一、作り方を教えて
この小説は、多人数参加型西洋ファンタジー世界創作企画『ティル・ナ・ノーグの唄』の参加小説、またバレンタインデーをテーマにした小説です。
ただし本文中では『バレンタインデー』ではなく『ライラ・ディ』と扱っています。
文字数のわりに多数のキャラクターを扱っています。もしキャラについて詳しく知りたい方は、企画サイトの方までお越しください。
では、少しでも読者様のひと時のくつろぎを与えられますように――。
「ねえ、クレイアは誰かにチョコの贈り物をするの?」
腰をかけ、眠そうな顔で緑色の瞳を向けてくる少女の言葉に対して、クレイアは思わず動かしていた手を止めていた。
「いきなり何なの、エリン。……ああ、あの記事読んだんだ」
ほんのり頬を赤らめながら、クレイアはエリンのすぐ脇にある雑誌にちらりと目を向けた。
そこあるのは先日取材を受けた、とある女性専門誌。
お菓子のレシピを作製し、ほんの少しだけコメントをしただけで、たいしたことはしていないと思っていたが、その雑誌が店頭に並べられた以降、店の売り上げは格段に上がったのだ。
店を経営する者にとっては有り難いことだが、後にこの雑誌の中身を読んだクレイアは気恥ずかしくなったものだった。
ここ、フィアナ大陸西部にあるアーガトラム王国東部の都市『ティル・ナ・ノーグ』では、今日も穏やかな空気が流れていた。海と城壁に囲まれた広大な街の中で、商人や職人、有識者や役人、貴族、騎士、そして他の地から来た冒険者など、様々な人で溢れ返っている。
その街の中心部から少し離れた南西エリアにある商店の一角で、クレイア・イーズナルは両親が経営する、林檎菓子専門店『アフェール』で一従業員として働いていた。幼い頃は美味しそうな菓子をただ眺めていたが、いつしか作る楽しさにも目覚め、今では両親と堂々と肩を並んで菓子を作るようになっている。
そんなある日、ティル・ナ・ノーグの名産品を扱っている林檎菓子専門店、突然雑誌の特集記事の取材を受けたのだ。
仮タイトルは“美味しいチョコの作り方”。
始めは両親宛に来た取材だったが、クレイアが何気なく作り、差し出したそのチョコを食べた途端、取材陣は対象を変え、気が付けばクレイアがチョコレシピを作製していたのだ。
「誰が“カリスマ看板娘”なんだか。それに“林檎の魔力”って、林檎じゃなくても美味しいもの食べさせれば誰でも惹かれるって」
「……わたしね、クレイアのお菓子好き。美味しくて、食べた後はいつも幸せな夢を見るの」
「……ありがとう。そこまで直球に言われると、照れもしないって言うか……」
一本に結んだ焦げ茶色の髪を何気なく触りながら、クエイアは籠から林檎菓子を引き続き机の上に置き始める。
エリンが店長を務めているカフェ『エリン』に、クレイアは毎朝、店で出す林檎菓子を届けている。その日によって種類は違うが、林檎パイ、タルト、クッキー、チョコなど、多岐に渡っていた。本来ならばカフェ内で作る、または店まで買いに来るのが通例であるが、彼女の身体的特徴からしてクレイアが運ばざるを得ないのだ。
「今日のところはこれくらいでいい?」
「うん。いつもありがとう」
そう言いながら、エリンはにっこりと微笑んだ。小さな欠伸をしつつも、林檎菓子の中身を確認していく。
「ねえ、クレイアは誰かにあげるの?」
「どうしてその話に戻る……。仕事が忙しくて、考えていられないから。“ライラ・ディ”は菓子店にとっては稼ぎ時。ある意味、勝負の日だね」
女性が男性に特にチョコを使ったお菓子を贈る日――“ライラ・ディ”は、近年男女の間柄だけでなく、友人や知人同士で贈りあう、そんな日にもなっている。年々、売り上げは伸びていき、今年は雑誌にまで掲載されているわけだから、稼ぎは昨年を優に越えるに決まっている。
