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第18話 狂気の狭間で

『眠れない? 大丈夫だよ。怖いことは何も無いからね』

幸田の声はとても優しく甘く、9歳の少年の頭の中に溶け込み、体の隅々に染みこんだ。


『君を傷つける二人に、少しばかり代償を払ってもらうだけだよ。この仕事が終わって一旦君を帰して、ほとぼりが冷めたら、改めて君を救いに来るから。時期をみて、あの二人が君にした酷いことをちゃんと裁いてもらおうね。二度と君に手出しが出来ないように』

ベッドに横になった秋山少年の髪や頬を優しくなでる幸田の手はとても温かく、少年は今まで感じたことのない安堵感と、腹の中からわき出すような興奮に満たされた。

『僕、内緒にするよ。約束する。お兄ちゃん達のこと、絶対誰にも言わない。そしたらまた会えるんだよね』

『もちろんだよ。僕らは仲間だから』

幸田は少し垂れ気味の優しげな目を細めて笑った。


『・・・仲間か』

幸田の後ろで、幸田とは別の種類の笑いを浮かべた男が二人、立ってこちらを見ていた。

“このお兄ちゃんたちは嫌いだ”

その時、直感でそう思ったのを秋山ははっきり覚えている。

幸田は二人の男達を、『君を助ける天使たちだ』と、すこし冗談めかして言った。

この計画を立てたのも、君のことを自分に教えてくれたのも、その二人だと言った。

『ほら、二人とも神々しい名を持ってる。久留須に羽白』


だが秋山はそうは思わなかった。

秋山にとっての天使は幸田だけだった。

その温かな優しい手で、秋山の体に、心に触れ、包み込んでくれるのは幸田だけだった。


秋山は耳にまだ残っている幸田の声を懐かしむように思い浮かべる反面、自分の中でそれを求め焦がれる熱が、それ以上高ぶらないように押さえることに神経を集中した。

『おまじないだよ』といってシャツを脱がせ、幸田が口づけた胸や下腹が、再び熱を吹き返さないように。


右手に持った刃渡り12センチの小振りな折り畳みナイフを閉じたり開いたりしながら、電気の消えた自室の暗闇の中で、浅く呼吸を繰り返す。

『あなたの怒りは鎮めることが出来ないの?』

窓の外の明かりにキラリとナイフが煌めいたと同時に、昼間のリクの声が蘇ってきた。

重く鈍い胸の痛みを感じたあと、秋山は唇を左右にゆっくりと開き、嗤った。

その嗤いが何なのか、秋山自身ににも分からぬまま、ただ自分は狂っているのだと確信した。


体は25年前の幸田の肌の温かさを求めているのに、一方で心は、透明なリクの言葉と自分に向けられた眼差しを必死でたぐり寄せようとしている。

『忘れたら楽になるのに。そしたら、あなたの戦いは終わるよ』

過去から引きずってきたどす黒い怒りと、寂しくて何かにすがりつきたい衝動が同時に秋山の中でとぐろを巻いた。


「璃久・・・・・璃久・・・」

うわごとのように呟き、壁際に並べて置いてあった数点のリクの絵の前にしゃがみ込み、薄暗闇の中でその色彩を覗き込んだ。

じわじわと、潮が満ちるように不安と焦りがその色彩に飲み込まれ、麻痺してゆく。絵に口づけたあと、何かを取り込むように大きく息を吸ってみる。

そうしてゆっくりと呼吸を整えたあと、秋山は上着のポケットから携帯を取りだした。

眩しいモニターに目を細める。

時刻は午後9時をまわろうとしていた。


         ◇


殺された男が珍しい名でよかった。

不謹慎にも、長谷川はそう思った。

電話番号が電話帳に載っていなくても、大体の地域が分かればあとはその地域に配布される住宅地図か無人交番に張り出されている案内図を見ればすべての名前が並んでいる。辿り着くまでにそんなに苦労はしなかった。


不幸にも全国ニュースに流された久留須道夫の自宅は、予想に反してひっそりとしていた。

まだ事件から4日しかたっていないというのに、警察はおろか報道の姿も見えない。

遺体が検死から返っていないので、実家に執着することも無いのだろうか。

それとも、再び動き出した通り魔を追う事でマスコミも手一杯なのか。


頼りない街灯の下、長谷川はごく普通の民家の門扉を見ながら、先ずそんなことを思った。

携帯ラジオで、通り魔の新情報でも聞いて見ようかと思い始めた頃、玄関から中年の女性が出てきた。

人目を気にするでもなく、サンダル履きの足で近くの商店街の方向に歩いてゆく。

長谷川はそっとあとをつけ、家から200メートルほど離れた路地で、なるべく柔らかく声をかけた。


40半ばくらいの小柄なその女性は、最初こそ怪訝そうに長谷川を見たものの、亡くなった久留須の大学時代の友人の妹だというと、あっさり警戒心を解いた。

女は、マスコミも引き揚げていったし、久留須の両親も今警察に行っているので、ホッとして外出したのだと話し出した。

「私、昨年まで家政婦協会から派遣させていただいてたんですよ。久留須さんのご両親はご高齢で病気がちですから。あんな事があって、再び雇われましてね。お二人が帰ってくるまでに買い物済ませようと思いまして。あ、道夫さんのお友達関係の方なんですよね。今はまだ告別式の日取りも決まってないんですよ、ごめんなさいね。検死がこんなに長く掛かるなんて知りませんでした。やっぱりあれですかね、入念に調べたら、犯人が分かったりするんですかね」


ぺらぺらと良く喋る女だった。いかにも口の軽そうな、うわさ話の好きそうな女だ。

けれども、コンパクトに話をまとめるのがうまい。

5分足らずでおおよそのことが分かった。

46歳の久留須は未だ独身で、年老いた両親と同居していたらしい。

仕事を転々とし、結局は不動産を細々と運営して生活している両親の、すねをかじって暮らしていたという。


長谷川は不審がられないように注意しながら、一番訊きたい質問を一つだけ彼女にぶつけた。

「変なことを伺うようで申し訳ないんですが、事件のあとに、久留須さんの友人の所在を訊くような電話とか、ありませんでしたか?」

ドラマの登場人物にでもなったつもりだろうか。長谷川の質問にその家政婦はキラリと目を輝かせた。

「ああ・・・はい」


ゴシップ好きでミーハーで口の軽い女は嫌いだったが、この女がそうであったことに長谷川は感謝した。



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