第19話 胸騒ぎ
また、夜が来る 。
思うだけで心臓が軋み、脳の奥が恐怖と嫌悪で痺れてくる。
リクは結局、半分も喉を通らなかった夕食の残りを、今夜も重い気持ちで冷蔵庫に押し込んだ。
保存したところで、きっと食べることは無いだろうと思いながら。
ちゃんと食事をしたのは、どれくらい前だろう。
飽きもせず、毎夜毎夜押し寄せる不安にも、それに慣れることのない軟弱な自分の精神にも、辟易した。
『お前さあ、金あるんだからTVとかPCとか家に置けよ。仙人じゃないんだからさ。もう引っ越ししないんだったら、邪魔なアイテムでもないだろ?』
一度泊まりに来た玉城がそう言ったので、何となく買ってみた小さなTVは、至る所に散らばる「闇」を紛らわしてくれるのに、ほんの少し役に立った。
けれど、空気のようにまとわりつき、特定できない次元に潜んでリクを見つめる《目》から逃れることはできなかった。
扉を開き、更に敏感になった霊感はもう、何かで紛らわすというレベルを超えた。
そんなリクが今求めるのは、今まで欲したことのないモノだった。
手を伸ばした先に、柔らかな温もりが欲しかった。
『心』という、曖昧で不確かなモノにすがりつきたいと思うようになっていた。
自分以外の人間に救いを求めるなんて、考えたこともなかった。
玉城や長谷川に出会うまでは、ちゃんと一人で立てていたというのに。
悔しいような、滑稽なような。
泣き出す一歩手前で、リクは声を殺し、ひとり嗤った。
脳裏に一瞬フッと浮かんだ長谷川の声が、リクに話しかけてきた。
『あんたさ、携帯はいつもオンにしときなさいよ』
彼女の口癖だ。ああ、そうだったと思いながら、ソファの上に転がっていた携帯を手に取った。
煩わしいが、安心感を持たせてくれるそのアイテムは、玉城がリクに半ば強制的に持たせたものだ。
お節介で、いつも鬱陶しいほど強引にリクを気遣う男。
そのくせ、本当に必要とする時は、そばに居ないのだ。
もう何日、彼の声を聞いていないだろうと思いながら、電源のボタンを強く押した。
その時、それを見計らっていたように携帯のバイブが震え出し、リクはドキリとしてモニターを確認した。
登録していない番号だったが、リクの携帯番号を知っている人間は限られている。
佐伯だろうか。
リクは通話ボタンを押した。
「はい」
「・・・・・・・・リク・・」
長い沈黙のあとで聞こえてきたのは、秋山の声だった。
「秋山さん?」
「ああ」
「どうしたんですか?」
「いや・・・君に謝ろうと思って。昼間は君にとても失礼なことをした」
「気にしないでください。こちらこそ、ごめんなさい。長谷川さん、誰にでもああなんです。いい人なんだけど、口調が強くて」
「ああ、あの人ね。君をとても大事に思ってる」
「・・・そうですか?」
「うん。妬けるほどにね」
リクは話の内容とは別に、秋山の声に説明のつかない動揺がまとわりついているように思えて、気になった。
「秋山さん、どうかしましたか?」
ゆっくり、また同じ質問を繰り返してみた。
そこで不意に秋山の声が途切れる。
リクはじっと携帯を耳に当て、辛抱強く待った。
電波に乗って、一人の男の波動がジリジリと伝わってくる。
そこにはさっきリクが抱いた感覚と似たものが流れていた。
言葉で説明できない不安、そして孤独。
「リク君」
ようやくそう言った秋山の声は、さっきよりもハッキリしていた。
「行って来るよ」
「え? 行くって?」
秋山の意味不明な言葉にリクは戸惑った。
「決着をつける。すっかり、それで終わらせるんだ」
「秋山さん、ちゃんと説明してください」
「ごめんね、俺は狂ってんだと思う。でも、どうしようもないんだ。収まらないんだ。この仕事をやり終えなきゃ、時間が流れないんだ」
「秋山さん、今どこです? 僕行きますから」
けれど、嗚咽するような声を一つ残して、電話は切れた。
掛け直してみたが、繋がらない。
リクは携帯を見つめたまま、困惑して立ちつくした。