21:瑠璃は想う
人間というものは、自分を忌み嫌い痛めつけるだけの生き物で大嫌いだった。
でも、夜空色の目をもつあの人間は違っていた。
あの人間は自分を「瑠璃」と呼んだ。
長い間自分を苦しめ誰にも外すことが出来なかった、首の拘束魔具をあっけなく解呪し砕くと、自分を守り、抱きしめてくれた。
あの時から自分の名前は「瑠璃」になった。
世界に生まれてから今まで「名前」を貰ったことがなくて、誰からも、抱きしめられたことなんてない。
抱きしめられた腕の中はあったかくて、目を瞑り微睡み、そこから離れたくなくなった。
でも、離れなくてはいけなくて、自分を守ってくれた人間に「行け!」と言われて飛び立った。
でも、このまま、離れることは出来なかった。
まだ、あの人間の名前を聞いていないから。
深樹海は青竜の領域だとは知ってるし、黒竜の自分が見つかったら大変な事も知っている。
だけど、結界が張られているわけでもなく、森に紛れ込んでしまえば問題はない。
森を離れたフリをして、ねぐらにしていた大樹のうろの中に戻り瑠璃は身を隠した。
それに気付いたのは、うろの中で少し休もうと体を丸めた時だった。驚いたことに全身を切り付けていた深い傷が、まるでそんなもの元からなかったかのように忽然と消えていた。
あの人間が身体の血を拭ってくれた時、湖の水で傷口を洗い、柔らかく体に触れてくれた時———痛みが薄れていく感覚はあった。
あの人間が癒してくれたのだろうか?
自分を体を癒したあの人間の事が気にかかる。
青竜に酷い目にあっていないだろうか?
痛いことをされていないか?
また、空から落ちたりしないか?
ご飯は食べれているのだろうか?
瑠璃の心配は尽きなかった。
夜になって、瑠璃はこっそりと神殿群のエリアに忍び込んだ。
今まで魔具に封じ込められていた魔力は、人間が魔具を解呪してくれたお陰で自由に使えるようになった。
気配を消し、姿を消して、神殿内に侵入する。
神殿はどこも同じだなと、瑠璃は思う。
以前、自分が閉じ込められ、実験され、傷付けられた、あのに憎むべき場所と本当に変わらないのだ。
神殿というのは、神を祀る場所ではないのか?
神官は欲にまみれ、神を騙り、信仰する人々を騙す。
神殿に神は降りない。そのような者たちが集う場所だ。神様はこんなところを好むはずもない。
音を消して翼を使い神殿内を行く。
あの人間はいない。
あのやさしくてあったかい光を感じない。
瑠璃が探索を諦め、他の建物に移動しようとしたその時、汚れた人間の下卑た声が聞こえてきた。
「青竜様が湖に落ちたあの男を宮に連れて行ったですって?」
甲高いヒステリックな声だ。
関わりたくないが「湖に落ちた」と言うことは、あの人間の事に違いない。瑠璃は声のする部屋に向かった。
短い回廊の突き当りの部屋から人のざわめく気配を感じる。
ありがたいことに、扉が開いている。
内部をそうっと覗き込むと、神子装束の腰まで伸びる長い金髪の女が、部屋に溢れる神官に怒りの声を上げていた。
「あんな得体のしれない・・・見えてるはずなのに誰もその姿を覚えていないなんて・・・魔法か魔術を使うものに違いないわ!汚らわしい!!」
「ですが...水の神子様は、創世の神より、『渡り人』様が泉に現れるとお告げがあったと!。竜の涙への光の柱がその御印で、あの方は渡り人で、光の聖女アルラキス様にそっくりだとおっしゃっていたではないですか...?!」
大神官の言葉にグリーゼは鼻を鳴らして笑った。
「あの男は、あんな泥だらけでボロボロの衣服を纏って...貧民窟から出てきたドブネズミみたい。ただの異世界人でしょう?アルラキス様から事前にお知らせ頂いた通りに、それっぽく伝えただけよ!伝えて、青竜様からあれを奪って、本神殿に生贄としてお渡しする」
生贄?
神殿の神子ともあろうものが、何を言っているのか?
いや。と瑠璃は眉を寄せる。
あそこも、あの神殿もそうだった。
自分を閉じ込めた神殿の神子もこの女と同じだった。
「アルラキス様から言われていたの、異世界人が現れる兆候があると。・・・その異世界人を生贄に捧げれば、神界の王は、世界をすべるこの世で最高の力を手にし、この世にあらざるべき魔界を完全に消滅させることが出来ると。それはこの世界の平和に繋がる。その為のとても重要な名誉ある仕事を、このわたくしにアルラキス様はお与えくださいました」
突然この世界に連れてこられた異世界人を、世界の平和の為に、生贄に捧げる?
