時の彼方へ 第一章 時の彼方へ
女子高生湊洋子とパラレルワールドを行き来する恋人大河内秀樹と同世代の親戚大河内曜子、芳田陽子に繰り広げられる架空の都市木曽川市の住人を中心とするオムニバスです。
第一章 時の彼方へ
第一章第一節.夢を見る
4月4日木曜、未明に大河内秀樹は夢を見た。淡い牡丹雪が景色一面を覆いその雪の中で少女がうごめいていた。少女は白い衣装を身につけ雪の中に溶け込み何か探すような仕草で手を正面に差し出す。
「た・す・け・て」
口の動きからそう聞こえたように思えた。秀樹は少女のそばに寄ろうとするが、少女と秀樹の間に透明なものが阻み寄れない。一面に牡丹雪が降りそそぎ見渡す限り白世界が広がっている。
湊洋子は夢を見ている。夢の中に降っている雪を掴もうと手を差し出すと雪はふっと消える。雪は洋子の周りを舞ながらまとわり付いてくる。まとわり付く雪に洋子は雪の彫像のようになり身動き出来ない。その雪の中から男が現れる。その男は洋子を救ってくれそうな気がした。
「た・す・け・て」
洋子は口を動かすが言葉が出ない。男は洋子のそばへ寄ろうと動くが男の前には透明な障害物があるのかのようにただ立っているだけこちらへは来ない。あたり一面雪が積もり白銀の光景が続いていた。
湊洋子は雪の夢を見ていた。そして、物語は夢を見た日より3日ほどさかのぼる。
4月1日月曜日、木曽川学園高等部の入学式が開催される。入学式が終了し新入生である湊洋子は自分が学ぶべき教室へ移動する。担任教師と副担任教師が教室で待っており、全員が揃うと担任達は自分を紹介した。担任教師は加藤と言い名護屋大英文科を卒業し結婚して子供が二人いる。副担任教師を岩田と言い木曽川学院大英文科を卒業したと紹介する。
新入生達は自分の出身中学、趣味、豊富等を自己紹介し、湊洋子は木曽川第三中学校で新体操部にいたと自己紹介する。
大河内秀樹は名護屋大学建築学科に学ぶが、数学が好きで数学者になりたかった。しかし、祖母の奨めで建築科に進学し中部高速道路公社の仕事に就いた。両親は秀樹が幼少の頃自動車事故で他界した。その両親の通夜の時、姉奈津子が失踪した。短い間に秀樹の身内は祖母宮子だけとなった。【秀樹は耳の後ろには黒子が左右に三個ある】。姉はその耳をいじり黒子のことで秀樹をからかった。今、鏡に映った耳を見て姉とのことを思い出す。
香港公路公司は中部高速道路公社に技術社員の派遣を依頼してきた。大河内秀樹は香港公路公司に中部高速道路公社からの技術派遣社員として《5年間》赴任した。4月に香港公路公司へに赴任し、半年後の9月にドイツ国からレオン・アルダー、フランスからビアンキ・デシャンがそれぞれの国から香港公路公司に派遣されて来ていた。秀樹が半年早く赴任した先輩で二人の面倒をみた。話せば三人は両親を亡くしその境遇は同じで、しかも数学者を目指したとあっての親密さは深かまる。
香港公路公司においての三人の待遇はゲスト扱いである。香港公路公司は自社の社員を各国に技術留学生として派遣し技術を習得させるつもりであり、外国から派遣されてきた交換社員には期待していなかった。
それを感じた三人はそれはそれで良いではないかと秀樹、ビアンキ、レオン達は毎日数学論に明け暮れていた。
ビアンキ・デシャンはバスク系フランス人である。スペインとフランスとの国境地帯にスペイン側に5州、フランス側に2州のバスク人の居住地帯がある。ここに居住するバスク人はバスク語、スペイン語とフランス語を公用語としている。
ビアンキはフランス国側の市立工科大学建築科に通学していた。彼自身は数学が好きであったが、両親の勧めで建築科へ進学する。
彼はフランス数学界の大家であるR・ジャンセンをに傾倒していた。R・ジャンセンはアジアへ行ったことは無かったが、古代中国秦代漢代に興味があった。その影響で、ビアンキ・デシャンも中国に興味を持つが、中国の象形文字には閉口する。
ヨーロッパの言い伝えで悪魔に処罰に与えた課題がバスク語を習得することであり、バスク語の難解さに悪魔は閉口して改心したとある。バスク語はどの言語の分類にも属さない古代言語とされる。
日本語もかつてはウラル・アルタイ語に分類されていたが、現在は沖縄語、アイヌ語を含む日本語類に区別される。
バスク語も日本語も膠着語とされる。言語は膠着語、屈折語、孤立語に分類され、膠着語は独立した単語を助詞、助動詞にて膠のようにつなぎ合わせた文章を言い、屈折語は単語が人称・時制・格などによって複雑に変化するヨーロッパの言語を言い、孤立語は中国語のように一つ一つの単語が音と意味を持ちそれ重ねることで文章を形成される。
ビアンキが大学を卒業する年、旅行に出かけていた両親が乗る船舶が海難に逢い他界した。彼は大学を卒業はするが、両親を失った悲しみで就職せず自宅に引きこもっていた。それを見かねた恩師が香港公路公司から技術者の招聘が来ていると知らせる。日頃、ビアンキがR・ジャンセンの数学論を学んでおり、その影響で中国の興味あることを知っていた。ビアンキ・デシャンは香港に出立し、香港公路公司に勤務することになる。
レオン・アルダーの両親は東ドイツからの亡命者である。レオンが生まれた時、両親は亡命生活の無理が溜まり他界し、孤児となったレオンは施設に入れられ大きくなった。
ベルマップ市立大学建築科へ進学するが、元来数学が好きで数学者になりたかった。奨学金を受けながらの進学にはそれが出来なかった。建築設計会社へ就職し、働きながら奨学金を返済していた。奨学金は低利で受給した半額の返済であった。それでも返済する生活は苦しかった。
香港公路公司から技術者の招聘がベルマップ市へ来ていた。ベルマップ市は香港と姉妹都市を結んでいる。市の担当者は市内の各建築会社へ招聘の件を依頼したが、アジアの「辺境」へ行くと手を挙げるものは居なかった。対処に困った担当者は奨学金の返済を免除(ベルマップ市が負担)すると告示したが、それでも手を挙げるものは居なかった。
招聘の連絡はレオンの建築会社には来ていなかった。レオンはベルマップ市在住であったが、勤務している建築会社はベルマップ市外にある。
レオンは母校であるベルマップ市大学建築科へ今している設計のことで相談に来た。そのとき、香港公路公司の技術者招聘のことを知る。奨学金の返済に苦労していたレオンはベルマップ市の担当者へ香港行きを申し込み香港へ来る。
三人はフランス数学者R・ジャンセン、ドイツ数学者フランクリンの原書を教科書とし、お互いに討論に熱が入るとレオン・アルダーが英語をビアンキ・デシャンがフランス語を秀樹がドイツ語での討論となる。秀樹は香港に来てレオン・アルダー、ビアンキ・デシャンと友好を交わすうちドイツ語とフランス語に堪能となった。
第一章第二節、帰国
レオン・アルダーとビアンキ・デシャンは秀樹と同じ《五年》の任期である。先に来ていた秀樹が帰国する事となり、秀樹が帰国する前日に三人は飲み明かした。帰国する日4月1日月曜日、秀樹は香港公路公司の外人用社宅から香港国際空港へタクシーで向かった。
名護屋在住の松下夫妻は夫が定年を迎え退職記念にと夫婦は香港旅行を計画した。夫婦はツアー旅行は日程が忙しくゆっくり出来ないと自由行程を選び専属コンダクターを雇い、香港旅行を楽しみ最終日タクシーで香港国際空港へ到着する。
秀樹と松下夫婦は(香港航空HU22便)で名護屋国際空港へ飛び立つ。秀樹の席は3人掛けシートの通路側に座り、松下夫婦が相席となる。(香港空港HU22便)のCAは英語と広東語で機内案内放送をする。松下夫婦はそれを聞き取れずオロオロしていたが、秀樹が通訳して教える。夫婦はそれで安心したようだ。
(香港航空HU22便)は定刻通り10時35分に離陸した。フライト時間は4時間ほどかかる。香港と日本との時差は1時間で名護屋国際空港には日本時間13時45分の到着予定である。離陸後飛行も安定し座席ベルトをはずしてよいとのマークが点灯した。秀樹は香港で過ごした思い出にふけっていると飛行機がエアポケットに入り落下を続ける。
普段であれば一瞬で通常に戻るが、今回は何時まで経っても落下状態が続く。11時10分にいきなりゴーンと音がすると秀樹の頭上を突風が吹き瞬間秀樹は空中に浮遊していた。
