六十二話
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霧の中での儀式のとき、呪文を唱えるサリヴァンのもとを訪ねた亡者がいた。
『……もし、あなた。時空蛇の化身の弟子のあなた……』
冥界の炎が宿る冷たい指が、剥き出しになった首元のあたりに控えめに触れる。
思わず体を跳ね上げたサリヴァンに、『しっ! 』と唇の前に指を立てたその人物は、サリヴァンを見下ろして霧の中で見失わない程度に距離を取った。
『呪文を続けなさい。そう、返事は不要です。伝言を伝えに参りました。よくお聞きなさい』
サリヴァンは二度頷いた。
『冥府の蔵から、要人の遺灰が盗まれていることが分かりました。それにより、魔術師の目的が分かったのです。その遺灰の持ち主は『黄金の人』と呼ばれている人物。人類の祖にして最初の人間。魔術師が蘇らせようとしているのは、『黄金の人』で間違いありません』
サリヴァンの顎を汗がつたう。
『もうひとつ。魔術師の身元が分かりました。彼のものは、『鉄の人類』最初の審判のときに蝗の王の手で滅ぼされたバビロンの女奴隷にして巫女。当時の名をイシス。星の女神の名をいただくもの。その血筋は、かつてのアトランティスの姫を祖母に持ち、父は後のフェルヴィン建国にも手を貸した、亡国の姫君です』
女の手からサリヴァンの目に流れ込んでくる光景がある。そこは薄暗い祭儀場だった。
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「人類を審判するどころではない。このままでは、冥界にこの世界が呑まれるぞ」
アイリーンは暗闇を見上げて、そう口にした。
そこは、古代式の裁判所だった。
石造りの円形舞台である。円を描く、すり鉢状の階段は、裁判官と傍聴者の席だ。被告人は下に立ち、彼らを見上げながら罪を裁かれる。
その落ち窪んだ中心に立ち、アイリーンは、上から見下ろす無数の視線を受けながら腕を組んだ。
「冥界の神々よ。秩序の守護者たるあなた方が、いつまで手をこまねいている? 」
時空蛇め、と声が飛んだ。《これもすべて、貴様の手の上か? 》
神が威圧のために発した声である。アイリーンはよろめき、膝をついたが、なんとか持ち直して首を持ち上げた。白い肌を黒髪が縁取っている。真紅の瞳は、ほの青い暗闇に輝く。黒い瞳孔が切れ目のように鋭く尖る。
一歩。踏み出す。
二歩。大きく足を踏み鳴らす。
さざ波のような声が静寂に落ち、神々の視線が円形舞台に放射状に降り注ぐ。
「……何を言っている? 」
壇上の一角に向け、アイリーンは呟いた。
「何を言っている!? こんな時に、重要なのは責任の所在か! 高い矜持をさらすことか! 矮小な人間ふぜいに堕ちた時空蛇の言葉が、そんなに耳に痛かったか!? 今の言葉を口にしたのは誰か! 名乗りを上げろ! 」
すっ、と一つの影が、段上を降りた。
《そういきり立つでない。同僚の非礼を詫びよう……》
滑るように人影が降りてくる。華奢な人影は、アイリーンのもとへ近づくたびに色を取り、薄汚れた老人の姿が浮かび上がる。
まるで、毛玉だらけの灰色のローブを、枯れ木に引っかけたようにも錯覚するだろう。突き出た鼻と、六角のランタンを握る乾いた五指が、枯れ木をヒトたらしめている。
《……皆、焦っておるのじゃ》
「まさか打つ手がないとは言うまいな? 」
《その通りじゃ。面目申し訳ないことに、古代より秩序を守り抜いてきた神々が八百といながら、我々は手を打てないでおる。嘆かわしいことに! 》
老人はランタンごと大きく腕を広げた。
《我々は神であるからこそ、この事態に対処する術がないのだよ》
「なぜ、と訊いたら説明してくれるのだろうな? 」
《もちろんだとも。そのために集まっていたのだからな。なあ、みんな? 》
ざわめきが戻る。困惑と焦燥、憤り、そして期待の匂いをアイリーンは感じ取った。
傍聴席の中から、もう一柱、影が降りてくる。ここまで案内してきた旅装の神である。
彼は、当たり前のようにアイリーンの横に立つと、灰色の老人に向かい合った。
空に向かって老人が掲げたランタンから、白い火花が漏れる。
《……まずは……そう。昔話をせねばなるまい……》
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