多忙な日となるだろうが、嬉しそうに買っていく人を見るのは、作り手としても幸せなことだ。
「クレイアはライラ・ディまでに暇な日はある?」
「暇な日? 明日は一応お休みだけど」
「チョコの作り方、教えてくれない?」
「チョコの?」
目を丸くしながら、エリンと視線を合わせる。そろそろ眠る時間であろうが、今日はまだ起きていた。これを言うために必死に起きていたのだろうか――。
気が付けば、ピンク色の髪を結んでいる双子の少女が息を整えながら、庭から店内へと笑顔で入ってきた。
「おはよう、クレイア!」
「おはよう。今日も朝からお疲れさま」
それぞれ赤色と青色の髪留めをしている、可愛らしい少女たち。だがその雰囲気とは裏腹にショートソードや短剣を携えている。
「おはよう、クラリス、アイリス。今日も朝から二人で稽古? 本当に元気ね」
「こんなの日課だよ。今日も美味しそうなお菓子がたくさんあるなあ。オススメは?」
クラリスが目を輝かせて持ってきたお菓子を覗き込む。真っ直ぐに林檎チョコが入った箱をクレイアは指す。
「チョコかな。今日というか、しばらくはチョコ中心だから」
「チョコ……あ! 雑誌読んだよ、カリスマ店員クレイア。五日後がライラ・ディなんだよね」
「そうそう。恋人、友達、家族、職場の人とかに贈り物をする日。手作りが多いらしいけど、菓子店としては買ってほしいね」
「職場の人に……手作り!?」
目を瞬かせながら、突然アイリスが声を上げる。そして熱心に指で何かを数え始めた。同時に顔をひきつらせたクラリスが近寄っていく。
「……団長に、副団長に、アレイ君に……」
「ねえ、アイリス。間違っても自分が作ったチョコなんて、あげないでよ」
「え、どうしてわかったの? 私が手作りするなんて!」
青色の瞳を丸くして同じ顔の少女を見返すが、発する雰囲気はまったく違っていた。
「やめて、手作りなんて、絶対にしないで!」
「いいじゃない。私だって、やればできるわよ」
「その台詞、聞き飽きた!」
「そんなに言った?」
「言った、言った。それを素直に受け止めて、何度後悔したことか!」
双子の姉妹のやりとりは、まだ早い時間であるはずなのに、既に最高潮。その様子をクレイアは苦笑いしながら眺めていた。
ふと袖を引っ張られ視線を落とすと、目をこすり、今すぐにでも眠りそうなエリンがいた。
「……じゃあクレイア、明日、よろしくね」
「わかった。材料は適当に持ってくるから、厨房と道具だけ使わせて」
「うん。……じゃあ、また明日……」
そのまま腕を枕にして、机の上で眠り始めてしまった。あどけない表情に思わず表情を緩める。
魔法使いであるエリンは、ある力を得たのと引き替えに、一日の大部分を寝なければならない体質になってしまっていた。今日はたまたま起きていたが、クレイアが来た時に寝ていることは多々ある。
本当は新作を練ろうとクレイアは思っていたが、明日はエリンに時間を回すことに決めた。
「クレイア、明日、ここでチョコ作るの!?」
アイリスがクラリスとの会話の攻防をすり抜けて、話しかけてくる。つい首を縦に振ってしまうと、満面の笑みで両手を持たれたのだ。
「私にもチョコの作り方、教えて!」
後ろにいたクラリスが、首を激しく横に振っている。その行動はわからなくもない。
アイリスの料理に関する武勇伝は、何となくクレイアの耳にも入っている。しかし一緒に料理をしたことがなかったため、正直どれほどなのかは知らないのだ。
(チョコなんて、溶かして、適当に形作って、冷やせばいいから大丈夫でしょ)
「別に構わないよ。一人に教えるのも、二人に教えるのも変わらないから」
「ありがとう!」
「クレイア!?」
目を爛々と輝かせている青い髪留めをした少女、そして血の気が一気に引いている赤い髪留めをした少女。
その表情が意味するところは――まだクレイアはわからなかった。