異世界-リロケーション-
とてつもなくリアルな夢で終わってくれればそれでよかったのだが、あいにくと記憶は連続している。
自室で就寝しようとしたところ急激な体調不良に見舞われ意識が飛び、次に目覚めたのは見知らぬ空間だった。
地球の生態系から大きく逸脱した姿形をした者たち曰く、僕は神によって選ばれ召喚されたとのこと。
要求は明快。困っているから力を貸せ、とのことだ。もっとも要求というよりは命令に近く、拒否したら首を絞められる始末。
夢だと勘違いしてまともに取り合わなかったのも要因の一つだろうが、それを加味しても理不尽と評さざるを得ない。僕が勤めてきた職場でももう少し手心があったぞ。どうやら……日本の常識は通用しないと思ったほうがよさそうだ。
拉致に奴隷化がまかり通る、日本とは全く異なる文化を持つ世界。昨日も思ったが、まさに広告で見るフィクションのようだ。
暫定『異世界』。それが今の勤務地ということになる。
にわかには信じがたい話だが……頬をつまむと走る痛みは本物だ。夢の一言で自分を誤魔化すことはできない。
下手を打てば死ぬ。何の因果かはしらないが、そういう世界に来てしまったようだ。
ならば、生きよう。
死ぬわけにはいかない。勤めている会社から託された仕事がまだ残っているんだ。よしんば辞めることになったとしても引き継ぎだって終えてない。仕事を中途半端にしたまま放り出すのは――僕の主義に反する。上司からそう教わり、部下にもそう教育してきた。ならば範を垂れなければならない。
何としてでも元の世界に帰らなければ。僕が目指すのはそれだけだ。
決意を新たにして目を開く。土色をした天井と壁が視界に入った。それ以外には何もない、殺風景な部屋だ。独房のほうがいくらか賑やかなんじゃなかろうか。
上体を起こして自分の身体を検める。特に拘束されている様子はなかった。
軽く首をさする。死を覚悟するくらいには強烈な力で絞め上げられたはずだが、これといった傷跡はできていなかった。後遺症も現時点では自覚症状がでていない。活動するのに支障はなさそうだ。
着ているのは快適な睡眠を妨げない肌触り重視の寝間着である。貧相な格好だと言われるのも納得だ。おおよそ他人に晒せる姿ではない。まあ相手は人じゃなかったけれども。
改めて周囲を見回す。
本当に、何もない。スマホが床に転がされていたが、それだけだ。よもや掛け布団一つ用意されていないとはね。気絶した僕をそのまま連れてきて転がしただけと見える。人権や配慮といった概念は期待しないほうがよさそうだ。
「起きたか」
プライバシーもないらしい。
殺風景な部屋に入ってきたのは二足で立つトカゲ男だった。爬虫類の眉を読む技術は身に付けていないが、なんとなく見下されているのは伝わってくる。敵意すら抱いてそうだと薄っすら感じるのは考えすぎだろうか。
ともあれ、よくない。職場内における不和は効率を阻害する要因の一つだ。初対面時のやらかしは早々に挽回しなければ今後の展開に大きく左右する。
僕は迅速に立ち上がった。腰を四十五度に折って柔らかに言う。
「おはようございます。本日よりお世話になります四月一日初と申します。一日も早くお役に立てるよう精一杯努めてまいります。知見が浅く至らない点もあり、ご迷惑をおかけすることもあるかと存じますが、ご指導ご鞭撻のほど何卒よろしくお願い申し上げます」
「お、おう……?」
トカゲ男の大きな口から動揺の声が漏れる。
少し慇懃無礼な印象を与えただろうか? しかし異形の生物相手に対する最適な距離感など知っているはずもなし。あいにくとそういう資格も持っていない。できうる限りの誠意を見せておくに越したことはないはずだ。逆らえば殺されるなら、尚のこと。
「……漏らすのは泣き言か恨み言か、はたまた血気盛んに襲いかかってくるのかと予想を立ててはいたが……存外、身の程を弁えて相応に振る舞えるらしいな。こちらとしては手間が掛からなくていい」
一応は好印象を与えられたようだ。見下されていることに変わりはないらしいが。
「お褒めにあずかり光栄です」
「勘違いするなよ人間。俺は貴様を認めるつもりなどない。一切な。ただ、魔王様の言葉と判断は絶対……それだけだ」
「それは、失礼しました」
魔王か。そういえばあの蛇女がそう言われていたな。
玉座に腰掛けていたあたり最も地位が高いのは彼女だろう。媚びは売っておいたほうがよさそうだ。
適当な相槌を打ち、柔和な笑顔を浮かべて次の言葉を待つ。トカゲ男はフンと鼻を鳴らして背を向けた。
「それと、覚えておけ。俺の得意分野は戦いだ。軟弱な貴様に教えられる技など一つもない。……ついて来い。適任を紹介する」
「すみません、少々お待ちいただけますでしょうか。お伺いしたいことがありまして」
歩き出しかけていたトカゲ男を呼びとめる。さすがにこの状態で仕事相手と顔を合わせるのは避けたいところだ。
「なんだ。手短にしろ」
「もし有ればでいいのですが……鏡と替えの服はありますでしょうか? 最低限の装いと整髪はしておかなければ無礼かと思いまして」
「そんなものはない。余計な気遣いは不要だ。人の美醜など我らには分からん」
「そうですか……」
「話は終わりか? ならば黙ってついて来い」
身だしなみを整えるのはこっちの気分的な問題もあるのだが……ないと言われたらそれまでだ。諦めるしかない。そういう世界なのだと割り切ろう。
身だしなみの崩れに対してとやかく言わない気遣い不要な現場――アットホームな職場ということか。弊社かな?
