六十七話
最終話です。
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熱の塊が、人の形を持って降りてくる。
魔術師はそれを、ゲルヴァン火山の山裾で見つめていた。その行き先を追って坂を転ぶように駆け出す。金の燐光が、少女の道しるべとなった。
『黄金の人』は、彼女がはじめて見つけた自分と同じ人間だった。
「きっと、あの人ならわかってくれる! 」
この怒りも、憎しみも、自分のことのように理解してこの手を取ってくれることだろう。
この世で会いたい人がいるとすれば、少女にとってそれは『黄金の人』だった。
どきどきと胸が高鳴った。祈るように、拒絶されないことを願った。
ああ、そして、できれば、愛してはくれないだろうか。この浅ましい願いも、受け入れてくれるのではないか。
イシスは、それを願っていた。
「待って――――待って! 」
山から離れると、建物の傾斜の影に隠れてその姿を追うのは難しくなった。
それでもイシスは駆けた。やみくもに、細い脚を動かした。
「ああっ! 」
足がもつれて転ぶ。少女は、途方に暮れたように自分を見下ろした。
「……あんた、こんなところで何してんの? 」
少女イシスは、魔術師の顔で振り返った。
ゆっくりと歩み寄ってくるのは、擦り切れた大きな外套のすそをひるがえす、大きなつばの帽子をかぶった裸足の子供。一見はみすぼらしくも、しかしその足に泥汚れはない。
その魔人は、肩ほどの黒い巻き毛と、青白くなめらかな肌。そして帽子の下で不穏な輝きを放つ、金の瞳をしていた。
「魔術師イシス」
「……その名は捨てた」
不快もあらわに、魔術師ドゥは吐き捨てて立ち上がった。肌に刻まれた無数の祈りの言葉が蠢き、足の甲を流れて街道の石畳を這う。
「……あの魔法使いの魔人か」
「ふん。ボクは、キミにはこう名乗ったほうがいいかもね」
魔人の外套が、風に逆らって逆立ち枝を伸ばす。
「わが名は選ばれしもの。『愚者』の名を与えられたもの。魔人ジジとはボクのことさ」
帽子を脱いで、『愚者』は髪をかき上げた。
「じゃ、形勢逆転と行こうじゃあねえか。なア、悪役さんよォ」
「……あなたが『愚者』」
動いたのは『魔術師』だった。
「―――――アポリュオン! 」
どろりと、腐臭がただよう泥沼があたりに満ちた。緑白に濁った複眼を持つ頭が這い出て、二人の間でその巨躯をさらす。
魔術師の前に守るように立った奈落の王は、翅を振るわせて踏み出した。
(『愚者』はアポリュオンに任せておけばいい)
走り出せば、胸はふたたびはやりだす。
西で『赤』のカマエルが暴れている気配がした。相手はおそらく『皇帝』だろう。
魔術師は思った。
(そうだ。カマエルなら、すぐに『皇帝』を手に入れるだろう。『皇帝』のゴーレムがあれば)
西に駆け出す。差し込む青い朝日が、その上気する頬を照らしている。
カマエルが見えた。立ち塞がる『2』のスート兵を殴り倒したところだ。スート兵の背後には、アトラス王家の皇子がふたり隠れていたようだった。カマエルは、さらに棍棒を握り込んで顔を輝かせる。
何をやっているのか、とイシスは思った。『皇帝』はここにはいない。弟たちにスート兵をつけて、自分はこの場を離れているのだ。
「カマエル! 『皇帝』は」
そのとき、自分を追い越す背中があった。
金の燐光。頬を撫でた熱。
「あっ……――――」
呼び止めようとしても、口にする言葉が見当たらない。
空気を歪めて透明な影が疾走する。
それは強くこぶしを握り締め、腰だめに引いた。
そのこぶしに、燐光が巻いて硬質なかたちを取る。無から溶け出した鎧が、熱の体を覆い、内側からまばゆいほどに赤く輝く。
「――――兄さんッ! 」
イシスは少年の声に、伸ばした手を引き寄せて胸の前で握った。背中が遠ざかっていく。
灼熱の拳がカマエルの頬を打ち抜いた。
カマエルは大きくのけぞり、体勢を崩す。瞳は大きく見開かれ、その鎧の子供を見つめている。
地面にへたりこんだケヴィンが、その名前を呼んだ。
「……アルヴィン」
灼銅の魔人は、カマエルの前に立ちふさがったまま振り返らない。すう、と息を飲み込んだ。
「我が名を得たり! 誓いを得たり! 今この時より蘇りしもの! 世界を変える資格あるもの!
――――宣誓する! わが名は選ばれしもの『星』のアルヴィン! 」
アルヴィンは腕を広げて名乗りを上げた。
兜の隙間から、輝く金の双眼がカマエルを睨む。
「僕が相手です。今度こそ、倒れないから」
カマエルの驚愕で丸くなった口が、ゆるゆると笑みの形に広がった。
「最ッ高だ! こんどは叩きがいがあるなア! ……あっ」
カマエルの顔が、また驚愕に変わる。
ころころと表情の変わる男だ。魔術師は、カマエルのそんなところはあまり嫌いではなかった。
胸を刺し貫く黒光する槍。その切っ先を見下ろして、魔術師は奥歯を噛む。
「はあ……――――」
見上げた空が青い。
『愚者』のジジが、目を閉じて横たわる魔術師を見下ろしていた。
ぬるい風が強く吹いた。
紅い花が熱した空気と、冥界から噴き出す冷気とがぶつかり、吹いた強風。
国中を覆う霧と雲を、一時だけ吹き飛ばす西風だ。
水色の空にぽっかりと黒い粒が浮かんでいる。ジジは目を凝らし、「ああ、」とほほ笑んだ。
「……あれ、ケトー号だ」
読了ありがとうございます。
次回、エピローグで完結です。
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