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第7話 違和感

少年は、ものめずらしそうに、きょろきょろと部屋の中を眺め回した。

公園で出会った若い男に連れてこられたのは、外からは誰も住んで居なさそうに見える、朽ちかけたあばら屋だった。

『ここは俺たちのアジト。隠れ家なんだ』

男はいたずらっぽく声をひそめ、少年に目配せした。

『俺さ、最初はこんな計画降りようと思ったんだ。身代金誘拐だなんて、どう考えても極悪非道だろ? 羽白たちは君の親に個人的に恨みを持ってるらしいけど、俺は関係ないし。最初は馬鹿な事はやめろって止めようと思った。でもね、君を見て考えが変わったんだ』


男はいつも少年の目線まで腰を落として、優しく話しかけてくる。

見知らぬ部屋、見知らぬ大人。

けれど、その男が手渡してくれたミルクココアは甘く温かく、少年の緊張と冷えた心をトロトロと溶かしてくれた。

何よりも、あの両親の元へ今夜は帰らなくていいのだと思うと、その柔らかな甘さと共に、心身が震えるように歓喜した。

少しも不安はなかった。目の前の若い男の手は、自分を救う神の手だ。

不安があるとすれば、その『ゲーム』が終わった後に、自分が用済みになり、元の世界へ帰されるのではないか、という事だけだった。


男は、後から部屋に入ってきたもう一人の男を指さしながら言った。

『ほら、この、あごに大きなアザのあるお兄ちゃんが羽白はじろ。無愛想でおっかないけど、綺麗な名前だろ? そして俺が幸田。もう一人のお兄ちゃんは、帰ってきたら紹介するよ。みんな、君の仲間だからね』


羽白と紹介された男は目つきが鋭く、少年を不安にさせたが、少年は幸田が言った“仲間”という言葉にすっかり心酔した。

さっきまで、自分はひとりぼっちだと思っていた少年にとって、それは魔法の言葉に思えた。

愛してくれるべき『親』という生き物は、外でのイライラをすべて少年に向け、外に分からないように少年を痛めつけた。

父親は4年も前に新しい人とチェンジされ、そして自分を産んだはずの母親も、その父と過ごすようになって、悪魔になった。

自分を愛してくれる人はいない。ひとりぼっちなのだと思っていた。


けれど、幸田はそうじゃないと言ってくれたのだ。

少年に温かい食事をとらせ、傷がしみないように体を洗ってくれ、柔らかいベッドで少年が眠るまで髪をなでてくれた。

自分が人間なのだと、その夜初めて少年は実感した。

嬉しくて幸田の胸に身を寄せると、幸田はその腕でギュッと少年を包み込んでくれた。

その匂いに、息づかいに、甘い安堵が押し寄せて腹の辺りが震える。

もしかしたら、このままずっと、この腕に守られながら暮らせるのかもしれない。

そう信じてみてもいいのかもしれない。


その頬に優しいキスが落とされる頃には、少年は幸せに満ち、心地よい深い眠りに落ちていた。



           ◇



自宅に帰り着いたリクは、以前のこの家の住人が作ったという木製の重厚なテーブルに、紙袋をトンと置いた。


『ほら起きろ! 着いたよ!』と、長谷川に少し乱暴に揺すられて起こされた時、自分がどこにいるのか一瞬分からなかった。それほど熟睡していたのだろう。

あの後、長谷川に礼を言っただろうか。

そんなこともうろ覚えなほど、ぼーっとしていた。

夜にちゃんと眠れてないせいだと自分でもよく分かっていたが、たぶんそれは不治の病と同じなのだ。

藻掻いて焦ればそれだけ心が弱り、不安になって、絡め取られる。


大丈夫。なんとかなる。一人でも。


リクは一つ深呼吸すると、紙袋に収まった茶封筒を取りだした。

椅子に腰掛け、その封筒を覗き込む。

まだビニールに入ったままの赤、朱、紫、白、黄色のお守りや紙製のお札がぎっしり詰まっている。

辺鄙な所にある神社やお寺の長い階段を登って集めたのだろうか。

宗教も宗派も混ぜこぜだが、玉城にとってそんなことは関係ないのだろう。

『なあ、リク。これだけあれば、どれか効くかもしれないだろ?』

そんな玉城の声が聞こえた気がして、自然とリクの口元に笑みがこぼれる。

そういう物に“救い”を感じたことは無かったが、その色とりどりの小物の向こうに、一本気で熱いあの友人の顔が浮かんでくる。

不思議と心臓の辺りが温かくなり、気持ちが落ち着いた。


今なら少し、眠れるだろうか。

そう思いながら脱いだジャケットのポケットに、微かな異物感があった。

手を入れるまで忘れていたが、あの秋山という男の名刺だ。

長谷川はあの男が気に入らないようだが、リク自身は特に何も感じなかった。

また会いたいとか、この家に来たいというのは少々面倒くさかったが。


社名と肩書きと秋山の名が書かれたシンプルな名刺を何気なく見つめ、それを裏返した時、リクの動きが止まった。

一瞬感じたのは“違和感”だった。

そこには《 また会ってくれるね、岬 璃久くん 》と、流れるような書体で書いてあった。


公でもプライベートでもリクは、可能な限り本名の漢字は使わなかった。

グリッドの記事にも「ミサキ・リク」としか表記させていない。

自宅に届く郵便物も、ほとんどがカタカナ表記だ。

もちろん金融機関、事務処理等の関係書類は別だが、そんなもの、秋山が知るはずはない。


最初の違和感はそれだった。

そして次の違和感は、その下に書かれた、「1995.11.07 」、という年月日だ。


リクはしばらくじっとその数字を見つめた後、ポケットから携帯を取り出し、その名刺に書かれている番号を押した。


秋山は5コール目で電話に出たが、その声は、先程とは別人のように疲れ切っていて気だるかった。

「お仕事中でしたらごめんなさい。ミサキです」

息を呑むような間があった。

「ああ、・・・リクくん。かけてきてくれて嬉しいよ。すごく嬉しい」

相手がリクだと分かると途端にその声は華やいだ。

“ミサキさん”という呼び名は、いつの間にか“リクくん”に変わっている。

昔の友人から電話をもらったかのように、秋山の声は親しげだった。


「会ってお話したいのですが」

「うん、もちろんいいよ。僕も君と話がしたい。明日の午後からなら時間が取れるはずだ。君の家に行ってもいいかい?」

弾むように秋山は言った。


リクはしばらく考えるように黙っていたが、やがて決心したように携帯を強くつかんで応えた。


「いいですよ。・・・あなたがなぜ、1995年11月7日の日付けを名刺の裏に書いたのか、僕に聞かせてくれるのなら」





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