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二、その日の結末は

 爽やかな風が吹く中、翌日店からチョコ板や林檎、アーモンド、マシュマロなど、チョコに包んでも良さそうなものを籠に入れて、クレイアはカフェ『エリン』の扉を開けた。

「おはよう、エリン」

 だが返事はなく、部屋の中は静かであった。エリンと一緒に住み、働いているオーナーは気をきかせて出かけているらしい。

「眠っているのかな。まあそれも計算して来ているけど。アイリスとクラリスはまだ……か」

 椅子に腰をかけ、持ってきた材料を広げる。すると、ふわふわした薄い黄色のものがクレイアの目の前に飛び込んできた。

「……ガートか。軽々と机に上ってきて、何か用?」

 頬杖を突きながら、愛くるしい獣を眺める。

 柔らかい毛並みを持つ小型の獣、羽のような形をした耳を持っている、ティル・ナ・ノーグにはよく見ることができる小動物だ。

 そのガートがじっとクレイアとは別の方向を見つめている。視線の先にあるのは、よく熟れた林檎。今日使うかもしれない材料だの一つ。

「食べたいって?」

 そう聞くと、軽く頷き返してきた。少し多めに持ってきていたため余裕はある。クレイアは林檎を手に取ると、放物線を描くようにしてガートに向かって投げ上げた。それを見事、口で受け取ると、軽々と机の上から降り、庭の方へと駆けて行ってしまった。

 その後ろ姿を微笑みながら見ていると、カフェの入り口が開かれた。エプロンを所持したアイリスとクラリスが現れる。

「クレイア、今日はよろしく!」

「よろしく……。アイリスのことは、極力わたしがカバーするから……」

「じゃあ、始めようか」

 クレイアもいつも着ているエプロンを身につけ、厨房へと入った。エリンは眠る前に、臨時休業という看板をしっかりかけていたため、邪魔が入ることはないだろう。

 遠目からたくさんのガートに見られつつも、クレイアは菓子作りを始めた。



「時間もないし、チョコ作りは凝らない方向で行く。特に希望がないなら、適当にチョコ溶かして形を作ろうと思う」

「希望あります、クレイア先生!」

「どんなの、アイリス?」

「チョコの中にアーモンドを入れたいです。あまり甘いチョコは騎士団の男たちは好きじゃないみたいですから」

「アーモンド入りチョコ……、たいした手間じゃないね。とりあえずまずは、この板チョコ刻んで」

 クレイアが何気なく数枚の板チョコをアイリスの手に乗せた。まな板と包丁を取り出し、彼女らの前に置くと他の支度を始める。今日は、クレイアはサポートに回り、実際の製造は彼女らに任せるつもりだ。

 鍋を出し、砂糖などを計って、スムーズに作業をできるようにした矢先、突然クラリスの悲鳴があがった。

「ちょ、ちょっとやめてーー!」

 慌てて振り返ると、クレイアは目を大きく見開いた。

「な、何やっているの、アイリス?」

「何って、刻んでいるの!」

「そうじゃなくて……包丁の使い方も知らないの!?」

 アイリスは柄の部分の先端を恐る恐る握り、左手をチョコに添えずに垂直にチョコを切っているのだ。彼女はまるでモンスターを相手にし、警戒しているような様子であり、近づけない雰囲気が漂っていた。

 チョコは少しずつ切れてはいるが、かなり乱雑であり、非常に危なげである。クレイアは大きく溜息を吐いた。

「……クラリス、アイリスから包丁奪って」

「もちろん!」

 それだけ言うと、クレイアは背を向け、背中越しから、双子の攻防の叫びを聞き流した。

 前もって蜜に浸し、一口サイズに切られた林檎を取り出す。蜜林檎入りチョコも作れるように準備したものであり、これを使えば雑誌に載っているくらいのチョコも作れる。後ろで言い合っている双子には気にもせず、一人で黙々と準備を進めていた。



 やがてアイリスから包丁を奪い取ったクラリスの手によって刻まれたチョコを、湯煎を用いて溶かし始める。甘い匂いが部屋の中を充満していく。クラリスはごくりと唾を飲み込みながら、まじまじと溶かされていくチョコを見つめていた。

 一方、悔しそうな顔をしているアイリスは、近くに寄ってきていたガートに手を舐められている。その手が所々傷ついているのに気づくと、つい肩をすくめてしまった。

 これはクレイアの予想以上に、アイリスは料理が駄目なのかもしれない。しかしあれだけ目を輝かせて作りたいと言ってきたのだから、多少は手伝わせてやらなければ。

 溶かしたチョコを火から離し、店でローストしたアーモンドを、砂糖と水で作ったシロップの中に入れようとしたところで、声を投げかけた。

「アイリス、そこでじゃれていないで、少しは手伝いな!」

「……私が作ってもいいの?」

 目を丸くしているアイリスに、首を縦に振った。

「エリンの様子を見てくるから、極力火力を抑えながらこれを混ぜなさい。つまり火の端を使って慎重に調理して。油断すると焦げるからね。――クラリスは籠の中に板チョコがまだあるから、引き続き刻んでいてね」

 簡潔に言い渡すと、クレイアはアーモンドを鍋の中に入れ、アイリスに鍋を持たせてから、裏にあるハーブ園へと出た。

 心の中に優しく吹き込むような風がそよいでいる。庭を少し歩くと、エリンは規則正しい呼吸をしながら眠っていた。すぐ脇で彼女のお気に入りのガートが、裾を引っ張っていた。するとゆっくりと眠り姫は目を開いたのだ。そして視線をクレイアに向ける。

