拉致-ヘッドハンティング-
これは夢だと自覚できる瞬間がある。荒唐無稽の極みみたいな目の前の光景は、きっとそういうことだろう。
「……まあ、いい。神によって選ばれたのだから何らかの才を有することは確かなのだろう。見た目だけで全ては判断できぬか」
明晰夢と言うんだったか。
夢を夢と自覚している状態。慣れればその後の展開を自由に操れるみたいな話は聞いたことがある。詳しくは知らないな。ちょっとした話のネタになりそうだし後で調べておこうか。
「名乗っておこう。私の名はレイミア。魔王の一人としてこのダンジョンの運営を担っている。まあ、餌である人間には知る由もないことであろうがな」
これが夢と分かれば後の展開なんてどうでもいい。問題は……明晰夢を見ているという状況そのものだ。
明晰夢を見る。その原因はなんだ? 睡眠不足か、心労の表れか。それとも重篤な病の兆候だったりするのだろうか。特に理由なく見る程度のものであれば問題はないが……ここまで現実味のある夢は見たことがない。
脳が記憶や感情を整理する過程で夢を見るというのは有名な説だ。夢の内容から深層心理を分析する夢判断なんてものもある。もっとも、夢の詳細と心身状態の関連性を裏付けるエビデンスがないので盲信するつもりはないが……過去の辛い経験が引き金となって悪夢を見るのは医学的にも立証されている。PTSDというやつだ。
「人間である貴様にとっては初耳だろうが、無数に存在するダンジョンの中には私のような魔王が支配している特別なものがある。ここもその一つだ。この私が治めるからには陸匐族も安泰だ……と言いたいのだが、そうもいかない理由があってな」
再度周囲に目を走らせる。状況に変わりはない。
何やら一方的に話を続けている蛇女に、人間並みの大きさを有する二足立ちのカエルとトカゲ。そして人が三人は跨がれそうな亀が一匹。
やはり荒唐無稽だ。なんの脈絡もない。しかし、少なくとも悪夢ではないだろう。子供の頃に高熱でうなされた時はもっと支離滅裂な不愉快さのある夢を見た。それに比べたら、こうして冷静に思考できている時点でマシなほうだ。
「このダンジョンは著しい魔力不足に陥っている。理由は、まあ…………色々だ。色々とある。いくら能のある私が治めているとはいえ、どうしようもない理由というのはあるのだ。例えば……この地域に住む人間どもはまるで腑抜けていてな。二層より下へ進もうともしない。身の安全ばかり重視して魔力を落とさないのだ」
しかし長いなこの夢は。もしかしたら変に自覚できている分そう感じるのかもしれない。これが熟睡できている証なら問題ないのだが、心身不調のサインだとしたら困りものだ。人間ドックを受診するために時間を割かなければならない。
……盲信するつもりはないけど、一応夢判断でも試してみようか。これだけ特徴的な内容なら何かしらのメッセージを読み取れるかもしれない。
問題がなければそれでいいのだ。仮に良くないサインだったとしたら早期発見できたとプラスに考えよう。最もよろしくないのは異変を放置しておくことだ。
僕は握っていたスマホのメモ帳を開いた。夢の内容を箇条書きで記録していく。
起きた時には消えているとしても、起きる時まで記憶しておくための助けにはなるだろう。多分。きれいさっぱり忘れていたならそれでいい。熟睡してたってことだろうし。
「おい人間、貴様なにを弄っている! 話を聞いているのか! 魔王様の御前であるぞッ!」
先ほどまでとは違う濁りのある声が響く。咎める声音につられて顔を上げると、玉座の横に控えている人型のトカゲが不機嫌そうに喉を鳴らしてこちらを睨んでいた。
変にリアルな夢だなぁ。そんな感想を抱く。
異形の生物が日本語を話している時点でフィクションの類としか思えないのに、その肉体は無理のない機能性と真に迫る質感を感じさせた。
サブカルチャーにはさほど精通していないが、それでも中々に洗練されたデザインだと感じ入る。トカゲなのに部分鎧を着けていたり、刀身が剥き出しな大型の刃物を腰に佩いているあたりも突飛で面白い。駅広告やコマーシャルで見掛ける異世界ものとやらを彷彿とさせる。