飛行機の機体後部が分解し、後部座席にいた乗客は空中に投げ出された。秀樹が目の当たりにしたのは分解剥離した飛行機のパネル部品が回転しながら自分の方へ向かって飛んで来ていた。その部品は秀樹の胴体を上と下に切り裂いた。秀樹は全身に走る痛みを感じる。と思った瞬間、座席に座った状態で落下が止まった。隣の夫婦も叫び声を上げ、座席に座っていた。
一方、4月1日月曜日、香港国際空港へ向かっていた人物が居る。名護屋大学建築学科に学んだが数学が好きで数学者になりたかったという大河内秀樹である。しかし、祖母の奨めで建築科に進学し中部高速道路公社の仕事に就いた。両親は秀樹が幼少の頃自動車事故で他界した。その両親の通夜の時、姉奈津子が失踪した。短い間に秀樹の身内は祖母宮子だけとなった。【秀樹の鼻の右横に小さな黒子が三個ある】。よほど目をこらさないと確認出来ない。幼少のころ一度だけ姉が秀樹の顔をまじまじと見て「秀樹って鼻に黒子みたいなのがあるね」と言ったことがあるが、言った本人も聞いた本人もすっかり忘却している。
耳の後ろには黒子が左右に三個ある秀樹と鼻の右横に小さな黒子が三個ある秀樹は住む世界が違うためお互い存在は意識していない。世界とは幾重にも重なり多少の違いは在るもののパラレルワールドとして存在する。どの世界にもわずかながらほころびが生じるが、世界はそのほころびの修復機能を持っている。修復仕切れないわずかな箇所にパラレルワールドリーパーが誕生する。二人の大河内秀樹はこのパラレルワールドリーパーになっていく。物語の進行上、どちらも大河内秀樹であり紛らわしいために主人公の秀樹を「秀樹」と異次元の秀樹を「ヒデキ」と表記する。
香港公路公司への赴任期間【2年】が終了した。大河内ヒデキが勤務している中部高速道路公社へ香港公路公社から技術員の派遣の依頼があった。湾岸線第二工区を担当した大河内ヒデキが選抜される。
同級生であり、親友であり、仕事の同僚となった大崎誠と再会できる。誠はシナ娘と結ばれその結婚式に出席するため、秀樹は一旦は帰国する。彼とは名護屋大学建築科で同級生となる。誠は木曽川市建設局へ就職し、秀樹は中部高速道路公社へ就職する。秀樹は中部高速道路公社では湾岸線を建設する計画を立てている。
計画ルートは2案あり埋め立て完了地を通過する案と埋め立て予定地を通過する案である。検討の結果、すでに埋め立てが終了したルートで高速道路の建設を決定した。その設計を設計会社へ発注した。丸川の架橋には本線架橋に沿って走る側道を付けその側道は木曽川郡千形崎町と木曽川市をつなぐ橋となる。それを持って木曽川市建設局の大崎誠を訪ねる。
大崎誠は中学時代からの親友であり同じ中学、同じ高校、そして同じ大学を卒業した。大崎誠は計画書に興奮すると市長へ直談判に行き、中部高速道路公社への出向を実現した。詳細設計を作成し、それから4年間二人は湾岸線第二工区の建設に従事した。およそ第二工区ができあがった頃、香港公路公司と中部高速道路公社と技術員交換の協定が結ばれそれに選抜された秀樹は香港へ来た。
香港公路公司にはすでにフランスから技術者が来ていた。ビアンキ・デシャンである。秀樹とビアンキは親交を深め毎日毎晩数学の論争を重ねた。ビアンキは【三年】の任期で【二年】任期の秀樹が先に帰国する。帰国当日、ヒデキは香港公路公司の外人用社宅から香港国際空港へタクシーで向かった。
名護屋の住人、松下夫妻は夫が定年を迎え退職し退職記念に夫婦は香港旅行を計画した。ツアー旅行は日程が忙しくゆっくり出来ないからと自由行程を選び専属コンダクターを雇い、香港旅行を楽しんだ。旅行最終日、ホテルをチェックアウトするとタクシーで香港国際空港へ向かった。
交差点で信号待ちの秀樹のタクシーと松下夫妻が乗るタクシーが並ぶ。その並んだタクシー間の地下にはガス埋設管からもれたガスが充満していた。そして、溜まったガスに引火し爆発を起こす。ガス爆発で延焼したタクシーは燃え上がり乗っていた松下夫妻と秀樹は死亡した。タクシーの延焼が激しく、乗っていた運転手以外の乗客は三人とも身元不明として処理された。【香港国際航空HV22便】は大河内ヒデキと松下夫婦3人を乗せないまま離陸した。
香港国際空港を飛び立った【香港国際航空HV22便】は安定飛行状態になり、CAは昼食を配膳する。乗客が昼食を取っている時、飛行機はエアポケットに入りパン、コーヒー、ミルク等が機内中に転げ落ちる。
その騒動の最中に空席に大河内秀樹と松下夫婦が落下してきた。機内はパン、コーヒー、ジュースが散乱し、それをCAは忙しく後かたづけに回った。
一通り後かたづけが終わりCAは機内を見渡し異変に気づく。空席だった席に乗客が座っている。そのCAは同僚のCAに訪ねた。そのCAもその座席には乗客が居なかったのを覚えていたが、乗客リストには搭乗しているよう記載されていた。CAたちは困惑したがそのまま業務を続け名護屋国際空港へ向かった。CAたちの雑談を聞いていた秀樹は思った。CA達の会話で今乗っている飛行機名は【香港国際航空HV22便】と判った。確かに自分が乗っていた飛行機(香港航空HU22便)は墜落したのだ。隣の夫婦は「ああ夢だったのか、びっくりした」とささやいていた。
CAたちは広東語で秀樹達3人が現れた事を話し合っている。秀樹はそれを理解した。松下夫婦は広東語が理解できない。飛行機は定刻通り名護屋国際空港へ着陸した。秀樹は自宅へ向かうバス乗り場へ行った。しかし、そのバス停が無い。案内係に聞き行くとそれはあったが、地名が違う。秀樹の住所は名護屋市千形区千形崎である。バス停に掲げられている地図は木曽川市千形崎となっている。5年前名護屋をでるとき、木曽川市と言うところは進地市と度山市である。香港へ行ってる間に町名変更があったのであろうか。そう思いながら自宅へと帰る。
管理人夫婦はマンションで出迎えながら、連絡してくれれば空港まで迎えに行ったのにと言われながら土産を渡す。秀樹は管理人の妻へ「最近、ここは町名変更が有ったのか」と聞くと「そうそう、あなたの橋のおかげで私たちの木曽川郡千形崎町と木曽川市と無事合併できたのよ」と妻の方が誇らしげに答えた。
「俺の橋?」秀樹は管理人の妻の言葉に自分が設計した湾岸線丸川大橋を思い出した。秀樹は心に疑問を持ちながらも部屋に落ち着いた。ガレージに行きバイクを持ち出す。バイクは管理人の養子ヨシオ・イクオが組んだカスタムバイクである。それを秀樹は譲り受けた。管理人の店でメンテナンスをしていたのでバイクは快調に走った。
海岸にでると湾岸線が出来ており、丸川に架橋が架かっている。丸川は木曽川の洪水分流の役目を持っており、その役目のため丸川には橋が無い。秀樹の目の前にある橋には高速道路本線と一般道が側道として架かっていた。秀樹が初めて設計した丸川大橋が現実となり目の前に建っていた。秀樹は側道橋を渡り、【木曽川市】という町へ行く。街路標識は【木曽川市】となっている。記憶の《進地市》が無くなっていた。
秀樹は中部高速道路公社人事部へ日本帰還を報告する。配転先は【以前の職場】であった。自宅へ帰ると管理人が夕食を一緒に食べようと誘ってきた。管理人は上野流の使い手である。上野流とは木曽川に伝わる古武道である。
秀樹は小学1年になったときイジメにあった。泣いて自宅へ帰ると管理人が棒術の練習をしていたのを飽きずに見ていた。管理人は秀樹が見ているに気がつかなかったが、秀樹が見ているに気づくと「ほほうっ」と呟き秀樹に「これをやるかい」と聞くと秀樹は頷いた。上野流道場での道場生の数は決まっている。道場を巣立った卒業生は一人だけ弟子を育てることが出来る。これを一子相伝としている。管理人は上野流一子相伝を秀樹に行い、管理人は秀樹の師匠となる。大河内秀樹は食事を終えると自室に戻り今日の出来事の変化を考えた。秀樹は現状を受け入れることにしそして深い眠りについた。
4月2日火曜日朝、秀樹は起き会社へ出勤した。「職場」へ行くと大崎誠が居た。前の世界では彼と同じ名護屋大学建築科で学ぶ。同級生ではあったが親交は無かった。大崎は進地市建設局に就職し、湾岸建設委員会のメンバーであった。第一ルート案は進地市埋立地を通過するだけの仕様であったため委員会では非協力であった。しかし、係長は独断で埋め立て完了地を通過する第一ルート案に決定した。その第一ルートの詳細設計を組むよう秀樹は指示され、設計会社と打ち合わせをし詳細設計書を作成し完成した。湾岸線設計委員会を設立に関する担当者を派遣の依頼をするため関連部門を奔走した。
