、ありがとうございます」

「今年はいつも以上にすごいわ。カリスマ看板娘の名が効いているのね」

「……あの、その名前はなるべく控えていただきたいのですが……」

「あら、いいじゃない! クレイアちゃんにぴったりよ。お菓子だって、その名に恥じないくらい、凄く美味しいし」

「いえ、他にも同年代で、菓子作りが上手い子はいますから……」

 近所のお姉さんとの会話を適当なところで終わりにして、次々と並ぶ人の列を引き続き整えながら、ある女性のことを思い浮かべた。

 街の中心部から少し離れたところにある『コレットの菓子工房』を営んでいるコレットも、ティル・ナ・ノーグでも指折りの若手菓子職人である。三つくらいしか違わないとはいえ、一人で経営している姿はクレイアにとって尊敬する人物であり、同時に菓子職人同士、色々と気さくに話せる友人の一人だ。

 そんな彼女を差し置いて、カリスマと呼ばれるなど……非常に気が引ける。だがコレットは、むしろ同年代の少女が雑誌に名が載っていることに対して、素直に喜んでくれたのだ。

(きっとコレットは好きな男性にチョコでもあげるんだろうな……)

 彼女が誰かを意識しているのは、話していたり、様子を見ていても充分わかる。表情が以前より生き生きしているのだ。そんな彼女が今日を逃すはずはない。

 コレットはまさしく“ライラ・ディ”にふさわしい女性の一人だと、クレイアは思うのだった。



 もちろんその日は昼休みなどあるわけなく、製造の合間に軽食を摘むときが、ほんのわずかな休憩だ。朝、母親が作っていたサンドウィッチを食べると、再び製造へと戻る。

 昼中頃の製造が終わり、再びクレイアは店頭に出て客を呼びかけ始めたとき、ひょろっとした体格の眼鏡をかけた少年が、意識も虚ろな状態で歩いてくるのが見えた。

 ぼさぼさの薄茶の短髪に汚れた作業着を羽織っているため、『アフェール』に買いに来た女性たちが一瞬身を引いたのに、クレイアは気づく。

 彼はまるで目の前にある人の列に気づいていないのかのように、そのまま列に突っ込もうとしたが、その前にクレイアは立ちはだかった。

「ユータス、またそんな格好で出歩いて! この先は人がいる。少し左にずれて歩きな!」

「……わかった」

 そう返事をしたユータスだが、クレイアの意に反して右にずれて歩き始めた。そこには店の近く、人がさらに密集している場所である。

 クレイアは左手を腰にあて、やれやれと肩を竦める。次の瞬間、ユータスの両肩――は身長差がありすぎて無理だったため、左手を引いて無理矢理列から離した。

「あんた、耳は付いている!? 変なもの食べたの!?」

「昨日……いや一昨日ご飯は食べた気がする」

「一昨日? 昨日から何やっているの?」

「夢の中にペルシェが出てきて、それを追いかけていたら……」

「夢と現実をごちゃ混ぜにするな!」

 だいぶ店から離れ、ユータスの進行方向をしばらく歩いたところで、手を離した。

 無頓着マイペースな彼はいったい何を考えているか、クレイアには正直わからない。ただ、城を囲む妖精の森にいる、ふわふわと浮かんでいる魚のような小動物――ペルシェには異様な執着心を抱いているというのは、たまに見る暴走で気づいていた。

「とりあえず家に帰りな、チョコでも上げるから。そんな格好で街を歩かれたら、迷惑だって」

「確かに街の中にペルシェがいるはずなんだが……」

「おーい、人の話を聞け。ペルシェは妖精の森だーー」

 ユータスの手に試食用のチョコを一粒握らせ、顔の前で手を振りながら、意識を現実世界に戻そうとした。

 しかし間もなくして、甲高い女性の声が街の中に響きわたった。



 クレイアは一転させて険しい表情で、ユータスが進もうと思っていた道の先を睨み付ける。

 道の真ん中のある場所だけ、一気に人の波が引いていた。

 そこには若い男性が女性の首をしめて、ナイフを突きつけているのだ。

「私が悪かった、悪かったから!」

「うるさい! 振っておいて今更なんだ! こうなったら、一緒に心中してやる!」

「嫌よ、あなたと心中なんか、絶対に嫌よ!」

「悪かったと思うなら、一緒に死んでくれ!」

 状況が上手く掴めなかったため、クレイアは二人の男女から逃げるようにして来た老婆に話しかけた。

「どうされたんですか?」

「失恋トラブルっていうやつだよ。女性がチョコを渡さずに振ったらしいんだ、相手の男を。まああんなことをする男だから、振って当たり前だけどね」

「その通りだと思います……」

 男はわめきつつも、女性の首をしっかり締め込んでいる。男女の関係のもつれで、別れようが何しようが他人の勝手だが、こういう風に周りを巻き込むとは非常に迷惑だ。これでは客が『アフェール』に来たくても来られなくなってしまう。

