7:さいしょの世界にダイブ
落ちている。
どんどん、どんどん、大地が近くなる。
これは、もしかしなくとも、ヤバいんじゃないのか?
いうなれば、スカイダイビングで空に飛びだした直後の状況。
もちろん、パラシュートなんて背負ってない。
今持っているのは、この身体ひとつのみ。
これは、今度こそ竜なしで死ぬのでは?と、暁は本気で考えた。
◇ ◇ ◇
『行くかい?』と聞かれ、「行く」と返事をした。
それ以上の事は何も話してはくれないが、相手の考えは読める。天狼の目が、「名残惜しい」と言っている。「行かせたくない」と訴えてくる。
それは、ゲートを潜る前に自分を見つめてきた、スイの姿と重なった。
「不本意だが、君を生かすためには行かせるしか選択肢がない。よし。出発前に、君を隠すために、マーキングしよう。そうでないと行くことは許せない」
神様を名乗るこの男は一体何を言っているのか?
長く転生人生を送ってきた暁だ。転生する度、様々な経験を送ってきた自分であっても、天狼の言動は目に余ることが多い、また少々の時間を共に過ごしただけの間柄だが、この男のことはきっと今後も理解できることはないだろうと思う。
そんなことをぼんやり考えていたら、がしっ!とばかりに天狼に抱き込まれた。気付いたときには、目の前に天狼の首筋があり、自分の体は彼の腕の中にあった。
骨が軋むのではないかと思うほど、力強く抱きしめられる。そして・・・。
肩口にぐりぐりと顔をこすりつけられる。
「・・・い、いったい、何を?」
「所有権の行使だよ」
意味が分からなくて怖い。ひとまず離れたいが、細身の体のわりにがっちりした体は鋼のようでびくともしない。諦めてされるがままになっていると、背後から声が聞こえた。
「主様」
声をかけてきた人を、暁は天狼の肩口からギリギリ見ることが出来た。
天狼の着衣の子供版みたいな灰色の服を着た、見た目高校生くらいのその子は、大きく大きくため息をついて言った。
「一番星様を殺す気ですが。あなた様の腕力は星をも砕くというのに」
「そんなわけない。アルコルは大袈裟だなあ」
いえ、骨が折れるかと思いました。やっとの思いでその腕の中から逃れて、暁は、アルコルと呼ばれた彼を見た。
「助かった」
「お助け出来て光栄です」
彼はぴしりと背を伸ばしうやうやしく頭を下げ礼をとる。
なんとはなしに返礼で背を正し頭を少し下げると、チョコレート色の髪と目をしたアルコルは、暁に向けにこりと笑み、「主様」と天狼に視線を向けた。
「用意はできた?」
「こちらに」
天狼の言葉にアルコルは手にした小箱を両手で彼の主に捧げ上げた。完全なる主従関係がその所作から見て取れる。自分には関係がなさそうと、窓の外に目を向けて暁は思わずそこを二度見した。
さっき見た紺碧の海が、夕暮れの色を映している。
ここの時間軸は、どうなっているのか?
と、首にひんやりとした手が触れてきて体がびくりと反応してしまう。
「ここの風景は、僕の心を映しているからね。今は黄昏て・・・こんな感じ。これから大雨が降って大荒れになるだろうよ」
天狼が彼の銀糸の髪を思わせる色の組紐を暁の首にかけてきた。
それはネックレスのようで、彼の瞳と同色の涙型をした小指の先ほどの石が下がっていた。
「ずっと準備はしていたんだけれど、こんなに早く渡すことになるとは、思わなかった。これは、君の魂を隠すお守りだ。・・・君が、君の魂を持っていることがわかれば、黒い竜は、君を殺すだろう。今までの99回と同じにね」
肌身離さず持っていてね。と悲しそうに笑う天狼に、暁は「行くのだな」と我知らず決意を固めた。
これから行くのは、自分が最初に生まれた世界だ。
「必ず、戻っておいで」
最後に祝福。と、天狼は暁の額に右手の人差指と中指で印を付けた。
額が、温かい。
「戻る・・・わからないな」
これから行くところも、それからどこへ向かうことになるのかも、今の自分には何もわからないのだ。
「わからなくていいよ。ただ、最後には僕の所に、戻ってくれればいいんだ」
天狼の銀に水色の雨粒を垂らしたような瞳が、あるものと重なった。
スイと過ごした世界で眺めるのが好きだった、夜の星。
流浪の民みたいに世界をめぐる自分にとり、どの世界でも夜は安らぎの時だった。目を閉じて眠れば、誰もいない、誰しもひとりだからだ。
ずっとひとりきりだった。
夜はいつでも変わらず自分を見守り、夜の空をいろどる星々の中ひときわ輝く星を、巡る季節の中探すことが好きだった。
その星の名は。
「シリウス」
天狼—セイリオスの真の名前。
『シリウス』も『アルコル』も、星の名だ。
ここは、そういう世界でそういう領域なのだろうと、暁は静かに思った。
天狼はちょっとびっくりした表情をしてそれから相好を崩した。
「その名は、君が心を取り戻してから呼んで欲しいな。僕の唯一人の人に呼んでもらいたい、名だからね」
「さあ、行っておいで」
いきなり、視界が切り替わった。
ゲートのぬるく不愉快な闇の中から、見ていた画面を切り替えたように次元圖書館に来た時と同じく、また、視界が切り替わったのだ。
足元が抜けた感じがして、あったはずの床は消えた。
目の前は、青しかない。
「空だ・・・」
髪が、すべて逆立ち、ものすごい風圧の中、息すらまともにできない。
これは、空を、落ちてるな・・・。
眼下には、緑豊かな広い大陸と、青い海が見える
緑の大地の中、木々の間に、小さな青。
湖だろうか?
この状況でも冷静な自分が、心底おかしくて、今までの自分歴で初めて、大口を開けて笑ってしまう。
いきなり、死にそうだ。
竜なしでの死は100回の転生人生で初めてである。
だが。と暁は考えた。
「生まれて初めて思うけど―——・・・
今回だけは、死ぬんっ—————!!」
叫んだ瞬間、暁の体には得体のしれない何かが全身を一気に駆け抜け浸食し、意識が飛んだ。
体を真綿の様なやわらかいなにかが包み込んだ。
『あたたかいな』と感じた時には、暁は青い水の中にダイブしていた。




