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第15話 心の内

「なんだ。知ってて私に話を?」

長谷川は無表情のまま浜崎を見つめ、そう言った。

「佐伯さんが、『グリッド』の編集長がもうすぐここに来るからっておっしゃって。だから待ってたんです」

「それで? 私にリクの特集を掲載したことを抗議したいわけ?」

「ねえ、長谷川さん。・・・ミサキ・リクって何なんです? 社長にとって、何なんでしょうか」


長谷川は、純粋で素朴で、それでいて大胆な浜崎の質問に思わず笑みを浮かべたが、悟られないように顔を反らした。

そもそも、秋山のことは私よりもあんたの方がよく知ってるだろう、と言いかけたが、それもやめた。

何にすがって良いか分からない心許なさを若い目元に滲ませている青年が、少しばかり気の毒に思えてきたせいでもある。

そして何より、自分は秋山の奇行の原因の一つを知っているのかもしれないという、後ろめたさもあった。


リクが語ってくれた、リクと秋山の共通点。

秋山は自分の中に消えない《愛情の飢え》を、自分の妄想の中で育てた《リクという同胞》に対面することによって再燃させたのではないだろうか。

そしてその救いを、誰でもない、リクに求めてるのではないだろうか。

もしそうであるなら、ある意味常軌を逸している。どこかに正常でない心の動きを感じる。

『愛されずに育った人間は、どこかおかしくなるんだ』

秋山がリクにそう言ったのは、何かの信号だったのだろうか。


「ねえ浜崎さん。秋山社長は以前から何か奇行があった? 精神的に不安定だとか」

その言葉に噛みつく勢いで、浜崎は長谷川を睨みつけた。

「社長はどこまでも思慮深く穏やかで、立派な人です!」

「なるほどね」

一切まわりに自分を見せずに生きてきたわけだ。

長谷川の中で秋山という人間が、少しづつ整理されてきた。

その途端、リクの言葉が鮮明に蘇ってきた。

『昔の恨みを忘れられない病ってあると思う?』


あれは警告だろうか。

秋山から、リクに発せられた警告なのかもしれない。


リクが語り、調べて欲しいと言った秋山の9歳の頃の誘拐事件。

親から虐待を受けていた9歳の秋山を誘拐し、身代金を受け取ろうとした犯人が、警察に撃ち殺された。

秋山の目の前で。

そんな壮絶な体験をした9歳の少年が抱く『恨み』とは何だろう。

誰を恨むのか。

そしてなぜ秋山はリクに、そんな話を振ってきたのか。

まるで感心の無かった秋山の物語は、そこにリクの存在が入り込んだために、長谷川の好奇心の対象となった。


「ニュースを見てから様子がおかしくなったって言った? 秋山は」

浜崎は少し驚いたように長谷川を見た。

「・・・ええ、まあ。でも、きっと何も関係ありません。あんな事件」

「そうかもね」


でも、ついでだよ。何かを調べるのなら、情報は多いほど良い。

長谷川は心の中でそう呟き、不安そうな表情になってしまった浜崎に、優しさのこもった笑みを返してやった。



         ◇


「天使なんか来ないんだ。そうだろう?」

秋山は重厚なウォールナットのテーブルの上で、組んだ手に体重をかけるように身を乗り出した。

奥二重の中の空洞のような目が、リクの心を探ろうとするように見つめてくる。

手焼きのカップに入ったコーヒーはほとんど手をつけられないまま、すっかり冷えてしまっていた。


秋山の中にある固執した感情に薄ら寒いモノを感じたが、リクは視線を外さなかった。

“助けてくれ”

肉体ではない、どこか別の部分からそう叫ぶ秋山の声が響いてくる。


「天使は来ない。10歳の少年は金のために養父母に背を焼かれるし、9歳の無力な子供はやっと出会えた救世主を、正義を気取った大人に撃ち殺されるんだ」

「落ち着いて、秋山さん」

「俺は落ち着いてるよ。ずっと冷静だった。何も考えないように生きてきたんだ。唯一俺に愛情をかけてくれた男が消えてしまった時、もう悲しむのも求めるのもやめようと思った」

秋山の目が、幼い子供のように所在なく動く。

「19歳の時に、岬璃久という少年のニュースを見て心臓が震撼した。衝撃だった。それは哀れみじゃなく、仲間を見つけたような安心感・・・いや、正直に言えば、喜びだった」

