第14話 秋山という男
平日の昼過ぎの佐伯の画廊、『無門館』は、この日もガランとしていた。
絵を見ながらゆっくり語れることもあり、長谷川は、佐伯にグリッドの企画の相談を持ちかけるときには大概、この時間を狙う。
けれどもフロアには佐伯の姿はなく、その代わりに先客が居た。
若いがきっちりとスーツを着こなした、いかにも商社マンといった青年だ。
その青年はじっとリクの絵の前に立ち、鑑賞と言うより挑むような目でそれを見つめていた。
長谷川には、どうにもその目つきが気になった。
「いい絵でしょ? でも、変ね。そのミサキ・リクの絵はもう売約済みのはずなんですけどね。何でまだ飾ってあるんだろう・・・」
長谷川は、青年に話しかけると言うよりも、大きな独り言のように呟いた。
青年は長谷川を振り返り、ほんの少し笑った。
「ええ、知ってますよ。この絵はウチの社長が買ったんです。この画家の絵が大好きで。佐伯さんが寂しがるので、もう少しだけここに置いてあげるんだって言ってました」
長谷川は少し驚いて、改めて青年を見つめた。
実直そうな、正のエネルギーに溢れた目をしている。
「秋山さんの会社の方?」
その言葉に青年は、再び落ち着いた笑みを返してきた。
青年は浜崎と名乗った。
秋山と昨日から連絡が取れず、ここに来ればもしかしたら居るかも知れないと思ったらしい。
ここに秋山がいるかも知れないと思うこと自体、秋山の挙動の異常と、そのせいでこの青年が切羽詰まってる事が伺われる。
しかし秋山は今、リクと会ってるはずだ。
長谷川はそう思ったが、その事実を告げる言葉は取りあえず飲み込んだ。
何か秋山なりの事情があるのかも知れない、と。
そしてリクは今、恐れながらもそれを確かめようとしているのだ。
浜崎は探し疲れてしまったのか、それとも本当に仕事に追いつめられて弱っているのか、溜まっているモノを吐き出すように、長谷川に語った。
「ある雑誌で、このミサキ・リクという画家の事を知ってからの社長は、少し変でした。どこか浮き足立ったような、落ち着かないような・・・。例えは変ですが、まるで恋い焦がれた昔の想い人に再会したような、そんな感じでした。社長を捜すっていうのは建前で、本当は僕、この絵を見に来たんです。この絵に一体どんな魔力があるんだろうって」
声は穏やかだったが、端正なその横顔には、僅かに苛立ちがちらついて見えた。
「どう? 魔力は感じられましたか?」
「美しい絵です。でも僕にはただ、それだけです。何も感じません」
長谷川はその言葉に笑った。
「そうでしょうね。リクの絵はそんな風に睨みつけて眺めても、何も語ってくれないから」
浜崎はほんの少し顔を赤らめた。
「いえ、そんなつもりは」
「秋山社長が商談すっぽかしたり、仕事ほっぽり出したりするのは、リクのせいだとでも?」
「いえ、そうは思っていません。確かにここ数か月、ミサキ・リクの絵を購入するようになってからは、心ここにあらずと言う感じでしたが、社長が本当に何かに取り憑かれたようになったのは、この2、3日ですから」
「へえー。何かあったのかな」
「ニュース・・・」
「え?」
「一緒に昼食を取ってたら、ちょうどTVで通り魔のニュースが流れたんです。ひどく驚いた様子で。それからです」
浜崎は面白くもない冗談を言った後のような、自分をあざけるような笑みを浮かべた。
「・・・なんの関係があるの? それと、社長と」
「さあ。関係ないんじゃないですか?」
「・・・」
浜崎の言葉は、初対面の長谷川に投げるには、あまりにも横柄でぞんざいだった。
「わからなくなっちゃったんです。社長のことは誰よりも理解出来てると思ってたのに。僕なりに、社長の右腕になれてると思ってたのに。数ヶ月前、『グリッド』っていう雑誌でこの画家のことを知ってから、社長は何となくすべてがうわのそらでした。そして数日前、完全に社長は別人になってしまった。僕が理解していた人物とは、別の人になってしまったんです」
この男は、それらの変化全てに戸惑い、疲れ、苛立っているのだ。
長谷川はそう理解した。
リクの事を発端に、どんどん自分の知らない秋山になって行くのが苦しいのだ。
毎日毎日少しずつ近づき、理解を深め、信頼を得たと思っていた上司との関係を、一瞬にして奪ったものの正体を探しているのだ。
そう思いながら黙っていると、浜崎はやはり絵を見つめたままポツリと呟いた。
「あなたは・・・グリッド編集部の長谷川さんですよね」
長谷川はゆっくり振り返り、その青年の横顔を、改めてじっと見た。