大河内秀樹が第一ルートでの委員会を進行している時、係長は秀樹を裏切るように第二ルート新規埋立地通過案で委員会を設立し秀樹とは別行動をとった。そして、秀樹が作成した設計書を改ざんして秀樹を妨害した。中学1年生の数学の担任は数学者であった。担任は「1」の成形はまず一番上の跳ねを「髭飾り」と云い、一番下の短い横棒を「下駄」と教えた。秀樹は数学が好きになり将来は数学者になろうと思った。以来、秀樹は「1」を書くときは縦一本棒ではなく髭飾りと下駄をつけるようになった。係長は秀樹が書く「1」を見て全部縦一本棒の「1」に変えて設計書を提出するよう言ってきた。秀樹は仕方なく設計書を書き換えた。係長は秀樹の設計書にわかりにくい箇所の「1」の数字に「∠」線を加えてを「4「とし、「ー」線を加え「7」に改ざんした。当然、内容は出鱈目となる。秀樹が開いた委員会出席者は秀樹の出鱈目の設計書に怒り呆れ解散した。
結局、湾岸線は係長の第二ルート案に決定され、竣工にかけて入札の準備が始まった。香港公路公司が設立され中部高速道路公社へ技術員の招聘の依頼があった。係長は秀樹を推薦し追い出す格好で決定した。香港へいくことに決まり5年間香港公路公司で働いた。香港では周技官のもと余技で中国拳法を習う。その時、日本から来ていた橘亮と仲良くなる。橘亮は映画「スパイナー04」の主演者に抜擢される。そして、秀樹は日本へ帰って来る。その第二ルートの計画は無かった。あの「1」を改ざんした係長も居なかった。
大崎誠の中学時代、悪童共に囲まれていた。ヒデキは一喝「お前ら俺の親友に何をしている」と言うと悪童共の中へ割り込むと大崎誠をその輪の中から連れ出し、「大崎に限らず他の生徒にこんなことをしたらお前らを俺が只では置かんぞ」と悪童共に言い放ち大崎誠を悪童共から救い出した。以来、大崎誠は秀樹の親友となった。そして、秀樹が持ってきた湾岸線の計画を全面的に協力した次第である。木曽川市は木曽川・揖斐川・長良川の中州である度山洲、進地洲と千形崎からなる。秀樹の元の世界では千形崎とは千形区千形崎である。千形先には大崎誠、秀樹が居住する。大崎誠は木曽川市進地分所建設部へ就職し秀樹が計画した中部高速道路湾岸線の建設に3年間協力するも事業中半に秀樹が「2年間」香港公路公司へ出向する。その秀樹は香港から帰国寸前タクシーに乗っているときガス爆発の事故で他界する。「香港国際航空HV22便」乗るべき秀樹が他界しに空中分解した「香港航空HU22便」に乗っていた秀樹が「香港国際航空HV22便」に移ってきた。
その大崎誠が秀樹を見ると、「いよっ、親友のお帰りだ。2年間お疲れ様あ」「秀樹が持ってきた湾岸線第二工区の設計図を見たとき、心が響いたよ。絶対おまえと一緒に仕事したい。そう思ってすぐ出向願いを出したよ。市長に直談判だよ。設計図を見た市長は木曽川市を通過する湾岸線は市道にすると意気を巻いて市議会の非常呼集だよ。市議会で満場一致で決定、それで追加予算を組んで中部高速道路公社の株増資だよ。丸川渡河橋が完成して木曽川郡千形崎町と木曽川市が順調に合併出来たと云うわけさ。さすが、秀樹は千形崎住民だ。木曽川市名誉市民に認定だよ。はっはっは。」
秀樹の当初の設計図には丸川高架橋に一般道側道は付随し反映していた。設計図を見た係長は側道は必要無いと決定し設計図を書き直し進地市に持っていったのだ。結果、湾岸線は進地市を通過するだけとなったのだが。秀樹は過去の一連の出来事を思いだした。
さらに大崎は言った。「その4年間の秀樹と一緒の仕事は楽しかったな~。香港公路公司から優秀な若い技術者を送って欲しいと要請があって秀樹に白羽の矢が立ったから仕方がないけど。はっはっは。いや、ほんとに2年間お疲れさま。」(2年間ではない5年間香港に行ったのだがと秀樹は心で思った)
話をしているうちに不思議なもので大崎誠と親交が深まっていった。その晩、秀樹が以前より通っていたスナック喫茶「咲」へ大崎と伴って行った。スナック喫茶「咲」は秀樹が働いている中部高速道路公社の近くに在る商店街の外れにあり店主の馬場佐江子には3才になる女の子が居り、木曽川自工に勤めていた夫である馬場が他界した。馬場の幼なじみでもあった商店街会長の進めで佐江子は自宅を改装しスナック喫茶「咲」を開店した。娘の名前「咲」から店の屋号を「咲」とした。当初こんなところに店を開いて儲かるのかと馬場佐江子は思ったが、店舗にかかる費用・家賃が無くメニューの値段を安価に設定したため客足があり売り上げがあった。
名護屋府で予告連続殺人事件があった。事件はものさしで書いたような直線的な文字で新聞社へ犯行声明が送られてきたことから始まった。そして、予告された場所に死体が放置されていた。それは予告された時間より早い時間に放置されたものだった。
最初は3歳の女児だった。
2番目は5歳の幼稚園女児。
3番目は小学1年生の女児。
猟奇連続殺人事件であり、放置場所は名護屋府の各地だった。4番目の声明文は直接警察に届けられた。声明文の内容は身勝手な言い訳に終始していた。犯人は声明文に偽名を使っていたが、犯人の名は吉田務と言った。捕まった場所は木曽川市三音町の長期入院していた住人の留守アパートに潜伏していた。声明文は吉田務が犯行に及んだ現場近くのポストから投函していた。4番目の声明文には三音町の消印があった。
警察は三音町近くの住宅にローラー作戦を実施し、長期留守宅に不審者がいることを突き止め吉田務を見張っていた。吉田務が4回目の犯行に及ぼうとしたとき現行犯逮捕した。4人めの被害者は小学2年生の女児だった。テレビ新聞などの報道は大きく吉田務をあつかった。三音町はたまたま吉田務が潜伏していた場所であったためか全国に名が知れた。芳田家の家祖芳田香三郎が三音町に住んだ。以後、三音町には芳田家の子孫が多く居住していたが、明示時代に時の政府からの理不尽な命令で「芳田」から「吉田」へ変更させられた。
吉田公一という人物が明示に変更させられた「吉田」姓を「芳田」に戻そうと親族のあいだを回っていた。多くの親族は改名変更の不必要性とで吉田公一に非協力だった。連続殺人事件の犯人が吉田務と連日テレビや新聞で報道された。同じ吉田姓ではあるが吉田務は偶然三音町に潜伏していただけである。三音町の吉田一族は吉田務からの被害をうけた形となった。報道関係者が吉田務の行動についてどんな責任をとるのだと連日三音町に住む吉田一族を責め立てた。誤った報道に、三音町と近辺にすむ吉田一族は芳田姓に改名した結果となった。
新聞のニュースで幼女を誘拐し殺害するという猟奇事件が報道されていたが、佐江子は気にも留めなかった。自分の娘が誘拐されるまでは。店の仕出しの買い物から帰宅すると何時も飛んでくる咲が来なかった。佐江子に一瞬いやな予感が全身に走った。娘は一人で家の外へでることが無く外出は佐江子と一緒である。佐江子は商店街会長の家へ行き手分けして商店街中を咲を捜したが見つからなかった。そして警察に捜索願を出した。数日後猟奇事件の犯人吉田努が捕まった。
吉田努が居たアパートから咲の死体が見つかった。佐江子は娘が亡くなった悲しみから逃れるかのように店で快活に振る舞った。それが秀樹がよく通った店「咲」である。
大崎誠から「よく行く店へ行こう」と誘われ「咲」へ行くこととなり、店は佐江子と若い娘がカウンター内で接客していた。秀樹が一人で「咲」へ来ていた時は佐江子一人が接客していた。
こちらではヒデキと大崎誠が常に一緒に「咲」へ通っていたことになっていた。話題が進み猟奇事件の話になり佐江子が「そうなのよ。咲が居なくなり警察からお宅のお嬢さんを預かっていますよって連絡があってびっくり。話を聞いてゾッとしたわよ。警察が吉田努の家に踏み込んだとき咲が殺される寸前だったって」佐江子は身を振るわせてしゃべった。
咲は名護屋大学建築科4年生で卒業したら中部高速道路公社へ就職が決まっていると大崎誠が言った。元の世界では咲は殺害されたがこちらでは生きていた。秀樹と大崎との記憶がちぐはぐなまま飲んで語り明かし分かれた。秀樹は帰宅し着替えるとそのまま寝てしまった。