あの光を人の形にしたかのような綺麗な人間を・・・?
「異世界人が現れるとわかる兆候を見たら、『天啓』だと、『創世神よりの渡り人が泉に現れた』と青竜様にお伝えし、すみやかにその異世界人を掌握し本神殿の、アルラキス様の元に送ると。厳命を頂いているの。そうすれば、アルラキス様から私は聖なるお力を分けていただけて、私の神子としての神格が上がる・・・!」
世界中から忌み嫌われる魔獣にも劣る。魂が完全に汚れていると、瑠璃は女を見て思った。
「私の神子としての神格が上がれば、青竜様はきっと、私を水の神子と認めてくださる!そうしたら、私は青竜様の花嫁となり、血を賜り、竜の眷属となり女神となる。あなたがたも皆、素晴らしい人生を歩める、素晴らしい世界に生きる事が出来る。力を貸して!必ずあの男を、アルラキス様に送るのよ」
こいつ等全員この場で抹殺したい。
心の底からの憎悪が湧き上がる。
胸に溜まったマグマのような怒りの炎をこの場で全て吐き出してしまいたい。ギリッと牙を噛み締めた時、不意に自分を呼ぶ声が聞こえた気がした。
『瑠璃』
不思議に響く優しい声。
それに引かれるように、腐った神官達に瑠璃は背を向けた。
呼ばれた気がした。
それは月の方角だ。
今日の月は、満月に近い。
月の明かりが強いからか、夜空は黒ではなく群青に染まっている。
その色の目が見たい。
呼ばれるように空を翔けると、神殿よりも静謐で高貴な青竜の居所となる宮の前に、月に照らされた瑠璃色の花弁の花を見つけた。
なんとはなしに一輪手折ったその時だ、宮の上階から耳から離れなかった声が聞こえたのだ。
「うるさい!一人で寝るっつってんだ!ほっとけ!!」
・・・あれ?物凄くガラは悪くなっているが、あの人間の声には間違いない。
手折った花を口に咥えて、瑠璃は上階の窓辺に飛び上がった。宮には外壁をぴたりとラッピングするような結界が貼ってあったが、今の自分にはそれを無効化する力がある。
「とっときの酒だ!度数はエグいぞ!飲み比べの勝者が、お前の寝床を決める!どうだ?!」
「勝ったらあっちで寝るからな。二言はないな?」
人間が居た。瑠璃は嬉しくて声を掛けたくて、青竜が居なくなるのをず~~~~っと待ったが、ありえないことに、青竜は人間を抱き込みそのまま眠りについてしまった。
人間が可哀そうだ・・・。
助けてあげたいが、青竜が自分に気付けばまた人間に迷惑をかけるかもしれない。
今日の所は、この自分の目と同じ色—瑠璃色—の花をここに置いて、ねぐらに帰ろうと瑠璃は思った。
先刻、神殿で聞いた人間に伝えなければいけない危険なことを早く話したかったが、青竜がいる限り自分が姿を現すことは不可能だし、青竜が人間の側にいる限り危険はないだろうと思う。青竜は人間を守ってくれると、不思議な信頼を瑠璃は感じていた。
また明日、来ればいい。
明日は、青竜が居ないかもしれないから。
瑠璃は、花が枯れないように魔法をかけ、それをベランダに置いた。
人間が自分に気付いてくれるように・・・願いを込めて。
それから毎日、人間の元にやってきたが、青竜が人間の側を離れることはない。
人間の安全が確保されて安心できるのは良い事なのだが、瑠璃はだんだんと青竜が本気で憎たらしくなってきた。
だが、一つだけ良いこともあった。
青竜は人間のことを「アカツキ」と呼んでいた。人間の名前がわかって、瑠璃の胸は温かくなる。
瑠璃色の花を毎日「アカツキ」の元に届ける。
その花は、室内の花瓶に飾られて、それが7本になる頃、部屋からやっと青竜の姿が消えた。
やっとアカツキの前に姿をだす事が出来る!
瑠璃は喜び勇んでベランダに飛びついたが、アカツキの側には青竜の眷属がついていた。
それからさらに日を重ねた「まだ会えないのか・・・」と瑠璃が頭を垂れた時だった。
アイとかいう竜がアカツキに声を掛けた。
「どうして毎日ここに置いてあるのか、謎ですが、花に罪はありませんので」
その言葉にアカツキはすうっと顔上げ―瑠璃のすぐ前—ぽつりと呟いた。
「———瑠璃の色だ」
「っ人間!!」
ぽんっ!!と魔法を解いて、瑠璃はアカツキの前に姿を現してしまった。
最早、我慢の限界を超えていた瑠璃を、誰も責めることは出来ないだろう・・・。




