第17話 事件を探る
長谷川は編集室に戻るとすぐにPCを立ち上げ、指以外はピクリとも動かさず、異様な集中力で画面を睨みつけていた。
25年前とはいえ、9歳の子供が誘拐され、その子供の目の前で犯人が射殺されるなどという大きな事件は、ものの数秒でデータベースの検索に引っかかった。
長谷川はそれについての雑多な関連記事も合わせて、詳細に調べていった。
9歳の秋山章吾を誘拐し、射殺されたのは幸田純21歳。
地元の東央大を中退し、バイトを掛け持ちしていたフリーターだ。
事件発生後警察側は、当然まだ誰ともわからない犯人の要求に従い、身代金を一人の若い警官に持たせ、電車とバスで指示された場所に向かわせた。
指示した場所にまた次の指示を書いたメモを置くという犯人の作戦は、追跡を困難にさせた。
11回に及ぶその行動の中、その警官は指示通り、札束をそのうちの指定された《ある一カ所》に置いてくるしかなかった。
車での追跡も不可能な以上、完璧に犯人の有利だと思われたが、警察の抵抗に奇跡は起きた。
警官がつけていた発信器を、たまたま警ら中の覆面パトカーがキャッチした。
そしてパトカーを降りた二人の警官が目を付けた建物。その廃材置き場こそ7番目のポイント、つまり現金を置くように指定された場所だったのだ。
現金受け渡し係の若い警官が、犯人の指示によりカムフラージュで膨らませたカバンを抱えてその場所立ち去るのを見届けたあと、近辺に潜伏していたその二人の警官は周囲を囲った。
まだそこが指定のポイントだとは警官らは分からない。
けれども、なんの危険性も感じていなかった犯人(幸田)は、ものの30分ほどで、秋山少年を連れて姿を現したのだ。
あらかじめ幸田らは、その近辺に身を隠していたのだろう。
そして身代金の入った麻袋を手にし、幸田が少年から身を離した瞬間、警官の二人が同時に発砲。
威嚇射撃のはずの、そのうちの一発により、幸田は息絶えた。
幸田は確かに誰かの車を待っているようにも見えたが、共犯者がいるという証拠は何も出てこなかった。
9歳の秋山少年に訊いても、ショックが強すぎたらしく、何も覚えていないとただ泣くだけだったという。
警察も叩かれはしたが、結局単独犯、被疑者死亡という形で、この事件は解決した。
「何も覚えてない・・・か」
長谷川はぼんやり呟いた。
あやしいな。そう感じた。
もちろん精神の防衛本能が、少年の記憶を混乱させ、消去してしまう事だってあるかもしれない。
そして、秋山少年が共犯者についての情報を、何も持っていなかったことも考えられる。
けれど長谷川はリクが言った言葉が心に引っかかっていた。
『昔抱いた恨みが、忘れられない病ってあると思う?』
あれは確かに秋山がリクに言った言葉だ。
病だと思うほどの強烈な恨みが、秋山の中に潜んでいる。
この事件で少年が恨んだのは誰だろう。
犯人? それならばそこで恨みは晴らされた。
警察官。しかし、自分を守ろうとした警官を恨むだろうか。
あと考えられるのは、居ると仮定した場合、共犯者だ。
もしも殺された犯人と少年の間に、何らかの絆が生まれていたと仮定するならば、それが一番しっくり来る。
長谷川はPC画面からようやく体を離し、椅子の背もたれに体を預けた。
「ああ、忌々しい! こんな事、本人の首根っこ捕まえて揺すって吐かせればいいんだ」
長谷川は天井を仰いで一人ぼやいた。
リクが気にかけてさえいなければ、長谷川にとって、あんな男どうでもいいのだ。
「何ひとりでブツブツ言ってんですか、長谷川さん」
長谷川の横で、多恵が面白そうにニタニタしていた。
「あれ? いつから居たの。松川と凸版まわって来たんじゃなかった?」
「松川さん、下痢っぴーなんで、早々に帰って来ちゃいました。今、トイレです」
「何だそれ」
「それよりニュース見ました? また通り魔ですよ。いったい警察は何やってんでしょうね」
「また出たの?」
「今度は若い女の子ですって。かすり傷らしいですけど。こうなったらもう、本物か模倣犯か、分かりませんよね」
長谷川は一瞬考えたあと再びPCに向かった。
浜崎が語った、『通り魔のニュース』のくだりが、閃光のように頭をよぎったのだ。
「多恵ちゃん、あれ、何とか言ったよね。何日か前に通り魔らしき男に殺された人」
「ああ。えーと、・・・クリリンとかキリストみたいな名前でしたね」
「なんだクリリンって」
そう言ってる間に、その記事は検索に引っかかり、画面に表示された。
長谷川の目が素早く文字を拾ってゆく。
「久留須道夫46歳。・・・これだ。25年前は21歳。ええと、・・・大学はどこだ?」
「なに調べてんですか?」
「うるさいな。・・・あった。幸田と同じ東央大だ! 学部も同じ」
「やりましたね!」
「ああ、きっとここから糸がほつれて・・・」
そう言いかけた長谷川の目が細まり、クイと多恵を見た。
「なんで多恵ちゃんが喜ぶの」
多恵はニコリと笑った。
「だって、リクさんの事でしょ?」
「・・・なんで知ってる?」
「長谷川さんが必死になるのはいつだってリクさんの事だから。何かわかんないけど、応援しますから頑張ってください!」
多恵は満面の笑みを浮かべ、ガッツポーズした。
「・・・ああ、・・・うん」
「じゃあ、私は松川先輩救出のために、男子トイレに行って来ます。長谷川さんは、リクさんを宜しく!」
パキッと敬礼して見せると、多恵はクルリと向きを変え、編集室を出ていってしまった。
「・・・相変わらず変な奴」
長谷川は不意におかしくなって、クスリと笑った。
そしてプリントアウトした情報とカバンを手に持つと、壁の予定表に〈取材後、直帰〉と書き込んだ。
今夜は少々面倒な取材になりそうな予感がしたが、多恵にまでああ言われたのでは、頑張るより仕方が無い。
「何だかんだ言ったって、リク。あんたを慕う人間は、たくさんいるよ」
少し忌々しげにそう呟いた後、長谷川は編集室を後にした。