第一章第三節.英語授業
4月2日火曜日、木曽川学園高等部の担任教師はホームルームを始めた。ホームルームが終わり1時限目の英語が始まる。教科教師はニュージランド出身のオードリー女史である。オードリー女史は英国テームズ大学から交換留学生として、木曽川学院大学へ来た。留学期間は1年間であったが、本人の希望で木曽川学院大学へ編入し、卒業した。大学卒業後は木曽川学院高等部中等部の英語教師として働いている。女史は平素キング・オブ・イングリッシュを話すと自慢している。
オードリー女史は生徒に海外渡航の回数を聞いた。一回の回数ではほとんどの生徒が手を挙げ二回、三回と進むうちに減っていく。五回を過ぎると一人となった。木曽川学院中等部から上がってきた生徒で金森葉子という。父親は金森建設の社長で木曽川市会議員から名護屋府会議員になっている。オードリー女史が受け持った生徒の海外渡航数を聞くのは一年生の初回授業の時に行う習慣である。
オードリー女史は生徒各自に英語で自己紹介をするよう授業を進める。オードリー女史の英語はわずかにニュージランド・ニューオークデンの訛りがある。ニューオークデンは北島と南島の間にある島でオークデン島から来た移住者が始まりである。オークデン島はフランス国の海岸ナンダル諸島の一部に含まれているが英国領である。ナンダル諸島住民はフランス語が公用語であるが、オークデン島の公用語は英語ある。その言葉はフランス語の発音の影響が多大でスペルは英語であるが発音はフランス語のように聞こえる。
オークデン島の住民が移住して来た島がニューオークデン島である。湊洋子はオードリー女史のニューオークデン訛りを聴き逃さなかった。懐かしかった。幼なじみのマーガレット・ラングレーを思い出しニューオークデン発音の英語で自己紹介した。
それを聴いたオードリー女史は驚いた。オードリー女史はつられてニューオークデン発音で洋子に何故ニューオークデン発音を喋れるのか聞いた。洋子の幼なじみマーガレット・ラングレーの両親がニューオークデン生まれで家庭内ではニューオークデン訛りで会話していた。ラングレー氏は恵那商に勤務していた。
恵那商がオーシトランドリアへ自社の専用牧場の契約と支社を開設するのに伴って、洋子の父親湊武司とラングレー氏も転勤となり、洋子が小学3年生の時だった。オーシトランドリアでは日本人学校に通い、長期休暇はラングレー家の実家へ泊まっていた。洋子の英語はニューオークデン訛りである。洋子は海外経験を一回で手を挙げた。小学校3年の時、日本を出国し中学二年で帰国したので確かに海外渡航回数は一回である。
それが葉子のプライドを折ってしまった。葉子は中等部では女王であったが高等部でも女王で居たかった。
木曽川学院高等部・中等部の入学式が終了し大河内曜子は教室へ行った。曜子は国際科へ、双子の妹の幸は普通科へ入学した。曜子が教室で同級生となる面々を観察すると2種類の人間がいた。湊洋子と金森葉子である。湊洋子はきらきらと輝き、金森葉子は陰鬱な暗い存在である。初日は自己紹介のみで何事も無かった。
登校二日目の最初の授業は英語で始まる。英語担任はオードリー女史である。湊洋子とオードリー女史との会話に金森葉子が湊洋子を睨みつけていた。「だめだよ。湊さん目立ちすぎだよ」と陽子は思った。そして、曜子が危惧した展開となり金森葉子が自分の取り巻きを使って湊洋子をイジメのターゲットにしたのだ。
曜子は上野流の使い手である。父親が上野流の門下生で有り、曜子は父親から手ほどきを受けた。見かけはハッとするほど美少女である。しかし、曜子と対面した者は曜子の顔立ちを思い出せなかった。切れ長の目、薄い唇、鼻筋高く、頬の張りが無く、黒目勝ち、いずれも記憶に残らない人相である。体格も中肉中背と特徴が無い。上野流の使い手として調査・探索に打ってつけとなる。幼少のころから厳しい修行を積んできた。上野流は目立たないことを信条とする。ゆえに湊洋子の件には関わらないことが流儀にかなう。大河内曜子は湊洋子に関わりあった。洋子のことを見捨てられない気持ちが勝つ。洋子の母親恭美と曜子の父親卓は従姉弟同士で二人は血がつながっているためか。
大河内曜子の母親は恵という。曜子を妊娠したとき経過は順調であった。担当医者の薮田は子供の心音を聞くと2人分であり、双子ということが解る。検診でシャム双生児の疑いを持つ。薮田はこのことを恵に伝えなかった。
薮田医者はこの恵の妊娠について研究を学会に発表するつもりで医師団を結成していた。恵のシャム双生児の離間手術を実施し研究レポートを作成するためである。恵の分娩が始まり薮田医者は医師団に集合をかける。恵から新生児が生まれる。女児である。平均的乳児より小さかった。薮田医師が恵と新生児の体重は計測し合計すると生まれた新生児と同数の計量が足りなかった。恵の腹から新生児1人分の重さが消えたことになる。
薮田医師は当惑した。しかし、このことを恵には告げなかった。新生児は大河内曜子と名付けられた。曜子の妹か弟は時空に翻弄されることとなる。恵は産後間もなく急性血液病にかかり他界した。
大河内卓は悲しむ間もなく育児に追われる日々が続く。曜子が産まれた時母親が健在で解らなかったが、曜子は母乳以外は受け付けない体質である。曜子が入院しているときは、看護士長が患者から母乳を分けてもらい曜子に授乳していた。
大河内卓が曜子を産院へ引き取りに行くと、看護士長が「お宅のお嬢さんは母乳以外受け付けない体質です、これは今日と明日の分です、それからこれが退院した母乳を分けてくれる人たちです。」看護士長はほ乳瓶と名簿を卓に渡した。
翌日、比較的近くの名簿の家を訪ねた。とりあえず母乳を分けてくれたが、近所のことも有るのでもう来ないでほしいと言われる。名簿の最後の人物の家は自転車で四十五分かかった。そこを訪ねると今回は分けるが次回は来ないでほしい言われる。名簿の人からすべてから断られ卓は当惑した。仕方なく市販のミルクを曜子に与えたが娘は下痢を起こした。
与える母乳が手に入らないため病院の看護士長に相談するが、その名簿の人たちは譲ってもらうよう頼んであるのでもう一回行けばよいと言うのみである。
病院からの帰り道、衰弱した曜子を抱きトボトボと歩いていた。武術の達人もこうなると正に手も足も出ない状態となる。そして、歩いていると「卓君じゃない?」と呼び止める赤子を背負った女性がいた。従姉弟の恭美である。「赤ちゃんどうしたの、ぐったりして。卓は今までのいきさつを恭美に話した。
「あら、あら、あら」と恭美は言うと卓から曜子を取り上げた。胸をはだけると曜子に乳を含ませた。曜子は乳をふくむとコックンコックンと元気よく飲みお腹がくちくなったのかスヤスヤと寝入った。「うちの子、離乳食を食べさせているけど乳が張って困っているのよ。ちょうど良かったわ。あなたの赤ちゃん離乳食までうちで預かるわ」
卓は恭美の言葉に胸が詰まった。大河内卓は朝起きると曜子へ恭美からもらった母乳を飲ませ恭美宅へ行き曜子を預けると出勤する。夜仕事が終了すると恭美宅へ曜子を引き取りに行く日が続いた。曜子が離乳食の補食時期になると恭美は母乳が出なくなり、卓の母親が卓の家へ曜子の面倒を見るために来た。
4月3日水曜日、秀樹は二日酔いのまま起きた。昨日は大崎誠と飲み明かした。秀樹は新聞を読む暇もなく出勤し新聞はテーブルの上に置いたままマンションを出る。新聞に小さくタクシーの落雷事故が書いてあった。タクシーの運転手は軽傷ではあるが助かったとある。名護屋国際空港から乗客を乗せたと書いてあり死亡者は身元不明の壮年夫婦としてあった。新聞には書いてはなかったが壮年夫婦の行き先は聞いたことも無い住所であったとタクシーの運転手は語っていた。
タクシーの運転手は客に言われるままにその場所に行きそこは空き地であった。タクシーが止まり壮年夫婦は降車し何か叫んでいた。「ここはどこだ。」そのとき落雷が有ったのか突然周りが光りタクシーが炎上した。夫婦の身元を示す住所が「度山市真田」の記載であった。そこは木曽川市度山真田である。持ち物にかなり精巧な玩具のお金を持っていた。肖像画が聖徳太子ではなく福沢諭吉であると。
