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第12話 頼み

「どうした? リク」

長谷川が声をかけると、リクは二台並んだ自販機の横の壁にもたれたまま振り向き、真っ直ぐ長谷川を見た。

蛍光灯の灯りのせいか、いつにも増してリクの顔色は青白く、長谷川を不安にさせる。

「あんたさ、なんか病気とかじゃないよね。・・・本当にちゃんと食事してる?」

また同じ事を訊く長谷川が可笑しかったのか、リクは笑った。

「大丈夫だよ」

「それならまあ、いいけど。で? 何かあった? 珍しいよね、あんたが自分から会いに来るなんて」

「近くまで来たから、長谷川さんの顔、見たくなって」

長谷川は怪訝そうに目を細めてリクを見つめた。

いつもながらその作り物のように綺麗な顔から、内面が見えてこない。


「いつからそんな面白くもない冗談を言うようになった? 嘘つきなのは知ってるけど」

「ひどいな」

「仕事中なんだよ。早く用件を言いなさい」

わざと少し苛ついた声を出して見せた長谷川に、リクは一瞬間を置いた後、ようやく切り出した。


「昔抱いた恨みが忘れられない病って、あると思う?」

その唇から唐突に発せられた言葉は、奇妙な響きをもって長谷川に届いた。

「え?」

「小さな頃抱いた感情は、時間と一緒に風化していくもんなんじゃないの?」

「・・・そうだね。名前は忘れたけど、そんな症候群はあるよ。でも、病気以前にその性格にも寄るだろうね。どんな体験をしたかにも寄るし」

長谷川はリクの表情を探りながら続けた。

「それは誰の話?」

「昨日、秋山さんといろんな話をしたんだ」

「あの男とまた会ったの? あの男はダメだって言ったろ? プライベートで会っちゃダメだよ。リクを見る目が普通じゃない」

「何か勘違いしてるよ、長谷川さん。秋山さんはそんなんじゃない」

「じゃあ、どんなんだ」

「僕と同じなんだ」

「え?」

「あの人は・・・」

リクはふと、プライベートな事をこれ以上喋ってもいいものか迷うように、言葉を止めた。


「そこまで言いかけたんなら吐き出しちゃいなさいよ。私もあんたも消化不良になる。大丈夫、私の中で止めておくから。・・・あんたさ、自分のことで手一杯なんだ。人の気苦労まで背負い込んだら死んじゃうよ」

長谷川が幾分やさしげにそう言うと、リクは少し安心したように小さく息を吐いた。


「手を差し伸べてくるんだ。小さな子供のように。でも僕は、それをどうしたらいいのか分からない」

リクは先ずそう言った。

長谷川は一瞬ポカンとしたが、辛抱強くリクの言葉を待った。


この青年が、自分の心の内を人に伝える順番は、もどかしいほど人と違っている。

この上なく不器用で、慎重だ。

けれど、的を外したことは一度も無かった。

人には見えない霊を見ることができるように、リクには生きている人間の持つ不穏な魂の震えを嗅ぎ分けることが出来るのかも知れない。

長谷川は勝手にそう思っていた。

そして、だからこそ、その荷の大きさに時々押しつぶされそうになり、不安になる。

その不安を緩和したくてリクが今ここに来ているのだとしたら、長谷川には喜ばしいことだった。


「長谷川さん。25年前の事件って、調べることができる?」

「25年前の事件?」

リクは長谷川に小さく頷いた。


「9歳の子供が誘拐され、犯人はその子の目の前で射殺された」

「誰の話? その子って誰よ」

「秋山章吾」

「・・・秋山?」

「難しい?」

不安そうにそう訊くリクに、長谷川はニヤリとした。

「日本中のデータベースひっくり返したって調べてあげるよ。秋山って男に興味はないし、どうなろうと知ったこっちゃないけど。あんたの頼みだから」

「そうとう彼のこと、嫌いだね」

リクは可笑しそうに笑った後、礼を言った。


「で? それを調べたら何が出てくるの? あんたを少しは楽にさせられる?」

「僕とは関係ないよ」

「じゃあ、さっき何で秋山が《自分と同じだ》って言ったの?」

「ああ・・・。あの人が言ったんだ。僕と秋山さんは同じだって」

「何が」

「二人とも、愛されずに育った子供だって」

「は!?」

「愛されずに育った人間はみんな、どこかおかしくなるんだって」

リクは一瞬自嘲じみた笑いを口元に浮かべたが、鬼のような形相になった長谷川を見て、すぐにその笑みを消した。

「秋山ー! やっぱり一発殴っとけば良かった! あーーーっ、ムカツク!」

リクはその憤慨ぶりに少し驚いたのか、反論も茶化す事もせずに口を閉じてしまった。

長谷川自身、今日の自分のイライラは度を超していると気付くほどだった。

どうにも説明の付かないイライラだ。

ただただ、秋山に「お前に何が分かる!」と怒鳴りつけてやりたい気分だった。

けれど横で、なぜか怯えた犬のような目をしているリクに、あまり醜態を見せるのも癪で、長谷川は話を切り替えた。


「ねえ、話の続きは外でしない? これから佐伯さんのところに行く用事があるんだけど、リクも一緒に行こうよ。ほらこの前、私が邪魔しちゃったから佐伯さんと話、出来なかったでしょ? そうだ、ついでにさ、リクの絵を秋山にホイホイ売らないように言っとこうかな」

「それもどうかと思うよ。子供みたい」

「うるさいね。・・・冗談に決まってるでしょ。冗談。・・・出る用意してくるからちょと待ってて。昼食まだだったら、何か食べていこうか?」

編集室のほうへ歩き出しながらせわしなく言う長谷川。


「ごめん、僕は行くところがあるから」

「え? どこ?」

「秋山さんと、デート」

長谷川は一瞬固まってリクを見た。


「冗談に決まってるだろ?」

リクはイタズラっぽく切り返した。

「喫茶店で少し話するだけだよ。そのお店、秋山さん的にグリッドのエロス特集に載せて欲しかった絵が置いてあるんだって。複製画らしいけどね。長谷川さんも、いつか行ってみる?」

リクはそう言うと、小さく折り畳んだメモ紙を長谷川に手渡した。

「じゃあ、佐伯さんによろしく。仕事中につまらない事で時間取っちゃって、ごめんなさい」

それだけ言うと、リクは少し急ぐように階段を駆け下りていってしまった。


長谷川は、青年のフワリとした柔らかそうな髪が見えなくなるまでじっと階段の方を見つめた後、

その手の中のメモに目を落とした。

秋山に誘われ、これからリクが向かうのであろう喫茶店の名と、電話番号だ。

あのリクが、「不安なのだ」と、隠しもせずに、こんなふうに長谷川に伝えてくる。


ムズムズするような、奇妙な高揚感と、リクを苛む不穏な空気への憤り。

相反する二つの感情を腹に収め、長谷川は一つ身震いした。


「どいつも、こいつも。・・・エロス特集じゃないっつーの」

と、それらを振り払うように、一つ呟きながら。




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