「誰かが騎士団の人たちを呼んでいるから、いつかは収まると思うけど、その前にあの娘の身に何かあったら……ああ、怖い」

「いつ来るかわからない、騎士団に頼っていられませんよ」

 クレイアはぎゅっと手を握りしめた。

 倒す相手は男一人。接近に持ち込めれば、すぐに丸め込めることができるはずだ。

 ただ問題なのは――人質の女性。

 これでは迂闊に近づけない……そう思っていると、ユータスがゆっくりと緊迫感溢れている男女の方に向かって歩き始めたのだ。

「ユータス、危ないって!」

「……シェ」

「はい?」

「ペルシェが、ペルシェがーーいーーるーー!!」

 クレイアが止める間もなく、目を大きく見開いて、一人猛然と男女の方へと走り始めたのだ。

「美しく、流れるような曲線! これぞ芸術の極み! 待っていろ、ペルシェ! 今度こそ捕まえて、家で飼ってやるーー!!」

 どこにペルシェがいるのかと、目を凝らして道の先を見たが……まったくめぼしいものは見えなかった。

「……もういいや、放っておこう」

 ユータスの変人さは今に始まったことではない。とりあえず店から離れただけ良かったとしよう。

 不意に突然あることが閃く。

 前方から走ってくるユータスに対して、男女の表情はかなり引きつっており、視線が釘つげである。彼としては怒っているつもりはないが、何かに熱中している時は眉が吊り上っているはずだ。今もきっとそうである。

 これは好機――!

 クレイアはユータスに続けと、後ろを走り始めた。

 体格差や彼が暴走しているため追いつくことはできないが、クレイアは女としてはそれなりに鍛えている方であるため、そこそこの距離を保つことができた。

 男性が迫ってきたユータスに対してナイフを突きつけたが、まったく怯むことなく突っ込んでくるため、逆に男性の方が逃げ腰になっていた。

「ち、近づいてくるな! さ、刺すぞ!」

「ああ、その美しさ! 最高だーー!」

 そしてひたすらペルシェへの愛を叫びながら、男性の脇を勢いよく通り過ぎていった。

「……は? な、何だ、あいつ?」

 視線がユータスの背中に向いたのを見計らって、クレイアは突き出していた男性の右手をしっかり掴んだ。

 男性の表情が一変する。

 女性がその隙に彼の左腕を噛んで、腕の中から逃げ出した。

「畜生仕組んでいたのか!」

「まさか! あんな暴走男、誰がそう簡単に扱えるか!」

 男性の腕を勢いよく引き、たたらを踏んだところで臑の辺りを蹴り付ける。

 その衝撃でナイフが飛び、クレイアの左頬をかすった。

 怯んだところを見計らって、そのまま地面へと右腕を押しつける。男性もつられて、地面に伏せた。 

「こんな人混みの中で痴話喧嘩なんかするな! 迷惑すぎだ! もっと静かなところでやれ!」

「チョコを期待していたら、突きつけられたのは甘くも何でもない別れ話だぞ!? 俺は、俺は……」

「男が泣くな! 情けない……だから振られるんだよ」

 クレイアが一喝すると、男性は抵抗するのをやめ、ぐったりと地面にへばりついた。やがて、それを見ていた周りにいた男性たちが取り囲み始め、一瞬で彼はお縄に付いたのだ。



 クレイアは事件を起こした男性から手を離し、立ち上がって埃を払うと、後ろから十人程度駆け寄ってくる足音が聞こえた。先頭にいる小さくも、凛々しい顔の亜麻色の髪を束ねた女性を見て、クレイアは思わず声をあげた。

「ペルセフォネ副団長!?」

「クレイアじゃないか。連絡があって駆けつけたら……何だ、お前が終わらせたのか」

「そ、そうですね……」

 取り押さえられた男性が、住民によって突き出されていた。

「血、出ているぞ」

「本当ですか?」

 頬を触るとうっすらと手に血が付いている。

「あまり無理はするな。親御さんが心配するだろう」

「そうですね……。ご忠告ありがとうございます。……それにしても、どうなされたんですか? 副団長ともあろう方がこんな街の小さな暴動に……」

「騎士団の中で腹痛者が大量に出たせいだ。まったく使えない男が多い」

「え、腹痛者……」

 瞬時にアイリスの顔が浮かんだ。

(あれだけしつこく作るなと言ったけど……まさか……)

「どうした?」

「いえ、何でもありません」

 クレイアは笑顔で受け流したが、ペルセフォネはうろんげな目で見ている。勘が鋭いのは知っているが、それでも笑顔で追求から逃れた。

「今日も繁盛しているようだな。店の方、頑張れよ」

「はい、ありがとうございます!」

 元気よく挨拶をし、ペルセフォネら、騎士団員たちは一悶着を起こした男性を連れて、その場から去っていった。

 通りにはぽつぽつと人が歩き始めている。

 クレイアはきびすを返して急いで店に戻ろうとしたが、自分の格好を見て、つい立ち止まってしまった。

「誤魔化すのは厳しいな」

 頬から流れる血は拭ったとはいえ、まだ滲んでいる。ナイフの飛び方が悪ければ失明だって考えられる状況だ。

「また何か言われる。……あたしのために、心配なんかして欲しくない。まだまだあたしは駄目だな」

 埃を極力払って、クレイアは店へと戻り始めた。



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