◇
当たり前だが、歓迎会や懇親会といった催しはないらしい。
連れてこられたのはこれまた簡素な作りの部屋だった。土色の壁と天井、あとは泥を固めたような造りの椅子とテーブルだけだ。備品の類いは見当たらない。
一目見ると劣悪で原始的な環境だが――超極薄の電子モニターのようなものが宙に複数浮いているのは極めて異様な光景だと思わざるを得なかった。
「目が覚めたんでゲロね……よかったゲロ……」
部屋の中では昨日見た人型のカエルが椅子に腰掛けていた。
ぎょろりと開いた目、扁平で前に伸びた口、収縮を繰り返す喉元。そんなカエルの特徴を有する頭部に人の四肢をくっつけたみたいな生物だ。
手や足の先はカエルの特徴を残しているあたり、どういう進化を遂げてこうなったのか全くもって不明である。生物学者を連れてきたら狂喜乱舞するんじゃなかろうか。
「ゲロルグさん、後はよろしく頼む。俺はいつもの訓練を熟してくるんで」
「ゲロ」
名をゲロルグというらしい。そういえば蛇女とトカゲ男にも名前があった気がするが……いかんせん夢だと思って聞き流していたので記憶にない。仕事中だったら人の名前を忘れることはないのだが。
トカゲ男が去った後、ゲロルグさんが器用にテーブルに手をついて立ち上がった。ペコと頭を下げてから言う。
「あー、協力者様……昨日は突然のことで混乱されたかと思うゲロが……ひとまず、話を聞いて聞いてもらえると助かるゲロ」
ゲロルグさんはトカゲ男と違い物腰が柔らかかった。どこまで本心かは推し量れないが、表面上はこちらを気遣ってくれているらしい。
……苦労人ポジションだな。そう直感する。日本での労働経験からの推測になってしまうが、外部との折衝を担当する人間はこういう物腰になる。上からは圧力をかけられるまでがセットだ。
落とすとしたら、ゲロルグさんからになるだろう。
頭の隅で計算しながら笑みを作り、腰を六十度に折って言う。
「はい。その前に軽く自己紹介をさせていただければと。本日よりお世話になります四月一日初と申します。特技は書類作成、趣味は資格取得です。部下の教育も多少ではありますが経験しております。知見が浅く至らない点もあり、ご迷惑をおかけすることもあるかと存じますが、ご指導ご鞭撻のほど何卒よろしくお願い申し上げます」
「……………………」
ゲロルグさんは平たい口を僅かに開けて絶句していた。トカゲ男の反応といい、この世界には初対面の相手に自己紹介をする文化はないのだろうか。
ゲロルグさんは暫くの間ヒクヒクと喉袋を収縮させていたが、やがて落ち着いたのか人間臭い咳払いを一つ挟んでから話し始めた。
「ゲロ……ず、随分と冷静なんでゲロね……。ゲロはどう説得して協力を取り付けるか考えてたんでゲロが……」
「説得、ですか? 昨日契約も交わしましたから協力するのは当然かと」
「脅されて結ばされた契約でゲロ?」
「ええ。ですが私も命が惜しいので従いますよ。今更文句を言う気もありません。郷に行っては郷に従え、というやつですね」
「ど、どうしてそんなに冷静なんでゲロか……?」
「慌てたり迷ったりして手を止めるのは効率を落とすだけだと上司から学びましたので。メンタルの切り替えは得意な方ですよ」
さり気なく自己アピールを交えると、ゲロルグさんは透明なまぶた――瞬膜だったか――をしゃかしゃかと動かした。それは動揺の仕草のように思えた。
「ゲロ……なんとなく、ワタヌキハジメ様が選ばれた理由がわかった気がするゲロ」
褒められているのか引かれているのか不明だったので営業スマイルを浮かべておく。
「とりあえず、座るゲロ」
「では失礼します」
面接を思い出すやりとりだ。着席を促されるまで座ってはいけない、だったか。
面を上げよと言われて素直に顔を上げるのは失礼、みたいな遠回しの文化がないことを祈って椅子に座る。文句は言われなかった。
「では早速、ワタヌキハジメ様に協力してほしいことを説明するゲロ」
「お願いいたします」
「ゲロ。魔王様からお話はあったでゲロが……ワタヌキハジメ様には、その……ダンジョンの運営改善をお願いしたいんでゲロ」
ダンジョン。聞き慣れない言葉だった。しかし不思議と意味は分かった。
地下牢や塔を語源とする言葉。広義では迷宮や地下洞窟を指すこともある。時代の変遷に従って多くの意味や解釈を持つようになった単語と捉えていいだろう。