秀樹は違う世界での管理人夫妻、養子のイクオ・ヨシヲとの生活が再開した。前の世界との違いは若干あるが慣れるしか無いと思うと秀樹は眠りにつき夢を見た。
淡い白い牡丹雪が目の前一面を覆いその雪の中に少女が居た。少女が何かを探すように手を探る仕草で何か言った。
「た・す・け・て」
口の動きからそう聞こえた。秀樹は聞こえたように思った。
4月3日水曜日、二日目から葉子の洋子への確執が始まった。三時限目、洋子が自分の机へ向かうとフタ付きの缶が机の上に置いてある。何気に缶を開けると中から虫やら何やら出てきた。洋子はその類のものが虫酸が走るほど苦手であった。洋子は悲鳴を上げると缶を投げだし教室を出る。そばにいた生徒も投げ出したそれを見ると同じく悲鳴を上げて教室を出ていった。洋子が廊下で震えていると「三時限目は体操に変更になったから皆は体育館に行ってるよ」と伝言を伝えに来た生徒がいた。葉子の取り巻き江口里子である。落ち着いた洋子は体操服に着替えて体育館に行くと体育館には誰も居なかった。だまされた思った。
もしかして自分に対してイジメが始まったのかと感じた。洋子はいままでそのようなイジメに遭ったことが無く洋子は情けなくなりそこで泣き出し体育館にそのままいた。三時限目が終了したころ大河内曜子が洋子を探しに来た。大河内曜子は上野流の門人である。湊洋子が投げ出した缶から散らばった虫を片づけたのは大河内曜子である。
洋子はその日の授業を何とか受け帰宅した。夜、なかなか寝付けなかった。学校での出来事を思い出し、何故自分がそんな目に遭うのか判らなかった。やがて寝付くと夢を見た。一面雪が降っていた。牡丹雪が視界一面の降りそそいでいた。
雪を掴もうと手を出すと消えた。その先に男がいた。思わずとつぶやいた。つぶやいたが声が出ず口だけが動いた。
「た・す・け・て」
男はただ立っているだけこちらへは来なかった。あたりは一面雪が積もり真っ白な光景が続いていた。
第一章第四節、逢瀬
4月4日木曜日、秀樹は出勤するためにバイクのエンジンを駆けた。ヨシヲ・イクオが組み立てたカスタムバイクである。軽快なエンジン音を響かせバイクを操った。信号でバイクを止めると秀樹より年上と思われる女性が横断歩道を渡って行った。思わず行方不明になった姉を思い出した。姉は両親の葬儀中に忽然と消えた。両親は親戚の法要に出かけたとき、乗っていたタクシーが無免許運転のダンプカーとの衝突事故で丸川に落下し他界した。父親を大河内貴之、母親を重子と言った。祖父、祖母は父貴之の母大河内宮子だけである。両親の葬儀は宮子が喪主になった。
祖母宮子は【千形区千形崎】に住んでいる。葬儀は名護屋市厚田区の祭儀場で行った。姉奈津子小学1年、秀樹5才の時である・葬儀場は木曽川支流丸川沿いにあった。葬儀が始まるまでの待機中に姉が丸川を見に行った。その後帰らなかった。そして、秀樹は祖母宮子に引き取られ育った。祖母宮子は【千形区千形崎】で木工所を経営していた。祖父は木曽川林業で働いていた。作業中に倒木の下敷きとなり死亡した。祖父が生存中、友人が木材業を営んでいた。その友人が祖父からかなりの借金をしていたが経営不振で倒産した。その担保として木材置き場を譲ってもらった。当時は辺鄙なところで値打ちもない土地であった。 祖父が事故で死んでから祖母宮子はこの土地に木工所を造った。時も経ち辺鄙なところも交通の便もよくなっていた。開発が進み、宮子の木工所も開発のもと売却した。
売却金で自宅であったところにマンションを建てた。3階建て総戸数15戸3LDKの小さなマンションである。秀樹を育てるには十二分な収益があった。15戸のうち2戸を管理人室と自宅にし、管理人は木工所の従業員であった旧知の安達夫婦に頼んだ。
4月4日木曜日、洋子は目覚めたが憂鬱であった。学校に行きたくなかった。母親が起こしに来た。「大河内さんがきているわよ」。曜子はこの時母親恭美には姓の大河内しか伝えていない。木曽川には大河内、芳田の姓は多く血縁の濃さを問わずいずれも湊の親戚関係にある。
着替えて階下に降りると大河内曜子が来ていた。一緒に学校に行こうと誘ってきた。母親は大河内曜子に弁当を持っているか聞いた。大河内曜子は無いと答えると大河内曜子の分も作って持たせた。学校に着くと洋子の机の上に缶が置いてあった。大河内曜子はすかさず缶を取ると自分の鞄の中に入れた。
授業が始まり昼休みになった。洋子と大河内曜子は洋子の母親が作った弁当を食べた。昼食を終え、洋子はトイレに行った。トイレに入ると外から閉じこめられた。ガチャガチャと音がすると上から水が降ってきた。洋子はビショビショに濡れた。大声を出して叫んだが、事態は変わらなかった。
大河内曜子は江口里子に先生が呼んでいると告げられ職員室へ行った。江口里子は中等部からの進学組である。訪ねるとどの教師も大河内曜子を呼んでいないと答えた。大河内曜子はしまったと思った。湊洋子と自分を切り離すための偽伝言であった。大河内曜子は湊洋子を探した。
トイレが水浸しになっていた。大河内曜子は舌打ちをするとカンヌキをかけられているトイレのドアをクナイで壊すと湊洋子を助け出した。大河内曜子は体操服を持って来て湊洋子を着替えさせた。単純な嘘にだまされたことに臍をかんだ。
大河内曜子は湊洋子を保健室へ連れて行き「体調が悪くなったから」と保険婦に言いベッドに寝かせた。学校が終わり洋子をつれて帰宅した。母親は洋子を見て学校生活を心配したが、大河内曜子は「大丈夫です。私が守ります」と伝えて帰った。洋子は心底疲れていた。 夜になり洋子はベッドに横たわるとそのまま深い眠りに就いた。
夢を見た。
雪が降っていた。洋子は黙って立っていた。雪は際限なく降っている。そのまま時間は過ぎていった。
4月5日金曜日、学園生活三日目の朝が来た。洋子と一緒に通学した大河内曜子は洋子から離れないよう気を配った。体育の授業が始まった。大河内曜子は洋子から離れず守った。体育の授業が終了し生徒達は制服に着替えた。洋子の制服の様子がおかしかった。赤や青、黄色の絵の具が多量に塗ってあった。さすがの大河内曜子もそれには為すすべが無かった。
副担任の岩田が来て洋子の制服の状態を見て過去あったことを思い出した。岩田は木曽川学院大学英文科に在籍していた時教師免状を取得するために、木曽川学院高等部・中等部へ教育実習生として来た。中等部3年は2クラスあった。そのうち1クラスで教生担任として教壇に立った。クラスに偶然「ようこ」と読む生徒が2人いた。
金森葉子と芳田陽子である。朝のホームルームでつい言ってしまった失敗があった。このクラスには「ようこ」さんが二人いるんですね。一瞬クラスがどよめいた。金森の名前は「ようこ」とは読まず「はこ」と読む。
金森は名前で呼ばれるのを極端に嫌がった。「かなもり」さんと名字で呼ばなければならない。それから、芳田陽子への凄まじいイジメが始まった。洋子が受けたイジメと同じである。担任が生徒へ聞き取りをしても犯人は判らなかった。芳田陽子は2学期が終わり3学期が始まると登校しなくなった。噂では芳田陽子の父親の経営する鉄工所が倒産したからだと。その、倒産の原因は金森建設からの高額受注の未払いによるとの噂だった。芳田陽子は学校へ来ないまま卒業した。そのことを岩田は思い出した。思い出したが打つ手が無かった。
金森葉子は始業式の日、自己紹介があり海外へ一番多く行ったことがあるのは自分だったので大いに面目をはたした。
初日の一時限目は得意の英語だった。スピーチは自分が一番上手いはずだった。湊洋子という生徒は親がオーシトランドリアへ転勤となり一緒に行ったという。流暢な英語をしゃべり自分に恥をかかせた。葉子はそう思った。
中学時代に芳田陽子が自分に恥をかかせたからその報いを芳田陽子に与えた。今回も湊洋子にその制裁を与えるため中等部から一緒に来た江口里子、田中由香の2名を使った。江口の弟に虫の缶詰を用意させ湊洋子の机に置いた。田中に嘘の伝言を言わせ、体育館に一人置き去りにした。湊洋子をトイレに閉じこめ水責めにした。これからも湊洋子が学校を辞めるまで制裁を与えるのだ。葉子はそう決心した。
湊洋子は体操服のまま大河内曜子に伴われて帰宅した。しかし、学校でのことは母親には告げなかった。憔悴のまま洋子は何もせず寝た。