「……クレイア、おはよう」

「おはよう。といっても、もう昼前なんだけど」

「わたしにとっては、おはようだよ。……何だか変な臭いがするね」

「……え、臭……い!?」

 血の気が引き、体をエリンから店内へと向けた。そしてそこから発せられる焦げ臭さに気づくと、一目散に中へと踏み込んでいく。途中でガートが座り込んでいたが、慌ててクレイアから逃げていった。



「アイリス、何やっているの!」

「ク、クレイア……変な臭いが……」

「鍋を火から離して、火を消して!」

「ええ?」

 半泣き状態で動こうとしないアイリスから、クレイアは鍋をひったくり、火を水で消し去る。脇ではクラリスが頭を抱えていた。

 火はすぐに消せたため、大事にはならなかった。だがそれよりもクレイアは自分が持っている異様なものに対して、目を見張ったのだ。

「アイリス……言ったはず、火には近づけるなって! 本当にゆっくりと火にかけないと、すぐに焦げるんだから!」

「だって火に近づけた方が早く終わるかなって……」

「人の話はしっかり聞けーー! アイリス、そこに座りなさい!」

 焦げ臭い鍋を脇に置いて、アイリスを床に正座させる。そして人差し指を突きつけた。


「お菓子作りっていうのは、普通の料理よりもさらに繊細なもの。適当な味付けで、適当な火力でどうにかなるものじゃない! 経験無しで美味しいものが作れると思うな!」


 それから脳内の沸点が突破したクレイアは、アイリスに対して、アーモンドチョコの作り方を事細かに話し始めた。原理がわかっていなから、このようなことになる――そう勝手に思いこんでいたため、ひたすらに言葉をまくし立てる。


 実際はアイリスが料理に対して、超不器用なだけだが――。


 クラリスは苦笑いをしながら、ガートを抱きしめ、椅子に座って、一方的に言葉を突きつけている場面を眺めていた。

 あまりにも熱弁を振るっていたため、エリンがひょっこり起きあがって、厨房の中に入り込んでいるには気づかなかった。

 ようやく話の中で一つの区切りが付きそうになった頃、突然カフェの入り口が開いたのだ。眉をひそめながら、入り口を見ると、亜麻色の髪を束ねた、長身の青年騎士が現れる。彼を一瞥すると軽く言い捨てた。

「アレイ、今はお休みの時間。お茶なら他の時間にしな」

 ぶっきらぼうに言い放たれたアレイオン――愛称アレイは困ったような顔をして頭をかく。

「いや、店長さんがこの時間に来て欲しいと言われたから……」

「エリンが?」

 すると噂のエリンが現れ、アレイに向かってチョコが乗った皿とスプーンを手渡したのだ。

「おはよう、アレイ君。これ良かったら、味見してくれる?」

 チョコはまだ固まっていないため液体状であるが、それより気になるのは妙な盛り上がりを見せている部分である。

「これ……俺にか?」

「きっとアレイ君なら大丈夫だと思う。食べてみて」

 ほんのりとアレイの頬が赤く染まっている。愛くるしい目で「食べて」なんて言われたら、男なんてすぐに参るんだろう……と内心ブツクサ思いながら、クレイアはアレイがチョコを摘み、口の中に入れようとしたのを見ていた。

 だがそのとろけるチョコの隙間から、黒い異質な物体を垣間見て、顔がひきつった。すぐに回れ右をして振り返ると、そこにあったはずのおぞましい鍋がない。視線をさらに移すと、溶かしたチョコの脇にはあの鍋が――。

 すべてがクレイアの思考の中で繋がった。

「ま、待て、アレイ! 早ま――!」

 制止する前に、甘いチョコに包まれた、あの物体がアレイの口の中に含まれたのだ。

 始めは笑顔でチョコを含ませていたが、がりっという、甘ったるく柔らかいものとはまったく違う、異質な音が部屋の中に響きわたった。アレイは表情を歪めつつも、そのまま飲み込んだ。

 次の瞬間、彼の顔色は見る見る青くなっていく。

「クラリス、水!」

「わ、わかった!」

 そう言って慌てて水を用意するが、辛うじて意識を保っていたアレイはトイレへと駆け込んでいった。

 そして悲痛な叫びとともに、吐き出す音が耳に飛び込んでくる。

「アレイ君、大丈夫!?」

 アイリスが急いで駆け寄ろうとしたが、眉間にしわを寄せたクラリスによって阻まれた。あまりの殺気にアイリスは立ち止まった。そしてクラリスは決定的な言葉を突き出す。


「わかったでしょう。料理しようなんて、考えないで! この料理下手!」


 一方、クレイアは視線を移し、眠そうな顔で双子の様子を眺めている緑色の髪の少女を見た。

「エリン、どうしてあんなことをした?」

「……アレイ君にチョコを食べてもらおうと思って呼んだの。ただのチョコだけじゃつまらないと思って、そこにあったアーモンドに包んだの。ダメだった……?」

「あれをアーモンドとわかる辺りは感心する。だけど、あの炭は明らかに人にあげてはいけないものだから。――ほら、アレイが大変な目にあっているでしょ?」

 あのアーモンドの残骸は辛うじて形は保っていたが、どう見ても炭だ。炭を口に含ませようなどという、無謀な人はこの世にはいない。

 料理下手なアイリスといい、たまに無茶ぶりなことをするエリンといい、大変なメンバーに囲まれているのではないかと気づき、クレイアは盛大に溜息を吐いた。



 こうしてアイリスの料理に関する武勇伝は、また一つ増えたのだった。



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