とすると、観光名所の経営……か? うろ覚えだが、経営が悪化しているとかどうとか言っていた気がする。
ともあれ全ては憶測に過ぎない。資料が揃っていない内から判断するのは危険だ。不明点を放置しないのは仕事における鉄則中の鉄則。僕は即座に挙手をした。
「質問よろしいでしょうか」
「どうぞゲロ」
「私の見識不足で非常に恐縮なのですが、ダンジョンとはどういったものなのかをご教示願えますでしょうか」
そう言うと、ゲロルグさんは再び瞬膜をしゃかしゃかと動かした。動揺か、もしくは呆れのサインなのかが気になるところだ。
「ダ、ダンジョンを……知らない?」
「申し訳ありません。異世界の文化に関しては不勉強なものでして」
「い、異世界? どういうことゲロ? ワタヌキハジメ様は一体どこから来たんでゲロ!?」
「はい。地球の日本と言えば宜しい……のでしょうか?」
質問に対し簡潔な答えを返したところ、ゲロルグさんは瞬膜ではないまぶたを閉じて固まってしまった。暫く待ってみても反応がない。
ふむ。酷く無駄な時間だ。勿体ない。
僕は寝間着のポケットにしまっていたスマホを取りだした。メモ帳アプリを開いてから言う。
「ゲロルグ様、少々よろしいでしょうか。どうやら……お互いに認識のすり合わせが必要な状況であると推察いたします。大変お手数だとは存じますが、私が疑問に思ったことを質問していきますので、可能な範囲で回答を頂けますでしょうか?」
これからのために建設的な話をしよう。
そう提案すると、ゲロルグさんは一も二もなく頷いた。
■第一回 相互認識のすり合わせに関する質疑応答録
参加者:ゲロルグ・四月一日 場所:ダンジョン
・この世界は地球と異なる世界という認識でよいか
→そもそも異なる世界があるという認識がなかった。地球と呼ばれている世界があることも知らない。
→ではなぜ日本語が通じるのか。
→この世界ではそもそも言語に差異などない。意思を乗せて発声すれば相手に伝わる。
→どういう原理なのか。
→神の御業とされている。
→明らかな生態系の差異を根拠に地球ではないという前提で話を進める。
・協力者の召喚とは何か
→神によってダンジョンを運営する魔王たちに与えられた権能の一つ。四月一日 初(記録者)はその力により召喚された。
→地球人を呼ぶシステムということか。
→詳細な説明はない。過去に召喚が行われた前例もないため不明。条件を指定することで神が召喚を行うことになっている。
→前例がないのは何故か。
→協力者の召喚は推奨されない行為であるため。他者の協力なくしては何も為せない弱き種族であると主張するようなものであるため。
→召喚に際して指定した条件とは何か。
→条件は三つ。勤勉であること。忠誠心が高いこと。ダンジョンの現状を改善し得る力を持っていること。
・神とは何か
→この世界を守る上位存在。世界の破滅を防ぎ、ダンジョンを作ったのも神の御業とされている。
→本当に実在するのか。
→実在する。
→世界の破滅を防いだとは。
→強大な力を有する魔物同士の争いが激化し、滅びの段階まで至った時に顕現され、力による侵略ではなく統治による有能さで格付けを行うよう命じた。後述するダンジョンおよび魔王がこれにあたる。
・魔王とは何か
→極めて強大な力を有する魔物であり、神よりダンジョンの統治権を賜った者をそう呼ぶ。
→複数人いるのか。
→魔王の数は七。
→魔王は神よりも位階が下という認識でよいか。
→神に逆らうなど畏れ多い。それはそれとして、魔王の前では位階を比べるような発言は控えたほうがよい。みなプライドが高く、無礼と捉えられる可能性が非常に高い。その後の命の安全は保証できない。
・どうしても語尾にゲロを付けなければ話せないのか
→ゲロはそんな話し方してないゲロ(発言をそのまま書き起こしたもの)
・ダンジョンとは何か
→世界に無数に存在する空間。形態は様々なものがある。ここは地下空間の形態を取っている。
→ダンジョンの特徴とは何か。
→人はダンジョンを探索することで益を獲得している。食料、素材、力、経験、宝飾、武具、薬品、名誉など。
→このダンジョンで得られるものは何か。
→(長い沈黙のあと)力と経験……かなぁ、とのこと。
→ダンジョンの運営とは具体的に何をすればいいのか
→魔力の調達。主なものは、前述の餌に釣られてやってきた人間の殺害である。