洋子は夢をみている。
雪が降っている。
雪にさわると手の中で消えた。
その手を握った者がいる。
若い男だ。
最初の夢に見た男と感じた。
男は握った洋子の手を自分の腰へまわし洋子を抱きしめた。
秀樹は夢を見ている。
雪が一面降っている。
少女がいた。
少女が手を差し出してくる。
その手を取ると自分の腰へまわした。
洋子はなされるがままに男の腰に手を回した。
秀樹は少女の口へ自分の口を重ねた。
洋子は男が口を重ねてきたのを受け入れた。
二人は抱き合った。
洋子は破瓜の痛みを感じた。
秀樹と洋子にその瞬間めくるめく快感が全身に走った。
その快感の中で男と抱擁した。
快感の中に男の記憶が洋子の脳裏に焼き付いた。
秀樹の記憶が洋子の中で再現された。
父親が母親が祖母が死んだ。
姉が居なくなった。
香港の一室でドイツとフランスの若者と数学の論争を繰り返した。
中国憲法を習った。
上野流の厳しい修行に耐えた。
秀樹の経験が洋子の記憶に重なった。
4月6日土曜日、洋子は目が覚めた。父親、母親、祖母を亡くし姉が居なくなった。秀樹の経験が記憶が洋子の記憶に重なった。秀樹が時を置いて耐えた苦しい悲しい記憶が大量に一度に洋子の脳裏に押し寄せ焼き付いた。洋子は耐えられないほど悲しかった。その耐えられぬ悲しみに涙が止まらなかった。果てしない悲しみに狂おしく身悶えた。
その悲しみに涙が止まらなかった。
16才の少女には耐えられない衝撃だった。
そのまま暗黒の世界へ引き込まれそうだった。
しかし、耐えた。
そして、涙を拭くと起きた。
今日は土曜日である。学校は昼迄である。洋子は階下へ降りると母親が朝食の用意をしていた。
母親の後ろ姿を見つめた。
洋子は母親を後ろから腰に手を回し自分の頭を母親の背中に押しつけた。
母が、父が、今ここに居る。
その有り難さを感じた。
母親は振り返ると洋子を抱きしめた。
その時、大河内曜子が洋子を迎えに来た。洋子は大河内曜子に礼を言うと一緒に学校へ出かけた。学校に着くと机の上に缶が乗っていた。大河内曜子が缶を除こうとする前に洋子が自分の鞄の中に仕舞い込んだ。洋子の変化に大河内曜子は気づいたが、そのまま自分の席に着いた。
今日の最終時限は英語である。オードリー女史は授業の途中にドイツ国語で質問してきた。国際科であれば英語以外の言語も必要との思いであろう。当然、返事が無いものと授業を進めた。その時 洋子が手を上げ、質問に答えた。オードリー女史は驚いた。フランス語でオードリー女史は続けて洋子に質問した。洋子はドイツ語と同様に流暢なフランス語で答えた。オードリー女史の夫はドイツ人である。夫にドイツ語とフランス語を教えてもらった。洋子はオードリー女子の夫と遜色ない流暢さのドイツ語フランス語で答えたのだ。
第一章第五節、中興の祖
江戸時代中期に木曽川藩=恵那屋に危機が迫ったことがあった。それを回避した人物達がいる。洋姫と芳田完である。木曽川中興の人と湊家では伝承されている。
完の母親は江戸恵那屋大河内早衛門の妹である。真田多ノ郷の芳田家へ嫁いだ。完が生まれたとき母親は産後の成り行きが悪く他界した。完は芳田家の跡取りとして育ったが完が成人する前に父親は心不全で他界した。父親の弟が完の後見人として完を育てたが祖父祖母が他界すると叔父は芳田家の家長になり完は家を盗られてしまった。
完は叔父にこき使われる身となった。それを見かねた江戸恵那屋の叔父が完を引き取り完は恵那屋で育った。多ノ郷の芳田家から完の父親の形見があるから引き取りに来るよう連絡があり完は多ノ郷へ出かけた。完は父親の形見を受け取り江戸へ帰った。
宿場へ着く前に日が暮れ途中民家へ宿を求めた。その晩に地震が起きたが家は潰れなかった。朝起きて家を見渡すと廃屋の如く荒れ家人を探したが居なかった。外へ出て家を見ると地震で荒れたのでは無く長い時間の末に廃屋となった家があった。完は叔父の元へ引き返した。叔父の家は無くそこは柿ノ木畑であった。柿ノ木畑にいた農人に芳田家のことを聞くと江戸から来た嫁が死産し産後の具合が悪く他界した。その後芳田家は没落したと農人は告げた。完は一晩のことでの環境の激変に気が狂いそうになった。廃屋へ戻り完は考えた。昔から言い伝えで「神隠し」の話がある。
完は思った。自分は「神隠し」にあったというのか。完は自分に言い聞かせ納得した。完は江戸へ戻り恵那屋の店内へ入り挨拶をすると客扱いされた。やはり店の者は誰一人完を見届けなかった。店の奥に叔父を認めた。完は叔父に声をかけたが無視された。芳田家はここにも無かった。ここには自分は居ない存在なのかと完は思った。
完は恵那屋の通行手形を持っていた。江戸へ来るまで見咎められることは無かった。通行手形は本物であるようだ。完は全国を旅することにした。そして全国を巡った。数年経ち恵那屋の通行手形の期限が切れるころ完は恵那屋の近くに家を借りた。口入屋へ行き恵那屋が番頭を募集しているか確認した。完は恵那屋への紹介文を持ち店へ行った。早衛門は完が全国を巡り各地の事情に詳しく商才も在りそうなので雇った。完は恵那屋の通いの番頭と成った。
完は夢の中で若い女性と会い睦会った。口を吸い右手で胸部をさわり仰け反る体に左手で背支え女性の両手は完にまつわりつき激しく重なり合い二人は果てた。その瞬間、二人の間に電撃が走った。完の経験・記憶がそのまま若い女性に投影された。完は女性が木曽川藩洋姫であることが判った。洋姫は完が恵那屋の番頭をしており早衛門の甥であることを知った。
火消しトビの伝次は優男である。金物屋の跡継ぎであったが生来の博打好きである。賭場に入り浸り店の売り上げ金を盗みだしては博打に明け暮れていた。親が生きているときはどうにか成ったが親が居なくなり、そんな生活でやがて店も人手に渡った。賭場で知り合った火消しトビと仲良くなり火消し組に入った。火事が起き火事現場へは行くが元来腰抜けであり火事現場では全く役に立たず親方から火消し組を放追された。
それでも酒を飲むことは出きるようで酒処で自分の人生を呪い管を巻いているとき伝次に声をかける者がいた。江戸恵那屋の臨時雇いの杉本というものである。杉本は口入屋よりの紹介で恵那屋にきていた。杉本は久佐藩の勘定方をしていたが使い込みが露見し放追された。江戸に出て来て口入屋へ仕事の斡旋を頼み恵那屋へ来た。
早衛門は杉本を臨時雇いとした。杉本は働くうちに恵那屋と木曽川藩の関係を知った。木曽川藩主は湊義忠が継いでいた。義忠の父親正忠が漆林を下見を行ったとき野草で擦り傷を負い、その傷から破傷風にかかり四十才で他界した。長男の義忠が後を継いだが、義忠は暗愚では無かったが施政者には向いていなかった。杉本は恵那屋の蔵で正忠の書き付けを見つけた。それは正忠の伝達文であった。中には「この者がこの書状と共に我が物を届けしは然るべき処置を講ぜよ 正忠」と書かれており、後一枚にはひらがなで訳の判らない内容が羅列してあった。この書こそが正忠からの伝言で「いろは置文字」で書かれてあった。「いろは置文字」とは「いろは」47文字を一列に並べ二列目に並んだ47文字を随意ずらし置き換える。例えば1字ずらしは「い」が「ろ」、「ろ」がは」、「は」が「に」となる暗号文である。そして、文書始めの2文字「この」はいろは置文字のカギとなる部分で「こ」を「の」に左に7文字入れ替えて文章を読めという合図になる。
杉本がこのことに気が付くはずも無かった。杉本が恵那屋に来た当初正忠が小柄をなくしたことを聞いていた。杉本が蔵を整理するとき偶然葵の紋入りの小柄を見つけ、確かめると正忠なくした小柄と一致した。これを杉本は隠し持っていた。杉本は正忠の書き付けと小柄を合わせ良からぬことを画策出きると考えた。正忠が他界し木曽川の後継者が暗愚であることを知っており、杉本は今が書き付けと小柄を利用するときであると踏んだ
そしてその役柄に合う人物を捜し伝次に声をかけた。伝次は杉本の計画に千才一隅の好機と捕らえ杉本の計画に乗った。伝次を古手屋(古着屋)に連れて行き羽織袴を求め着せ髷を整えると良家の子弟に見えた。
