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第8話 キズ

秋山がリクの家を訪れたのは、翌日の午後3時を回った頃だった。

自家用車で乗り付けた秋山は、昨日と同じように仕立ての良いスーツに身を包んでいた。

リクの家と、それをとりまく自然の美しさを一通り褒めると、ぱたりと喋るのをやめ、突っ立ったまま、ただ嬉しそうにリクの顔をじっと見つめた。


「お茶を煎れますから、座ってください」

困ったようにリクがそう言っても、秋山はその表情を崩さない。

「何も要らないから、ここに居てくれないか? 君とこうやって話が出来ることがすごく嬉しいんだ。それに、君も俺に話があるんだろう? さあ、おいでよ」

秋山は誘うような柔らかい笑みを浮かべたまま、ゆっくり木製の椅子に腰を下ろした。

リクはキッチンに行きかけた足を止め、決意したように秋山を見つめると、自分もその正面の椅子に座った。


「1995年、11月7日。あの日付を名刺の裏に書いた訳を教えてください」

落ち着いた声でそう言うリクの目を間近で見つめながら、秋山はさっきまでとは別の笑みを浮かべた。


「ああ、あれね。卑怯だとは思ったんだけど、俺を印象づけるためには、あれを書くのが一番だとおもったからね。どう? 成功しただろ? 君は居ても立っても居られなくなり、俺をここに招待してくれた」

「何か知ってるんですか?」

「何か知ってるかだって? 俺が?」

秋山は楽しそうに言うとテーブルに身を乗り出し、リクに近づいた。


「俺が知ってるのは、君の背中に醜い火傷の痕があることと、君が愛されずに育ったことくらいだよ」

「・・・どういう事ですか」

リクが鋭い視線を秋山に向けた。

秋山は笑みを少し曇らせ、悲しそうな表情を作って見せた。

「ごめんね、意味深な日付を書いて。君は俺があの事件の真相を知ってるかもしれないと思って、ここへ呼んだんだろう? でも残念ながら、俺は報道や週刊誌で君の名と事件を知っただけでさ。真相なんてこれっぽっちも知らない。・・・誰が10歳の君の背を斬りつけ、火をつけて焼き殺そうとしたか・・・なんてね」


リクは期待が外れたことと、だんだんと豹変してゆく秋山の顔つきに、呼吸が苦しくなるほどの戸惑いを感じた。

秋山はじっとリクを眺めながら目を細めて嗤った。

それはどこか常軌を逸した恍惚さえ感じさせる。


「やっと会えたね、岬璃久くん。ずっと会いたいと思っていたんだ。15年間ずっと。週刊誌に君の写真が載ってたのを知ってるかい? まだ喉元まで包帯をした痛々しい10歳の君が。

目元をほんの少し隠してあったけど、何て綺麗な子なんだと思って、見てたんだ。犯人も捕まらず、次第に報道もされなくなってガッカリしてたんだけど、1年前のグリッドを見て息が止まるほど驚いたよ。ああ、ここにいた、ってね」


そこまで黙って聞いていたリクは、不快感を胸の底に沈めながら口を開いた。

「どうしてあんな小さな事件を15年経った今も覚えてるんですか?」

「簡単だよ」

そう前置きしてから、秋山は続けた。

「君は俺と同じだから。親代わりの人間から愛されず、その幼い命は金に替えられるために消されそうになった」

「犯人が誰なのか、まだ分かっていません」

「でも君は誰がやったのか検討をつけている。違うか?」

「あなたとそんな話をするために呼んだんじゃありません!」

リクが静かな憤りをその目に浮かべて強く言うと、秋山はその時初めて自分の非礼に気付いたように、体を固くした。


「ああ・・・ごめん。本当にごめん。なんだか君とは昔からの友人のような気がしてて。いきなり失礼なことを言ってしまった」

秋山は急にソワソワと落ち尽きなく視線を泳がせ始め、テーブルの端に置いてあった『グリッド』の最新号を引き寄せると、うわのそらでパラパラめくり始めた。

まるでそれは叱られた後の幼児のようだ。

リクの中の「秋山」という人物像は色を変え、今そこに居るのは初対面の、少し心の不安定な男だった。


「ごめんね、リク君」

「・・・」

「本当のことを言うとね、あの事件の報道を見て、君のことが他人と思えなかったんだよ。俺も両親から愛されずに育った。最近じゃ、よく聞くだろ? 虐待って奴さ」

リクはテーブルから目を上げ、再び秋山を見た。

なぜこの男がこんな事を言い出すのか、リクにはわからなかった。

ただじっと、その神経の過敏そうな、彫りの深い顔を見つめた。


「父は母の再婚相手だったから、俺のことを気に入らなくても暴力を振るっても、我慢できたんだ。でも次第に母親まで変わってしまってね。俺を守ることをやめてしまった。俺を無視し、疎ましく思うようになった。義父の暴力と、母親の無関心の暴力は、何かのゲームのように毎日毎日繰り返された」

秋山はじっと手の中の雑誌に視線を落としていたが、その目は、ここにない空間を見つめているかのように虚ろだった。


「毎日毎日そんなふうだとね、どこかで感情がブロックされて、悲しみや痛みが麻痺していくんだ。ただ自分が必要のない生き物だと言うことだけが心に刻まれていく」

秋山は、静かに自分を見つめているリクと再び視線を合わせた。

「こんな話、聞きたくもないよね」

秋山の問いに、リクはしばらく間を置いた後、答えた。

「話したいんでしょ? 話せばいいよ。きっとあなたは、その為にここに来たんだから」

「・・・」


秋山は一瞬驚いたように目を見開いたが、ゆっくりと強ばらせた表情をやわらげ、

そしてどこか、夢見るような幼げな口調で話を続けた。


「9歳の夏、俺は誘拐されたんだ」


リクは表情を変えずにただじっと秋山の方を見ている。

それに安心したように、秋山は続けた。


「ねえ、リクくん。昔の恨みを忘れられない病って、あると思う?」




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