それらの広告を見た時の記憶が整理されて目の前の突飛なキャラクターたちが夢の中で構成されたのだろうか。
「何をしているのかと聞いている!」
この異形の生物たちには初対面の相手に対して敬語を使うという文化がないらしい。日本語を扱うなら敬語くらいは使ってほしいものだ。敬語は関係構築における緩衝材だよ。
僕は完璧な営業スマイルを浮かべた。適当にあしらう。
「ああ、これは失礼いたしました。本件は極めて重要な内容を含んでいると認識しましたため、備忘および事後共有の可能性を考慮して記録を残しておりました」
実際は全て聞き流していたけど……まあ問題はないだろう。そのうち覚める夢に本気になるのも馬鹿らしい。
僕の返答を聞いたトカゲは偉そうな所作で腕を組んだ。ふんと鼻を鳴らす。
「記録……? その板切れで、か。フン……この程度の話も記憶できないとはな。やはり協力者などに頼るべきではなかったのでは?」
メモ帳に書き足す。
スマホも知らない人間大のトカゲに馬鹿にされた、と。
「そう言うなリーサル。確かに貧相な見た目の人間ではあるが……私を前にして泰然を貫く肝の太さは評価に値する。かつて、いないぞ? 私の前に姿を現して狂乱に陥らなかった人間は」
蛇女に貶され、その後に褒められた、と。
……褒められたと言っていいのかなこれ。やはり異形だけあって評価基準が人のそれとは異なっている。
いや、まあ、こんな異形と町中で出くわしたとしたらなりふり構わず逃げるけども。猟友会とかに駆除を依頼することになるのだろうか。動物愛護法の適用範囲が問われる。
「故に私は――貴様を協力者として認めよう」
蛇女が――そう表現するのが正しいのかは不明だが――玉座から立ち上がった。長く太い尻尾をのたくらせ上半身を支える姿はまさしく鎌首をもたげる蛇の如し。蛇足ならぬ蛇腕を広げて宣う。
「人間よ! 我が種族の繁栄のために力を貸せ! 私の代わりにダンジョンを運営することを特別に許そう! 餌の身分では得ること叶わぬ至上の栄誉だぞ! 光栄に思うがいいッ!」
おお……。僕は思わず反応に困った。
六種類のバイトと一社の社員として社会経験を積んできたが、面接を申し込むことなく採用通知をぶん投げてくる企業は初めてだ。得難い経験と言えよう。夢だけど。
蛇女は得意げな顔をしていた。
カエルは器用にも祈るかのように両手を組んでいた。
トカゲは蛇女の声に酔いしれているのかウンウンと頷いている。
亀はぼうとしていて何も考えていなさそうだった。
とりあえず僕は言った。
「ええと、それは引き抜きということになるんですかね? でしたら、申し訳ありませんが貴社の勧誘に応えるわけにはいきません。私は既に他の企業に属しておりますので」
夢の中で何を馬鹿正直に、とは自分でも思う。
しかし契約というのは重いものだ。退職届も出さないうちに鞍替えなんてしたらその後の評価に響く。たとえ冗談でも首を縦に振れないね。なにより同僚が人外だし。
「……引き抜き? それは違う。貴様は人間で、我らは陸匐族だ。貴様を一族に加えるつもりなどない。貴様はただ協力し、利をもたらせばいいのだ!」
……なるほど? りくふくぞくとやらの詳細は不明だが、不思議とそれが彼らの種族の名前であることを理解できた。そして、彼らは互いに利を得られる取引先を探してらしい。
それならば話は早い。申し訳なさを押し出した表情を消して営業スマイルを作る。
「なるほど、分かりました。でしたらまずは新規取引申込状の提出をお願いできますでしょうか」
「……なに?」
たとえ夢でも律儀に対応してしまうのは職業病というやつだろうか。そう思いつつ続ける。
「弊社としては、まずは御社が取引を希望する理由を伺いたく。可能であれば御社がどのようなサービス、または商品を取り扱っているのかが分かるパンフレットも同封していただけると助かります」
「そんなものはない。こちらの要求は単純だ。貴様は、私に、従え。これで伝わるだろう?」
