諸君!こんなオヤジの主張に耳を貸して貰えませんか?
とうとう家のゲーム機が壊れたらしい。
珍しく夕飯に間に合うように団地の我が家に帰宅すると、妻や子がなにより先にそう訴えた。悪いことにテレビまで一緒に壊れて映らなくなったらしい。
毎日毎晩、テレビに向かって何時間もゲームをやってれば、遅かれ早かれそうなる運命だったのだ。家族全員で使い倒したと言うべきだろう。
妻や子は、この際ちょうどよい機会だから、最新のやつに買い替えようと声を揃えたが、一家の主である高橋圭吾は反対した。
「我が家の場合、ゲームやテレビというものが、どれだけ家族同士のコミュニケーションを奪っているか、計り知れないものがある」と、言う訳である。
圭吾が知る限りでも、就寝前まで母娘でゲーム。ちょっと早めに帰ってみても、圭吾が遅い夕飯を食べてる傍で背を向けてゲームに没頭してるか、馬鹿番組に笑い転げて呼吸困難になりかけてるかのどちらかだ。
「それこそ良い機会だ。食事中はテレビを追放し、我が家に会話を復活させよう!」
と、圭吾は鞄を置きながら、廊下の向こうへ力強く宣言した。
だが、それに同調する妻子の声は聞こえてこず、しらけた嫌な感じの沈黙が返ってくるだけだった。
すぐにテレビなしの最初の夕飯が始まった。
圭吾は自分の席に座ったが、すぐに左隣の若い厚化粧の女に注目した。彼がその女を娘の成実だと認識するまでに数十秒を要した。
「おまえ、幾つになった?」
と、圭吾は娘の横顔を恐るおそる眺めながら訊いた。
「十五……」
「今は、十五歳で化粧をするのか?」
「うん。早い子は小学生の高学年あたりでしてるよ。でも、あたしが始めたのは去年だから……」
圭吾の正面には見た目がなんとも形容しがたい生き物がいる。さっきからその生き物の存在が気にかかってしょうがない。
なぜか正視に耐えぬ──というか現実に直面するのを怖れて──その生き物を視界の外に追いやろうとする自分がいた。
もしも、その生き物が圭吾の妻・瑠美子であるとするならば、彼の記憶にある頃の妻よりも、ゆうに二倍は体重が増えている。
「どうも腑に落ちないんだが」
と、圭吾は発した。
「きみ、いつ頃からそんなふうに太りだしたんだ?」
「昼の帯ドラを見始めた頃かしら。食後のデザートっていうか、お菓子を手にして観るのが、これまたいーのよね」
四方八方へと飛び散っているヘアスタイルも気になった。今どき茶色のババージュ(ソバージュとは呼びたくない)頭って。
「じゃ、訊くが。その髪型は?」
「三ヵ月前かしら。なに、今ごろ。やっぱり気付いてくれていなかったのね」
ふと見ると瑠美子の横に、首から上だけチョコンと出している幼児の姿。
妻があまりの巨体のために、危うく見逃すところだった。
「その子、どこの子だ?」
近所の子供でも預かっているのだろうと、圭吾は思った。
「どこって、うちの子ですよ!」
壊れたテレビの方を、妻は落ち着かない様子でチラリチラリと眺めながら撫然と言った。
「うちの子お?」
圭吾は仰天。その幼児を見つめた。「その子、いつ産まれたんだっけかな」
と、記憶をたぐり寄せるのだが、はっきりしない。
「おととしの春ですよ!」
「なんで俺、気が付かなかったんだろう?」
と、圭吾は暗澹とした気分で言った。
箸が進まなくなった。
「だって、あなた、仕込んだっきり、あとは仕事、仕事って……」
食卓の風景は、圭吾が期待した一家団欒の図とは、ほど遠かった。
まるで赤の他人と夕飯を食べているような、そんな気がしないでもなかった。何やら薄ら寒くもある。
それは家族も同じ思いらしく、全員が黙々と箸を動かすのみだった。
圭吾はつくづくとゲームやテレビ、そして残業が及ぼした悪い結果を嘆いた。
毎日毎晩、それらを繰り返してるうちに、娘は厚化粧の女に、妻はビフォア・アフターのビフォア女へと逆行してしまった。
そして、そのことに気付かなかったのだ。
おまけに、その間に男の子が生まれたらしい。
しかも、子供を仕込んだことさえ、圭吾にはまったくの記憶外だった。酔って帰宅したときだろうか──それにしても、これではいけない。
とにかくテレビ、ゲーム機がなくなったことは、九死に一生を得たようなものだ。
これを機会に家族の絆の再構築を図らねばならない。
だが、情けないことに妻も娘も、元あったテレビの方へと虚ろな眼差しを投げかけては、溜め息をついている。
「ごちそうさま」と、成実が言った。
「まだ半分も食べてないじゃないか」
と、圭吾は注意をした。
「だって、つまんないんだもの、テレビがないと」
「話題もないしね」
妻までがそう言った。「テレビがなくなった途端、我が家から笑い声と会話が消えてしまったわ」
「あたし、もう、お風呂に入るから」
と、恨めしそうな声で娘は言った。
Tシャツを脱ぎ捨て、歩きながらスカートを脱ぎ捨てた。
「しかし、お前たち、それは違うんだ。絶対に間違っている」
と、圭吾はやや焦った。「我が家はテレビとゲームのせいで、何か大事なものを見失ってしまっているんだ。とんでもないことなんだ。
そのことに今夜、気がついた……おいっ、こっちを見ろ、お前たち。お父さんが話してるんだから、お父さんの顔をちゃんと見なさい!」
そのとき突然、玄関のドアが開いた。男が入って来た。
「ただいまあ!」
その声に幼児を除く全員が、その男を凝視して固まった。
入って来た男は、目を丸くして訊いた。
「あんた、誰だ!」
問われた圭吾は、今になって状況をつかみかけていた。そして答えた。
「……高橋です」
「高橋?」
「高橋さん?」と“瑠美子”も言った。
「あんた……高橋って、上の階の?」
「上の階のおじさんなの?」
素っ頓狂な声で“成実”が言った。「やーだー」と娘は半裸の体をくねらせ、その場へ座り込んだ。
‐了‐