杉本がでっち上げた話の流れはこうである。正忠とさる商家の娘との間に伝次が生まれその商家で育つも母となる娘が死去した。そのとき伝次は母から正忠との関係を聞いた。母が死去し店では伝次は疎まれるも父となる正忠に会いたくなった。という筋書きである。さらに杉本は伝次に御店で育ったように教え込んだ。伝次は以外に物覚えが良く如何にも御店で育ったような上品な立ち振る舞いをするようになった。
杉本は恵那屋を辞し伝次を連れて木曽川藩へ行った。そして、木曽川進地陣屋へ訪れ伝次を正忠の御落胤であると紹介し、証拠は正忠の書き付けと小柄であると差し出した。木曽川藩でそれらを丹念に調べたが、書き付けは正忠が書いた書に間違いなく、小柄は正忠が持っていたものに相違なかった。
御落胤であれば木曽川藩として伝次を疎かに扱うことが出来なく領内に屋敷を用意した。そして、伝次は義忠に目通りした。伝次は義忠に「自分は木曽川に住む意志は無く母の里に恵那屋の分店を開店してほしい」と要求した。義忠は伝次が木曽川から出て行くという意志に安心したのか伝次の要求を承諾した。
杉本の悪辣さが出た要求である。恵那屋は長崎、難波、名護屋、江戸に四店舗ありそれぞれが各地方の取引を扱い商っている。江戸店は関東以東を扱っていた。伝次の言う分店は東北地方の商いが中心となる。
江戸店が扱う商いの半分が伝次の分店に移ることになる。それは恵那屋の総商い額二割以上が伝次のもとへ渡ることになる。藩主=恵那屋会頭から分店の命が出れば江戸店はそれに従わなければならない。義忠はそれが判っていなかった。杉本と伝次はしてやったりとほくそ笑んだ。
これは木曽川藩=恵那屋の一大危機である。杉本と伝次の二人は木曽川藩から与えられた屋敷で祝杯を上げ酒を飲み明かした。酔いから覚めると二人は縛られ牢に入れられていた。牢から出されるとそのまま打ち首になった。二人は事の次第が判らず果てた。これを見破ったのは洋姫である。杉本が持ってきた書き付け・小柄は伝次の生い立ちと一致する。しかし、書き付けの書き出しの「これにこの書状と共に我が物を届けしは然るべき処置を講ぜよ 正忠」。「これに」の部分は文章として余計である。「これに」には隠された意味がある。「これに」は「いろは置文字」で「こ」を「れ」に並べて置き換えていると言う符号である。「いろは置文字」はシーザー暗号になる。シーザー暗号は単一換字式暗号の一種であり、本文の各文字をアルファベット順で3文字分シフトして暗号文とする暗号である。古代ローマの皇帝ジュリアス・シーザーが使用したことから、この名称がついた。文字のシフト数は3に限る必要はない。たとえば左に3文字分シフトさせる場合、「D」は「A」に置き換わり、同様に「E」は「B」に置換される。きわめて単純な暗号であるが、現代の暗号においても重要な、規則および鍵という2つの要素が含まれている。『♯1』
正忠の書状の写しは木曽川藩の書庫にあった。それを見つけ解読した。杉本と伝次を成敗したが、木曽川藩としてその経緯・結果は記録からは抹殺された。
義忠は姉洋姫の変幻した聡明さに驚き洋姫を相談役して施政を行った。完はあちらでは叔父に引き取られ恵那屋で育ち、そのとき上野衆から敦厚術を習得した。こちらの叔父は完が甥であることに気が付いていない。完が木曽川に呼ばれ洋姫に見初められたことにもさしたる喜びも無かった。洋姫は完が違う世界から(神隠し)で来たことは知っている。完の人生・経験を受け継ぎ聡明な女性に変幻している。杉本の持ってきた正忠の書き付けを「いろは置き文字」で書かれてある事を察したのも完が敦厚術者であったからだ。
洋姫は女だてらに武術を嗜んでいた。それも、完から受け付いた敦厚術に磨きをかけた。洋姫と完の間に洋忠が誕生すると義忠は隠居し洋忠に家督を譲った。義忠は施政者であるより漆美術家の人生を選んだ。義忠の残した作品に国宝に指定されているものもある。洋姫のことは木曽川の中興の祖として湊家に受け継がれた。
真田家が去った後の多ノ郷・中田之荘は旗本遠藤家の領地となっている。代官は二代目の角田吉衛が継いでいた。吉衛は吝嗇で遠藤家へ収めるべき年貢からかなりの額を着服していた。遠藤安国は役職に付いて居らず収入は多ノ郷・中田之荘合わせて千石の年貢で在る。その年貢も目減りしている現状は年貢の割合を増やすしか無い。角田は自分の手前勝手な取り分を減らす気も無く領主の年貢を増やすには更に取り立て率を厳しくするしか無い。真田遺臣達は角田の布告で小作に落とされその惨状は筆舌を尽くせなかった。風聞で多ノ郷・中田之荘の現状を知った木曽川藩士達がその親戚に幾ばくかの送金をしたが、何処で知ったのか角田はその送金でさえ年貢として取りあげた。
当主である遠藤靖国は認知症を患い、遠藤家の次の当主となるべき嫡男は若くして他界している。三代目の跡取り拙太は放蕩三昧に明け暮れ台所は火の車であった。遠藤家にとって角田から送られてくる年貢だけが要りようで多ノ郷・中田之荘の惨状がどうあれ関係なかった。
江戸恵那屋店主の大河内将兵衛の五男曜は将兵衛が還暦を向かえた時の子である。母恵は幼少の頃から将兵衛が好きで遂には将兵衛の後添いに収まったという女性である。恵は調べ方緒方の孫で曜が敦煌術に魅せられる要因はあり、曜は己の敦煌術の錬磨に勤しむのが日課であった。曜は多ノ郷・中田之荘の惨状を聞き及んだ。遠藤家下屋敷は偽木曽川藩邸の詐欺事件の現場となったところであり、曜は一計を講じた。拙太が出入りする賭場で拙太に無償で金を融通した。拙太は曜になつき何処へでも着いてくるようになった。拙太が曜に寄生した格好となる。江戸でも高娼と云われる御茶店へ拙太を伴って遊びに寄り、酒に眠り薬を盛り拙太に飲ませた。拙太が目覚めると曜は居らず部屋には花魁が数人太鼓持ちが「お目がお覚めですか」と言い、番頭が勘定書きを拙太に渡した。請求金額を見た拙太は震え上がった。数人の花魁をはべらせ三日三晩の居続けの代償は大きかった。眠り薬は三日三晩経てば覚めるよう調合してあり拙太が覚める直前に大広間に花魁を待機させ、それまで拙太は布団部屋にうち捨てられていた。御茶屋の店主と陽は昵懇であり、店主の難題を幾つか引き受け解決し信頼を得ている。このようなお膳立てを店主は気安く引き受けた。
当主安国が認知症、跡取り拙太は放蕩者で幕府に知られればお家断絶は必至である。認知症になる前の当主安国は小心者で上役の機嫌を気にするような人物であったが認知症を自覚すると役職を辞任した。孫には役職を譲らなかった。孫の失敗をおそれたからである。孫は頭が悪く世間に出れば失敗することは必至である。頭が悪くても悪い遊びを覚えることは早い。当主が貯め込んだ貯蓄をあらかた使い込んでしまった。そんな時期遠藤家で一番古い家人達造が落胤なる人物を連れてきた。
曜は遠藤家の過去を探ると長男が結婚する前に思い人が居りその間に一子をもうけたようである。遠藤は長男に上役から出戻りの娘を押しつけられ今の地位を得た。長男の思い人には金を持たせ捨てた。その古い家人はその経緯を知っている。家人は一縷の望みを持ちながら長男の思い人が居た家へ行くと若者が居た。家人が若者に「お母上は?」と聞くと「私が十才の時他界しました。それからはここにずっと一人でいます。母から私の父は遠藤と云うと聞いています。」家人は確信した。この若者こそ他界した嫡男の息子であると。
曜は長男の思い人が居たという家へ行くと家は廃屋となり無人である。近所に聞くと若い娘が一人住んでいたが流産して果て、その後は誰も住んで居ないと。曜は廃屋を修繕し配下の者を住まわせた。遠藤家の古い家人が勘違いするのは勝手である。配下は落胤として遠藤家へ住むことになった。遠藤家家人にとって「お家の大事」が始まっており、それを回避出来る人物が現れた。それは天よりの配慮である。そして、落胤なる人物が「うちの家人と上役家の家人が仲良いから、それに幾ら渡してこちらの事情を洗いざらい言って頼べば良い。上役は孤高の人であるから万事うまく行く」と指示し、上手くことが進んだ。配下は家人の信頼を得て遠藤家の跡取りとなった。
遠藤安国は若いとき意気盛んで、初代代官角田は遠藤家の為に多ノ郷・中田之荘の真田遺臣を迫害し治めた。その時、木曽川藩は誕生したばかりで江戸恵那屋が多ノ郷・中田之荘へ手を出せる機会は無かった。時代が変わり遠藤家二代目は若くして他界し、その跡継ぎとなるべき三代目拙太は凡庸であり役職に付かせる役不足である。遠藤安国が老骨にむち打って頑張っていたが認知症になってしまった。二代目角田は己の私腹を肥やすために奔走している。曜が多ノ郷・中田之荘へ手を出せる好機なった訳である。
