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第5話 画廊にて

路面電車を降り、西欧をイメージした煉瓦の舗道を少し歩いた所に、オーナー佐伯の経営する画廊、『無門館』はあった。

リクの絵を独占的に扱っている画廊だ。

同時に若い才能の発掘場所でもあり、長谷川の受け持つ『グリッド』の奥の手として、よくここから出た若い画家が取りあげられた。


『大東和出版に来られることがあったら、是非こちらにも顔を出してくださいね』

と、佐伯は事あるごとにリクに言う。

絵の搬入も最近では専門の業者に委託することが多くなり、佐伯と顔を合わすことも、月に一回あればいい方だ。

人と会うのは苦手なリクだが、佐伯には以前個展で世話になったこともあり、なるべく彼の誘いや注文には応えようと思っていた。


「あ、リクさん。ちょうど良いところにいらっしゃいました」

画廊の自動ドアを抜けると、いきなり佐伯の通りの良い声が聞こえてきた。

丁寧な物言いと、骨張って彫りの深い顔立ち。

『佐伯さんって英国貴族に仕える執事さんみたい』と言った多恵の言葉を、リクは佐伯を見るたびに思い出してしまう。


「今ちょうど、秋山さんがいらっしゃってるんですよ。ほら、いつもリクさんの絵をお買いあげ下さっている方です」

佐伯が手で示す方を見ると、そこには、一目でオーダーメイドと分かる仕立てのいいダークブラウンのスーツを身につけた、背の高い男がこちらを見ていた。

少し色気を含んだ、気だるげな視線だ。

リクがゆっくり歩み寄りながら小さく会釈すると、秋山は思いがけず、満面の笑みを浮かべた。

肩幅は広いが、無駄な贅肉のなさそうな引き締まった体。

大きな二重の目は優しげで、それでいて相手の内面を見透かしてしまうような熱を帯び、じっと見つめられると気恥ずかしささえ感じてくる。


「いやあ、いつかお会いしたいと思ってました。本当にうれしいですよ、ミサキさん」

声は落ち着いているが、年齢は自分と一回りも違わないだろうと思った。

長谷川より少し上くらいだろうか、と。


「こちらこそ」

リクが微笑み返すと、秋山は自然な流れでスッと右手を差し出してきた。

握手という行為になれていないリクは戸惑ったが、少しぎこちなくその手を握ると、秋山はぐっと力強くリクの手を握り返してきた。

そしてそのままじっと、リクの目を無言で見つめてくる。

リクは何か、心の奥でザワリとするものを感じ、失礼にならない程度に体を退き、その手から逃れた。


「なるほどね」

秋山はリクに笑いかけた後、ふっと体をひねり、一点だけ展示してあったリクの8号の絵に向き直った。

「こんな繊細な絵を描くのはどんな手だろうと思ってました。思った通り、しなやかで美しい手だ」


“川辺の夜の闇を、朝の清潔な光が溶かしてゆく粛々としたひとときを描き出したこの絵は、夢から覚める動植物の息づかいを閉じこめた、現実と非現実、静の動の混沌を思わせる。”

それは佐伯が初めてその絵を見たとき、リクに言った感想だ。

リクはそこまで深い意図を込めて絵を描いたことはないが、気に入ってもらえるのは嬉しかった。

秋山がじっと見つめているのは、その絵だ。


「本当のところ、もうしばらくこの絵はここに置いておきたかったんですけどね。さっそく秋山さんに落とされてしまいました」

佐伯は残念そうに笑った。

リクは少し戸惑うように秋山を見、そして礼を言った。

けれど未だに自分の作品に値が付けられ、買われていくと言うことに気恥ずかしさを感じているリクは、正直なところ“得意の客”を前にどういう態度を取っていいか良く分からなかった。


「私が御礼を言わなければ。私はミサキさんの新作を見るたびに初恋の人と出会ったような甘いときめきを感じるんですから」

「・・・」

リクが居心地悪そうに視線を泳がせ、佐伯を見る。

佐伯は面と向かって褒められるのが苦手なリクの心中を察したように、口を開いた。


「秋山さんはグリッドのリクさんの特集を見て、リクさんのファンになられたそうですよ。それ以来ここのお得意さまです。この若さで美術商を経営されてるだけあって、美には確かな目をお持ちですよ」

それとなく双方を褒める形を取りながら、佐伯はやんわりと話題を変えた。

「グリッドを?」

「そうなんです。あの特集は素晴らしかった。お陰であなたと出会えました」

秋山はそう言うとチラリと腕時計を見た。

「せっかく会えたことだし、ゆっくりお茶でも・・・と思ったんですが、残念ながらこれから商談で。また近いうちにお会いできますか? 出来れば一度、あなたのアトリエに行ってみたい。絵を描くあなたを見てみたいと思ってるんです」


「それはちょっと無理な相談ですね」


リクが口を開くよりも早く、後方から怒気を含んだ太い声が飛んできた。

3人が振り向くと、エントランスからゆっくり歩いてくる長谷川の姿があった。


リクは少しホッとしたように小さく息を吐いた。




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