人材派遣希望かな? あいにくと弊社はそういうサービスはやっていないんだけどなぁ。
厄介顧客をあしらう練習だと割り切ろう。柔和な笑顔を崩さず続ける。
「でしたら業務委託契約書を提示していただけますでしょうか」
「……そんなものはない!」
「であれば作成をお願いいたします。業務内容の定義と
報酬額、その計算方法、支払期日および条件、外部委託の可否、契約期間と解除条項を添えて」
「ふざけるなッ!!」
突然の激昂に意図せず笑顔が崩れる。
……驚いた。思わず呆けてしまう。目の前の蛇女の大声もだが、もっと驚いたのは後ろの二匹の挙動だ。
カエルとトカゲの二匹が唐突に吹っ飛び、かなりの勢いで壁に叩きつけられたのだ。まるで車にはねられたかのように。
……なんだ今のは。理解が追いつかない。いよいよもって不可解な夢になりつつある。
デカい亀は吹っ飛びこそしなかったものの、手足首を引っ込めて甲羅を震わせていた。その姿は、部屋の隅で恐怖に怯え震える子どもを彷彿とさせた。
蛇女が尾をうねらせて僕の目の前へやってくる。白の髪が波を打って広がり、まるで意思持つ蛇のようにゆらめいた。縦割れの金瞳に見下ろされる。不愉快さを隠そうともしない口元からは人のそれではない牙が覗いていた。
いやにリアルだ。これはほんとに夢なのかと疑ってしまうほどに。
「私の魔力に怯まず、睨み返してみせるその気骨は認めよう。だが――否は認めない。くだらん戯言も二度は聞かん。もう一度だけ言い渡す。私に従え」
あまりにも強引な物言いに辟易する。厄介顧客どころの話ではない。この上なく悪質なクレーマーだ。契約に際して必要な書類すら用意しないなど……怠惰が極まるというもの。
或いは異形たちには書類を作成するという文化がないだけかもしれない。ならばこちらも人間の理屈で断るまで。
「大変申し訳ないのですが、契約書が用意できないのであれば取引に応じることはできません」
「……理由だけ聞いておこうか」
「責任の所在が明確になりませんし、後々のトラブルの元になります。なにより……お互いに納得のいく取引ができない可能性が非常に高いので」
「そうか。ならば――」
ようやく理解してくれたか。
そう思ったのも束の間。蛇女の金瞳がすっと細められた。眉が寄る。読み取れる感情は不服、そして敵意。
歪んだ口元から漏れた呼気が肌を撫ぜる。そのリアルさが不気味で、一歩後退したところを――
「力で従えるまでだ」
音もなく伸びた尻尾に絡め取られた。
首に尾の先が巻き付く。呼吸が止まる。苦しい。これは、死ぬ……!
「かっ……は……!」
尋常ではない苦痛に意識が飛びそうになる。
身体が呼吸を、酸素を求めて首に巻き付く尾を引き剥がそうと暴れるも――ざらついた鱗を持つ尻尾は微動だにしなかった。意識が、薄れていく――。
「な、なんだこの脆さは……! 貴様、この体たらくでなぜ私の前に立っていられる!? そこらの子どものほうが幾らか丈夫だぞッ!!」
「魔王様! その方は殺してはなりませんゲロ!」
「わ、分かっているっ! 貴様、枯れ枝か何かか!? よもやここまで貧弱だとは思いもしなかったぞ……!」
首に巻き付けられた尾の拘束が緩む。反射的に咳き込み、ほとんど無意識で荒い呼吸を繰り返す。
両手足が痺れる。喉は乾燥を訴えていた。冷や汗なのか脂汗なのか判然としない液体が頬を流れ落ちる。心臓はうるさいほどに脈動していた。
命の危機に陥ってようやく実感する。
これは――夢でもなんでもない。
紛うことなき現実だ。
「もう一度。もう一度だけ言い渡す。私に従うことを誓え」
答えを違えたら死ぬ。それだけは理解できた。
肉体の震えを押さえつけ、辛うじて一言を絞り出す。
「誓い、ます……」
「よろしい」
尻尾の拘束がなくなる。同時、糸を切られた操り人形よろしく身体が崩れ落ちた。
意識を手放す瞬間、ふと思う。
ああ、日本の企業は優しかったんだな。
お偉いさんに舐めた口を利いたらクビにはされるが、首を絞めて殺されることはなかったのだから――