リクは、ただ黙って秋山を見ていた。

「毎日毎日、その哀れな少年が気になってね。週刊誌でその姿を見たとき、まるで恋に落ちたような、不思議な気持ちになった。同時に自分は頭がおかしいんだと思った」


いったん言葉を止め、冷めたコーヒーを啜ると、秋山は俯いたまま悲しく笑った。

「4カ月前、君が画家としてデビューしているのを『グリッド』で知り、手に届くかも知れないと分かってから、また昔の感情が沸き立ってきた。同時に、その根元となった昔の苦々しい感情も、熱を帯びて沸き上がってきたんだ」

「それはその、誘拐事件のこと?」

リクがそこで口を挟むと、秋山はゼンマイの切れた人形のように動きを止めた。

「ねえ、秋山さんは肝心なことを少しも話さないよね」

「・・・」

「あなたはその犯人が大好きだったんだね。たぶん・・・愛してた。違う?」


笑い飛ばそうと口元を歪ませた秋山は、リクの澄んだ真っ直ぐな目を見て、それを諦めた。

リクは尚も続けた。

「あなたの憎んでいるのは、だれ?」

秋山は、今度は貝のように口を固く閉ざした。

「その怒りを鎮めることはできないの? そうすれば楽になるよ。あなたの戦いは終わるかもしれない」

「君の中の戦いは終わったのか?」

唐突に秋山は口を開いた。


「僕の?」

「愛されず、金のために殺されかけた傷は癒えた? きっとまだ、その背中に生々しく残ってるんだろう?」

「僕は養父母に殺されかけたわけじゃない。犯人は分からないんだ」

「君は、分かってる癖に」

「事実かどうか分からない事で悩むのはやめたんだ。そうじゃないと、先へ進めなくなる」

「先? 先には何がある」

秋山が口元だけでゾッとするような笑みを浮かべた。

「俺には先がないんだ。嫌らしい過去ばかりが足元に絡みつく。希望も尊厳も自己愛も、あの日大切な人と一緒に奪われた」

「どうして? 僕らはもう、一人では何も出来ない子供じゃないよ」


リクがそう言った瞬間、秋山は組んでいた手を放してグイと右手を付き出し、テーブルに置かれていたリクの左手を強くつかみ、唸るように言った。

「君なら理解してくれると思ってたのに」

包帯をした左手首をいきなり掴まれ、リクは一瞬ビクリと身をすくめた。

その感触に気付いた秋山は、引っ込めようとするリクの手首を更に強くつかんで、微かに笑った。


「ここ、どうしたの? 手首、切った?」


リクは目を見開いて固まった。

秋山の笑みと言葉に心の奥が震え、動くことができない。

二人はそのまま、ただじっと黙って互いの目を見つめ合った。


「その手を放しなさい!」

大きく太い声がブースに響き渡り、その場の張りつめた呪縛が解けた。

きっと他のテーブル席にまで聞こえたであろうその声の主は、地獄の番人のように目をつり上げ、秋山を睨んでいた。

「長谷川さん」

リクがそう呟くと同時に、秋山はリクから手を放し、何もなかったかのように椅子に体を沈めた。

リクはすぐに左腕を引き、テーブルの下に潜り込ませた。鈍く疼く痛みに一瞬顔を歪ませながら。

長谷川は黙ってそんなリクを見、そのあと秋山に鋭い視線を送った。


「何のつもりです、秋山さん」

「・・・何のつもり、とは?」

秋山は口元にしれっとした笑いを貼り付かせながら長谷川を見た。

「リクに乱暴するなと言ってるんです」

「そんなつもりはありませんよ。少しばかり話に熱が入っただけで。・・・それより、あなたはリク君の何なんです? ただリク君をネタに使った雑誌の編集者ってだけでしょう?」

サラリと言った言葉は、明らかに長谷川の逆鱗に触れた。

怒るごとに、長谷川の声は低く、落ち着いてゆく。

「リクはリクで、いろんな問題を抱えてるんだ。自分の問題は自分で解決したらどうなんだよ! 秋山さん」


ああ、良くも悪くも、いつもの長谷川に戻ってしまった。

目に敵意を持って長谷川を睨む秋山を見つめながら、リクは戸惑った。

時間をかけて秋山の声を聞こうと思っていたリクの計算は、長谷川によってひっくり返されてしまった。


けれど、さっきまで体の至るところに停滞していた血液が、やっと正常に流れ出したような安堵感が、リクを包み込んでいた。

長谷川がくれた、安堵感だった。




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