10:第一村人の正体
なんだか途轍もなく胸と腹の辺りが熱く、イライラが止まらない。
頭に血が上るのを感じながら相手を睨みつける。
男は瞼がめくれるほどに目をむいて微動だにせず暁を見つめてきた。
こいつも、瞳が青い・・・。空色のぬけるような青だ。
だが今はそれすらも暁は気に入らない。腕の中の幼竜だって綺麗な瑠璃色の目を持っている。黒い体をもって生まれただけで忌み色?生まれは誰にも選べない。それがなんだというのか。
暁は目の前の男に今まで持ち得たことのない感覚を感じていた。
「怒るな、人間!。力を込めると、右腕が・・・血が流れる・・・」
自分の噛んだ傷を気遣い諫めてくる腕の中の幼竜の言葉に、暁は瞬いた。
「怒る・・・?」
「怒っているだろう・・・?」
頭に血が上り、腹と胸の辺りが熱く―——。そこまで考えて言葉が漏れた。
「これが怒るってことか・・・」
「・・・さっきから変わらず、変な人間だ。そんなこともわからないのか?」
幼竜の言葉に暁は2ミリほど眉を寄せて1ミリほど目尻を下げた。これだけでも暁としては随分と表情が動いた方である。
「うん。初めてなもので」
「本当におかしな人間だ」
幼竜はおかしいとばかりに大口を開けて笑った。
なんだろう。目の前の男に感じた初めての「怒り」がこの子が笑うと消えていってしまう。
角の間の額を撫でてやると気持ち良さそうな照れくさい顔をして、目を細める幼竜を抱く腕に力を込めて暁は顔をあげ、相手の男に視線を戻した。
男は変わらず暁を見ていたが、凍り付いた体が溶けたようにこちらに向けていた剣を鞘に納め、一歩また一歩とゆっくりと近付いてきた。
先の殺気は消えていたが、剣を収めたとはいえいきなり抜刀されないとは限らない。暁は抱き込んだ幼い竜を背中に隠し相手と対峙した。
その時だった。
べろん。と、裾を破り腹が出ていたTシャツを胸まで一気に捲りあげられた。
「・・・胸がない」
「———もう一度いう。あんた、目がついてるのか?オレは男だ」
暁の薄い胸をまじまじと見つめて、男は頷いた。
「そのようだな」
今だTシャツを捲りあげたままの相手を右手で振り払おうとすると、逆に腕を取られた。
「この噛み傷はどうした?」
「あんたには関係ないことだ」
背中に隠し左腕のみで背負っている幼竜がピクリと動いたので「気にするな」の意味を込めて、指先で軽く撫でてやっていたら、取られた右腕の傷を指で開かれた。
「っ・・・」
「深いな」
「離せ―——」
その言葉にもかまわず、男は暁の右腕を引っ張り上げると幼竜の噛んだ噛み傷に顔を寄せ、べろりと舐め、目を閉じた。
「・・・なにしてるんだ。さっきまでの『一刀両断で殺す』位の殺気はどこいった?」
「ちょっとした確認だ」
納得したように顔を上げ、男は腰に帯びていた薄いサッシュを外したかと思うと、それを暁の傷口に巻き付けてきた。
雲一つない青空と同色のサッシュだ。見ただけで高価そうで「かまわないでくれ」と言ったものの、相手は構わずそれを巻き付け最後にきつくない程度に縛り付けた。
サッシュと同じ色の瞳が暁のみを見つめてくる。
「黒きものは、この森に踏み入ることは禁忌だ」
「それは、申し訳なかった。すぐ、出ていく」
じりっと後ろに下がろうとした暁の右腕を、男はまだ離さない。そして、彼は暁の左肩に自らの右手を掛けた。
「黒きもの、黒き竜は生かしてはおけない。排除する」
暁の背に左腕で背負われた幼竜は、ギリッ!と牙を噛みしめ臨戦態勢に入ろうとしていた。
「オレも、黒だ。この子と同じだ。———この子は、湖に落ちたオレを助けてくれて、岸まで運んでくれた恩人だ。この子共々、排除される気はない。すぐ消えてやる―——」
「確かにお前は―——黒きものだが・・・」
暁が話終える前に言葉を遮り、男は帯剣の柄に一瞬右手を下したかと思うと、するりとその手を上げた。
「お前は、ダメだ」
上げたその手で暁の額を指差す。
男の青眼の瞳孔が縦に開き、その瞳が、暁を射る。
真昼の空色とは真逆の、夜行性の肉食動物に似た、獲物を逃がす気はないというその冷たい凍るような眼を、暁は昔見たことがあると思った。
「・・・お前は、創主の香りをその身にまとい、創主の祝福を、その身に受けている」
ちょっと待て。と暁は思った。
『創主』とはもしや、先刻この世界に自分を突き落とした『天狼』を指すのでしょうか?
天狼からマーキングされた所有権の行使と、額に受けた祝福が、足を引っ張りすぎるくらい引っ張っている模様です。
自分を「生かす」ためにと、色々付与してくれたのは確かだが、この世界にいきなり突き落とされて、来るなり死にかけたし、この局面では『祝福」のせいで身の危険を感じる。
対峙する男の縦に開いた瞳孔は、ある生き物の瞳を思い出させた。
幼い頃に呼んだ「あの絵本」に出てきた、「あの」生き物だ・・・。
もはや嫌な予感しかしない。
今までの転生人生は「いつ死ぬのか」「早く死んだ方が楽」「いつ黒い竜が殺しに来るのか」と死ばかり考え生きてきたが、「さいしょの世界」に飛ばされてきてまだ1時間もたっていないこの時点で、死ぬ気がなくなり、なんとかそれを回避しようとしている。
この自分のなかの変化は一体何なのか?
「ははは・・・」
我知らず乾いた笑いを零してしまう自分を誰が責められよう。と暁の目は死人のそれのように色を失う。
「お前は、創主の遣わした、『鍵』だ」
「言葉の意味がわからない」
自分は『初回の記憶』を取り戻しにここに来た。
『初回の記憶』を得て、100回にも及ぶ転生にケリをつけるためだ。そんな自分が『鍵』だとは、笑わせてくれる。鍵—パスワード―が欲しいのはこちらだ。
「すぐ、出ていく。行くぞ!瑠璃!」
「・・・るり?」
暁に急にそう呼ばれて幼竜は目をむいた。
「勝手ながら不便なので呼び名を付けさせてもらった。とっとと、この森出るぞ!」
暁のないはずの「感情」が溢れてきているのを、彼はまだ気づいていない。
『瑠璃』を胸に抱きなおし背を向けた暁の後ろで、男の気配が突然変わった。
— 切られる・・・?! —
瑠璃を胸に隠ししゃがみこみ、身を挺して守ろうとする暁を、夜が来たのかと見まごうほどに突如として現れた巨大な影が包み込んだ。
「———出ていくことは、許さん」
先刻の男の姿はそこにはなく、その代わりに大樹と背を並べるほどの大きな青い竜が暁を見下ろしていた。
『秘された竜の涙』の青き湖水と同じ色をした「青い竜」は静かに口を開いた。
「我は、青竜。この地の守護竜である。創主の遣わした、『鍵』を逃すわけにはいかぬ」