後の処置は曜が遠藤家名代として多ノ郷・中田之荘へ行き、角田を罷免し身ぐるみ剥いで追放し、角田が江戸より連れてきた剣客はそれなりの扱いとした。真田遺臣は元の武家に戻し江戸木曽川配下とし多ノ郷・中田之荘は木曽川藩の隠れ領地となった。以後、曜の名は長く木曽川藩に語り継がれた。
湊洋子は木曽川中興の祖洋姫から洋を取り洋子と言い、江戸恵那屋の五男大河内曜は上野流開祖以来の巧者と云われ大河内家の伝説となっている。その名前「曜」をつけたのが曜子となり、芳田家祖の芳田香三郎の妻お陽から陽をもらい命名したのが芳田陽子である。奇しくも三家の頭領が同年代で字が違えども読みが「ようこ」の名を持つこととなった。
第一章第六節.飛翔
洋子は中学時代にクラブ活動で新体操部に所属していた。新体操は手具を使用して柔軟な床運動を繰り広げる競技である。その新体操で育んだ洋子の体に上野流の技が重なった。
秀樹の上野流の得手は継立刀の技で、洋子は新体操での演技はバトンが得意であった。継立刀とバトンの技が相まって洋子は継立刀の使い手となった。継立刀とは上野流の創始者上野梅軒が考案した刀である。見かけは大刀ほどの長さの棍棒に見えるが仕込み刀である。刀身は大刀よりもやや短く柄が長い。短めの長巻きといったところか。長巻きとは刀身と同じ長さの柄を持つ刀で修練を必要としないため雑兵が扱う武器である。「槍が使えないなら長巻きを使え」と戦国時代に言われていた。いずれにしても屋内での刀争で刀を振り回したとき扱いやすい形である。刀は鞘とつなぐ仕掛けがあり短槍ともなる。刀身を抜かなければ棍棒として使用する。いずれの使用も屋内での戦闘を主としている。
上野流を継承したことで洋子の生活感は一変した。まず多足動物などの類が苦手で見るのも嫌で目にしただけでも悲鳴をあげていたが、洋子が仮に山で遭難した時の貴重な蛋白源だとの感じるようになった。
入学してから最後の校庭の茂みに丸々と太ったミミズが這っていた。それを見た洋子がオイシイカナと呟いたのを聞いた大河内曜子は「えっ」と驚いたことがあった。
大河内曜子自身が上野流の継承者であるからミミズを食料品と扱うのは当然といえば当然か。大河内曜子が幼少時に妹の幸と一緒に父親から上野流「山越」の修練を行ったことがある。上野流には五越の教えがあり「山越」とは「野に伏せ山に伏せ川に伏せすべし、野にある山にある川に食は在るなり」の項から来ている。
上野流五越
「感越」天候人心五感に感ずること全て知らせ也
「身越」知らせを持ち帰るに手一本足一本あれば事足りる也
「山越」野に伏せ山に伏せ川に伏せすべし
「体越」身は常人の如く在れされど常人より強く在れ
「舞越」得物は仕込み小槍を用い逃げるべし
秀樹もマンション管理人安達から「山越」の修練の手ほどきを受けたことがある。洋子にそのときの記憶があり、大河内曜子が上野流の使い手であることは既に察していた。
大河内曜子は湊洋子が上野流の使い手とは思っていなかった。仮に湊洋子が使い手であったとするなら金森葉子からの仕打ちにあれほどの被害を受けるはずが無い。入学してから一週間経ったある日からの湊洋子の変貌には驚くものがあった。所作言動に重きを感じるのである。湊家は木曽川藩の主筋ではあるが湊家に継承に相応しい人物が居なければ大河内家、芳田家から起てる習わしとなっている。それは現代の木曽川Gでも同様である。
現在、三家の嫡流は三家とも娘であるが以前の湊洋子であれば大河内曜子が選ばれた可能性はあった。大河内曜子が見る湊洋子は凛として上に立つ者の風格が感じられた。それは湊洋子と大河内曜子の間に主従の関係が構築された瞬間でもあった。その変化を感じたのは湊洋子の両親もであった。洋子は一人っ子であるがゆえ両親が甘く育てたのは否めない。父母に対する洋子の要求は際限が無かったところがあるが、今の洋子は父母に対して感謝するところが多い。大人になったのである。湊家の後継者として、木曽川Gの後継者としての分別も十分兼ね備えた人格となっていた。
中部高速公社ビル3階フロアーは建設部が占めており、その一角に秀樹が所属する電気通信課がある。社員食堂での昼食を終え、秀樹は打合わせ等に使用する机で休憩していた。
外線が掛かって来て、壮年の事務方が電話を受けた。
「お待たせしました。中部高速公社建設部です」
「えっ、どちらさんですか?]
「ミナトヨオーコー? ああ、港洋行さんですか。で、港洋行さんのどちらさんで、弊社の誰に御用ですか」
「港洋行さんの港さん。弊社電気通信課の大河内に御用ですか。分かりました。少々おまちください」
洋行とは中国で外人が経営する輸入関係の会社に使われる名称である。日本で戦前からの老舗で内村洋行がある。壮年の事務方は輸入関係の会社と勘違いしたようである。大声で壮年の事務方は「大河内、港洋行から外線が来たから、そっちへ転送するから出てくれ」。そう言うと秀樹が休んでいた打ち合わせ台に置いてある電話が鳴った。秀樹が電話に出るとケラケラと笑い声が聞こえ「もしもし、秀樹さん洋子です。初めまして」と若い女の声がした。秀樹は洋子の声を聞いたのは初めてであるが、こんな声をしていたのかと思った。洋子と夢で合い、夢で分かれてから一週間が過ぎていた。秀樹はうっかりしていた。洋子とは一回も合ったことが無いが、お互い相手のことは何でも知り尽くしている。
「秀樹さん、今日は愛車で出勤しているの?」と質問をし洋子が話を進め秀樹が退社した後、洋子は中部高速公社の近くで秀樹と落ち合った。洋子は母親からレザーのパンツとレザーの上着を借りて着用しており、落ち合うまでにバイク店でヘルメットを購入したと持ってきていた。
休日バイクに乗るとき秀樹はレザーライダースーツに着替えている。レザーはライダーが事故に遭ったときバイクと共に路面に擦られて皮膚が損傷するのを軽減する役割をもつ。秀樹は通勤では通常のズボンに見えるレザーパンツと皮ジャンを着用している。レザーファッションで決めてきた洋子の出で立ちは理に適っている。
秀樹は洋子を認めると「やー」と声をかけ、洋子は「このバイクすてきね」と言いヘルメットをかぶり何の躊躇もなく秀樹の後部座席に乗った。秀樹と洋子は実際に合うのは初めてではあるが、幾年も前から見知っているように挨拶をした。秀樹は愛車のスロットルを回しバイクが動き出しヨシオ・イクオが組立てたカスタムカーは小気味よいエキゾーストノートを残し、秀樹は洋子とのタンデムのドライブを楽しんだ。
小一時間ほど走り小洒落た喫茶店を見つけ、洋子に入るかと問いかけ喫茶店に入った。注文したコーヒーが置かれ飲んだ。
「秀樹さん、今日お父さんとお母さんに合ってもらえるかしら?」と洋子は秀樹に問いかけ、秀樹は洋子の両親に面会する事にうなづいた。コーヒーを飲み終えると2人は喫茶店を後にバイクで洋子の家へ向かった。
洋子の家は度山地区の高級住宅街に在った。秀樹達が家へ入ると洋子の両親が居間で待っていた。ソファーに秀樹と洋子が並び座り、両親と対面で座った。秀樹は両親に挨拶した。
秀樹の人と成り、両親や祖父母姉のこと、職業など秀樹のことを洋子は両親に伝えていた。両親は洋子の変化に恋人が出来その恋人の影響で洋子が変化したと思っており少なからず秀樹のことを悪くは思っていなかった。
しかし、突然洋子が秀樹と結婚したいと告げられたときは動揺もし心配もした。江戸時代に木曽川藩=恵那屋に危機が迫ったことがあった。それを回避した人物達がいる。洋姫と芳田完である。木曽川中興の二人として湊家では伝承されている。両親は秀樹と対面し秀樹のことが気に入った。湊家で伝承されている洋姫と完は木曽川中興の人である。洋子の変化を見ると完が洋姫にしたことと同じことを秀樹が洋子にしたのだろうか。湊武司は思った。そして、秀樹と洋子の結婚後の相談となった。湊家は木曽川G総帥を受け継ぐ家系であり洋子が大河内姓に変わることは出来ないと。秀樹が湊家の婿養子になることである。そのことの秀樹にこだわりは無かった。
『♯1』シーザー暗号についてはウイキペディアより引用。