3:ゲート
自分たちが、少々の言葉を話せるようになったばかりの幼い時。忙しい大人たちに「これでも読んで大人しくしていてね」と渡された絵本を、暁とスイの二人して読んでいたことがあった。
むかしむかし、世界がまだなにもない真っ暗闇だったとき。
さいしょの神様は、なにもない闇の世界に、自分の魂のひとしずくをおとしました。
ぽつん。とおちたひとしずくの魂は、水滴が水面に落ちたように、六つのしずくに分かれました。
ひとつは、青く。
ひとつは、緑に。
ひとつは、白く。
ひとつは、黄に。
ひとつは、赤く。
最後のひとつは、黒く。
最後の黒は、真っ暗な闇の世界よりも黒く、うきあがり、形をつくり、大きな大きな竜となり、翼をひろげ、そして、両目を開きました。
世界にはじめてうまれた光は、黒い竜の金色の目。
世界をはじめて照らす光も、黒い竜の金色の目。
はじめの黒い竜が目を覚まし、世界を金色の光で照らすと、5つの色のしずくも、それぞれの色をまとい同じく竜の姿を形作り、黒い竜と一緒に翼をひろげて、世界に色をつけました。
青い竜は、空と海に青色を。
緑の竜は、山々と草原に緑色を。
白い竜は、雲と雪に白色を。
黄の竜は、太陽に大地に黄色を。
赤い竜は、夕焼けと炎に赤色を。
はじめの黒い竜は、夜の闇に黒色と輝く月に金色を。
そうして、はじめの竜と5匹の竜は、なにもない世界の神様になりました。
『くろい、りゅう・・・』
ぽつりとつぶやく。
絵本の中の黒い竜は、自分を99回殺した黒い竜にこれでもかというほど、似ていた。
幼い暁の隣で絵本をのぞき込んでいた、こちらも幼いぽやぽやの茶色い髪をしたスイは嬉しそうに笑った。
『りゅう、かっこいいね!』
『ぼく、おとなになるまえに、くろいりゅうにころされるんだけど』
スイはきょとんと大きな目で暁を見てきた。
『こんせには、りゅうは、いないから、どうやってしぬのか、わからない』
『あかてゅき、しんじゃう?』
大きな目にうっすら涙を滲ませながら、スイが暁に尋ねてきた。
見た目は幼い子供でも、中身は今世100回目の転生者である暁は自分の現在の年齢を棚上げし、相手の年を思いやることもせず、はっきり告げた。
『うん。いつもころされる』
怪獣の咆哮で泣き出したスイを泣き止ますことは、本当に大変だった記憶がある。
今までの転生人生の中で、転生の話は誰にもしたことはなかった。そもそも、自分の事を話す相手を、ともに同じ時間を過ごす相手を、持ったことはなかった。
どうせ早晩、竜に殺される運命だ。
孤独であることは不変で、それは当たり前のことだった。
今世で、何故、スイの前で転生と自分の死に方を呟いてしまったのか、それは今でもわからない。
自分の不遇な転生人生を、知ってもらいたいとでも、思ったのだろうか。
この自分が?。
何度生まれ変わっても、何度死んでも、心も感情も、持ったこともなければ、必要と思ったこともない、自分がか?
『世の中、転生とか、異世界転移とか、流行ってるらしいぞ。お前みたいなやつも、探せばいるかもしれないぞ!』
中学生に上がったばかりのスイが、暁の目の前にどしどしとカラフルなイラストが表紙の本を積み上げた。
『これは、ラノベとかいう』
『え!知ってんの?!お前がいた世界とかの話もある?』
『似たようなのは、あるには、あるな』
『すげーな?!作家って、他の世界から転生してとか、覗いてとかして、書いてる人とかいるのかも?!』
『それは、ないだろ、それにオレは、どこにいっても、異物でしかない』
どこにいっても、どこの世界でも、自分が生まれたせいで、世界は、黒い竜に襲われる。自分が存在した為に、世界が終わりを迎えることだってあったのだ。
◇ ◇ ◇
2時間ほどのドライブを終え到着した山裾のホテルは、こじんまりとした規模の落ち着いた雰囲気で、なぜか懐かしい空気を感じた。国道から少し入った位だというのに、周囲の視界には人工物がほぼなく、深い森の中にいるような感覚を味えたからかもしれない。
ホテルの建物の背後は山で、フロント階の前面には大きな庭園とそれを囲むような林があり、林の向こうには山々が折り重なり、最奥の高い山は頂上付近がまだ白い。
通された201号室の部屋は、窓も大きくベランダもあり、フロントの全面窓から見えた美しい風景をガラス越しではなく見てみたくなった。
時刻は夕刻近く、空は薄紫に変わりつつある。
少し涼しくなってきた風に暁が髪を遊ばせていると、不意にスイが尋ねてきた。
「何故、何回も転生して、竜に殺されなければいけないか。どうすれば、この輪廻の輪を断ち切れるのか。それが知りたいと、お前は言ってたよな?アキ?」
ずいぶん昔に話したことを覚えているのだな。と、暁はスイを振り返った。
顎までかかる、癖のない暁の前髪が風に吹かれ、その下の両眼があらわになる。
日本人特有の黒い瞳ではない、黒に近い群青のその色に、ジワリとうすく赤が散る。夜明けの空を思わせるその色は、ほとんど感情を動かすことのない暁の、唯一の感情の揺れであることを、スイは知っている。
暁の無言の肯定に、スイは言葉を続けた。
「お前が唯一持っていない、『初回の記憶』」
「・・・」
「それを知ったら、お前は、自分を、その魂を完全に、消す気か?」
自分をまっすぐに見つめるスイの目は、なぜこうも懐かしい思いに駆られるのか?
ここへの道中で自分を見た、まぶしい光を見るような、あの目でも確かに感じた。しかし、それは、おそらく・・・。
暁はその可能性に蓋をした。気付いては、思い出してはいけない、それを。
「・・・この世界に竜は存在しない。竜がいないということは、お前は、竜に殺されることはないんだ。」
「お前が、檀家さんに聞いたって、『扉』」
異世界への『ゲート』がある。
ここに連れてこられたのは、それが発端だ。
「おそらく、本物だ。下に、あるな?」
暁の言葉に、スイはびくり!と肩を震わせた。
ここに着いたときから、感じていた。
呼んでいるんだ、自分を。
今世の世界は美しくて、もう少し見ていたくて、自分の目に焼き付けていきたくて、ベランダから見ていた空は、緋色の夕焼けと紫のグラデーションに変わり始めていた。
もうすぐ、夜の帳が降りてくる。
ここには6匹の竜がつかさどるすべてが揃っている。
先刻まで青かった空と太陽の黄色。
山々の若葉の緑と高き山の頂きには白い雪。
日暮れと共に降りてきた緋色の夕暮れと・・・近付く夜の闇。
陽と闇の間のあいまいな時間はすべての境界線を消す。
『ゲート』が開く時間だ。
「ある」
スイは、静かに暁に手を伸ばし、壊れ物を手にする様に、ふわりと暁の背に両手を回し両手を組むと、自らの腕の輪の中に、暁を閉じ込めた。
「お前の為に、ゲートを見つけた。お前の為、だった、はずなんだけど。でも、今、お前を行かせるのが惜しい」